近代の間違い


正義のための戦いは貴い。

国を守るとか。

しかし、理論武装がない戦いはむなしい。

僕は、問題の本質を探るために多くの時間とお金を使った。

予備校で教えたのは、時間を作るためだ。

2日出勤するだけで30万になった。

その他の日は、本を読んだ。ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースの本などを。

哲学についても本質を見抜こうとした。

それで決定的に重要な問題を見つけることができた。

これは、主が導いてくださったからだ。

カントである。

現代の問題はすべてここにある。

ヨーロッパには基本として自然法があった。

人間を超えた規範があるはずだと人々は考えた。

ユダヤ人は聖書律法こそその規範だとしたが、異邦人は自然法に頼った。

この自然法を徹底して破壊したのがカントである。

カントは、「人間が不可知であるなら、人間が作ればいい」と述べた。

科学がどんなに発展しても意味まではわからない。

イチゴ。

成分とか形状とか科学は扱うことができる。

しかし、意味までは分からない。

意味は、科学にとって不可知としたのが近代思想である。

だからといって、その意味は不可知のままではなかった。

生活が成立しないから。

われわれは、意味を求める。

自分の肉親が不幸にあった。意味を求める。「あれだけ熱心に働いたのになぜ?」と。

意味は科学の扱う領域ではない。

そこでカントは不可知の領域として宗教や道徳を切り捨てた。

しかし、彼はそこにとどまらなかった。

彼は、「不可知なら、われわれ人間が造ればいいじゃないか」と述べた。

人間が意味を決定し、超自然の出る幕を封じたこと。

それこそが、近代の間違いである。

 

 

2011年1月19日

 

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