tomi 2021/08/02(月)04:20 風邪をひきました まだ治りません。 かかりつけの耳鼻咽喉科がずっと休みで困ってます。 ある魔女の集団がこれまでは欧米にブルーウェーブを送ってきたが、今後、日本に向けると言っていました。 そんなウェーブなど、イエス・キリストの御名によってはねのけることができます。 神よ、どうか日本を流行病から守ってください! |
tomi 2021/07/28(水)10:31 風邪をひきました 風邪をひきました。 メールへの返事がしばらくできませんでした。 申し訳ございません。 |
tomi 2021/07/26(月)13:14 私をヒトラー並の排他的民族主義者と考える人がいる 私をヒトラー並の排他的民族主義者と考える人がいる。 まったくの誤解であり、書いたものをよく読むべきである。 私は繰り返して言ってきたが、新約時代は「超民族的時代」である。 ユダヤ人や日本人が選民であるとか、その他の人々が異邦人だとか、そういう区別はない。
しかし、だからといって、民族はどうでもいいというわけではない。
新改訳で「すべての国の人々」と訳されている箇所は、原語では#gs#pan eqnoV anqrwpwn#ge#、つまり、「人のすべての民族」である。
「あらゆる国の人々」と訳されている箇所の原語は#gs#panta ta eqnh#ge#、つまり、「すべての民族」である。 新改訳は、民族軽視のグローバリスト的な翻訳である。 聖書は、二つの極端を避けている。
私がこれらのいずれかに属すると考えるならば、一番大切な部分を読み飛ばしてきたということを意味する。 私が何度も指摘したのは、神において多様性は究極、そして、統一性も究極、ということである。 神がこのようなお方なので、被造物もこの原則に貫かれている。 神は多様な植物や動物を創造されたが、DNAという同一の原理で増殖する。 神の被造物において、どちらが優越しているか、という問題は存在しない。 旧約時代において、ユダヤ人を特別に選んだのは、全民族のプロトタイプ(原型)にするためである。 われわれは、ユダヤ人の歴史を通じて、神の経綸(人間の取り扱いの方法)を学ぶ。 しかし、ルシファー教に毒されたユダヤ人たちは「神はわれわれを選民として選び、異邦人をわれわれの奴隷として選ばれた」と解釈した。 このような偏狭な民族思想は、タルムードユダヤ教を貫いている。 再建主義がこのような思想だと誤解する人は、文章読解能力に難がある。 |
tomi 2021/07/25(日)14:31 「神なしでも繁栄する国」は日本の本当の姿ではない 1. 開会式を見て「これ、トリエンナーレと似ている」と思った。 ものすごく安っぽい。 日本らしさが消されている。 公共事業でうまい汁を吸うために群がった偽装日本人のやっつけ仕事に見えた。 小山田を人選したのは、電通だったらしい。 電通という外国人に乗っ取られた企業が、失言を引き出したり、意図的にヤバい人間を選んで、過去の悪行を本番直前に暴露したのか。 目的は、「いかに日本が女性や外国人、障害者を差別し、虐待する国であるか」を示すこと。 開会式に登場した富士山を象徴する山と聖火台も、「三角形と目」にしか見えない。 http://#www.millnm.net/img/upload/1627189126image.png 10段+三角形(上から見る)=13 聖火台は、「浮いた球体」、つまり、目。 13+目のモチーフ。 http://#www.millnm.net/img/upload/1627189313image.png ロンドン、リオに続いて東京オリンピックも、グローバリストの意思表示の場なのか。 グローバリストにとって、世界には二種類の人しかいない。 ユダヤ人かゴイムか。 彼らは「ゴイムの民族主義は徹底して破壊すべし」と考えている。 したがって、今回のオリンピックは、「日本人の民族的栄光の表現」にしてはならないと。 2. なぜ彼らは多様性を嫌うのか。 彼らの神ルシファーが、一様だから。 ルシファーには一つの人格しかない。 つまり、一位一神教。 しかし、真の神は三位一神である。 3人の神々が契約によって一人の法人を形成する。 神において多様性は究極、そして、統一性も究極。 したがって、グローバリストから日本民族を救うには、聖書の神を信じる以外にはない。 3. ユダヤ人は、バビロン捕囚以降、バビロニアのルシファー教が導入され、イエスの時代にはルシファー教がイスラエルを乗っ取った形になっていた。 ルシファー教を推進していたのがパリサイ人。 この偽宗教に対して、神は紀元70年に裁きを下された。 神殿は崩壊し、ユダヤ人は世界に離散した。 救われた人々(クリスチャン・ユダヤ人)たちは、日本に来て、栄光のイスラエルを建国した。 4. 外国人に乗っ取られたマスコミは悲惨である。 彼らは乗っ取りは上手いが、経営ができない。 テレビ局を乗っ取ったはいいが、面白い番組が作れない。 彼らは大木に巻き付いてそれを枯らし、自分も枯れる蔦である。 すべてを陳腐にする。 5. なぜ神は、日本がこのような状態に落ちることを許されたのだろうか。 真の問題に気づくためではないか。 日本という国の真の姿を理解するため。 苦しみがなければ、悟りは得られない。 90年代のような「神なしでも繁栄する国」は日本の本当の姿ではないと思う。 |
tomi 2021/07/22(木)17:00 世界は人間の幸せを中心に創造されていない2 1. 「福音がないままに死に、救われるチャンスを与えられなかった人々はかわいそうだ」というような考え方を、人間教(ヒューマニズム)と言う。一見すると愛情ある考えに聞こえるが、実際は、次のサタンの言葉と似ている。
この二つの言葉は、「神は人間が幸せになることを邪魔している」という訴えにおいて共通している。 サタンは常にわれわれに「神を裁きなさい」と誘惑してくる。 人間は、神の僕として創造されているので、神を裁くことはできない。神を裁く立場に立つとき、人間は疑似神となる。 アダムが善悪の知識の木から取って食べたとき、クーデターを行った。人間が神よりも上位に立った。 人間に許されているのは、神を基準とすることだけ。 神の言葉を評価するのではなく、ただ信じることだけが許されている。 2. この世界のデフォルト設定は、「アダムの子孫はみな、憐れみを受けることなく滅びる」である。人間はみな、生まれながらに罪人であり、それゆえ、生まれながらに一切の憐れみを受けることなく滅びて地獄に行く定めである。 イエス・キリストによる救いは、そのデフォルトで地獄に行くことになっている人間に対する「特別ボーナス」である。 宝くじが当たったみたいなものである。それは、自分の労働に対する報酬ではない。あくまでも「恩恵」。 3. 人間は、自分の救いのために「労働」できない。なぜならば、自分を救おうとすればするほど罪を犯すからである。 神の救いにあずかろうと努力する過程で、必ず偽善の罪を犯す。善行をすると「自分はなんて善い人なのだろう!」とうぬぼれる。 泥靴をはいて部屋を掃除する人のようなものである。掃除すればするほど泥を落としていく。永遠に自分を救うことはできない。 4. 人間が救われるには、代償の死が必要である。完全に罪のない人が身代わりに死んで、刑罰を受ける以外に救われる道はない。 神は、デフォルトで地獄に行くべきわれわれのために、御子を使わし十字架につけて処刑された。この特別なプレゼントに対して「福音を知らないで死んだ人はかわいそうだ。神は非情だ!」という人は、あまりにも傲慢であり、あまりにも図々しい。 同じ罪を犯して刑務所に入っているAとBがいたとする。 ある篤志家が現れ「Aさんのために身代わりに刑務所に入りましょう」と言った。Aは晴れて自由の身になった。 それを見たBが「Aだけずるい。私のために何で刑務所に入ってくれないのか」と文句を言った。Bは正しいことをしただろうか。 Bは自分の罪のために刑務所に収監されている状態がデフォルト。身代わりが現れないのが普通。どうしてAを助けた篤志家を批判できるだろうか。 |
tomi 2021/07/22(木)12:00 世界は人間の幸せを中心に創造されていない
神は、御民に対して誠実なので、御言葉を通じてご自身の御心を(人間が知るべき事柄という範囲内で)あますところなく啓示されました。 その啓示された事柄をゆがめたり、人に見せないようにしたのは人間側の瑕疵であって、神に責任はありません。 そして、そのような、神の国の進展を妨害するような邪悪な行為の責任を神にかぶせるのは「ヒューマニズム(人間教)」の立場です。 人間の幸せを中心に価値判断が行われる。 言い換えれば「神は人間を幸せにする責任がある」という立場です。 聖書の神はそのようなお方ではない。 人間は、あくまでも神の幸せに奉仕するために創造された。 だから「罪を犯した人は、その罪のゆえに滅びる」というのが原則です。 「その罪人を救う」キリストの御業は、「義務」ではなく「恩恵」です。
聖書を読ませないようにしたのは、教会が人々をコントロールするためです。 それは、教会の罪であって、神の罪ではない。 日本にやってきた外国人が日本語ができないために法律を破った場合に、その責任を日本政府に着せることはできません。 法律違反は法律違反です。日本語ができるかどうかは関係ない。 人間は、読めるような聖書を持っていたか否かにかかわらず、聖書にしるされている事柄(神の法)について責任があります。 人々が読めるような聖書を与えなかった教会側の責任は、人々よりもはるかに大きいです。 しかし、「読めるような聖書がなかったから無罪」ということにはならない。 十戒を破れば(悔い改めない限り)その刑罰は下ります。 以上、かなり詳しく説明いたしましたので、これで回答は終了させていただきます。 |
tomi 2021/07/21(水)12:07 通貨発行の際に日銀に渡す円建て国債を負債扱いしてはならない ttps://www.youtube.com/watch?v=u0k7yB6Tig0 基本的に誤解があります。経済規模が大きくなると、使用される通貨の総量も増加する。 日銀に通貨発行してもらわなくてすむなら別ですが、中央銀行制度を持つわが国では、日銀に通貨発行してもらわねばならない。 その際に、国債を提供する必要がある。つまり、通貨発行をするたびに、負債を背負うという奇妙な構造がある。 通貨発行に伴って国債発行が必要になるので、経済が成長し、その規模が拡大すると、国債という負債も増大する。 日本の国債発行額が増大した理由の一つは「政府の無駄遣い」ではなく「経済を回すのに必要なお金を作ったこと」にある。 となれば、通貨発行に伴う国債発行は「借金」ではなく、単なる「儀式で使用する金貨」のようなもの。 だって、日銀は政府の子会社のようなもので、親会社から子会社への資金移動は連結決算で相殺されるから。 政府が日銀にその「儀式用金貨」をいくら渡したとしても「負債」にはならない。それを負債と考えるからおかしなことになっている。 |
tomi 2021/07/21(水)06:25 神の契約的誠実さ
「キリストが生命を彼らに授ける日」はすでに紀元1世紀に来ました。 キリストは「私が再臨するまで生き残っている人がこの中にいる」と言われました。
つまり、再臨は紀元1世紀に起きるとイエスは明言された。 そして、再臨するときに「キリストに属している者の復活」が起きるとパウロは述べています。
ということは、クリスチャンの復活は紀元1世紀に起きたということがわかります。 殉教した使徒たちは再臨の際に、当時生き残っていた一部のクリスチャンとともに復活し、携挙されたはずです。
パウロは、紀元1世紀のテサロニケに住むクリスチャンにこのことを約束しているので、復活は紀元1世紀に起きたことがわかります。
イエスは、パウロを含む13人を使徒として任命されました。 イエスは奇蹟を行う際に、常に弟子たちを2〜3人同行されました。 なぜならば、律法に「証言者は2〜3人必要だ」と記されているからです。
聖書として選ばれた書物は、すべて「イエスの御業の証言者として任命された直接の目撃者」かその権威のもとに書き記した者の手によっています。
使徒たちには、イエスからの直々のお墨付きがある。 それゆえ、われわれは、彼らの証言書を「神の権威」として受け取らなければなりません。
イエスが証言者としてお墨付きを与えた使徒たちが書いた物について、編纂者の思想的影響について心配する必要はありません。 さらに言えば、2000年正典として教会の間で維持されてきた書については、「神の契約的誠実さ」という原理から判断すべきです。 つまり、もし2000年正典として教会の間で維持されてきた書が偽りであるとすれば「神は、ご自身の御子を十字架につけるほどに愛された御民が2000年間誤謬に陥ることを許容してこられた不誠実な存在である」と告白することになります。
すでに述べましたように、正典として選ばれた書物はことごとく使徒の手によるものでした。 使徒の手紙や書物が何百冊あろうと、それらは「イエスが証人として正式に任命された人々の書物」であるという理由だけで正典たりえます。 しかし、神は、その中でも新約聖書として人々に残すべき書物を使徒ではない人間を利用して選別されました。 その選別に御霊が働かれたと信じるべきです。 なぜならば「神は御民に対して誠実だから」。 選者の適格性を問題すれば、旧約聖書も信用できなくなります。 しかし、イエスが旧約聖書を神の言葉として承認され、「自分はそれを成就するために来た」と言われた以上、私たちは「選者が適格であるかどうかを無視して」正典として受け取るべきです。
それゆえ、私は最近になって出てきた書物や写本を正典とすることは間違いだと考えます。 神が2000年もの間、御民に隠し事をしてきたはずがありません。 マジョリティ・テキストを採用すべき理由も「神の契約的誠実さ」にあります。 2000年間、ほとんどの教会において使用されてきたこのテキストは、それだけで信頼性があります。 しかし、今世界で使用されている大多数の翻訳聖書は、最近ローマ・カトリック教会の書庫で発見された写本に基づいています。 神は、このような「誤謬」を長期間見過ごしにならない。 必ず人を起こして、正しいテキストを御民に回復してくださるでしょう。
アタナシウスがアリウス派の教えを退けたのは「真理を継承するために選ばれた器」だからです。 どんなに異端がはびこっても、真理を受け取り、それを広めるための器を神は用意されます。 なぜならば、神の国の発展について一番気を配っておられるのは神ご自身だからです。 われわれが今の聖書を神が認定された正典であると確信できるのは、「神の契約的誠実さ」の事実があるからです。 御言葉というすべての土台について管理できないような神は、神ではありません。 |
tomi 2021/07/20(火)20:36 米上院が、中国とビッグ・テック、ファウチの共謀を指弾! https://rumble.com/vju6wb-33321323.html 米上院が、意図的に旅行者を海外に送り、新型コロナウィルスを世界中に拡散したと中国を断罪。
アメリカの上院が、はっきりと中国の罪を指摘し、責任を取らせると発言した。 バイデンは中国寄りだが、これだけ議会が怒っている以上、アメリカは国を挙げて徹底して中国を攻撃すると思われる。 |
tomi 2021/07/17(土)18:46 精神の地獄から脱出する方法 1.
まず、前提として、次の事実を確認する必要があります。
ですから、福音が伝えられていないままに死ぬ人々に対して、神は責任を果たしていないということにはなりません。 神は人を誘惑することはないので、人は自分の意志によって罪を犯し、その罪のために刑罰を受ける。 ある強盗が、貴金属店に押し入って商品を盗むときに、店主や店員、たまたま店にいた人、通りを歩いていた人、100メートル離れたところにいた人、100キロメートル離れたところにいた人・・・は、その犯罪に対して責任がありません。 犯人は自分が犯した犯罪のために処罰されますが、それ以外の人にはいっさい責任がありません。 もちろん、神に責任があるはずもない。 神や犯人以外の人に、犯人を救う責任はない。 これと同じように、罪を犯す人は、その罪について自分に責任があるのであり、神には救う責任はない。 「いや、神はすべてのことをあらかじめ決定されているのだから、この強盗の犯行も計画のうちにあったはずだ。だから神に責任がある」という人がいるかもしれません。 しかし、神による「堕落の抑制」は、神の恵みであって義務ではありません。 ピンボールが下に落ちていくのを、左右のバーで打ち返すのは、打ち返す人の自由であって、義務ではありません。 イエスは、ペテロが堕落しないように抑制されました。
しかし、ユダについては抑制されませんでした。
この命令は許容であって、強制ではありません。なぜならば、神は誘惑されるかたではないからです。
ペテロは救われることによって神の栄光を表す器として予定されていましたが、ユダは滅びることによって神の栄光を表す器として予定されていた、ということがわかります。 2.
日本にはかなり初期からキリスト教が入っていました。 東大名誉教授江上波夫氏によると、紀元2世紀に原始キリスト教徒が来日したそうです。 キリスト教徒である秦氏は3世紀に来日し、日本文化の基礎を築きました。 さらに、旧約聖書のキリスト教は、物部氏が紀元前2世紀に導入し、古神道を作りました。神社は、エルサレム神殿と構造が酷似しています。 7世紀まで日本はキリスト教であったと私は考えています。 ザビエルの属していたイエズス会は、偽装キリスト教です。 創始者イグナチウス・デ・ロヨラは、アランブラドス(スペイン語で「イルミナティ」の意味)というグノーシス主義秘密結社に属していました。 中絶された胎児についてはわかりません。神が特別な恵みを与えておられるのかもしれませんが、聖書に啓示されていないので不明です。 3.
(1) 救われるための条件は「唯一神を信じること」ではなく「人として来られた神であるイエスを救い主、主として受け入れるか」です。 キリスト教は、同じ一神教でも、三位一神教であり、イスラム教などの一位一神教ではありません。 キリスト教の神は三人(父子御霊)おられます。これらの神々が、互いに契約を結んで法人を形成し、一人の神として行動されています。 多くの社員がいても、〇〇社として単一の人のように振る舞うのと同じです。 キリスト教の神以外において、「多様性と統一性」を調和させることはできません。神において多様性も究極であり、統一性も究極です。 どちらが先で、どちらが後、ということはなく、三位が永遠の昔から存在し、三位は永遠の昔から単一の法人として存在されます。 この神が創造された世界において、多様性も統一性も究極です。 人種は一つになる必要はありません。多様であってよい。 人類は人種によらずに「一つ」になるべきです。 一人の神を拝み、その神の栄光のために働くべきです。 (2)
たしかに、イスラム教の土台にはキリスト教があると思います。 ただ、聖書の定義によれば、イエスを仲介者として持たなければ、その神は真の神ではありません。
イスラム圏に住む人々は、救われるには、圧倒的に不利な環境にいると思います。 しかし、神は救いに予定された人々に福音を届けるために伝道者を送られます。 それは、奇跡的な方法によるかもしれません。 共産圏においても、救われる人はいました。神に不可能はありません。 (3)
イエスを救い主として信じない限り、人は救われません。 4.
聖書のガダラの狂人の話が精神の病について示しているかもしれません。 人々が押さえることができず、自傷行為をし、荒野でしか生活できなくなっていました。 イエスが来られて「悪霊ども出ていけ」と言われると、中に入っていた無数の悪霊が豚の大群の中に入り、その豚が崖を駆け下りて溺れて死んだと記されています。 出て行った後、彼は、おとなしく座っていました。 人間は、家のようなものとして作られており、霊がその主人として住んでいます。 悪霊は、人間の中に入ることを常に狙っています。なぜならば、人間を道具として利用し、世界を地獄と化したいからです。 何らかの欲望を通じて悪霊は入る隙間を作ります。何度か罪を犯すたびにその穴は大きくなり、最後には自由に出入りできるようになります。
自制心が欠如すると、悪霊が自由に出入りできるようになります。 除霊の後に、心という部屋を御霊で満たしていないと、悪霊が自分よりもっとひどい悪霊をたくさん連れて戻ってきます。
様々な精神障害は、悪霊によって引き起こされています。 イエスという名前を言うだけで、そういう障害を持つ人は嫌がったり、心を騒がせたりします。 ある人は、私がイエスと言いかけると「やめてください!!」と掌をこちらに向けて叫びました。 悪霊がやりたいことは、コントロールです。 取り憑いた人々を思いのままにコントロールしたいのです。 心の城壁が取り除かれてしまった人は、もはや社会生活はできません。 万引きを重ねているうちに、自動的に手が出るようになります。 累犯の性犯罪者は、自分の意志と無関係に性犯罪を犯すようになっています。 中国から金をもらうような政治家は、罪の恐ろしさを知らない間抜けです。 罪を犯す人は、罪の奴隷であって、そのような汚い金を受け取ると、自分の精神も徹底して支配されるようになります。 そういう人にとっては、白が黒に見え、黒が白に見えます。 倫理の感覚が麻痺しているので、物事が逆に見えています。 悪霊の支配から解放されるには、イエス・キリストを主として受け入れ、徹底的に心の中にいる悪霊を追い出し、御霊に満たされる以外にはありません。 5.
これは、完全に悪霊の支配下にいる人の心理です。 心の中が狂気で満ちています。 イエス・キリストによって追い出していただく以外にはありません。 紀元70年の再臨以降、キリストが世界の全権を掌握しています。 そして、イエス・キリストを信じる人々は、悪魔に勝利します。
すでにサタンはキリストの軍隊の捕虜になっているので、この地上を支配する権限を失っています。 絶対的信仰を持つことによって、サタンの支配から全的に解放されます。 悪霊のコントロールにいる人々の特徴は「不信仰」です。 なんやかや理由をつけて、キリストの主権や力を認めようとしません。 その不信仰がある限り、サタンはその人の心に自由に出入りし、ものすごい強制力の強い悪霊を連れて入ってきます。 少しの不信仰、ちょっとした思い、一瞬の迷い、一言の愚痴、・・・ こういうマイナス思考が、自分をダメにします。 悪霊は、わずかな隙間を狙っているからです。 解放は、ただひたすらに「強固な意志と決意と持続力」です。 「鳥が頭に止まるのは仕方がないが、巣を作ることは自分の責任だ」 とよく言います。 聖書と異なる考えが浮かんだら、即座に切り捨て、二度と自分の頭の中に入らないように徹底防衛しなければなりません。
繰り返しになりますが、鍵は「強固な意志と決意と持続力」です。 精神障害の方々は、大変な試練に遭っておられます。 しかし、だからといって、その心において考えることや行動に責任はない、とは言えません。 あらゆる不信仰や不道徳、神の法を犯す行為は、裁きの対象となります。 しかし、解決はあります。救われる道は必ずあります。 それは、「聖書に書かれていることは絶対に正しい。神が行われることは絶対に正しい」という二点を徹底して自分の思考や行動の様式に組み込むことです。 すでに、かなり悪霊の自由を許してしまっているので、戦いは熾烈でしょうが、できるところからコツコツとやるしかありません。 おそらく、悪霊の願いどおりに思う癖がついていると思います。 たとえば、妄想とか。 妄想が起きたら「これは悪霊が吹き込んでいるのだ。抵抗しなければ。イエス・キリストの御名によって命令する。妄想を入れるな!底知れぬところに行け!」と命令するしかない。 それを何百回も何千回も行う。 御言葉と矛盾することを考えたら、それを徹底的に否定し、正しい考え方が身につくまで徹底して御言葉を反復する。 私も今、ものすごい戦いの中にいます。 祈っても祈っても、DSの攻撃が弱まらない。 次々と反キリスト的な政策が出てくる。 日本を破壊するような政策を政府が行う。 とくにトランプの敗北以来、日米でひどい。 こういう逆境において、どのような心でいるべきか。 問答無用に「あなたの語ることは絶対に正しい。聖書は神の言葉であり、絶対に正しい。あなたの行われることは絶対に正しい。すべてにおいて、あなたの御心に賛同します!」と唱えることです。 このことをせずに、自分の気持ちに流され、自分の思いたいように思うならば、地獄が待っています。 要するに、精神的な問題を抱えている人は、意志が弱い。 御言葉という土台がないので、簡単に水が来たら流される。 悪霊のコントロールに翻弄され、自分の人生を台無しにされる。 悪霊が違うことを言ったら「うるさい!お前に私を支配する権威はない!イエス・キリストの御名によってお前を縛る!底知れぬところに行け!」と「心で固く信じつつ」叫ぶことです。 |
tomi 2021/07/16(金)02:37 恐れるべきは神であって、人間ではない 先ほど、DSに対して「一人で戦い、勝利した」と宣言した。 自分に力があるかどうかは問題ではない。 ダビデのように、信仰があれば、巨人ゴリアテを倒すことができる。 聖書は、信仰こそが勝利の条件であると教えている。 ワクチンパスポートなるものによって、管理社会を実現しようとしている。 そして、このDSの指示を菅政権は実行に移そうとしている。 LGBT運動とかワクチンパスポートとか、神の国を破壊する菅政権を神は助けられない。 恐れるべきは神であって、人間ではない。 |
tomi 2021/07/13(火)16:42 神も人も恐れない内閣
菅が言った「西村大臣はそうした発言は絶対にしない」ということも真っ赤な嘘だったことがわかった。 この政府が、中国共産党のような市民統制、監視を行おうとしていたことが証明された。 神も人も恐れない内閣。 呪われまっせ。 舐めたらあかん。 |
tomi 2021/07/13(火)02:40 ある質問に対する回答 コメントありがとうございます。 おっしゃるように、サタンが堕落することも神のご計画のうちでした。 すると神が悪を創造したということになると考えられるかもしれませんが、神は、「サタンが堕落することをストップされなかった」のです。 ピンボールのマシンで、打ったボールを最下部の穴の中に落ちないように、左右のハンドルを操作します。打ち返したボールはいろんなところに当たって得点になります。 神は、ご自身のご計画にしたがって、堕落する者の意志を止めないことによって、罪を許容され、ご自身の計画のコースを歴史が進むようにされます。 となると「堕落するように予定された者は、サタンも含め、回避できないではないか」ということになりますが、それは「神の主権に対する挑戦」なのです。 創造者である神は、万物をご自身の計画に沿って動かす権威があります。 「神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。」(ローマ9・15) 人類は、世界が創造される以前にすでに「救われる人」と「滅びる人」の二種類に分別されています。そして、この運命は変えることができません。 われわれから見れば、誰が救われる運命にあるのか、誰が滅びる運命にあるのかはわかりません。 それゆえ、われわれには結果を気にせずに伝道する使命があります。 救いに予定されている人はイエス・キリストを救い主として受け入れますが、予定されていない人は受け入れません。 万物は「神の栄光を表すための演者」であり、役割と筋書きはすでに創造以前に決定されています。 「そんなシナリオを作るなんて勝手だ。滅びる役割を負った人はかわいそうだ。」という人がいるかもしれませんが、神から「お前は何様なのか。お前はこの世界を創造したのか」と言われます。 「こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。 すると、あなたはこう言うでしょう。『それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。』 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか』と言えるでしょうか。 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9・18-21) この神の主権に対してさらに文句を言うならば、神のライバルとして滅びるしかありません。 クリスチャンとは、この主権を受け入れる人であり、ノンクリスチャンとは、それを受け入れない人です。 神が創造以前に作られたストーリーを否定するという失敗は、究極的な失敗であり、自分を永遠に害するだけです。 |
tomi 2021/07/13(火)01:55 人種差別主義者の運命
フランスのサッカー選手が日本人を侮辱する動画がSNSを通じて拡散された。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/115032 二人のうちの一人は、「自分が馬鹿にしているのは日本人だけではない」と言い訳をしていたが、「馬鹿にする」行為を正々堂々と行って恥じるところがない、というのはどういうことだろうか。 彼は黒人だが、人種を問わず、「あざける」行為は、自分に破滅をもたらす。 こういうことは、親が子に教えなければならない第一の道徳である。 差別や侮蔑が蔓延している社会は、教育が崩壊している社会であり、死ぬ寸前である。 「さばきはあざける者のために準備され」る。 つまり、あざけるならば裁かれる、ということ。 無意味な(つまり、ただ人種が違うという理由で)人種差別をする人や社会は、必ず裁かれる。
人間が何らかの行動を取った場合、それに対して神は必ず評価を下される。 そして、悔い改めるならば裁きは来ないが、悔い改めなければ裁かれる。 警官が見ている前で交通違反をすれば、まず確実に切符を切られる。 警官が切符を切らなければ、その交通法規はザルだ、ということになる。 交通法規がザルであれば、道路は無法地帯になり、事故が頻発する。 為政者の務めは、法にしたがって厳正に取り締まりを行うことである。 法治国家を維持するには、裁きを下す以外にはない。 神も、ご自身が創造された世界を維持するために、必ず裁きを行われる。 人をあざけるならば、裁きを下される。 だから、このフランス人選手も裁かれる。 FIFAが裁きを下さなければ、FIFAも神に裁かれる。 神が裁かれると、FIFAの影響力は落ち、観客が減って、サッカーがビジネスとして成立しなくなるだろう。 「世界においてサッカー人気が落ちる可能性はない。」というかもしれないが、神はどんなことでも行うことができる。 実際、Jリーグ以前、日本ではサッカーは人気スポーツではなかった。 Jリーグ発足以降、いろいろな有能な選手が登場し、盛り上げてくれた。 中田のような天才が現れたのは、神の恵みである。 神が裁かれると、こういう人を魅了するような選手が現れなくなる。 野球界に大谷翔平が現れたのも、神の恵み。 ボクシング界に井上尚哉が現れたのも、神の恵み。 スポーツに限らず、どの業界でも「神なんて関係ない!人種差別の横行を取り締まるつもりはない」と言い出したら、呪いがくだって、日照りになり、飢餓が起きて、その業界は死ぬ。 あのフランスの黒人選手は、神の裁きを恐れていないので、愚か者である。 「むち打ちは愚かな者の背のために準備されている」 |
tomi 2021/07/13(火)00:59 ワクチン接種による被害の実例 ユーチューブのコメント欄より:
ttps://www.youtube.com/watch?v=cfOR3k_D5F0 |
tomi 2021/07/09(金)15:54 イエス・キリストはわれわれの身代わりに天地の支配者の地位を獲得してくださった 「旧約時代においても、神は天の王でした。新約時代と違いはないのでは?」と尋ねられることがある。 新約時代にこの世の王となったのはイエス・キリストである。 イエス・キリストは「人の子」であり、「第二のアダム」である。 イエス・キリストは、人間として、神の法をすべて守り、神の民の身代わりに十字架につかれて、贖いを成し遂げられた。 神が人間にお与えになった使命
は、イエス・キリストにおいて成就したのである。 アダムができなかったことを身代わりにイエス・キリストが行って、神から報酬をいただき、昇天され、世界の支配者になられた。 つまり、新約世界は「人間に与えられた使命がイエス・キリストによって成就した世界」なのである。 本来アダムとその子孫がやらなければならなかったことを、イエス・キリストが身代わりに行い、成就された。 宿題をすべてやり終えた結果として、イエス・キリストは神によって昇天を許され、神の右の座に座ることができるようになった。 旧約世界と新約世界の違いは「人間が宿題をやったかどうか」の違いである。 われわれは、信仰によってイエス・キリスト族(契約の民)のメンバーになることにより、宿題を終えた存在とみなされるようになる。 われわれも「すべてやるべきことをやったアダム」として、天の栄光の座に着くことができる。 われわれは、天を見上げるときにこう思うべきである。
と。 創造の目的は「人間に」被造物を支配させることにあった。 その目的をイエス・キリストは達成された。 |
tomi 2021/07/09(金)13:18 ネブカデネザル王の像が伝えるメッセージ 1. 『科学だけを信じる?』において述べたが、科学だけでは、世界全体を把握できない。 世界全体を把握するのは、世界観すなわち宗教だけである。 人間は不可避的に宗教家であり、誰でも毎日「宗教的断定」を下して生きている。 科学的知識を道具として利用するが、総合的判断を下す際に利用するのは宗教である。 ノンクリスチャンは、聖書を権威とみなしていないが、クリスチャンは権威とみなす。 聖書には、人間が知り得ない領域の情報が記されているので、世界全体を把握する上で、聖書は必要不可欠だと考えている。
「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。」 神は、人間が測り知れない深遠な事柄も、隠れた事実も、暗黒にあるものも、知っておられる。 それゆえ、われわれは、チーズ全体を食べることができる。 科学しか信じない人は、永久にチーズ全体を食べられない。彼らがもし、世界全体について解釈したならば、越権行為をしたことになる。 自分ができないことを、あえて自分の原則「科学しか信じない」「データから導き出された知識しか受け取らない」を否定して行っていることになる。 2.
ダニエルの解き明かしは、超自然的であった。 なぜならば、ネブカデネザル王は、自分が見た夢を明かさなかったからである。 見た夢を明かさずに解き明かしを求めたので、カルデヤ人の預言者たちは「そんなことできません」と言った。 しかし、ダニエルだけはその見た夢をも言い当て、その解き明かしも行った。 それゆえ、このネブカデネザルの巨大像の話は、本物である。 神以外に、他人の夢の内容を知っている者はいないからである。 3. 金の頭―バビロニア 銀の胸と両腕―メド・ペルシャ 青銅の腹ともも―ギリシア 鉄のすねと鉄と粘土の足―ローマ 時代が経つにつれて、栄光が減退していく。 最後は鉄と粘土の混合である。 そして、鉄と粘土の時代に現れた「一つの石」である神の国によって滅ぼされる。
この「一つの石」は「鉄と粘土の足を打ち」砕いた。
つまり、神の国は、ローマ時代に現れ、ローマ帝国と戦って勝つ。 イエスはローマ時代に現れ、ローマ帝国と戦って打ち勝たれた。 パウロはそれが「再臨」のときに起きると言う。
「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし」は、「その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます」と同義である。 では、「再臨」はいつ起きるのか。 イエスと同時代である。
すでに紀元1世紀に再臨は終わっている。 したがって、「ダニエルが解き明かしたネブカデネザルの像は、紀元1世紀に粉砕された」ということが分かる。 4. 像が伝えるメッセージは次のとおり:
われわれが住む「新約世界」では、キリストだけが王であり、神の国だけが国である。 日本やアメリカ、ロシアなどの諸国は、神の国の出先である。 出先であることをやめるならば、裁かれる。 |
tomi 2021/07/04(日)19:08 聖書において神が啓示された死後の世界の情報 われわれにとって、聖書に記されている死後の世界は「絶対に正しい情報」である。 人間は、イエス・キリストを信じるときに救われて、永遠の命が与えられるが、イエス・キリストを拒絶する人は、永遠の刑罰にあい、死後地獄に行き、そこで霊の状態で世界の終末を待つ。 世界の終末が来たら、霊に体が与えられ、体のまま火の池に投げ込まれ、永遠にそこで日夜苦しむ。80兆年たっても出てこれない。 これが聖書において神が啓示された死後の世界の情報である。 |
tomi 2021/07/04(日)07:10 正しい歴史理解は宗教を中心とするときにはじめて得られる ザビエルが恐れたように、日本は、シオニストの最大の敵。 林先生の図式には、宗教的対立軸が欠けていて、問題が政治経済に終始してるので、日本という国の世界史的意義が薄れている。 エルサレム陥落後、イエスについた人々(クリスチャン)は日本に移動してイスラエル王国を再建し、パリサイ人についた人々は世界に散ってタルムードユダヤ教を形成し、国際金融資本家として近現代の世界を支配してきた。 突き詰めると、対立軸は、今でもイエス対パリサイ人にあると分かる。 この世界が神の創造物であり、人間の使命が神の国の拡大にある以上、正しい歴史理解は、宗教を中心とするときにはじめて得られる。 |
tomi 2021/07/03(土)12:46 誰にワクチンパスポートを発行するのか ワクチン接種後の異常により、航空業界が混乱している。
ワクチンパスポートを発行するというが、逆に、「ワクチンを打っていない人を証明する」パスポートを発行せざるを得なくなるかもしれない。 |
tomi 2021/07/02(金)18:27 科学だけを信じる? 「私は科学だけを信じる」という人は、大きなチーズに穴を開けて食べ続けるが、永遠に全体を食べることができない人に似ている。 世界はチーズ全体である。 科学はデータに基づいて帰納法を用いて得られる知識。データがなければ何も言えない。 世界はデータを集めることが「原理的にできない」領域がたくさんある。たとえば、死後の世界。 死後の世界があるのか、死後に何が起きるのか、データを集めることは不可能である。 臨死体験者の証言は、「それが本当に死後の世界の証言なのか」について証明はできない。 科学者は、データを集められる「ごくごく限られた領域」についての断片的な知識しか集められない。 だから、チーズに穴を開けることはできるが、全体を食べることは永遠にできない。 |
tomi 2021/07/02(金)18:14 新型コロナワクチン推奨者の運命2 「80兆年たっても出てこれない。」 というと、オーバーだと言う人もいるかもしれない。 「死ねば全部無になる。死後刑罰も何もない」という人もいるだろう。 死後の世界について、人間の意見は全て主観である。思い込みである。 なぜならば、データを取ることができないから。死後の世界があるかないか、データを集められない。 データを集められない場合に、科学は何も言えない。 科学は経験外のことについて何も言えない。 われわれクリスチャンは、科学以外に知識を得る方法があると信じている。 これは、クリスチャンの前提である。 つまり、聖書信仰。 世界を創造された全知全能の神が被造物である人間に対して、人間が経験できない事柄についても、聖書を通じて啓示してくださった、と信じるのが聖書信仰。 だから聖書啓示については、われわれは、信仰以外に持ってはならない。 疑念を持つことは、神の主権を侵すことになる。 われわれ前提主義者のモットーは
である。 なぜならば、神はわれわれにとって基準であって、評価の対象ではないから。 「醜さ」とは「美の基準である神からの乖離」である。 神とは別に美の基準があって、それに照らして「神は美しい」と言ってはならない。 「正しさ」とは「義の基準である神からの乖離」である。 神とは別に義の基準があって、それに照らして「神は正しい」と言ってはならない。 われわれにとって、聖書に記されている死後の世界は「絶対に正しい情報」である。 人間は、イエス・キリストを信じるときに救われて、永遠の命が与えられるが、イエス・キリストを拒絶する人は、永遠の刑罰にあい、死後地獄に行き、そこで霊の状態で世界の終末を待つ。 世界の終末が来たら、霊に体が与えられ、体のまま火の池に投げ込まれ、永遠にそこで日夜苦しむ。80兆年たっても出てこれない。 これが聖書において神が啓示された死後の世界の情報である。 安全性が確認できないワクチンを、0.5%しか感染しない日本人に、同調圧力を利用して押しつける人は、その結果について責任を負っている。 死亡する人が増えれば増えるほど、重症者が増えれば増えるほど、死後、自分が受けなければならない永遠の刑罰の重さが変わる。 火の池の、ますます深いところに投げ込まれる。 この警告を笑い飛ばす人は、神の啓示を笑い飛ばしているのである。 この地上においても、それ相当の報いを受けるだろう。 |
tomi 2021/07/02(金)03:35 新型コロナワクチン推奨者の運命 新型コロナワクチンの危険性については、かなりの情報が流れている。 それを反証もせずにデマと断じて、安全性を強調し、人々に推奨する人は、相当の罪を犯している。 もちろん悔い改めなければ、永遠の刑罰を受けることになるだろう。 死亡したり、重症になった人、重篤な後遺症が残った人に関して、彼らは、責任がある。 その影響が及ぶ範囲が広がれば広がるほど、責任が重くなるので、永遠に過ごす火の池の中の位置が深くなる。 80兆年たっても出てこれない。 恐ろしいことをやっている自覚はないかもしれないが、現実は以上のとおりである。 |
tomi 2021/07/02(金)03:21 絶縁の必要性 1. もし自分の知り合いが、無実の人々を拉致して監禁し、生体から腎臓を取って売っていたということが明らかになったら、どうしますか。 付き合いを「完全に」やめますよね。 中共100周年に祝電を送る奴らは、彼らも同じサイコパス。 そんな奴らと付き合うべきではない。 中国の実体を知りながらなおも取引する人や会社は、中国とともに地獄に落ちる。 2. 福音を徹底拒絶した人々に対してわれわれはどのような態度を取るべきか。 足のチリを払う、である。
この動作は「絶縁」を象徴する。 イエスと弟子たちを「徹底して」拒絶する町は、もはや無関係であり、その町に火が降ろうが、洪水になろうが知ったこっちゃない。 福音を拒絶する罪は、人間が犯す最大の罪であり、その刑罰は同性愛にふけった「ソドムとゴモラ」よりも重い。 われわれは、足のチリを払って絶縁を示すことによって、その刑罰から解放される。 3. 「もし#bs#だれも#be#、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けない」と分かったら、その町や家とは「縁切りすべき」であり、それ以上の関係は有害である。 関係を続けるならば、その刑罰に巻き込まれることになる。 同性愛にふけった堕落した町ソドムとゴモラよりも大きな刑罰、つまり、火が降って焼け野原になるような刑罰よりも大きな刑罰に巻き込まれることになる。 そうならないためには、われわれは、一刻も早く彼らから離れるべきである。 4. ある知人の話。 高校時代に、友人A(女)が売春を始めた。 辞めるように説得したが聞かなかった。 ある日、平和な住宅街をAがその友人Bと歩いていると、突然、全身黒タイツの男が現れ、Aをボコボコにした。 友人Bは走って命からがら逃げた。 その話を聞いて、知人はAと完全に縁を切った。 罪人と付き合うと、悪霊の世界に巻き込まれ、変なことが起きる。 |
tomi 2021/07/01(木)19:01 永遠のいのちを得る人は、「この世でそのいのちを憎む」
われわれが実を結ばない要因は次のとおり:
御言葉は、種である。 その種には、大きな木になって、実を結ぶ潜在的な能力がある。 林檎の種には、将来、育つと、大きな木になって、そこに林檎の実がなる可能性が秘められている。 それゆえ、御言葉にも、神の国の実を結ぶ潜在的な能力がある。 種がその潜在的能力を発揮できるかどうかは、蒔かれた土地によって大きく左右される。 (1)サタンによる御言葉の持ち去り 種が、畑ではなく、道路などの目立つ場所に蒔かれると、鳥に食べられて消えてしまう。 サタンは常に、御言葉を持ち去ろうとしている。 心が「御言葉の畑」ではなく、サタンが持ち去りやすい状態にある人は、御言葉を聞いてもすぐに「聞かなかったこと」にする。 (2)みことばのための困難や迫害 岩地に落ちた種は、すぐに発芽するが、根が深く張っていないので、日照りによって枯れてしまう。 逆境に弱い。 私が学生時代に多くの人々が教会に来て福音を聞き、教会活動をしていたのを覚えている。 彼らの何%がいまもそれを信じ続けているだろうか。 多くの人々が、クリスチャンであることが邪魔になって信仰を捨ててしまったことだろう。 「根を張らない」は原語では「自分のうちに根を持たない」。 根は、地中の水分や養分を吸い上げて体の部分に届ける役割を果たす。 逆境に弱い人は、地中深くに降りた根を持たず、それゆえ、水分や養分の補給に難がある人である。 水分や養分は神からやってくるので、神のところに届く根を持っていない。 神とのパイプがない人は、都合が悪くなるとすぐに信仰を捨てる。 ちょっとしたことで躓く人は、「そういうふうに生まれてきた人」なのである。 人間とのパイプはたくさんあるが、神とのパイプがない。 神がご自身の決定によって、その人との間に太いパイプを作ることを望まれなかった。 根無し草なので、人間的な判断を下して、すぐに躓く。怒りっぽくて気分屋。 (3)世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望 心配や欲望は、種の発芽と生長を阻害する。 いろんなところに気が散るのである。 「世の心づかい」は原語では#gs#ai merimnai tou aiwnoV toutou#ge#(the cares of this age)。つまり、「この時代の心配」。 現代の心配によって、御言葉の種は生長を阻害される。 現代の心配とは何か。 「新型コロナにかかるんじゃないか」「ワクチンをどうする」「尖閣をどう守るか」・・・ これらに関して適度の心配は必要である。
「現代の心配はよくない。無計画がいいんだ」とはならない。 正しく心配することは必要である。そうでないと、仕事がいい加減になる。 正しい知識を得て、新型コロナに対処することは必要。 問題は「過剰な心配」である。 「マスク着用義務」などは、過剰な心配。 なぜならば、非科学的だから。 マスクの目の大きさは、ウィルスの30倍である。30倍の目の網戸を何枚重ねても蚊は素通りする。 透明シートやフェイスシールドは無意味。ウィルスは、迂回するから。 これらの過剰な防御策を講じているクリスチャンがいたとすれば、それは、無知・怠惰なクリスチャンである。 正しい知識を集めることを放棄して世の流れに従っている。
「富の惑わし、その他いろいろな欲望」 だいたいの現代人が、この「富の惑わし」に騙されて貴重な一生を無駄にしている。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 生活に関しては、神が保証してくださる。 心配や欲望によって、御言葉の種の生長は阻害される。 新型コロナやワクチンに関して、正しい知見を持つ医者や学者たちが沈黙している。 社会的な立場に影響があるからである。 彼らは、自分を守ることによって、かえって自分を殺していることに気づいていない。
永遠のいのちを得る人は、「この世でそのいのちを憎む」。 |
tomi 2021/06/26(土)13:34 妊婦がワクチン接種者と皮膚接触した場合、治験責任者はファイザー社に報告義務がある 妊婦がワクチン接種者と皮膚接触した場合、治験責任者はその事実を知ってから24時間以内にファイザー社に報告せよ、との命令: http://#www.millnm.net/img/upload/1624682011image.png |