3.141.35.60 秦氏と賀茂氏の関係図2

 

秦氏と賀茂氏の関係図2


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これは、以下の裏神道の高官の説明を図式化したものである。


われら忌部は秦氏である。
秦氏には色々な職業、家系がある。例えば、政治関係を担当した秦氏は藤原家がある。経済担当は三井家があり、三井家が神宮遷宮時の費用を捻出しておった。武家担当の秦氏には源平等がある。
よろしいか?
秦氏は歴史から姿を消した。それは改名したに過ぎない。役割分担をはっきりさせると共に国体の護持の為に秦氏は改名したのだ。われら忌部は秦氏の中でも祭祀を専門に担ってきた。
よろしいか?
われら忌部は秦氏の中で祭祀を職に持つ者。よって、われら忌部は秦氏と同族である。しかして、われら忌部は物部に祖がある。物部氏の中でも祭祀を担当するわれらの祖先が後に神武天皇と共に渡来した秦氏と婚姻を結び、現在秦氏としての忌部がある。


貴殿が申される


「「新撰姓氏録」によると斎部氏が忌部氏の祖であり、元々は斎部と書いたそうですがどうなのでしょうか?」


に対しての答えは新撰姓氏録が編纂された時に物部系忌部から秦氏系忌部に変わっただけの事。秦氏系忌部を斎部と名乗る事もある。秦氏系忌部は神宮、熱田、諏訪、宇佐、高良等の大社の祭祀をしておる。しかして、物部系忌部は出雲、伊雑、籠、石上、大神神社等の古社の祭祀をしておる。祭祀支族の太祖に、天細女命、天児屋命、天太玉命などがある。天細女命は猿女氏、天児屋命は中臣氏、天太玉命は忌部の太祖である。
よろしいか?
記紀の奥義の一つに、全ての神道祭祀が開始されたのは、「天岩戸開き神話」からと
ある。「天岩戸開き神話」において、祭祀の中心は天児屋命、天太玉命である。天児屋命が太祝詞言を奏上し、天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付けて自ら
持った。この時の祭祀が神道祭祀の始まりである。


天児屋命の子孫、中臣氏の「中臣」は神と人の間という意味がある。中臣氏の中でも亀トを専門に行うものをト部氏と申す。現在、広く知られている神宮、宮廷祭祀を担当するのはこの中臣氏である。後に中臣氏の中で政治を担当する者は藤原と名乗った。この藤原氏の中で一般向けの祭祀を行う者は斎藤と名乗る。


天太玉命の子孫であるわれら忌部は太祖天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付
けて自ら持った。とある様、神器を直接扱う事が赦された者である。天太玉命の太祖は高皇産霊神であり、その娘である万幡豊秋津師比売命が生んだ子なり。天太玉命には5人の配下が存在し、それぞれが天太玉命とは別に忌部の祖となった。


阿波忌部の祖「天日鷲命」讃岐忌部の祖「手置帆負命」紀伊忌部の祖「彦狭知命」出雲忌部の祖「櫛明玉命」筑紫・伊勢忌部の祖「天目一筒命」
また、安房忌部の祖は「天富命」である。


賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族である。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部である。よって、賀茂氏も秦氏である。
神宮の祭祀は中臣氏であるが、それは表の儀式。陰陽道は裏表がある。裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏。賀茂氏の中でも陛下直属の賀茂氏は戸籍と姓名が無い。
戸籍の無き賀茂氏をわれらは「漢波羅」と呼ぶ。表の陰陽師を陰陽師、裏の陰陽師を漢波羅と申す。この漢波羅が神道奥義を握っておられる。

 

 

2011年3月6日

 

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