神の評価と比べれば人の評価は無に等しい


葬式に何人人が集まるかでその人の人徳がわかる、みたいなことが普通の日本人の間では常識になっている。

それで「なんとかして人から尊敬される人間にならねば」と考える人がいる。

それ自体別に問題ではないが、クリスチャンの立場から見れば、人からどう思われるかはどうでもいいことである。

クリスチャンにとって重大事は、「神にどう思われるか」である。


しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。(1コリント4・3)

そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。(ルカ12・4-5)

魂の死と比較すれば、肉体の死はなんでもない。

人間ができることはせいぜいわれわれを殺すことである。

われわれの死後、ゲヘナに投げ込む権威があるのは神だけだ。

だから、神によってダメと言われたらおしまいなのだ。

ノーベル賞や文化勲章をとっても、地獄に行ったら何にもならない。

地獄に落ちてから「こんなところに来るとは!生前イエスを信じ、救われておけばよかった」と後悔しても遅い。

クリスチャンは、肉体にある間のことによって動かされてはならない。

名誉とか金銭、人の評価、噂など、神の評価と比べれば、どうでもいいことである。

こういうものに振り回されている間は、まともな人生を送ることはできない。

「死んだ後どうするか」に意識を集中すべきだ。

そうすれば、今肉体を与えられている間になすべきことがわかるだろう。

われわれは、地上生涯の間、神の命令を守り、その主権を拡大するのである。

われわれはそのために生まれてきた。

神の国の地上における拡大こそがわれわれの使命である。

その他のことは、それほど重要なことではない。

このように感じることができるようになれば、神の学校において成長したと言えるだろう。

 

 

2012年12月10日



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