54.80.208.105 カルヴァン派は伝道していない?

 

カルヴァン派は伝道していない?

 

<O師>

D氏の第二のポイントに進もう。

「後千年王国説(ポスト・ミレのこと)が『歴史は発展する』と主張するのは、進化論やヒューマニズムの発展史覿を信じるからではなく、神の力を信じるからです――」と言って、マタイ二八章一九節の主イエスの宣教命令と、マタイ六章一〇節から、ポスト・ミレがいかに伝道に力を入れているかの説明がある。

 これはポスト・ミレの素晴らしいところで、ア・ミレとの大きな違いである。

 つまりポスト・ミレの千年王国観は、伝道の原動力になっていることを忘れてはならない。

しかし、私が神戸改革派神学校に在学中の三年間で、どの教授も、ポスト・ミレから生まれる、このような伝道意欲を語っておられなかったし、実際の伝道、海外宣教(今は世界宣教と言う)にしても、福音派やペンテコステ派に比べ、話にならないほどにやっていない(もちろん個人差はある。このような場合、近代物理学の量子力学的説明は、極めて有効なのだ。素粒子はあまりにも微小なので、素粒子の個々の振る舞い、運動量は計算できないが、統計学的にはわかる。量子力学の面白さについては、いつか詳述しよう)。実際に「出て行って」福音を宣べ伝え、救霊に励み、世界中で福音宣教をして福音を地に満たしていっているのは、「聖書を文字通り信じている」教会であり、人々である。これらの人々の多くはヘブル語もギリシャ語も、さほど堪能ではない。しかし聖霊の力に満たされて(使徒一・8)懸命に伝道に励んでいる。ところが神学のメッカのようなドイツは、教会員の二パーセントしか聖日礼拝に出席しない。二〇パーセントではない、たったの二パーセントである。改革派教会を中心としたオランダのプロテスタントは、人口の六〇パーセントを占めていたが、今や二五パーセントに激減している。

 いくら改革派神学など誇っても駄目である。実際に伝道しなければ話にならない(周知のごとくオランダも含めて、ヨーロッパでは東洋宗教、イスラム、オカルトが蔓延して、教会員が激減している)。

 そして伝道しないのは、やはり神学に問題があるからである。

「つまらない誇り」を捨てて、他から学ぶことである。

 

 

<T>

たしかに、現在の海外宣教の中心は、非カルヴァン派である。しかし、現在の状況を見て、だからカルヴァン派の神学全体が非宣教的だというのはあまりにも早計な判断である。

なぜならば、近代の海外宣教の前期(クラウス・フィードラーが「古典宣教協会の時代」と呼ぶ時期)は、ほとんどカルヴァン派によって占められていたからである。そもそも、カルヴァン自身が、宗教改革者の中で最初に、海外宣教を唱えた人物として名高く、実際に、1556年に2人の宣教師をブラジルに派遣している。(Henry R. Van Til, The Calvinistic Concept of Culture(Grand Rapids, Mich.: Baker Book House, 1959) p. 93; Louis Igou Hodges, Reformed Theology Today (Columbus, GA: Brentwood Christian Press, 1995) pp. 101-104.)。

カルヴァンのポスト・ミレ信仰は、ジュネーブ教理問答の第268-270項において顕著に現われている。「問:御国の到来のためにあなたはどのように祈るべきか。答:我々は次のように祈るべきである。すなわち、主が日増しに信じる者の数を増やし、毎日恵みの賜物を彼らの上に注ぎ、ついに、主が彼らを完全に満たしてくださるように。主が、その真理をますます明るく照り輝かせてくださるように。主が御自身の正義を明らかにし、サタンと彼の国の暗やみを混乱に陥らせ、すべての不義を消し去り、破壊してくださるように、と。問:このことは今日すでに起こっているのだろうか。答:しかり。部分的には。しかし、我々は、それがたえず成長しつづけ、発展し、ついには、裁きの日において完成に至るように願わねばならない。その日には、神お一人が高き所において支配され、すべての被造物はその威光の前にひれ伏すだろう。彼がすべてにおいてすべてとなられるだろう。(第1コリント15・28)」

カルヴァンは、御国は歴史において発展しなければならないと考えていた。また、その発展を実現するのはクリスチャンの責任であると考えていた。チャールズ・チェイニーは、このようなカルヴァンのポスト・ミレ終末論の見解こそ、カルヴァン主義者を海外宣教に駆り立てた主動因であると述べている(Charles L. Chaney, "The Missionary Dynamic in the Theology of John Calvin," Reformed Review 17 (Holland: 1964) pp. 24-38.)。

このようなカルヴァンの姿勢はカルヴァン派に受け継がれた。ウェストミンスター大教理問答は、ポスト・ミレの信仰を表明して次のように述べている。「我々は次のように祈る。すなわち、サタンの国が滅ぼされ、福音が世界中に宣べ伝えられ、ユダヤ人が召され、異邦人が完成するように、と。また、教会がすべての福音の働き人を備え与えられ、聖餐式が執り行われ、腐敗から清められ、政治的指導者の支持と守りを受けられるように、と。」

実際、初期のプロテスタント宣教会は、ほとんどがカルヴァン主義に立っていた。1649年の「ニューイングランド協会」、1762年の「北米インディアンキリスト教布教協会」、1787年「北米インディアン等福音宣教協会」、1787年「異教徒福音宣教協会」、1792年「バプテスト宣教会」、1795年「ロンドン宣教会」、1799年「教会宣教会」、さらに、1796年以降出来た初期アメリカの諸宣教会はカルヴァン主義である。

カルヴァン主義のポスト・ミレ信仰は、ドイツにおいて敬虔派に影響を与えた。ドイツ宣教学の父と言われるギュスタフ・ヴァルネックは、「敬虔派が現われるまで、ルター派の宣教は、その終末論によって妨げられていた。」と述べた(Gustav Warneck, Abriß einer Geschichte der prtestantischen Missionen von der Reformation bis auf die Gegenwart (Berlin: Martin Warneck, 1899) p. 10-18., cited in "William Carey, Postmillennialism and the Theology of World Missions" by Dr. Thomas Schirrmacher)。ルターは世の終わりが近いと述べ、「大宣教命令」は使徒たちによってすでに成就したので、「もはやこの地上から期待するものは何もない。」と語っていた(Helmuth Egelkraut, Die Zukunftsserwartungen der pietistischen Väter, Theologie und Dienst 53. Brunnen Verlag: Giessen, 1987) p. 11. cited in "William Carey, Postmillennialism and the Theology of World Missions" by Dr. Thomas Schirrmacher)。そして、このような切迫再臨信仰と、大宣教命令の否定は、ルター派の公的な姿勢ともなり、同派による世界宣教を遅らせる原因となった。

しかし、敬虔主義者フィリップ・ヤコブ・シュペーナーやアウグスト・ヘルマン・フランケらがカルヴァン派のポスト・ミレから大きな影響を受けたことにより、ルター派の間に宣教への熱心な取り組みが起こった。17世紀の敬虔主義ルター派の世界宣教の第一のリバイバルは、シュペーナーのポスト・ミレ信仰に触発されたことによる。それは、カルヴァン派の世界宣教が、ピューリタンのポスト・ミレによって触発されたのと並行している。

シュペーナーは、自分のポスト・ミレの信仰について次のように述べている。

「教皇制とローマのバビロンは、世界の終末の前に完全に打ち倒され、ユダヤ人が神の恵みによって回心に導かれ、神を知る知識が栄光のうちに増し加わり、キリスト教会がますます聖潔と栄光に進み、今の時代に関する他のすべての聖なる約束が成就するということ。私は、これこそヨハネ黙示録の『千年間』が意味するところであると信じる。この教えは、しっかりとした聖書的な教えであり、そのほとんどの部分は、昔の教師だけではなく、今日の教師たちによっても信じられているものである。」(Philipp Jakob Spener, Theologische Bedencken, 4 Parts in 2 Volumes, Vol. 3, (Halle, Germany: Verlegung des Waysen-Hauses, 1712-1715), pp. 965-966.)

 

彼の影響は、世界宣教という形となって現実化した。

「シュペーナーの未来へのビジョンは、具体化し始めた。ユダヤ人伝道や異教徒伝道、貧困者やホームレスへの奉仕活動が超教派的に広がり始めた。」(Helmut Egelkraut, Die Zukunftserwartung der pietistischen Väter, op. cit., p. 29.)

 

ドイツ敬虔派の第2世代リーダーであるアウグスト・ヘルマン・フランケは、もともと、当時、急進的な霊魂主義の敬虔派教徒であったが、シュペーナーの影響により、切迫再臨信仰から離れ、ポスト・ミレに変わった人物である。彼は、ロンドンキリスト教宣教協会やボストン在住のカルヴァン主義者コットン・マザーと文通をし、カルヴァン主義ポスト・ミレのグループと交流を保っていた(Iain Murray, The Puritan Hope: Revival and the Interpretation of Prophecy (Edinburgh: Banner of Truth Trust, 1971) p. 93.)。

フリードヘルム・グロスは、シュペーナーやフランケのポスト・ミレがどのようにしてヴルッテンベルク敬虔主義のプレ・ミレに変わったのか経過を詳細に記している(Friedhelm Groth, Die "Wiederbringung aller Dinge" in württembergischen Pietismus, Arbeiten zur Geschichte des Pietismus 21 (Göttingen, Germany: Vandenhoeck & Ruprecht, 1984).)。

アメリカ宣教運動における最大の指導者と呼ばれるルーファス・アンダーソン(1796-1880)は、カルヴァン主義救済論及びポスト・ミレ信仰と世界宣教とを結び付けた第一の人物である。彼の影響は、ローランド・アレンやロバート・E・スピーア、ジョン・ネヴィウス、アブラハム・カイパーなど世界宣教の主だった指導者たちに計り知れない影響を与えた(R. Pierce Beaver, "The Legacy of Rufus Anderson," Occasional Bulletin of Missionary Research 3 (1979) pp. 94-97, here pp. 96-97.: Jan Verkuyl, Contemporary Mission: An Introduction, (Grand Rapids: Wm. B. Eerdmans, 1978) pp. 187 on Kuyper and the Netherlands.)。

トマス・シルマッハー博士は、「カルヴァン主義者であったルーファスは、異教徒たちに伝道することがいかに重要なことであるかを力説していた。というのも、彼は、そのポスト・ミレ信仰のゆえに、世界の諸国民はいずれ回心するはずだと期待していたからである」(Thomas Schirrmacher ed., Die Zeit für die Bekehrung der Welt ist reif: Rufus Anderson und die Selbständigkeit der Kirche als Ziel der Mission, Edition afem: mission scripts 3 (Bonn: Verlag für Kultur und Wissenschaft, 1993))と述べている。

ウィリアム・ケアリは、強烈なカルヴァン主義者であり、ポスト・ミレ信仰を持っていた。そして、彼とその友人アンドリュー・フラーのカルヴァン主義ポスト・ミレの影響は、その後のイギリス海外宣教に決定的な影響を与えた。

ちなみに、奥山師は、ジョン・ライランド博士がケアリの宣教に反対したという有名な話を紹介しておられるが、アイアン・マーレーは、博士の子息ジョン・ライランドJr.の発言を引用して、この話に疑問を投げかけている。

ジョン・ライランドJr.は、ケアリの親友であり、ノーザンプトン協会の同僚であった。また、この事件が起こったとされる時期に彼は、父ジョン・ライランドの副牧師として教会で働いていた。彼は次のように述べている。

「印刷物として出るまで、私はこの話を一度も聞いたことがなかった。だから、私はそれをどうしても信じられない」と。

そして、この話を否定する理由をいくつか挙げる中で、彼は次のように述べた。「私の父ほど、[福音宣教によって出現する]栄光の未来について祈り、説教した人は誰もいなかったのだから」と(John Ryland, Life of Andrew Fuller, 1816, p.175 cited in "The Puritan Hope" by Iain Murray.)。

仮に、カルヴァン主義者が宣教に反対したとしても(たしかに当時ハイパーカルビニストたちが海外宣教を妨害したという事実はある)、その当時の宣教が圧倒的にカルヴァン主義者の手によっていたという歴史的な事実がある限り、カルヴァン主義が反宣教的であるという主張にはいかなる説得力もない。

それでは、アレクサンダー・ダフ、デイビッド・リビングストン、ヘンリー・マーチン、ヘンリー・ヴェン、ジョン・エリオット、デイビッド・ブレイナード、ジョン・エドワーズ、ルーファス・アンダーソン、そして、ウィリアム・ケアリなど名だたる宣教師たちは、カルヴァン主義者ではなかったのだろうか?ロンドン宣教会やニューヨーク宣教会、グラスゴー宣教会、ケアリのバプテスト宣教会、セランポール宣教会など、近代宣教のパイオニアはカルヴァン主義ではなかったのだろうか。

第一次大戦まで、人々を宣教に駆り立てた主要な動因は、カルヴァン主義のポスト・ミレ信仰であったという事実を忘れてはならない(W. O. Carver, "The Missionary Consummation-Prophecy of Missions," Mission in the Plan of the Ages (New York: Revell, 1909) pp. 213-282.)。ジョン・ジェファーソン・デイヴィスは、「現在、保守派の間においてほとんど忘れ去られているポスト・ミレが19世紀の大部分において主要な千年王国説であったという事実に私は衝撃を受けたのである」と述べた(John Jefferson Davis, Christ's Victorious Kingdom: Postmillennialism Reconsidered (Grand Rapids: Baker Book House, 1986) p. 7, 10.)。

 

日本の宣教史に目を移しても、カルヴァン主義者が「実際の伝道」や「海外宣教」において、福音派やペンテコステ派に比べ、「話にならないほどにやっていない」という発言がいかに誤っているかは明白である。日本最初のプロテスタントの教会は米国オランダ改革派教会バラの手によるものであるし、日本最初のプロテスタントによる新約聖書翻訳はカルヴァン主義者による。日本のプロテスタント・キリスト教の基礎を築き、明治期の日本社会に絶大な影響を与えた人々(シモンズ、ヘボン、フルベッキ、ブラウンら)はカルヴァン主義者である。

諸外国、例えば、今日の韓国や台湾における長老派の絶大な勢力を見ても、カルヴァン主義者がこれまでどれだけ宣教に対して熱心であったかは日を見るより明らかではないか。

確かに、現在のヨーロッパ諸国においては、キリスト教の勢力の著しい退潮がある。

しかし、これが師の言われるように、単に(伝道を怠っている)改革派の神学に問題があるからそうなったというならば、イギリスにおけるキリスト教(国教会だけではなく福音派も)の退潮は何故か?フランスにおけるそれは何故か?イタリヤにおけるそれは何故か?スペインにおけるそれは何故か?という問題になる。

ヨーロッパにおけるキリスト教の退潮は、改革派に留まらない。

原因を改革派の神学の間違いにだけ求めるのはあまりにも問題をシンプルにしすぎる。








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