ユダヤと丹波地方
は興味深いビデオである。 宇野氏はここで日本人の大部分は中国由来と言っているが、遺伝子的には、日本人の大部分は中国人ではなく、モンゴル人。 バイカル湖付近のモンゴル民族、つまり、夫余族。 レニングラードにいた頃、居住していたホテルで多くの修学旅行で来ていたモンゴル人の高校生を見た。 顔が日本人そのものでびっくりした。小学校時代の旧友の顔があった。向こうも私を同族と見ていたようで、片言のモンゴル語で話かけると、べらべらと普通に話してきたので戸惑った。 この夫余族は、スキタイ人と混血していた。 スキタイ人はアッシリアを滅ぼして、捕囚されていたユダヤ人を解放した。 その夫余が同じような文化を持ち、しかも、名前がセム(ユダヤ)系であり、解夫婁(ヘブル)という王様が、宰相の阿蘭弗(アラブ)の助言により、日本(迦葉原=カバラ)にやってきて東扶余国を作ったと朝鮮の神話にある。 故江上波夫東大教授が、夫余の王が大和朝廷を作ったとの学説を発表。 この江上教授の師匠が、秦氏が弓月国から来た原始キリスト教徒であったと説いた佐伯好郎。 ちなみに、空海の幼名が佐伯真魚。 佐伯氏は、大分の一族であり、昔秦王国があり、八幡神社の総本宮宇佐神宮がある。 八幡は、ヤー・ハタであろう。ヤーはヤーウェ、ハタは秦で、「秦の神」の意と思われる。 (2) この講演が興味深いのは、丹波篠山にある篠山富士との異名を持つ八上山のふもとに「弓月神社」があるという点。 283年に来日した秦氏の王弓月君と関係があるのだろう。 弓月の君は、シルクロードにあったユダヤ系キリスト教国・弓月国出身と思われる。 丹波は、秦氏が住んでいた証拠がたくさんある。 私の友人で秦氏に詳しい古澤氏は、家系が丹波の養父の出身。 友人の川口氏の先祖は、その上の宮津出身。 ここには家紋が三つ木瓜の西村姓がたくさんいて、この三つ木瓜の西村一族は、もともと朝倉一族であり、朝倉一族はユダヤ系日本人の日下部族の末裔。 日本古代史研究者として著名な堀井晃氏によると、日下部族は、古来製鉄にかかわり、天皇を補佐する役割を負っていたという。 製鉄に使う「丹」がつく名前や地名は、日下部族と関係が深いという。 同じく日本人の起源をイスラエルと説くヴァンミーター美子氏は、福知山の出身。 http://urx.nu/d9M1 川口氏がもと所属していた、ユダヤ人伝道を精力的に行う聖イエス会の創始者大槻武二氏とその奥さんも丹波一帯の出身で神学校であるロゴス神学院が京丹波町にある。 氏によると、大槻氏の親戚には西村姓が多い。 日猶同祖論に深くかかわっていた大本教の本部が綾部にある。 興味深いのは、私が高田馬場の出身教会で牧師補をしていたときに個人伝道で救われた剣弾(つるぎ・だん)氏のもとの名字が西村で、亀岡市出身。 剣氏と彼の友人で同じバイト先で働いていた松田出氏とは、1988年ころから1994年まで非常に親しい関係にあった。 驚いたのは、1995年ころに古澤氏の家に川口氏とお邪魔したときに、古澤氏の弟さんが、剣氏に瓜二つだったこと。 弟さんは、剣氏と同じ画家であったのも偶然の一致。 同じ丹波出身ということで遠い昔に血がつながっていたのではないか。 (3) 古澤氏と出会ったのは、1995年、ユダヤ人伝道を精力的に行う横山隆先生の紹介による。 バイクを飛ばして指定された場所である市ヶ谷のルーテル会館に向かったときに、何か不思議な平安な「流れ」を感じた。 川口氏と古澤氏の自宅にお邪魔するときも同じ「流れ」を感じた。 日猶同祖論に関する出会いには、こういう感覚がいつもある。 その直後、明治天皇の孫小林隆利牧師の講演に川口氏が出席し、そのテープを先日紹介させていただいた。 このテープが全国のクリスチャンの手に渡り、それが1996年の寄居の中路先生の教会での講演会につながった。 川口氏及び古澤氏との出会いは、小林師の登場の準備だったと考えている。 小林師は、後に中丸薫氏と共著を出し、日本のユダヤルーツの啓蒙に大きく貢献された。 http://urx.nu/d9MS 今日日本において一般化しつつあるこの問題の大本に関わることができたのは幸いであった。
2014年10月20日 ツイート
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