54.162.121.80 勝利の終末論

 

勝利の終末論

R・J ラッシュドゥーニー

 

 学者やクリスチャンのリーダーたちは、聖書解釈における主流の立場を認めようとしない。これは、20世紀の知識人の間において起こっている奇妙な現象の一つである。後千年王国説は歴史上、非常に長い間にわたって、終末論における主要かつ恐らく中心的な学派を形成してきたのであるが、今日、それは、充分な審議もされず、聖書の裏付けも示されないままに、多くの人々から棄却されている。アンガーは、「歴史の経緯を見ればこの説が誤りであることは大体明らかである。それゆえ、この立場について検討する者は実際上ほとんどいない。」と述べた。この発言は、批判的な書物や文献の中において、繰り返し引用されてきたが、どの場合でも、著者たちは、けっして後千年王国説を聖書から論駁しようとはしない。ただ「歴史を見なさい。」としか言わず、聖書に基づいてこの説の誤謬を明らかにしようとしない。

例えば、アダムズの発言を見てみよう。アダムズは、一見改革主義に立つ学者のように見えるのだが、実のところ、彼はこのテーマについて次のように短いコメントを発している。

 

 「2つの世界大戦は、以前の楽観主義的モダニズムを、今日のような、悲観論的新正統主義に変えてしまっただけではなく、コンサーバティブな後千年王国説をも無明の闇に葬り去った…。今日、後千年王国説を検討する者はほとんどいない。一瞬にして核戦争によって崩壊してしまうかもしれない今日の世界において、黄金時代が間近に迫っているなどと述べるこの非現実主義的な立場に支持を与える者は誰もいない。」

 

 原則として、このような発言は、モダニズムである。というのも、それは、聖書を、聖書によって解釈するのではなく、時代――現代という時代――によって評価するからである。アダムズは、前千年王国説を評価し、関心を向けている。それは、前千年王国説が歴史的悲観主義に立つ現実に即した立場に見えるからである。一方、彼は、後千年王国説を評価せず、いささかの関心も示さない。なぜならば、後千年王国説は、歴史の事実から乖離した非現実的な立場、「死に絶えた立場」としか見えないからである。彼にとって聖書は何を言っているのかということはどうでもよいのだ。現実はどうか、ということが彼にとって判断の尺度なのだ。これこそ、「世界情勢による聖書解釈」の原則だ!

このような新聞を主なソースとして聖書を解釈する人々は、「聖書は聖書によって解釈すべし」という聖書解釈の原則を無視するばかりか、事実そのものをもひどく誤って解釈する傾向がある。リンゼイは次のように述べている。

 

「かつて、『後千年王国論者』と呼ばれるグループが存在した。彼らは、クリスチャンは、世界から悪を根絶し、悪い支配者を廃位させ、絶えず発展しつづける伝道によって世界を回心させ、自らの努力によって地上に神の国を来らせることができると信じていた。さらに、制度的な教会が、平和と平等と義によって千年の間世界を支配した後にキリストが再臨し、世界が終わる、と考えていた。これらの人々は、聖書の多くの個所を文字通り理解することを拒み、人間の生まれながらの善性に期待を寄せていた。第一次世界大戦によって彼らの意気は大いにくじかれ、第二次世界大戦によって、この立場はほとんど地上から一掃された。今日、世界の情勢を見、キリスト教の影響が加速度的に衰微している現状に目を留めている誇り高き学者の中で『後千年王国説』を採用する者は誰もいない。」
 

 ここでも、モダニズムが顔をのぞかせている。終末論について立場を決定する上で根拠となるのは、聖書ではなく、「世界の情勢を見…ている誇り高き学者」であるというのだ!

 リンゼイの短いコメントには多くの誤りがあるが、ここでは一つを挙げるだけで充分であろう。いったい、後千年王国説の学者の誰が、「人間の生まれながらの善性」を信じているのだろうか。カルヴァン、アレクサンダー、チャールズ・ホッジ、ウォーフィールド、その他の後千年王国論者のうち、一体誰がそのようなことを信じていたのだろうか。現代の後千年王国論者、キックやベットナーや筆者が、堕落した人間の善性を信じているとでも言うのだろうか。リンゼイのこのような発言には、いかなる事実の裏付けもなく、今日勢いを増しつつある大きな学派を中傷するものでしかない。

後千年王国説は今後 非常な発展を見せるであろう。なぜならば、それは聖書的であり、それゆえに、「勝利の終末論」すなわち真の意味で救いを提供する終末論であるからだ。それは、聖書のあらゆる部分を真剣に考慮し、復活を重視する終末論である。キリストは、歴史において、永遠の世界において、また、霊の世界だけではなく、物質の世界においても勝利された。リンゼイが述べる「キリスト教の影響が加速度的に衰微している現状」は、キリスト教が現実に対して適切に対応できなかった結果である。後千年王国説が衰退したのは、第一世界大戦が原因なのではなく、勢いを増しつつあるモダニズムと無神論に影響された非再生者(natural man)たちが、世界に対する「王なるキリストの主権」の信仰を拒絶したためである。偽りの終末論は、歴史を悪魔に引き渡すことによって、キリスト教の影響力が衰えるのを加速した。真の聖書的な信仰が復活すれば、必ず後千年王国説も復活するだろう。

 

 現代世界がジレンマに陥っている一つの原因は、マニ教の考えに影響されたからである。マニ教の基本的な教義は、「世界は二つの領域----つまり、霊、光、善、善神の領域と、物質、悪、悪神の領域----からなる」というものだ。この信仰によれば、人間の使命とは、宣教によって万物を征服するのではなく、救いようのない悪の世界、サタンの世界から離れて、霊と光の世界に引きこもることである。禁欲主義は、新マニ教思想の主要な教義であり、初代教会と中世の教会に重大な影響を与えた。現代のプロテスタント信仰において、新マニ教の影響は、その、世界を悪魔に引き渡すことをよしとする終末思想に顕著に現われている。

 この数年間、筆者は、後千年王国説に反対する人々から繰り返して「世界はサタンに支配されているのだから、後千年王国説のストーリーなど起こりえない」と言われてきた。教会に通うクリスチャンたちが、もし、このような「サタンこそ時間と物質と歴史の支配者である」という考えを心に抱くならば、当然のことながら、次のような過激な結論を持つ以外にはない。すなわち、「世界を敵に明渡す以外にはない。社会改革など不可能だ。勝利を説く牧師のメッセージを受け入れてはならない」と。(彼らの言う「勝利の生活」とは、マニ教が教えるような、霊の世界への飛翔だ。)ある著名な前千年王国論者の説教家は、「沈み行く船上の真鍮を磨いてはならない」と断言し、歴史にかかわるすべての活動を否定した。「サタンが世界と歴史を支配している」と説教する前千年王国論者のメッセンジャーもおり、このような人々によって、クリスチャンは希望を失い、逃避と絶望に追いやられてきた。

 しかし、後千年王国説は、再び勝利するだろう。なぜならば、それは神の真理であり、神が書き記された御言葉の真理だからだ。後千年王国説は、人々の心を鼓舞激励し、神の力で満たし、彼らをあのいにしえの偉大な聖徒たちや昔のピューリタンたちのように、あらゆる領域にキリストの勝利の御旗を打ち立て、あらゆる思想とあらゆる活動をキリストの虜にする勝利の兵士に変える終末論なのだ。

 

 

 

 








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