ペルガモの祭壇と世界大戦とソビエト連邦


<Q>
「マルクシズムの起源 10 」の記事の中でペルガモの祭壇について
「ベルリン占拠後、ソビエト軍がドイツからモスクワに運んだ。この祭壇の寸法は縦
127フィート[約38メートル]、横120フィート[37メートル]であった。」
と書かれてありますが、他の資料で調べてみましたが、このことを確認できませんで
した。
ペルガモンの祭壇は現在もドイツのベルリン市のペルガモン博物館に保管されている
と思います。

スウェーデンの新聞がどれほどのクウォリティーの新聞か私は確認できないのです
が、ドイツからモスクワにペルガモの祭壇がWWII後に運ばれたというのは事実なのでしょうか?

お忙しいところ申し訳ありませんが、ご返答いただけるとたいへん喜びます。

<A>
プリンストン大学S. M. Bilsel氏の "Zeus in Exile: Archeological Restitution as Politics of Memory," Center for Arts and Cultural Policy Studies, Princeton University, 2000. )によると、

「1948年に、連合軍の爆撃から免れたゼウスの祭壇[ペルガモの祭壇]のフリーズは、ソヴェト軍によって没収され、ドイツの戦争賠償金の代わりとしてレニングラードに移された。それが東ベルリンの博物館に、ソヴェトからドイツ民主主義共和国の市民に対する贈り物として戻されたのは、やっと1958年の後半になってからのことだった。」
http://www.princeton.edu/culturalpolicy/workpap/WP13%20-%20Bilsel.pdf

とあります。

現在、ペルガモの祭壇は、おっしゃるとおりベルリンのペルガモ博物館にありますが、その一部が一時的にソヴェトに移されていたのでしょう。
http://www.smb.spk-berlin.de/charts/pergamon.html

ちなみに、この祭壇は、黙示録においてイエスが「サタンの王座」と名指しされたものと思われます。

「また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。」』」(黙示録2・12-13)

この祭壇と現代史の関係は大変興味深いものです。

ドイツの考古学者カール・ヒューマンによって1878年9月9日に発掘が開始されたこの祭壇は、ドイツに持ち帰られ、そこで再建された。ウィルヘルム2世がこの再建を記念して1902年にベルリンで祝典を開いた。

1899年から1917年にかけて、ドイツの考古学者たちは古代バビロンの遺跡も発掘し、イシュタルの門をベルリンに持ち帰った。ドイツを中心として、1914年に第一次世界大戦が開始した。

ウラジミール・レーニンが1924年に没すると、ソヴェトは、1929年10月11日に彼を赤の広場にある『レーニン廟』に葬った。『レーニン廟』の設計者アレクセイ・ヴィクトロヴィッチ・シチューセフがモデルとしたのは、ペルガモのゼウスの祭壇であった。

G・マルチェンコの著書『カール・マルクス?』には、「レーニン廟を建てた建築家シチューセフは、設計のモデルとしてペルガモの祭壇を選んだ。シチューセフは、当時、考古学に関する著者として有名だったF・パウリセンから必要な情報をすべて得ていた。」とある。

1933年にヒトラーがワイマールの首相に選ばれ、翌年独裁者となり、12月13日に行われるナチ党集会のために、ニュルンベルクのツェッペリン広場に舞台を作るように命令した。

設計者アルバート・シュペーアがこの舞台のモデルに選んだのは、ペルガモの祭壇であった。

「ニュルンベルクで開かれるナチ集会のためにヒトラーが用意したスタジアムは、古代ギリシアのペルガモの祭壇から直接影響を受けていた。」(http://www.discovery.mala.bc.ca/web/pattonkd/neo.htm

ニュルンベルクスタジアムとペルガモの祭壇を比べて見ると、影響は明らかである。
http://www.millnm.net/QAE/pergam.jpg

総統の演壇はこの舞台の中央にあり、それは、1934年から37年まで存在した。ヒトラーは1939年に第2次世界大戦の引き金を引いた。

既に述べたように、ソヴェトは祭壇を戦利品としてレニングラードに運び、1958年に戻した。

イエスがサタンの王座と呼んだ祭壇の再建と、2つの世界大戦、そして、無神論国家ソヴェトの勃興とまったく何の関係もないのでしょうか。

 

 

2005年2月8日

 

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