34.204.171.108明治維新において本当の皇室が復活した!

 

明治維新において本当の皇室が復活した!


中丸薫他著『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』(ヒカルランド)は非常に興味深い情報が提供されている。

中丸氏と小林隆利牧師はいずれも明治天皇の孫である。

小林牧師の母でありクリスチャンであった仁(しのぶ)様が、明治天皇の言葉として小林師に語った発言は刮目に値する。


中丸「私たちは明治天皇陛下を共通の祖父として生を与えられております。けれども明治天皇というお立場上、肉声を伺うということになると、なかなかできません。

小林様のお母様であられる仁[しのぶ]様は、明治天皇のお言葉や御思いをふだん親しく伺っておられたと聞いております。

今日はぜひ、そこのところをお伺いできればと思います。

お母様の仁様が、小林様にどうしてもお伝えしなければならなかった明治天皇のお言葉があったこと、そのことをお聞かせいただけたら、いろいろなことが明確になつてくると思います。・・・」

小林「・・・私の両親、特に母の残してくれた言葉は、年を経る毎に、重みが増してくるように思います。…母・仁は、私が成長し、やがて日本という国について意識するようになりましたときに、初めて本当のことを言つてくれました。

「私の父(明治天皇)が言われたのよ。『日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である。天皇の権限で日本の歴史を調べたが、神道は紀元前にはこの日本にユダヤ教として入って来た。そして、のちに入って来た原始キリスト教に習合されている。だから日本はキリスト教が中心になってくるべきだ』と」。母のこの言葉は私の心に焼き付います。

天皇家の由来についても、明治天皇はこのように語っておられたと、母は、繰り返し言っておりました。

「日本の元はユダヤ教が母体として入ってきたのだから、日本の天皇家の中心も、日本の国全体の中心も、その源はユダヤにある。それを完成したのがキリストでありキリスト教である」と。

これは私がかねてから考えてきたことと一致する。すなわち、日本はもともとキリスト教国であり、本来の姿に帰るべきである。

さらに、中丸氏は、非常に興味深いことを語られた。

中丸氏の父親である堀川辰吉郎が明治天皇と御側女官の権典侍(ごんのなしのすけ)・千草任子(ちぐさことこ)とのあいだに生まれた子供であったことを知るある新聞社の記者が、2001年4月9日に中丸氏のもとを訪ねてきた。

天皇家の系図を広げながら、こんなことを言い出したという。

「明治維新というのは単に幕府を倒して王政復古を実現するためだけにあったのではありません。実は北朝の天皇家には足利義満のとき以来、天皇の血脈が流れていません。そのため、天皇家の血脈を持っている南朝に天皇の座を取り戻すために、勤皇の志士たちが決起した革命なんですよ」

これを聞いた中丸氏は、こう応えた。

たしかに系図によりますと、南北朝の動乱後、天皇家は北朝の流れを汲んでいます。九九代の後亀山天皇(?―1424年)を最後に南朝は絶えています。その後は系図上でも抹殺されているようで、その子孫についても文献がなく定かではなくなっていたのです。

その一方で、北朝は一〇〇代目後小松天皇(1377―11433年)の即位の後、一二一代孝明天皇へとずっと継承されてきていたのです。歴史上は、この孝明天皇が明治天皇の父となる人です。

それに対して記者は次のように言い放った。

「南朝の末裔に大室寅之祐という人がいました。後醍醐天皇〈1288-1339年)の玄孫のさらに孫ぐらいに当たる人物です。その寅之助を勤皇の志士である伊藤博文や桂小五郎らが、本来の天皇であるべき血脈である大室寅之祐の擁立をはかったのです」

これを聞いて中丸氏は、まだこのようなことの調査に着手する前だったので、非常な驚きに打たれた。

幕末の志士たちが南朝天皇家の復活を試みた目的はなにか。なぜ彼らは寅之祐を擁立したのか。

そのーつには『神皇正統記』があったといいます。この書物は後醍醐天皇に引き上げられて、大納言にまでなった参謀・北畠親房が南朝の正当性を説いた本なのです。志士たちは親房のこの本を読んで、次第に皇国思想に目覚めていったようなのです。長州藩のみならずその中には、勝海舟、坂本龍馬も加わっていました。

そして、薩長連合のもう一つの動機はここにあったという。

「ここからが重要なのですが……」先ほどの記者が続けます。「犬猿の仲だった薩摩と長州はどうして同盟を結んだと思いますか。一般には坂本龍馬が尽力して両藩を説き伏せたといわれています。それもあったでしょうが、果たしてそれだけで仲良く手を組めるものでしょうか。最後は西郷隆盛が折れて両藩が同盟を結ぶことになったとされていますが、実はその理由は隆盛に隠されていたのです」

どういうことかといいますと、西郷隆盛の本家である菊池家の祖先は、南北朝時代に九州勢力の中心として南朝の側にあった。菊池武時とその長子・武重の時のことです。そのような家系にある隆盛は、南朝の末裔が長州にかくまわれていることを知っていたというのです。

ああ、そうか!

明治維新は、単にフリーメイソンの手先となった薩長が野合して起こした革命ではなかったのか。

納得である。

それでこそ、今の天皇家と政府を支持する強い動機が生まれるというものだ。

神は、フリーメイソンの侵略を利用して日本を復活させてくださったのだ。

中丸氏はご自身のルーツと南朝天皇家の復活を同時に示す偶然の出来事に遭遇する。

私は以前、山口県の萩市へ講演で行った折、主催者に案内されて毛利家ゆかりの寺へ行きました。するとそこに明治天皇が来訪したことを伝える石碑が建っていたのですが、その脇にはなんと井上馨の胸像があったのです。私の父・堀川辰吉郎は、実は生まれるとすぐに井上馨の元に預けられていたのです。それにしてもなぜ明治天皇は毛利家を訪れたのでしょうか。

調べてみると、長州藩主毛利敬親の祖は大江季光。大江家は代々、南朝に仕えていたのです。南朝の末裔たちは、毛利家、長州藩の武士たちにかくまわれて細々と生き延びてきていたのではないか。ならば、明治天皇となった寅之祐にとってみれば、ここは故郷となるわけです。

その記者はさらに、こう続けました。

「寅之祐には弟が一人いました。その弟に久子さんという孫がいて、現在92歳になられ、九州のほうで暮らしています。その久子さんからDNA鑑定書をいただいてきました。そこで、あつかましいお願いなのですが、先生にも鑑定を受けていただきたいのです」

私が了解すると、その記者の方は翌日4月10日に再び訪ねてきて、私の口内から鑑定に使う細胞を採っていったのです。

その翌日の4月11日、私はかねてから予定しておりました桜にぎわう奈良県の吉野というところへ行きました。そこで、後醍醐天皇の祀られている吉水神社に参拝し、神武天皇ゆかりの地を訪問する予定だったのです。さっそく出かけてみると吉水神社の前にはなんと「明治維新は南朝の確立」と刻んだ碑が建てられてあったのです。

私にはこのようなシンクロニシティ(共時性)がついて回るようです。

神は、小林師と中丸氏という南朝天皇家の末裔を通じて、われわれに日本の秘密を明らかにしておられる。

ついに新しい時代が到来した。

 

 

2013年4月23日





 

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