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tomi 2021/08/02(月)04:20

風邪をひきました

まだ治りません。

かかりつけの耳鼻咽喉科がずっと休みで困ってます。

ある魔女の集団がこれまでは欧米にブルーウェーブを送ってきたが、今後、日本に向けると言っていました。

そんなウェーブなど、イエス・キリストの御名によってはねのけることができます。

神よ、どうか日本を流行病から守ってください!

tomi 2021/07/28(水)10:31

風邪をひきました

風邪をひきました。

メールへの返事がしばらくできませんでした。

申し訳ございません。

tomi 2021/07/26(月)13:14

私をヒトラー並の排他的民族主義者と考える人がいる

私をヒトラー並の排他的民族主義者と考える人がいる。

まったくの誤解であり、書いたものをよく読むべきである。

私は繰り返して言ってきたが、新約時代は「超民族的時代」である。

ユダヤ人や日本人が選民であるとか、その他の人々が異邦人だとか、そういう区別はない。

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
(ガラテヤ3・28)

そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(コロサイ3・11)

しかし、だからといって、民族はどうでもいいというわけではない。

神は、ひとりの人からすべての国の人々(#gs#pan eqnoV anqrwpwn#ge#)を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。(使徒の働き17・26)

新改訳で「すべての国の人々」と訳されている箇所は、原語では#gs#pan eqnoV anqrwpwn#ge#、つまり、「人のすべての民族」である。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、(マタイ28・19)

「あらゆる国の人々」と訳されている箇所の原語は#gs#panta ta eqnh#ge#、つまり、「すべての民族」である。

新改訳は、民族軽視のグローバリスト的な翻訳である。

聖書は、二つの極端を避けている。

I ヒトラー並の排他的民族優越思想

II グローバリスト並の民族軽視思想

私がこれらのいずれかに属すると考えるならば、一番大切な部分を読み飛ばしてきたということを意味する。

私が何度も指摘したのは、神において多様性は究極、そして、統一性も究極、ということである。

神がこのようなお方なので、被造物もこの原則に貫かれている。

神は多様な植物や動物を創造されたが、DNAという同一の原理で増殖する。

神の被造物において、どちらが優越しているか、という問題は存在しない。

旧約時代において、ユダヤ人を特別に選んだのは、全民族のプロトタイプ(原型)にするためである。

われわれは、ユダヤ人の歴史を通じて、神の経綸(人間の取り扱いの方法)を学ぶ。

しかし、ルシファー教に毒されたユダヤ人たちは「神はわれわれを選民として選び、異邦人をわれわれの奴隷として選ばれた」と解釈した。

このような偏狭な民族思想は、タルムードユダヤ教を貫いている。

再建主義がこのような思想だと誤解する人は、文章読解能力に難がある。

tomi 2021/07/25(日)14:31

「神なしでも繁栄する国」は日本の本当の姿ではない

1.

開会式を見て「これ、トリエンナーレと似ている」と思った。

ものすごく安っぽい。

日本らしさが消されている。

公共事業でうまい汁を吸うために群がった偽装日本人のやっつけ仕事に見えた。

小山田を人選したのは、電通だったらしい。

電通という外国人に乗っ取られた企業が、失言を引き出したり、意図的にヤバい人間を選んで、過去の悪行を本番直前に暴露したのか。

目的は、「いかに日本が女性や外国人、障害者を差別し、虐待する国であるか」を示すこと。

開会式に登場した富士山を象徴する山と聖火台も、「三角形と目」にしか見えない。

http://#www.millnm.net/img/upload/1627189126image.png

10段+三角形(上から見る)=13

聖火台は、「浮いた球体」、つまり、目。

13+目のモチーフ。

http://#www.millnm.net/img/upload/1627189313image.png

ロンドン、リオに続いて東京オリンピックも、グローバリストの意思表示の場なのか。

グローバリストにとって、世界には二種類の人しかいない。

ユダヤ人かゴイムか。

彼らは「ゴイムの民族主義は徹底して破壊すべし」と考えている。

したがって、今回のオリンピックは、「日本人の民族的栄光の表現」にしてはならないと。

2.

なぜ彼らは多様性を嫌うのか。

彼らの神ルシファーが、一様だから。

ルシファーには一つの人格しかない。

つまり、一位一神教。

しかし、真の神は三位一神である。

3人の神々が契約によって一人の法人を形成する。

神において多様性は究極、そして、統一性も究極。

したがって、グローバリストから日本民族を救うには、聖書の神を信じる以外にはない。

3.

ユダヤ人は、バビロン捕囚以降、バビロニアのルシファー教が導入され、イエスの時代にはルシファー教がイスラエルを乗っ取った形になっていた。

ルシファー教を推進していたのがパリサイ人。

この偽宗教に対して、神は紀元70年に裁きを下された。

神殿は崩壊し、ユダヤ人は世界に離散した。

救われた人々(クリスチャン・ユダヤ人)たちは、日本に来て、栄光のイスラエルを建国した。

4.

外国人に乗っ取られたマスコミは悲惨である。

彼らは乗っ取りは上手いが、経営ができない。

テレビ局を乗っ取ったはいいが、面白い番組が作れない。

彼らは大木に巻き付いてそれを枯らし、自分も枯れる蔦である。

すべてを陳腐にする。

5.

なぜ神は、日本がこのような状態に落ちることを許されたのだろうか。

真の問題に気づくためではないか。

日本という国の真の姿を理解するため。

苦しみがなければ、悟りは得られない。

90年代のような「神なしでも繁栄する国」は日本の本当の姿ではないと思う。

tomi 2021/07/22(木)17:00

世界は人間の幸せを中心に創造されていない2

1.

「福音がないままに死に、救われるチャンスを与えられなかった人々はかわいそうだ」というような考え方を、人間教(ヒューマニズム)と言う。一見すると愛情ある考えに聞こえるが、実際は、次のサタンの言葉と似ている。

「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3・4−5)

この二つの言葉は、「神は人間が幸せになることを邪魔している」という訴えにおいて共通している。

サタンは常にわれわれに「神を裁きなさい」と誘惑してくる。

人間は、神の僕として創造されているので、神を裁くことはできない。神を裁く立場に立つとき、人間は疑似神となる。

アダムが善悪の知識の木から取って食べたとき、クーデターを行った。人間が神よりも上位に立った。

人間に許されているのは、神を基準とすることだけ。

神の言葉を評価するのではなく、ただ信じることだけが許されている。

2.

この世界のデフォルト設定は、「アダムの子孫はみな、憐れみを受けることなく滅びる」である。人間はみな、生まれながらに罪人であり、それゆえ、生まれながらに一切の憐れみを受けることなく滅びて地獄に行く定めである。

イエス・キリストによる救いは、そのデフォルトで地獄に行くことになっている人間に対する「特別ボーナス」である。

宝くじが当たったみたいなものである。それは、自分の労働に対する報酬ではない。あくまでも「恩恵」。

3.

人間は、自分の救いのために「労働」できない。なぜならば、自分を救おうとすればするほど罪を犯すからである。

神の救いにあずかろうと努力する過程で、必ず偽善の罪を犯す。善行をすると「自分はなんて善い人なのだろう!」とうぬぼれる。

泥靴をはいて部屋を掃除する人のようなものである。掃除すればするほど泥を落としていく。永遠に自分を救うことはできない。

4.

人間が救われるには、代償の死が必要である。完全に罪のない人が身代わりに死んで、刑罰を受ける以外に救われる道はない。

神は、デフォルトで地獄に行くべきわれわれのために、御子を使わし十字架につけて処刑された。この特別なプレゼントに対して「福音を知らないで死んだ人はかわいそうだ。神は非情だ!」という人は、あまりにも傲慢であり、あまりにも図々しい。

同じ罪を犯して刑務所に入っているAとBがいたとする。
ある篤志家が現れ「Aさんのために身代わりに刑務所に入りましょう」と言った。Aは晴れて自由の身になった。
それを見たBが「Aだけずるい。私のために何で刑務所に入ってくれないのか」と文句を言った。Bは正しいことをしただろうか。
Bは自分の罪のために刑務所に収監されている状態がデフォルト。身代わりが現れないのが普通。どうしてAを助けた篤志家を批判できるだろうか。

tomi 2021/07/22(木)12:00

世界は人間の幸せを中心に創造されていない

契約的誠実さ。
 あなたの神学はキリストが民に対しても誠実である信仰なのですね。しかし御言葉を宣べ伝える教会、つまり御言葉の上に立つ神の子羊が誠実ではなかったのに、どうして民が御言葉を聞くことができるでしょうか。神の口を塞いで別の言葉を並べたのが教会の歴史ですので、民がどうして真の信仰に至れたのでしょうか。それともそれらの人々はあらかじめ地獄に行くことが決まっていたのでしょうか。

神は、御民に対して誠実なので、御言葉を通じてご自身の御心を(人間が知るべき事柄という範囲内で)あますところなく啓示されました。

その啓示された事柄をゆがめたり、人に見せないようにしたのは人間側の瑕疵であって、神に責任はありません。

そして、そのような、神の国の進展を妨害するような邪悪な行為の責任を神にかぶせるのは「ヒューマニズム(人間教)」の立場です。

人間の幸せを中心に価値判断が行われる。

言い換えれば「神は人間を幸せにする責任がある」という立場です。

聖書の神はそのようなお方ではない。

人間は、あくまでも神の幸せに奉仕するために創造された。

だから「罪を犯した人は、その罪のゆえに滅びる」というのが原則です。

「その罪人を救う」キリストの御業は、「義務」ではなく「恩恵」です。

もちろん三位一体と復活を信じる人々ではあるのですが、あなたのおっしゃる厳密な意味での信仰者ではなかったと思います。彼らは聖書を読んだこともなく、司祭の言うままにパンとワインを摂取し、献金し、幼児洗礼をわが子に授けてもらい、結婚を司祭の前で行いましたが、それはローマ人が惰性で祭壇でユピテルの為に牛の脂を焼いていたのと同様です。しかし彼らは責められるべきではないのです。
思い出していただきたいのは民はかつて聖書を自由に読むことすらできなかったということです。ルターが翻訳するまでドイツ語聖書はありませんでした。

聖書を読ませないようにしたのは、教会が人々をコントロールするためです。

それは、教会の罪であって、神の罪ではない。

日本にやってきた外国人が日本語ができないために法律を破った場合に、その責任を日本政府に着せることはできません。

法律違反は法律違反です。日本語ができるかどうかは関係ない。

人間は、読めるような聖書を持っていたか否かにかかわらず、聖書にしるされている事柄(神の法)について責任があります。

人々が読めるような聖書を与えなかった教会側の責任は、人々よりもはるかに大きいです。

しかし、「読めるような聖書がなかったから無罪」ということにはならない。

十戒を破れば(悔い改めない限り)その刑罰は下ります。

以上、かなり詳しく説明いたしましたので、これで回答は終了させていただきます。

tomi 2021/07/21(水)12:07

発行の際に日銀に渡す円建て国債を負債扱いしてはならない

ttps://www.youtube.com/watch?v=u0k7yB6Tig0

基本的に誤解があります。経済規模が大きくなると、使用される通の総量も増加する。

日銀に通発行してもらわなくてすむなら別ですが、中央銀行制度を持つわが国では、日銀に通発行してもらわねばならない。

その際に、国債を提供する必要がある。つまり、通発行をするたびに、負債を背負うという奇妙な構造がある。

発行に伴って国債発行が必要になるので、経済が成長し、その規模が拡大すると、国債という負債も増大する。

日本の国債発行額が増大した理由の一つは「政府の無駄遣い」ではなく「経済を回すのに必要なお金を作ったこと」にある。

となれば、通発行に伴う国債発行は「借金」ではなく、単なる「儀式で使用する金」のようなもの。

だって、日銀は政府の子会社のようなもので、親会社から子会社への資金移動は連結決算で相殺されるから。

政府が日銀にその「儀式用金」をいくら渡したとしても「負債」にはならない。それを負債と考えるからおかしなことになっている。

tomi 2021/07/21(水)06:25

神の契約的誠実さ

あつかましいですが、どうか私が救われるであろうと、いえ、それをご存じなのはキリストのみなのでそれについては考えても仕方がないのですが、私はキリストの業ではなく人間の業について尋ねます。この世の管理を委ねられたのはわれわれアダムの子孫ですから、このことは尋ねるべきだと考えました。

ご存じの通り、ヨハネを除く使徒はみなそれぞれ殺されました。
彼らは地上で滅びましたが、キリストが生命を彼らに授ける日が来るでしょう。

「キリストが生命を彼らに授ける日」はすでに紀元1世紀に来ました。

キリストは「私が再臨するまで生き残っている人がこの中にいる」と言われました。

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」(マタイ16・28)

つまり、再臨は紀元1世紀に起きるとイエスは明言された。

そして、再臨するときに「キリストに属している者の復活」が起きるとパウロは述べています。

しかし、[復活には]おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。(1コリント15・23-26)

ということは、クリスチャンの復活は紀元1世紀に起きたということがわかります。

殉教した使徒たちは再臨の際に、当時生き残っていた一部のクリスチャンとともに復活し、携挙されたはずです。

眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・13-17)

パウロは、紀元1世紀のテサロニケに住むクリスチャンにこのことを約束しているので、復活は紀元1世紀に起きたことがわかります。


彼らが残した書簡や手紙は伝承され正典化されました。
われわれは聖書として読みます。神の霊感を受けていると信じます。クリスチャンなら信じるべきだと神父や牧師は言うでしょう。

しかし、聖書を選んで編纂したのは人間です。編纂したローマ人司教たちにも神の霊感が及んでいるなら聖書は完全なものです。ですが、聖書は完全だとしても聖書を編纂した司教たちが完全でないならば、なぜ聖書は完全だと断言できるのでしょうか。

イエスは、パウロを含む13人を使徒として任命されました。

イエスは奇蹟を行う際に、常に弟子たちを2〜3人同行されました。

なぜならば、律法に「証言者は2〜3人必要だ」と記されているからです。

ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。
どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。(申命記17・6、19・15)

もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。(マタイ18・16)

聖書として選ばれた書物は、すべて「イエスの御業の証言者として任命された直接の目撃者」かその権威のもとに書き記した者の手によっています。

そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。(ルカ24・45-48)

使徒たちには、イエスからの直々のお墨付きがある。

それゆえ、われわれは、彼らの証言書を「神の権威」として受け取らなければなりません。

聖書以外の考えを切り捨てよ、とあなたはおっしゃいます。これは正しいのです。私にも日本由来の思想やギリシア哲学の影響がありますので、それらを切り捨てればいいのだと思います。では聖書を編纂した司教たちのラテン思想、プラトン主義の影響、異教への論駁を通じて不可逆的に摂取した異教の思想の存在を疑わないのはどうなのでしょうか。

イエスが証言者としてお墨付きを与えた使徒たちが書いた物について、編纂者の思想的影響について心配する必要はありません。

さらに言えば、2000年正典として教会の間で維持されてきた書については、「神の契約的誠実さ」という原理から判断すべきです。

つまり、もし2000年正典として教会の間で維持されてきた書が偽りであるとすれば「神は、ご自身の御子を十字架につけるほどに愛された御民が2000年間誤謬に陥ることを許容してこられた不誠実な存在である」と告白することになります。

例えばエイレナイオスはグノーシス思想を論駁しましたが、彼の思想は不可逆的にグノーシス思想に影響されているでしょうか?具体的なグノーシス派異端信者を論破するために学んだグノーシスの思想が彼に影響していないとはどうして言い切れるのですか。アウグスティヌスが同じくマニ教徒を断罪する際に、図らずもマニ教の性善説に対抗して性悪説を唱えたようにです。

もちろんパウロがアテネ人に影響されていると考えるのは馬鹿らしい、エイレナイオスも同じことだ、と言い切ることも可能です。

私は使徒の権威を考えるべきだと思います。パウロは使徒みなに承認されました。しかしエイレナイオスは使徒に承認されたのではなく、ヨハネの弟子ポリュカルポスに私淑したのです。

私がはっきりと知っているのは、このエイレナイオスとテルトゥリアヌスが聖書の正典決定に関与したのだということです。

すでに述べましたように、正典として選ばれた書物はことごとく使徒の手によるものでした。

使徒の手紙や書物が何百冊あろうと、それらは「イエスが証人として正式に任命された人々の書物」であるという理由だけで正典たりえます。

しかし、神は、その中でも新約聖書として人々に残すべき書物を使徒ではない人間を利用して選別されました。

その選別に御霊が働かれたと信じるべきです。

なぜならば「神は御民に対して誠実だから」。

選者の適格性を問題すれば、旧約聖書も信用できなくなります。

しかし、イエスが旧約聖書を神の言葉として承認され、「自分はそれを成就するために来た」と言われた以上、私たちは「選者が適格であるかどうかを無視して」正典として受け取るべきです。

わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。(ヨハネ17・12)

そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。

この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。(ヨハネ19・24, 28)

それゆえ、私は最近になって出てきた書物や写本を正典とすることは間違いだと考えます。

神が2000年もの間、御民に隠し事をしてきたはずがありません。

マジョリティ・テキストを採用すべき理由も「神の契約的誠実さ」にあります。

2000年間、ほとんどの教会において使用されてきたこのテキストは、それだけで信頼性があります。

しかし、今世界で使用されている大多数の翻訳聖書は、最近ローマ・カトリック教会の書庫で発見された写本に基づいています。

神は、このような「誤謬」を長期間見過ごしにならない。

必ず人を起こして、正しいテキストを御民に回復してくださるでしょう。

テルトゥリアヌスはかの聖ペルペトゥアを最期まで助けた方です。
残念なことにモンタノスの教えに影響されてしまったので、あなたから見ればテルトゥリアヌスは聖霊を受けていません。エイレナイオスが聖霊の賜物を持っていたかどうかは不明です。

コンスタンティヌス以後、アリウス派は息子コンスタンティウスが信仰するまでに至りました。アタナシオスはこれを神の恵みによって除けたのだとヒエロニムスは信じていました。アリウス派は帝国外のゲルマン人に広まりました。ゴート人やランゴバルド人はアリウス派でした。

聖書が西ローマ教会、カトリックは390年代には正典を定めました。
それより少し前、ミラノにはアンブロシウスという古典や弁論術に通じた知識人がいまいした。アンブロシウスは改宗する前から司教に推挙されました。アンブロシウスはこの西ローマ帝国末期の皇帝に接近することになります。

アタナシウスがアリウス派の教えを退けたのは「真理を継承するために選ばれた器」だからです。

どんなに異端がはびこっても、真理を受け取り、それを広めるための器を神は用意されます。

なぜならば、神の国の発展について一番気を配っておられるのは神ご自身だからです。

われわれが今の聖書を神が認定された正典であると確信できるのは、「神の契約的誠実さ」の事実があるからです。

御言葉というすべての土台について管理できないような神は、神ではありません。

tomi 2021/07/20(火)20:36

米上院が、中国とビッグ・テック、ファウチの共謀を指弾!

https://rumble.com/vju6wb-33321323.html

米上院が、意図的に旅行者を海外に送り、新型コロナウィルスを世界中に拡散したと中国を断罪。

ビッグ・テックは、新型コロナの起源を隠蔽してきた。

最近、彼らは武漢を発生源とする書き込みを削除してきたが、最近、北京がその責任を負うべきだと方針を転換した。

ユーチューブは、中国が主導するWHOの見解と異なるビデオや、ロックダウンに意味はないと主張する医師のビデオを削除すると発表し、実行してきた。

ツイッターは、武漢研究所が機能獲得研究を行っていると指摘する中国人ウィルス研究者の発言を封じ込めてきた。

上院は、「ビッグ・テックは一線を越えてしまった」と判断し、「このようなことが二度とわが国と国民に起こらないためにはどうしたらよいか」について話し合ってきた。

上院は、情報機関がこの問題に関するすべての情報を開示するように求める。

・・・

アメリカの上院が、はっきりと中国の罪を指摘し、責任を取らせると発言した。

バイデンは中国寄りだが、これだけ議会が怒っている以上、アメリカは国を挙げて徹底して中国を攻撃すると思われる。

tomi 2021/07/17(土)18:46

精神の地獄から脱出する方法

1.

伝道は必要だと思います。
ですが、未宣教のまま生きて死んでいった人々は死後どうなるのでしょうか。パウロは自然そのものが(唯一の)神の存在を証していると主張します。ならば神を信じなかった過去の日本人はみな地獄に行く運命なのでしょうか。ザビエルか来る以前に生きていた日本人はどこへいくのでしょうか。そして中絶された幼子はどこへ行くのでしょうか。

まず、前提として、次の事実を確認する必要があります。

神には、人を救う責任がまったくない。
人は、自分の罪のゆえに死に、永遠に滅びる。
この世界は、神を中心に回っており、人間はその神の役者として自分の役を演じるようにあらかじめ定められている。
救われることによって神のシナリオを実行する人もいれば、滅びることによってそれを実行する人もいる。
どの役割を割り振られるかは、神の完全な自由意志による。

ですから、福音が伝えられていないままに死ぬ人々に対して、神は責任を果たしていないということにはなりません。

神は人を誘惑することはないので、人は自分の意志によって罪を犯し、その罪のために刑罰を受ける。

ある強盗が、貴金属店に押し入って商品を盗むときに、店主や店員、たまたま店にいた人、通りを歩いていた人、100メートル離れたところにいた人、100キロメートル離れたところにいた人・・・は、その犯罪に対して責任がありません。

犯人は自分が犯した犯罪のために処罰されますが、それ以外の人にはいっさい責任がありません。

もちろん、神に責任があるはずもない。

神や犯人以外の人に、犯人を救う責任はない。

これと同じように、罪を犯す人は、その罪について自分に責任があるのであり、神には救う責任はない。

「いや、神はすべてのことをあらかじめ決定されているのだから、この強盗の犯行も計画のうちにあったはずだ。だから神に責任がある」という人がいるかもしれません。

しかし、神による「堕落の抑制」は、神の恵みであって義務ではありません。

ピンボールが下に落ちていくのを、左右のバーで打ち返すのは、打ち返す人の自由であって、義務ではありません。

イエスは、ペテロが堕落しないように抑制されました。

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・31-32)

しかし、ユダについては抑制されませんでした。

彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ13・27)

この命令は許容であって、強制ではありません。なぜならば、神は誘惑されるかたではないからです。

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。(ヤコブ1・13)

ペテロは救われることによって神の栄光を表す器として予定されていましたが、ユダは滅びることによって神の栄光を表す器として予定されていた、ということがわかります。

2.

ならば神を信じなかった過去の日本人はみな地獄に行く運命なのでしょうか。ザビエルか来る以前に生きていた日本人はどこへいくのでしょうか。そして中絶された幼子はどこへ行くのでしょうか。

日本にはかなり初期からキリスト教が入っていました。

東大名誉教授江上波夫氏によると、紀元2世紀に原始キリスト教徒が来日したそうです。

キリスト教徒である秦氏は3世紀に来日し、日本文化の基礎を築きました。

さらに、旧約聖書のキリスト教は、物部氏が紀元前2世紀に導入し、古神道を作りました。神社は、エルサレム神殿と構造が酷似しています。

7世紀まで日本はキリスト教であったと私は考えています。

ザビエルの属していたイエズス会は、偽装キリスト教です。

創始者イグナチウス・デ・ロヨラは、アランブラドス(スペイン語で「イルミナティ」の意味)というグノーシス主義秘密結社に属していました。

中絶された胎児についてはわかりません。神が特別な恵みを与えておられるのかもしれませんが、聖書に啓示されていないので不明です。

3.

まだ疑問はあります。例えばイスラム教やバハーイー教、など唯一の神を崇める宗教があります。自然を通して唯一の神を認識した人々が、これらの宗教に帰依しても地獄に行くのでしょうか。特にイスラム圏ではイエスはイーサーと呼ばれ、その本質は人間であり、アッラーフの預言者の一人であるという虚偽が流布されていて、イエスを信仰する障害は大きく、むしろ自然に唯一の神を見出す人々はアッラーフに深く帰依することになります。かれらはかれらなりに自然の啓示を解釈しています。ヤハウェ=エル=エロヒム=アッラーフとムスリムは考えていますから、一概に偶像崇拝とは言えません。そもそも彼らイスラム教徒は生まれてから一度も福音宣教を受けないでしょう、なぜならイスラム圏で宣教すれば死刑だからです。未宣教のイスラム教徒は地獄に行くべきでしょうか。

(1)

救われるための条件は「唯一神を信じること」ではなく「人として来られた神であるイエスを救い主、主として受け入れるか」です。

キリスト教は、同じ一神教でも、三位一神教であり、イスラム教などの一位一神教ではありません。

キリスト教の神は三人(父子御霊)おられます。これらの神々が、互いに契約を結んで法人を形成し、一人の神として行動されています。

多くの社員がいても、〇〇社として単一の人のように振る舞うのと同じです。

キリスト教の神以外において、「多様性と統一性」を調和させることはできません。神において多様性も究極であり、統一性も究極です。

どちらが先で、どちらが後、ということはなく、三位が永遠の昔から存在し、三位は永遠の昔から単一の法人として存在されます。

この神が創造された世界において、多様性も統一性も究極です。

人種は一つになる必要はありません。多様であってよい。

人類は人種によらずに「一つ」になるべきです。

一人の神を拝み、その神の栄光のために働くべきです。

(2)

ヤハウェ=エル=エロヒム=アッラーフとムスリムは考えていますから、一概に偶像崇拝とは言えません。そもそも彼らイスラム教徒は生まれてから一度も福音宣教を受けないでしょう、なぜならイスラム圏で宣教すれば死刑だからです。未宣教のイスラム教徒は地獄に行くべきでしょうか。

たしかに、イスラム教の土台にはキリスト教があると思います。

ただ、聖書の定義によれば、イエスを仲介者として持たなければ、その神は真の神ではありません。

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。(マタイ17・5)

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4・12)

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14・6)

イスラム圏に住む人々は、救われるには、圧倒的に不利な環境にいると思います。

しかし、神は救いに予定された人々に福音を届けるために伝道者を送られます。

それは、奇跡的な方法によるかもしれません。

共産圏においても、救われる人はいました。神に不可能はありません。

(3)

まだ疑問はあります。例えばイスラム教やバハーイー教、など唯一の神を崇める宗教があります。自然を通して唯一の神を認識した人々が、これらの宗教に帰依しても地獄に行くのでしょうか。

イエスを救い主として信じない限り、人は救われません。

4.

まだ疑問はあります。統合失調症や自閉症、強迫性障害に人格障害などの精神が神を認識する能力を失っている人々は死後にどうなるのでしょうか。

特に統合失調症の人は精神が荒廃して日常生活もできません。友人や家族、学業や仕事に恵まれた人々は健康に暮らし、余裕をもって自然を観察して神を認識し、福音宣教を受ければそれを快く受け入れ、洗礼を受けて献金や礼拝を欠かさず行えるでしょう。ですが、精神が病んだ人はすべてを失い、見放されたうえで、そのう上で福音すら自身への攻撃だとみなすでしょう。統合失調症は被害妄想と幻聴、うつ傾向が大きいのです。そして宗教を激しく敵視しやすい傾向にあります。宗教以外にも政治、科学、公共機関、インフラを敵視します。

聖書のガダラの狂人の話が精神の病について示しているかもしれません。

人々が押さえることができず、自傷行為をし、荒野でしか生活できなくなっていました。

イエスが来られて「悪霊ども出ていけ」と言われると、中に入っていた無数の悪霊が豚の大群の中に入り、その豚が崖を駆け下りて溺れて死んだと記されています。

出て行った後、彼は、おとなしく座っていました。

人間は、家のようなものとして作られており、霊がその主人として住んでいます。

悪霊は、人間の中に入ることを常に狙っています。なぜならば、人間を道具として利用し、世界を地獄と化したいからです。

何らかの欲望を通じて悪霊は入る隙間を作ります。何度か罪を犯すたびにその穴は大きくなり、最後には自由に出入りできるようになります。

自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(箴言25・28)

自制心が欠如すると、悪霊が自由に出入りできるようになります。

除霊の後に、心という部屋を御霊で満たしていないと、悪霊が自分よりもっとひどい悪霊をたくさん連れて戻ってきます。

汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。(マタイ12・43-45)

様々な精神障害は、悪霊によって引き起こされています。

イエスという名前を言うだけで、そういう障害を持つ人は嫌がったり、心を騒がせたりします。

ある人は、私がイエスと言いかけると「やめてください!!」と掌をこちらに向けて叫びました。

悪霊がやりたいことは、コントロールです。

取り憑いた人々を思いのままにコントロールしたいのです。

心の城壁が取り除かれてしまった人は、もはや社会生活はできません。

万引きを重ねているうちに、自動的に手が出るようになります。

累犯の性犯罪者は、自分の意志と無関係に性犯罪を犯すようになっています。

中国から金をもらうような政治家は、罪の恐ろしさを知らない間抜けです。

罪を犯す人は、罪の奴隷であって、そのような汚い金を受け取ると、自分の精神も徹底して支配されるようになります。

そういう人にとっては、白が黒に見え、黒が白に見えます。

倫理の感覚が麻痺しているので、物事が逆に見えています。

悪霊の支配から解放されるには、イエス・キリストを主として受け入れ、徹底的に心の中にいる悪霊を追い出し、御霊に満たされる以外にはありません。

5.

統合失調症患者は日曜礼拝すらできないでしょう。牧師の説教も聖書の言葉ではない別の悪意ある嘲笑や脅迫に聞こえますし、讃美歌は音波で攻撃されていると考えるでしょう。教会という集団の中で適切なコミュニケーションすら取れませんし、献金を要請されれば、搾取されていると考えて怒るでしょう。イエスに捧げるバンドの歌を聞いた日には、バンドが上を見上げて歌っているのを見て、自身の幻聴や幻視、狭まった思考が(だれかに監視されている、集団でストーカーされている)が強化されるでしょう。彼をストーキングする加害者に天使やイエスが加わるのです。

これは、完全に悪霊の支配下にいる人の心理です。

心の中が狂気で満ちています。

イエス・キリストによって追い出していただく以外にはありません。

紀元70年の再臨以降、キリストが世界の全権を掌握しています。

そして、イエス・キリストを信じる人々は、悪魔に勝利します。

なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(1ヨハネ5・4-5)

すでにサタンはキリストの軍隊の捕虜になっているので、この地上を支配する権限を失っています。

絶対的信仰を持つことによって、サタンの支配から全的に解放されます。

悪霊のコントロールにいる人々の特徴は「不信仰」です。

なんやかや理由をつけて、キリストの主権や力を認めようとしません。

その不信仰がある限り、サタンはその人の心に自由に出入りし、ものすごい強制力の強い悪霊を連れて入ってきます。

少しの不信仰、ちょっとした思い、一瞬の迷い、一言の愚痴、・・・

こういうマイナス思考が、自分をダメにします。

悪霊は、わずかな隙間を狙っているからです。

解放は、ただひたすらに「強固な意志と決意と持続力」です。

「鳥が頭に止まるのは仕方がないが、巣を作ることは自分の責任だ」

とよく言います。

聖書と異なる考えが浮かんだら、即座に切り捨て、二度と自分の頭の中に入らないように徹底防衛しなければなりません。

統合失調症患者はとても福音を信じにくいです。不可能とは言いませんが。しかし彼らが地獄の火に投げ入れられる悪を犯す能力があったかというと、いち人間の身で極めて僭越ですが、能力はないのです。貴方様はどうお考えですか。私もいまだに心療内科に通っていて、患者である彼らが地獄になすすべなく行くのなら、どうすればいいのか、などと情けないことを考えてしまいます。

繰り返しになりますが、鍵は「強固な意志と決意と持続力」です。

精神障害の方々は、大変な試練に遭っておられます。

しかし、だからといって、その心において考えることや行動に責任はない、とは言えません。

あらゆる不信仰や不道徳、神の法を犯す行為は、裁きの対象となります。

しかし、解決はあります。救われる道は必ずあります。

それは、「聖書に書かれていることは絶対に正しい。神が行われることは絶対に正しい」という二点を徹底して自分の思考や行動の様式に組み込むことです。

すでに、かなり悪霊の自由を許してしまっているので、戦いは熾烈でしょうが、できるところからコツコツとやるしかありません。

おそらく、悪霊の願いどおりに思う癖がついていると思います。

たとえば、妄想とか。

妄想が起きたら「これは悪霊が吹き込んでいるのだ。抵抗しなければ。イエス・キリストの御名によって命令する。妄想を入れるな!底知れぬところに行け!」と命令するしかない。

それを何百回も何千回も行う。

御言葉と矛盾することを考えたら、それを徹底的に否定し、正しい考え方が身につくまで徹底して御言葉を反復する。

私も今、ものすごい戦いの中にいます。

祈っても祈っても、DSの攻撃が弱まらない。

次々と反キリスト的な政策が出てくる。

日本を破壊するような政策を政府が行う。

とくにトランプの敗北以来、日米でひどい。

こういう逆境において、どのような心でいるべきか。

問答無用に「あなたの語ることは絶対に正しい。聖書は神の言葉であり、絶対に正しい。あなたの行われることは絶対に正しい。すべてにおいて、あなたの御心に賛同します!」と唱えることです。

このことをせずに、自分の気持ちに流され、自分の思いたいように思うならば、地獄が待っています。

要するに、精神的な問題を抱えている人は、意志が弱い。

御言葉という土台がないので、簡単に水が来たら流される。

悪霊のコントロールに翻弄され、自分の人生を台無しにされる。

悪霊が違うことを言ったら「うるさい!お前に私を支配する権威はない!イエス・キリストの御名によってお前を縛る!底知れぬところに行け!」と「心で固く信じつつ」叫ぶことです。

tomi 2021/07/16(金)02:37

恐れるべきは神であって、人間ではない

先ほど、DSに対して「一人で戦い、勝利した」と宣言した。

自分に力があるかどうかは問題ではない。

ダビデのように、信仰があれば、巨人ゴリアテを倒すことができる。

聖書は、信仰こそが勝利の条件であると教えている。

ワクチンパスポートなるものによって、管理社会を実現しようとしている。

そして、このDSの指示を菅政権は実行に移そうとしている。

LGBT運動とかワクチンパスポートとか、神の国を破壊する菅政権を神は助けられない。

恐れるべきは神であって、人間ではない。

tomi 2021/07/13(火)16:42

神も人も恐れない内閣

酒類提供停止働きかけは政府ぐるみか 内閣官房が金融機関への協力依頼文書
https://www.nikkansports.com/general/news/202107120001361.html

菅が言った「西村大臣はそうした発言は絶対にしない」ということも真っ赤な嘘だったことがわかった。

この政府が、中国共産党のような市民統制、監視を行おうとしていたことが証明された。

神も人も恐れない内閣。 呪われまっせ。 舐めたらあかん。

tomi 2021/07/13(火)02:40

ある質問に対する回答

コメントありがとうございます。
おっしゃるように、サタンが堕落することも神のご計画のうちでした。
すると神が悪を創造したということになると考えられるかもしれませんが、神は、「サタンが堕落することをストップされなかった」のです。
ピンボールのマシンで、打ったボールを最下部の穴の中に落ちないように、左右のハンドルを操作します。打ち返したボールはいろんなところに当たって得点になります。
神は、ご自身のご計画にしたがって、堕落する者の意志を止めないことによって、罪を許容され、ご自身の計画のコースを歴史が進むようにされます。
となると「堕落するように予定された者は、サタンも含め、回避できないではないか」ということになりますが、それは「神の主権に対する挑戦」なのです。
創造者である神は、万物をご自身の計画に沿って動かす権威があります。

「神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。」(ローマ9・15)

人類は、世界が創造される以前にすでに「救われる人」と「滅びる人」の二種類に分別されています。そして、この運命は変えることができません。
われわれから見れば、誰が救われる運命にあるのか、誰が滅びる運命にあるのかはわかりません。
それゆえ、われわれには結果を気にせずに伝道する使命があります。
救いに予定されている人はイエス・キリストを救い主として受け入れますが、予定されていない人は受け入れません。
万物は「神の栄光を表すための演者」であり、役割と筋書きはすでに創造以前に決定されています。
「そんなシナリオを作るなんて勝手だ。滅びる役割を負った人はかわいそうだ。」という人がいるかもしれませんが、神から「お前は何様なのか。お前はこの世界を創造したのか」と言われます。

「こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
すると、あなたはこう言うでしょう。『それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。』
しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか』と言えるでしょうか。
陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9・18-21)

この神の主権に対してさらに文句を言うならば、神のライバルとして滅びるしかありません。
クリスチャンとは、この主権を受け入れる人であり、ノンクリスチャンとは、それを受け入れない人です。
神が創造以前に作られたストーリーを否定するという失敗は、究極的な失敗であり、自分を永遠に害するだけです。

tomi 2021/07/13(火)01:55

人種差別主義者の運命

さばきはあざける者のために準備され、むち打ちは愚かな者の背のために準備されている。(箴言19・29)

フランスのサッカー選手が日本人を侮辱する動画がSNSを通じて拡散された。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/115032

二人のうちの一人は、「自分が馬鹿にしているのは日本人だけではない」と言い訳をしていたが、「馬鹿にする」行為を正々堂々と行って恥じるところがない、というのはどういうことだろうか。

彼は黒人だが、人種を問わず、「あざける」行為は、自分に破滅をもたらす。

こういうことは、親が子に教えなければならない第一の道徳である。

差別や侮蔑が蔓延している社会は、教育が崩壊している社会であり、死ぬ寸前である。

「さばきはあざける者のために準備され」る。

つまり、あざけるならば裁かれる、ということ。

無意味な(つまり、ただ人種が違うという理由で)人種差別をする人や社会は、必ず裁かれる。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6・7)

人間が何らかの行動を取った場合、それに対して神は必ず評価を下される。

そして、悔い改めるならば裁きは来ないが、悔い改めなければ裁かれる。

警官が見ている前で交通違反をすれば、まず確実に切符を切られる。

警官が切符を切らなければ、その交通法規はザルだ、ということになる。

交通法規がザルであれば、道路は無法地帯になり、事故が頻発する。

為政者の務めは、法にしたがって厳正に取り締まりを行うことである。

法治国家を維持するには、裁きを下す以外にはない。

神も、ご自身が創造された世界を維持するために、必ず裁きを行われる。

人をあざけるならば、裁きを下される。

だから、このフランス人選手も裁かれる。

FIFAが裁きを下さなければ、FIFAも神に裁かれる。

神が裁かれると、FIFAの影響力は落ち、観客が減って、サッカーがビジネスとして成立しなくなるだろう。

「世界においてサッカー人気が落ちる可能性はない。」というかもしれないが、神はどんなことでも行うことができる。

実際、Jリーグ以前、日本ではサッカーは人気スポーツではなかった。

Jリーグ発足以降、いろいろな有能な選手が登場し、盛り上げてくれた。

中田のような天才が現れたのは、神の恵みである。

神が裁かれると、こういう人を魅了するような選手が現れなくなる。

野球界に大谷翔平が現れたのも、神の恵み。

ボクシング界に井上尚哉が現れたのも、神の恵み。

スポーツに限らず、どの業界でも「神なんて関係ない!人種差別の横行を取り締まるつもりはない」と言い出したら、呪いがくだって、日照りになり、飢餓が起きて、その業界は死ぬ。

あのフランスの黒人選手は、神の裁きを恐れていないので、愚か者である。

「むち打ちは愚かな者の背のために準備されている」

tomi 2021/07/13(火)00:59

ワクチン接種による被害の実例

ユーチューブのコメント欄より:

”m s 2 日前
娘の看護大学はワクチン接種しないと言っていた子も、実習に出れなくなると同調圧力でワクチン接種していき…
遂に未接種数名の中に娘も入ってしまいました。接種未接種者一覧表までもが出ています。
今、娘は本当に揺れています。親として一生懸命伝え、大学を辞める事になってもいいとも話し合いました。私も看護師ですが、同調圧力に屈せずワクチン接種はしていません。そんな思いをしている、若い娘世代が沢山いると思うと心が痛みます。どうか、早く幸せな日々が来ます様に…そんな気持ちでいつも中野先生のYouTubeを見ています。これからも配信を心待ちにしてます。”

”musyoku 2 日前
近所の病院で40台の看護婦さんが出血が止まらず亡くなりました
子どもの名前を呼び続けて亡くなったそうです
この様な殺〇が身近で起きてる日本 国民はいい加減コロナ茶番に気づいて行動しないと”

”ジンギスカン 2 日前
今年の3月に福岡の26歳の看護師さんがワクチン接種後亡くなってます。内容を聞くととても悲しくてやりきれませんでした。気休めですがどうか圧力にまけず頑張って下さい。”

"マリリンAG 2 日前
同調圧力に屈せず是非頑張ってください。2019年10月に開催されたダボス会議のコンテンツの一つにイベント201という分科会がありました。そこでパンデミックのシュミレーションが議論され既にcovid19という名称さえも出ていました。ググれば詳細が出ています。WHOが後援しており、あのジョンホプキンス大学やビルゲイツ財団も協力しています。"

ttps://www.youtube.com/watch?v=cfOR3k_D5F0

tomi 2021/07/09(金)15:54

イエス・キリストはわれわれの身代わりに天地の支配者の地位を獲得してくださった

「旧約時代においても、神は天の王でした。新約時代と違いはないのでは?」と尋ねられることがある。

新約時代にこの世の王となったのはイエス・キリストである。

イエス・キリストは「人の子」であり、「第二のアダム」である。

イエス・キリストは、人間として、神の法をすべて守り、神の民の身代わりに十字架につかれて、贖いを成し遂げられた。

神が人間にお与えになった使命

神の御心に沿って地を従え、被造物を正しく治め、発展させること

は、イエス・キリストにおいて成就したのである。

アダムができなかったことを身代わりにイエス・キリストが行って、神から報酬をいただき、昇天され、世界の支配者になられた。

つまり、新約世界は「人間に与えられた使命がイエス・キリストによって成就した世界」なのである。

本来アダムとその子孫がやらなければならなかったことを、イエス・キリストが身代わりに行い、成就された。

宿題をすべてやり終えた結果として、イエス・キリストは神によって昇天を許され、神の右の座に座ることができるようになった。

旧約世界と新約世界の違いは「人間が宿題をやったかどうか」の違いである。

われわれは、信仰によってイエス・キリスト族(契約の民)のメンバーになることにより、宿題を終えた存在とみなされるようになる。

われわれも「すべてやるべきことをやったアダム」として、天の栄光の座に着くことができる。

われわれは、天を見上げるときにこう思うべきである。

私も今、天の王座に座っているのだ。イエス・キリストのおかげで支配者の権利を手に入れたのだ。私の功績とは無関係に、ただイエス・キリストの功徳のゆえに、この地位に就けたことを感謝します。

と。

創造の目的は「人間に」被造物を支配させることにあった。

その目的をイエス・キリストは達成された。

tomi 2021/07/09(金)13:18

ネブカデネザル王の像が伝えるメッセージ

1.

『科学だけを信じる?』において述べたが、科学だけでは、世界全体を把握できない。

世界全体を把握するのは、世界観すなわち宗教だけである。

人間は不可避的に宗教家であり、誰でも毎日「宗教的断定」を下して生きている。

科学的知識を道具として利用するが、総合的判断を下す際に利用するのは宗教である。

ノンクリスチャンは、聖書を権威とみなしていないが、クリスチャンは権威とみなす。

聖書には、人間が知り得ない領域の情報が記されているので、世界全体を把握する上で、聖書は必要不可欠だと考えている。

ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。
神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。(ダニエル2・20-22)

「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。」

神は、人間が測り知れない深遠な事柄も、隠れた事実も、暗黒にあるものも、知っておられる。

それゆえ、われわれは、チーズ全体を食べることができる。

科学しか信じない人は、永久にチーズ全体を食べられない。彼らがもし、世界全体について解釈したならば、越権行為をしたことになる。

自分ができないことを、あえて自分の原則「科学しか信じない」「データから導き出された知識しか受け取らない」を否定して行っていることになる。

2.

これがその夢でした。私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。
王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、
また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。
あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。
第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。
その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。(ダニエル2・36-44)

ダニエルの解き明かしは、超自然的であった。

なぜならば、ネブカデネザル王は、自分が見た夢を明かさなかったからである。

見た夢を明かさずに解き明かしを求めたので、カルデヤ人の預言者たちは「そんなことできません」と言った。

しかし、ダニエルだけはその見た夢をも言い当て、その解き明かしも行った。

それゆえ、このネブカデネザルの巨大像の話は、本物である。

神以外に、他人の夢の内容を知っている者はいないからである。

3.

金の頭―バビロニア
銀の胸と両腕―メド・ペルシャ
青銅の腹ともも―ギリシア
鉄のすねと鉄と粘土の足―ローマ

時代が経つにつれて、栄光が減退していく。

最後は鉄と粘土の混合である。

そして、鉄と粘土の時代に現れた「一つの石」である神の国によって滅ぼされる。

この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。

この「一つの石」は「鉄と粘土の足を打ち」砕いた。

あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。(ダニエル2・34)

つまり、神の国は、ローマ時代に現れ、ローマ帝国と戦って勝つ。

イエスはローマ時代に現れ、ローマ帝国と戦って打ち勝たれた。

パウロはそれが「再臨」のときに起きると言う。

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。(1コリント15・23-26)

「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし」は、「その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます」と同義である。

では、「再臨」はいつ起きるのか。

イエスと同時代である。

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」(マタイ16・28)

すでに紀元1世紀に再臨は終わっている。

したがって、「ダニエルが解き明かしたネブカデネザルの像は、紀元1世紀に粉砕された」ということが分かる。

4.

像が伝えるメッセージは次のとおり:

(1)人間王国の栄光は、時間とともに縮小する。

(2)人間王国は、キリストの御国により絶滅する。

(3)紀元1世紀以降、人間王国は神の国に対抗できない。

われわれが住む「新約世界」では、キリストだけが王であり、神の国だけが国である。

日本やアメリカ、ロシアなどの諸国は、神の国の出先である。

出先であることをやめるならば、裁かれる。

tomi 2021/07/04(日)19:08

聖書において神が啓示された死後の世界の情報

われわれにとって、聖書に記されている死後の世界は「絶対に正しい情報」である。

人間は、イエス・キリストを信じるときに救われて、永遠の命が与えられるが、イエス・キリストを拒絶する人は、永遠の刑罰にあい、死後地獄に行き、そこで霊の状態で世界の終末を待つ。

世界の終末が来たら、霊に体が与えられ、体のまま火の池に投げ込まれ、永遠にそこで日夜苦しむ。80兆年たっても出てこれない。

これが聖書において神が啓示された死後の世界の情報である。

tomi 2021/07/04(日)07:10

正しい歴史理解は宗教を中心とするときにはじめて得られる

ザビエルが恐れたように、日本は、シオニストの最大の敵。

林先生の図式には、宗教的対立軸が欠けていて、問題が政治経済に終始してるので、日本という国の世界史的意義が薄れている。

エルサレム陥落後、イエスについた人々(クリスチャン)は日本に移動してイスラエル王国を再建し、パリサイ人についた人々は世界に散ってタルムードユダヤ教を形成し、国際金融資本家として近現代の世界を支配してきた。

突き詰めると、対立軸は、今でもイエス対パリサイ人にあると分かる。

この世界が神の創造物であり、人間の使命が神の国の拡大にある以上、正しい歴史理解は、宗教を中心とするときにはじめて得られる。

tomi 2021/07/03(土)12:46

誰にワクチンパスポートを発行するのか

ワクチン接種後の異常により、航空業界が混乱している。

英国航空のパイロットが4人、ワクチン接種後24時間以内に死亡。

デルタ航空のパイロットが同様に3人死亡。

アメリカン航空で、パイロットや整備士がワクチン接種後の体調不良により450便欠航。

ジェットスター航空で同様に50便欠航。

ttps://youtu.be/Jzy85Jp_DnI

ワクチンパスポートを発行するというが、逆に、「ワクチンを打っていない人を証明する」パスポートを発行せざるを得なくなるかもしれない。

tomi 2021/07/02(金)18:27

科学だけを信じる?

「私は科学だけを信じる」という人は、大きなチーズに穴を開けて食べ続けるが、永遠に全体を食べることができない人に似ている。

世界はチーズ全体である。

科学はデータに基づいて帰納法を用いて得られる知識。データがなければ何も言えない。

世界はデータを集めることが「原理的にできない」領域がたくさんある。たとえば、死後の世界。

死後の世界があるのか、死後に何が起きるのか、データを集めることは不可能である。

臨死体験者の証言は、「それが本当に死後の世界の証言なのか」について証明はできない。

科学者は、データを集められる「ごくごく限られた領域」についての断片的な知識しか集められない。

だから、チーズに穴を開けることはできるが、全体を食べることは永遠にできない。

tomi 2021/07/02(金)18:14

新型コロナワクチン推奨者の運命2

「80兆年たっても出てこれない。」

というと、オーバーだと言う人もいるかもしれない。

「死ねば全部無になる。死後刑罰も何もない」という人もいるだろう。

死後の世界について、人間の意見は全て主観である。思い込みである。

なぜならば、データを取ることができないから。死後の世界があるかないか、データを集められない。

データを集められない場合に、科学は何も言えない。

科学は経験外のことについて何も言えない。

われわれクリスチャンは、科学以外に知識を得る方法があると信じている。

これは、クリスチャンの前提である。

つまり、聖書信仰。

世界を創造された全知全能の神が被造物である人間に対して、人間が経験できない事柄についても、聖書を通じて啓示してくださった、と信じるのが聖書信仰。

だから聖書啓示については、われわれは、信仰以外に持ってはならない。

疑念を持つことは、神の主権を侵すことになる。

われわれ前提主義者のモットーは

「神様、あなたがおっしゃることは常に正しい。あなたが行われることは常に最善です!」

である。

なぜならば、神はわれわれにとって基準であって、評価の対象ではないから。

「醜さ」とは「美の基準である神からの乖離」である。

神とは別に美の基準があって、それに照らして「神は美しい」と言ってはならない。

「正しさ」とは「義の基準である神からの乖離」である。

神とは別に義の基準があって、それに照らして「神は正しい」と言ってはならない。

われわれにとって、聖書に記されている死後の世界は「絶対に正しい情報」である。

人間は、イエス・キリストを信じるときに救われて、永遠の命が与えられるが、イエス・キリストを拒絶する人は、永遠の刑罰にあい、死後地獄に行き、そこで霊の状態で世界の終末を待つ。

世界の終末が来たら、霊に体が与えられ、体のまま火の池に投げ込まれ、永遠にそこで日夜苦しむ。80兆年たっても出てこれない。

これが聖書において神が啓示された死後の世界の情報である。

安全性が確認できないワクチンを、0.5%しか感染しない日本人に、同調圧力を利用して押しつける人は、その結果について責任を負っている。

死亡する人が増えれば増えるほど、重症者が増えれば増えるほど、死後、自分が受けなければならない永遠の刑罰の重さが変わる。

火の池の、ますます深いところに投げ込まれる。

この警告を笑い飛ばす人は、神の啓示を笑い飛ばしているのである。

この地上においても、それ相当の報いを受けるだろう。

tomi 2021/07/02(金)03:35

新型コロナワクチン推奨者の運命

新型コロナワクチンの危険性については、かなりの情報が流れている。

それを反証もせずにデマと断じて、安全性を強調し、人々に推奨する人は、相当の罪を犯している。

もちろん悔い改めなければ、永遠の刑罰を受けることになるだろう。

死亡したり、重症になった人、重篤な後遺症が残った人に関して、彼らは、責任がある。

その影響が及ぶ範囲が広がれば広がるほど、責任が重くなるので、永遠に過ごす火の池の中の位置が深くなる。

80兆年たっても出てこれない。

恐ろしいことをやっている自覚はないかもしれないが、現実は以上のとおりである。

tomi 2021/07/02(金)03:21

絶縁の必要性

1.

もし自分の知り合いが、無実の人々を拉致して監禁し、生体から腎臓を取って売っていたということが明らかになったら、どうしますか。

付き合いを「完全に」やめますよね。

中共100周年に祝電を送る奴らは、彼らも同じサイコパス。

そんな奴らと付き合うべきではない。

中国の実体を知りながらなおも取引する人や会社は、中国とともに地獄に落ちる。

2.

福音を徹底拒絶した人々に対してわれわれはどのような態度を取るべきか。

足のチリを払う、である。

もし#bs#だれも#be#、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。(マタイ10・14-15)

この動作は「絶縁」を象徴する。

イエスと弟子たちを「徹底して」拒絶する町は、もはや無関係であり、その町に火が降ろうが、洪水になろうが知ったこっちゃない。

福音を拒絶する罪は、人間が犯す最大の罪であり、その刑罰は同性愛にふけった「ソドムとゴモラ」よりも重い。

われわれは、足のチリを払って絶縁を示すことによって、その刑罰から解放される。

3.

「もし#bs#だれも#be#、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けない」と分かったら、その町や家とは「縁切りすべき」であり、それ以上の関係は有害である。

関係を続けるならば、その刑罰に巻き込まれることになる。

同性愛にふけった堕落した町ソドムとゴモラよりも大きな刑罰、つまり、火が降って焼け野原になるような刑罰よりも大きな刑罰に巻き込まれることになる。

そうならないためには、われわれは、一刻も早く彼らから離れるべきである。

4.

ある知人の話。

高校時代に、友人A(女)が売春を始めた。

辞めるように説得したが聞かなかった。

ある日、平和な住宅街をAがその友人Bと歩いていると、突然、全身黒タイツの男が現れ、Aをボコボコにした。

友人Bは走って命からがら逃げた。

その話を聞いて、知人はAと完全に縁を切った。

罪人と付き合うと、悪霊の世界に巻き込まれ、変なことが起きる。

tomi 2021/07/01(木)19:01

永遠のいのちを得る人は、「この世でそのいのちを憎む」

種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。
同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、
根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、
世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。
良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」(マルコ4・14-20)

われわれが実を結ばない要因は次のとおり:

(1)サタンによる御言葉の持ち去り
(2)みことばのための困難や迫害
(3)世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望

御言葉は、種である。

その種には、大きな木になって、実を結ぶ潜在的な能力がある。

林檎の種には、将来、育つと、大きな木になって、そこに林檎の実がなる可能性が秘められている。

それゆえ、御言葉にも、神の国の実を結ぶ潜在的な能力がある。

種がその潜在的能力を発揮できるかどうかは、蒔かれた土地によって大きく左右される。

(1)サタンによる御言葉の持ち去り

種が、畑ではなく、道路などの目立つ場所に蒔かれると、鳥に食べられて消えてしまう。

サタンは常に、御言葉を持ち去ろうとしている。

心が「御言葉の畑」ではなく、サタンが持ち去りやすい状態にある人は、御言葉を聞いてもすぐに「聞かなかったこと」にする。

(2)みことばのための困難や迫害

岩地に落ちた種は、すぐに発芽するが、根が深く張っていないので、日照りによって枯れてしまう。

逆境に弱い。

私が学生時代に多くの人々が教会に来て福音を聞き、教会活動をしていたのを覚えている。

彼らの何%がいまもそれを信じ続けているだろうか。

多くの人々が、クリスチャンであることが邪魔になって信仰を捨ててしまったことだろう。

「根を張らない」は原語では「自分のうちに根を持たない」。

根は、地中の水分や養分を吸い上げて体の部分に届ける役割を果たす。

逆境に弱い人は、地中深くに降りた根を持たず、それゆえ、水分や養分の補給に難がある人である。

水分や養分は神からやってくるので、神のところに届く根を持っていない。

神とのパイプがない人は、都合が悪くなるとすぐに信仰を捨てる。

ちょっとしたことで躓く人は、「そういうふうに生まれてきた人」なのである。

人間とのパイプはたくさんあるが、神とのパイプがない。

神がご自身の決定によって、その人との間に太いパイプを作ることを望まれなかった。

根無し草なので、人間的な判断を下して、すぐに躓く。怒りっぽくて気分屋。

(3)世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望

心配や欲望は、種の発芽と生長を阻害する。

いろんなところに気が散るのである。

「世の心づかい」は原語では#gs#ai merimnai tou aiwnoV toutou#ge#(the cares of this age)。つまり、「この時代の心配」。

現代の心配によって、御言葉の種は生長を阻害される。

現代の心配とは何か。

「新型コロナにかかるんじゃないか」「ワクチンをどうする」「尖閣をどう守るか」・・・

これらに関して適度の心配は必要である。

塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。(ルカ14・28)

「現代の心配はよくない。無計画がいいんだ」とはならない。

正しく心配することは必要である。そうでないと、仕事がいい加減になる。

正しい知識を得て、新型コロナに対処することは必要。

問題は「過剰な心配」である。

「マスク着用義務」などは、過剰な心配。

なぜならば、非科学的だから。

マスクの目の大きさは、ウィルスの30倍である。30倍の目の網戸を何枚重ねても蚊は素通りする。

透明シートやフェイスシールドは無意味。ウィルスは、迂回するから。

これらの過剰な防御策を講じているクリスチャンがいたとすれば、それは、無知・怠惰なクリスチャンである。

正しい知識を集めることを放棄して世の流れに従っている。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12・2)

「富の惑わし、その他いろいろな欲望」

だいたいの現代人が、この「富の惑わし」に騙されて貴重な一生を無駄にしている。

金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13・5)

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
(1テモテ6・10)

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

生活に関しては、神が保証してくださる。

心配や欲望によって、御言葉の種の生長は阻害される。

新型コロナやワクチンに関して、正しい知見を持つ医者や学者たちが沈黙している。

社会的な立場に影響があるからである。

彼らは、自分を守ることによって、かえって自分を殺していることに気づいていない。

自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。(ヨハネ12・25)

永遠のいのちを得る人は、「この世でそのいのちを憎む」。

tomi 2021/06/26(土)13:34

妊婦がワクチン接種者と皮膚接触した場合、治験責任者はファイザー社に報告義務がある

妊婦がワクチン接種者と皮膚接触した場合、治験責任者はその事実を知ってから24時間以内にファイザー社に報告せよ、との命令:

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