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tomi 2019/08/20(火)07:25

ミレニアムが存続しなければ、ルシファーの計画は進んでしまう

すでに挙げた、次のコミンテルンの日本及び中国の共産党への指令(1931年(昭和6年))を読むだけで大戦の意味がわかります。つまり、日本も中国も、そして、米国も、共産主義革命に利用されたということ。

”支那事変を利用して、中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、それによって日本の革命を進めるとともに、中国内部をも改革する。来たるべき第二次世界大戦には間があるから、その間に共産革命の組織拡大を図ること。それにはまず全中国人民の抗日感情を煽り立てることが必要であり、それによって国民党と日本との妥協を不可能にする。国府軍と日本軍との衝突が避けられないものとなれば、次は戦線を華北から華南方面郎にまで発展させる。それだけで日本軍のソ連包囲態勢に楔がはいり、同時に中国共産党のためには、革命への客観的条件が準備されることになる。故に国府軍と日本軍との衝突の隙に乗じて、中共の発展を策すよう諸般の行動に移るべし。”
https://ja.wikipedia.org/...

問題を「日本政府の愚策」に帰することは、本質を見誤る。

つまり、「日本政府が馬鹿な政策を取ったから、国家が破滅したのだ」と結論しても、意味がない。

なぜ馬鹿な政策を取るはめになったのかを探らないと。

共産主義者がなぜ世界革命をしようとしたのか。

共産主義の本質とは何か。

共産主義者を動かしていた者たちがいるのか。

こういう疑問を呈して、戦争の原因を探ることなしに、あの大戦の総括はできない。

つまり、ユダヤ金融資本、そして、その本質である「ユダヤ教」、ユダヤ教の本質であるタルムード、タルムードの本質であるルシファー崇拝にまで、糸をたぐらないと見えてこない。

もし日本の根本的な問題を知りたいならば、ミレニアムが一貫して行ってきた指摘を考慮に入れていただきたい。

すなわち、「世界歴史の中心に存在する対立軸は、ヤハウェ対ルシファーの霊的戦いである」と。

そして、「この戦いを解決するのは、次の事実を受け入れることである」と。

すなわち、「紀元70年に、イエスは世界の王となり、ルシファーも死も滅ぼされ、イエスに服従している。信仰によって引き出される神の力によって、ルシファーのバベルの塔計画は頓挫する」と。

解決は「クリスチャンになり、キリストの権威をいただき、確固たる信仰を持ってルシファーと悪霊たちを底知れぬところに投げ込むこと」以外にはない。

あなたが、このことを行う以外には、問題の真の解決はいつまでたっても得られないということをどうかご理解ください。

そして、このことを訴え続けるミレニアムに御支援をよろしくお願い申し上げます。

ミレニアムのミニストリが存続しなければ、人々は問題の本質に気づかず、的外れなことをこれからもやり続けることになり、ルシファーの計画は進んでしまう。

どうかご理解ください。

tomi 2019/08/19(月)18:26

堂々と確信をもってサタンを縛る時代が来た

当時は、まだプレミレの教会に所属していましたが、死んだ瞬間に「栄光の体」に変えられて天の御国に瞬間的に移されるという確信と安心が与えられました。

そのプレミレの「敗北の神学」にガックリしたのも、当然だと言えましょう。

ミレニアムと出会って、その確信は確たる物となりました。

「選ばれていない人間ども」は、その事実に気付くのか気付かないのか、小生に嫌がらせをしてきたものので(現在でもそうです)

すると、ますます選ばれている事の確信を得るのです。

ヨブ記にもあるように、昔も今もサタンは神の許しの中でしか活動が出来ません。

「真に選ばれた者たちが」サタンの縛りを神に祈り、サタンを縛り上げる事の宣言をする時期に来たように思います。

「令和」の令は「命令」の令なのですから。

まったくそのとおりですね。

1コリント15章を読んで、「現在、サタンも死もキリストに滅ぼされ、服従している」とはっきりと確認できました。

堂々と確信をもってサタンを縛る時代が来たのでしょう。

メールありがとうございました。

tomi 2019/08/19(月)16:49

組織の破滅は、付き合ってはならない人間と付き合うことから始まる

1.

終末論と契約神学に関しては、長い間、啓示に対する理解が進んでいなかった。

聖書の中にちりばめられているパズルのパーツを並べて一枚の絵にする作業は、20世紀後半に始まったと言っていい。

終末論については、アウグスチヌスからジャン・カルヴァン、そして、アメリカのピューリタンたちに、ポスト・ミレが受け継がれ、主流派を形成してきたが、具体的に聖書の箇所を根拠に論を精緻化する作業は「現在進行中」と言っていい。

ジャン・カルヴァンですら黙示録の講解は行っていない。細かい部分はわからなかったのである。

ラッシュドゥーニーも「概論」どまりで、大まかな方向性は示したものの、具体的にマタイ24章や1コリント15章、黙示録を解説しなかった。

正統派において、具体的な黙示録の講解が始まったのは、ゲイリー・ノースとデイビッド・チルトンのThe Days of Vengeance: An Exposition of the Book of Revelationからである。

そのチルトンですら、この本が出版される前に原稿の大幅な組み替えを行った。

レイ・サットンによるThat You May Prosperが出版され聖書契約の5条件が明らかになったからである。

チルトンは、5条件の枠組みに合わせて書き換えを行った。これは誤謬を訂正したという意味での書き換えではなく、大きな枠組みを5条件に合わせて構築し直したということである。

私は、1985年以降に行われた終末論と聖書契約に関するパラダイムシフトの大転換の現場を目撃した一人である。

その後、ケネス・ジェントリーの著作群(The Beast of Revelationなど)によって、ポスト・ミレの聖書解釈の精緻化が進んできた。

2.

しかし、この流れの中で、多くの人々がフェデラル・ヴィジョンやフルプレテリズムに逸れて行き、異端の仲間になってしまった。

16世紀の宗教改革同様、再建主義の道には、多くの魔物による攻撃が待っているので、道を踏み外すことのないようにしていただきたい。

にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。(マルコ13・22)

これは紀元1世紀に関する預言であるが、同じことは現代にも当てはまる。

「惑わし」は必ずある。

そして、この惑わしにはまって、永遠の命を失うか、それを保つかは、聖書に対する謙遜を保つかどうかにかかっている。

聖書から矛盾を指摘されたら、即座に捨てないと、その悪いパラダイムの中に入って抜け出せなくなる。

あらゆるパラダイムについて言えるが、その中は「変な居心地のよさ」があるからである。

オウム真理教のパラダイムに入ると、その中ではきっと、エリート意識を与え、自尊心をくすぐってくれる教えと人々が歓待してくれるのだろう。

互いに互いをたたえ合っているうちに、サタンはあらぬ方向にその集団を導き、とんでもない悪行を行わせ、破滅させる。

変なパラダイムに入り込んでしまったら、外側の人がどんなに説得してもそこから抜き出すことはできない。

では、自分が属しているパラダイムが正しいかどうかどうやって判断したらよいのだろうか。

「実を見ること」である。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイ7・15-18)

そのパラダイムに属する人がどういう実を結んでいるか、に着目することである。

故意にウソをついて人を貶めていないか。

内部で道徳的な乱れがないか。

教えと矛盾することを平気で行っていないか。

周辺住民に迷惑がかかるようなことを行って、評判を落としていないか。

金銭に汚くないか。

3.

昔、とんでもない男と商売上の付き合いがあった。

当初、まともだと思っていたが、彼の知り合いから聞く評判が悪いのである。

それでも様子を見ていた。

だんだん正体がわかってきた。

私も未熟だったので、そこでスパッと切っていればよかったのだが、ずるずると付き合いを続けた。

反社会的な組織と仕事をしないかと誘ってきた。

私は彼が度々このような話をするのは、「私を選ぶか、神を選ぶか」と踏み絵を踏ませようとしたと解釈している。

これこそ誘惑である。

結局、大きな損害を与えられて関係は終わった。

これ以降、私は「隠れて邪悪なことを行っているような人間と付き合ってはならない」と判断し、関係をスパッと切るようにしている。

だから、トヨタがまだ中国と付き合いを続けているのが信じられない。

愚か者がトップに座ってしまったのである。

組織の破滅は、付き合ってはならない人間と付き合うことから始まる。

tomi 2019/08/17(土)16:05

相当ヒット飛ばしているんですが

支援者が減ってます。

最近、相当ヒット飛ばしているんですが、ご理解いただいてないようです。

私は自分が「これだ!!」と思わないようなことは書きません。

自分的にものすごい大切だと思ったこと:

1.病気はすべて悪霊による

一昨日口内炎になって「口内炎の霊よ、出ていけ!」と言ったら、翌日治りました。私の場合、普通、1週間以上続くのですが。

昨年、胆石も祈って悪霊を追い出したら粉砕されたので、大変効果があります。

「体内にいる悪霊よ、出て行け!」と祈って、追い出しをやると、腹部全体が軽くなりました。

2.紀元70年に死は滅ぼされた

・・・しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。・・・(1コリント15・17-28)

今の99%のクリスチャンは「再臨は未来に起きる。終わりもその後だ。敵が征服されるのもそのときだ。死もそのときに滅びる。」と考えています。

再臨が未来に起きるなどとどこにも記されていないのに。

すでに述べたように、イエスは「再臨はこの時代に起きる」と明言されています。パウロも同じです。

ということは、「終わりはすでに来た。敵と死はすでに滅ぼされている」と結論できます。

みんな「終わり」を「世界の終わり」と誤解していますが、聖書における「終わり」とは「旧約時代の終わり」です。

旧約時代は、敵(サタン)と死が支配する時代でした。

その時代が紀元70年に神殿崩壊とともに終わったのです。

それゆえ、紀元70年以降は「クリスチャンはサタンにも死にも支配されない」のです。

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」 (マタイ16・28)

今のクリスチャンはほとんどの人がこの箇所を解釈できません。

これは、つまり、「紀元1世紀にイエスとともにいた人々の中に、再臨まで生き残っている人がいる」ということです。

これは、決定的だと思いませんか?

再臨はイエスと同時代に起きたのです。

だから、サタンも死も紀元1世紀に滅んだのです。

すでに説明したように、「滅んだ」というのは、文字通り滅んだということではなく、「キリストに服従した」という意味です。

クリスチャンはサタンに従う義務はないし、死ぬ必要もない。

再臨を未来に設定する人々は、この点についてあいまいです。

サタンのほうが強いのではないか。クリスチャンも肉体が滅んだ後、霊になって天に行くのではないか。

そういうふうに考えています。私もそうでした。

しかし、再臨がすでに紀元1世紀に起きたのであれば、クリスチャンはサタンよりも強いし、死ぬこともないと結論できます。

死なないのであれば、即座に新しい体が与えられると。

実際、パウロはテサロニケ人に対して「再臨のとき携挙され、体は変えられる」と述べています。

兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・50-53)

今のクリスチャンが「眠るのではなく、変えられる」と信じられないのは、再臨が未来に起きると考えているからです。

いやいや。そうじゃない。再臨は紀元70年に起きた。だから、それ以来、クリスチャンは死ぬことはなく、体は「御霊のからだに変わる」のです。

すごいと思いませんか?私たちは死なない!!!

3.未来に関する預言だと思っていた箇所が過去に関する預言だった

私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、<主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。>このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・14-17)

すでに挙げた1コリント15や、2テサロニケのこの箇所を、今のクリスチャンは未来の出来事だと考えています。

そのため、私たちの現状がいかに素晴らしいものであるか見失っています。

携挙はすでに起きたのです。そして、それ以降、クリスチャンは個人的な(いわゆる)「死」の際に、携挙を経験する。

なぜ携挙を経験すると言えるのか?

なぜならば「死は紀元1世紀に滅んだから」。

肉体を離れて魂だけになったら、死んだことになってしまう。

人間は「霊と体」でワンセット。

霊だけなら、天使です。

神は、体を持つ存在に地上を支配させようとアダムを創造された。

だから、体のない人間は人間ではない。

それは死人です。

紀元70年以降、クリスチャンは肉体を離れると御霊のからだが与えられるが、ノンクリスチャンは魂だけになります。

だからノンクリスチャンは死ぬ。

クリスチャンは「不死」となったので、御霊のからだが与えられる。

この御霊のからだは、復活されたイエスがそうであったように、骨や肉があり、食べ物を食べる。

つまり、私たちが今持っているような体なのです。

違うのは「朽ちない体」であるという点です。

御霊のからだが与えられたら、それは永遠に滅びない。

イエスがそうであったように、瞬間移動し、壁をすり抜ける。

不思議な体です。

御霊のからだを持つ人々は現在、ある一定の場所(つまり天)に「物理的に」存在する。

食べ物を食べ、祝宴を開き、世界を支配し、私たちのことを応援している。

私たちの体と彼らの御霊のからだは、キリストにあって一体です。

私たちと彼らはつながっている。

不思議なことですが、聖書に記されているので真理です。

どうでしょうか。

間違っていますか?

私は聖書からすべて証明できます。

tomi 2019/08/17(土)05:01

発行権は無尽蔵の金鉱である

1.

裏庭に、無限に水を汲み出せる水源がある家を考えよう。

どれだけくみ上げて使っても誰にも文句は言われない。

くみ上げの基準は「一家にとって必要かどうか」だけである。

風呂を炊く場合、水が一杯になってあふれ出しても意味がないので、蛇口の水量を適度に調節する。

逆に、バスタブの3分の1しか入ってないと炊いても意味がないので、その場合、水を自由に足して同様に調節する。

発行もこれと同じである。

日本には、日本円を無制限に発行する権利がある。

発行権とは、無尽蔵の金鉱を持っているようなものである。

発行量の調整の基準は「国民にとって必要かどうか」だけである。

現在、国内はデフレである。

デフレとは、円の流通量が不足している状態。

前の例で言えば、バスタブに水が足りない状態である。

さて、このような状態のときに、何をすべきか。

もちろん、蛇口をひねって水を足すことである。

水源は無限にあるので、いくらでも気兼ねなく足せる。

蛇口をひねれば水が無限に出てくるのに、それをせずに、家族のメンバーに「お前たちが持っている水を集める。各自ペットボトルや水筒を出せ」という人がいるだろうか。

それをやろうとしているのが、今の政府の増税策である。

発行権という無尽蔵の財源があるのに、それを利用せずに、国民から集めようとしている。

発行権がある国で徴税など意味がないのである。

2.

「政府が必要に応じて通を発行して、必要な経費をまかなえばよい」というと、「ハイパーインフレになる」と言う人がいる。

これは、「蛇口から水を無限に出す権利を与えると、バスタブから水が溢れて家中が水浸しになる」と心配するようなものである。

馬鹿じゃないんだからバスタブの水量くらい調節できる。

「いや、ジンバブエの例がある」というかもしれないが、ジンバブエの政府は馬鹿なのである。

バスタブの水を溢れさせて家を水没させたのである。

心配すべきは、逆の現象である。

つまり、バスタブの蛇口から水を無限に出せるという事実を忘れて、バスタブの水が足りなくて、風呂に入れなくなることである。

政府が、「通発行権は『無尽蔵の金鉱』である」という事実を知らないため、通発行を渋って、デフレになっている。

3.

「将来にツケを残すな」と言って財務省が消費税の増税を主張している。

彼らも通発行権が「無尽蔵の金鉱」であることを理解していない。

このような金鉱がある国で、なぜ「政府負債」を心配する必要があるだろうか。

無限に水が出てくる蛇口を持つ家で、バスタブに水が足りないことを心配する人が馬鹿なように、財務省も馬鹿なのだ。

4.

くどいようだが、通発行権を持つ国において自国通を発行する量の調節の基準は「インフレとデフレの抑制」だけである。

無限の水が出る蛇口を持つ家で水量調節の基準は「我が家にとって必要かどうか」だけであるのと同じ。

出し過ぎて水没したり、足りなすぎて渇水しないように、適度に調節することだけが、政府の仕事である。

「昨日は水を出し過ぎたから、今日はバスタブの水は半分にしよう」などと考えるのは「無尽蔵の水源」を持たない家だけ。

このように、今の政府の間違いは「通発行権は無尽蔵の金鉱である」という事実認識がないこと。

5.

「インフレとデフレの抑制」だけが基準であるというと、外国為替はどうする、という疑問があるかもしれない。

発行量が増えると、円の量が増えるので、相対的に外に対して価値が下がり、円安になる。

でしか買えない石油や天然ガス、原料などの調達が難しくなる。

株式などの債権の価値も下がるので、外資の引き上げが起きる。

投機筋による投げ売りによって、円の大暴落が起きるかもしれない。

それは、モノやサービスの供給能力が低い国だけ。

不景気になると、売り物がない店から潰れていくように、産業力が乏しく、際立った売り物がない国は通安になると危険。

しかし、日本は供給能力が過剰で、産業力もあり、他国では生産できない付加価値の高い商品を提供でき、しかも保有外量が世界トップレベル。

リーマンショックや大震災があっても、円安になるどころか、逆に円が買われるような状況である。

ハイパーインフレを心配するような国ではない。

だから、日本政府はインフレよりもデフレを懸念し、通発行を「国内で必要な分だけ」どんどん行い、財政出動して仕事を作れ、と言いたい。

tomi 2019/08/16(金)04:47

日本を侵略国と断じると歴史を見誤る

大東亜共栄圏なるものはコミンテルンの理想であって、日本のそれではない。

侵略の野望を持つ日本と、それを阻止した国際社会という対立軸を作ると歴史を見誤る。

満州事変をやった連中(石原・板垣)は、日本政府の意向に従わずに行った。その後の武藤章の大陸進出も政府及び陛下のご意向に反していた。なぜ彼らは暴走したのか。

それは、彼らがコミンテルンとつながっていたからである。彼らの軍事的野心の源泉は、コミンテルンの指令にある。

コミンテルン1928年テーゼでは、

”現在の帝国主義国家の軍隊はブルジョア国家機関の一部ではあるが、最近の傾向は第二次大戦の危機を前にして各国共に、人民の全部を軍隊化する傾向が増大して来ている。この現象は搾取者と被搾取者の関係を軍隊内に発生せしめるものであって、大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従えばブルジョアの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない”
https://ja.wikipedia.org/...

とあり、軍部に共産主義者が紛れ込んでいた可能性が高い。

石原の著書を読めば、その思想が「ユダヤ世界統一政府論」と酷似していることが明らかであり、彼が、その指導部がユダヤ人によって占められていたコミンテルンと思想的につながっていたと推察できる。
また武藤章も、コミンテルンのスパイ尾崎秀実と密接なつながりを持っていたことがわかっている。

コミンテルンは、関東軍を利用して、日中対立を激化させ、両国内での革命の推進をはかった。

1931年(昭和6年)、コミンテルンは日本及び中国の共産党に対し、次の指示を出した。

”支那事変を利用して、中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、それによって日本の革命を進めるとともに、中国内部をも改革する。来たるべき第二次世界大戦には間があるから、その間に共産革命の組織拡大を図ること。それにはまず全中国人民の抗日感情を煽り立てることが必要であり、それによって国民党と日本との妥協を不可能にする。国府軍と日本軍との衝突が避けられないものとなれば、次は戦線を華北から華南方面郎にまで発展させる。それだけで日本軍のソ連包囲態勢に楔がはいり、同時に中国共産党のためには、革命への客観的条件が準備されることになる。故に国府軍と日本軍との衝突の隙に乗じて、中共の発展を策すよう諸般の行動に移るべし。”
https://ja.wikipedia.org/...

tomi 2019/08/16(金)02:06

真理を示したら、あとは神がやってくださる

主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。(1列王19・11−12)

昔、伝道集会では感動的なメッセージが語られた。

信仰の決心をしやすいように感動的な音楽が流れた。

どんなに感動して決心しても、心の底で「信仰」がなければ、ノンクリスチャンのままである。

アメリカがフリーメイソンに乗っ取られ、ノンクリスチャンの国になってしまった土台には、リバイバル運動があった。

「感動中心」「熱狂中心」になり、「教理中心」「聖書中心」から離れた。

教会に「感動して入った」人々の比率が高まった。

感動しても、聖霊が内側にいらっしゃらないので、聖書の教理が頭に入っていかない。

聖書を権威として全部を読むのではなく、「自分の好みによって」一部分を選択しつつ読む人が増えた。

つまり、教会がノンクリスチャンに乗っ取られた。

神学校もノンクリスチャン中心になり、教派もノンクリスチャン中心になった。

それゆえフリーメイソンの憲法を押しつけられても、抵抗しなかった。

私は、神の国の力を感情には求めない。

たとえば、「紀元70年に死は滅ぼされた」シリーズは、聖書を権威として読む人にとっては重要な文章だが、感情中心の人にとって無意味である。

彼らにとって「再臨は未来に起きなければならない」のである。

聖書がどう言っているか、はどうでもいいこと。

「自分が感動するか。自分にとってスリリングであるか。自分にとって利益があるか」が問題である。

神が世界を変える重要なことを行われる場合、そこには感動はない。

背教のイスラエルにおいて一人残されたエリヤに対して、神が示された「新しい対策」は、感動の中で与えられたのではない。

「激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた」が「風の中に主はおられなかった」。

「風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった」。

「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった」。

大風と、地震、そして、火。

これらの華々しいものの中に主はおられなかった。

「火のあとに、かすかな細い声があった」。

世界を変えるのは、華々しいアトラクションではなく、主の「かすかな細い声」である。

この「かすかな細い声」の中に主がおられた。

主は続いてエリヤに、敵を倒す人材を示された。

ハザエルとエフーとエリシャである。

この3人によって神の国は回復する。

神の働きの土台は、いつも「かすかな細い声」である。

聞き取れないほどの小さな御声が出発点である。

ほとんど誰も注意を払わない掲示板に記された一つの文書。

もしこれが聖書的であり、神の御心を示す真理であるならば、それが、世界を変える。

どれだけの読者がいるか、どれだけの人間的権威があるか、どれだけの支援者がいるか、まったく関係がない。

真理であるかどうか。これだけが問題である。

どんなにかすかで細い声であっても、それが神の声であるならば、世界を変える。

だから私は、感動や人気や世間の評価を気にしない。

全知全能なる神が語られたならば、それが最強の武器である。

私に力がなくても、神は、私の劣った力を補う人を起こされるだろう。

私に権威がなくても、神は権威のある人を起こして、人々に影響を及ぼされるだろう。

エリヤには政治的な力はなかった。しかし、神はハザエルとエフーという政治的な権力者を起こされた。

エリヤは年を取り、預言者としての余力がなかった。しかし、神はエリシャを後継者として起こされた。

神の国を推進されるのは、神である。

だから、私は自分の無力ゆえに絶望することはない。

私にとって重要なのは、真理であるかどうかだけである。

真理を示したら、あとは神がやってくださる。

tomi 2019/08/14(水)23:13

嫌煙運動とLGBT運動は神の一般恩恵が停止されていることの証拠である

時代が狂っているのは、嫌煙運動とLGBT運動から明らかである。

タバコは神が人間に楽しむように創造されたものであるのに対して、LGBTは神が創造された性の秩序の破壊である。神がよしとされるものを悪とし、神が悪とされるものをよしとする。神の基準を捨てたので、狂ったのである。

神は一般恩恵と抑制の恵みを減らして、人が己の基準で生き、堕落することを放置されている。

人間があまりにも頑固に神を拒絶すると、神は人間が堕落するままに放置されるようになる。

一般恩恵や抑制の恵みとは、ピンボールの「押し戻しバー」のようなものである。

通常、神は、人間が堕落しないように抑制される。
これは、バーを操作して落ちてきたボールを押し戻されるのと似ている。

しかし、人間があまりにも傲慢になり、頑固に恵みを拒絶すると、そのバーの操作を取りやめる。

ボールはまっすぐ下の穴の中に落ちていく。

tomi 2019/08/14(水)15:55

紀元70年に死は滅ぼされた3

・・・しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。・・・(1コリント15・17-28)

1.

「もし紀元1世紀に再臨があったならば、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力、死を滅ぼしたことになるが、まだサタンは活動しているし、死も存在するが、どう解釈するのか」という人がいるかもしれない。

この「滅ぼした」という意味は次の「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置く」で明らかである。

「滅ぼした」=「消滅」「完全不活動」ではない。

「滅ぼした」=「キリストの足の下に置いた」である。

「足の下に置く」とは「敵に対する勝利、征服」を意味する表現である。

紀元70年に、キリストは正式にサタンを「屈服させ、征服された」のである。

それゆえ、現在、サタンはキリストの命令に従う。

元悪魔崇拝者のラミレス氏が、魔術師をやっていたころ、依頼者からあるクリスチャンを呪い殺してほしい、と言われた。

いくら呪っても効果がない。おかしいなあ、と思っていたら、サタンが現れて「神から中止命令が下った。だからやめろ。」と言われたと。

サタンは神の命令に従わざるを得ない。

紀元70年以降、サタンはキリストに支配され、征服されているのでキリストの命令を聞く。

このような征服状態がこの箇所の「滅ぼした」という意味である。

われわれの常識や言葉の定義や印象、感情で聖書を読んではならない。

「聖書は聖書によって解釈する」のが聖書解釈の大原則である。

なぜならば聖書以上の権威は存在しないからである。

2.

この説明をすると「これが『滅び』の意味であるならば、フルプレテリストの説明と同じではないか。彼らは『サタンの完全滅亡』『火の池に投げ込まれた』という黙示録の記述も紀元70年に起きたと言っているが」と反論があるかもしれない。

「サタンの完全滅亡」「火の池に投げ込まれた」を紀元70年の「滅び」と同列に置くことはできない。

なぜならば黙示録が示す「世界の最終状態」つまり「永遠の新天新地」には「呪われたものが一つもない」からである。

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
<もはや、のろわれるものは何もない。>神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。・・・
<犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。>
(黙示録22・1-4、15)

最終状態とは「完全な聖邪の分離」である。

3.

紀元70年に、空中再臨と携挙があり、そこにおいて旧約時代の死者が「復活し」、生者は御霊のからだに「変えられた」。

このときに「死も滅ぼされた」ので、クリスチャンは死ななくなった。

肉体を離れる(いわゆる死)ときに、即座に御霊のからだが与えられる。

ただし、この「死の滅び」はノンクリスチャンには適用されない。

そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。・・・(黙示録20・5)

紀元70年の来臨後に始まった千年王国の間、クリスチャンは不死であり、王として世界を統治し、肉体を離れた後も御霊のからだにおいて天から支配する。

歴史を通じて御国は徐々に拡大し、世界が弟子化される。

紀元70年に法的に世界はキリストの王国に変わったのであるが、伝道と教育を通じてそれは実際的な御国に変わる。

最後に、聖邪の完全分離が行われ、永遠の世界が到来する。

tomi 2019/08/14(水)14:00

軽犯罪でも逃走したら重罪になる

警察官の目の前で一円を拾ってポケットに入れた人がいました。
「君、それは窃盗になるよ」
「え、これくらいいいでしょ」
「いや、窃盗は窃盗」
そして突然彼は逃げ出した。
警官は追いかけ、周りの人も抑え、逮捕。
これ、警官はやりすぎですかね。

一円を着服するのは軽犯罪だけど、逃走したら立派な犯罪。
一円の着服は常識の範囲内では目くじら立てるほどの犯罪ではないが、国家の権力と秩序に対する公然とした反抗は重罪になるんですよ。

選挙演説に対する「嘘つき」とヤジるのは軽犯罪かもしれない。
しかし、彼は謝罪せず、逃げた。
この行為は「選挙妨害をして何が悪い」と開き直ったことを意味するので、逮捕に値する。
これを許したら、「選挙活動を妨害する手段としてヤジを利用しよう」という人間が現れる。

実際、安倍首相や杉田議員の応援演説はヤジ妨害で正常には行えなくなっている。
「小さな違反だから・・・」という安易な妥協が敵に隙を見せ、違法行為の活動を許し、無秩序と乗っ取りを許すことになると理解すべき。

ヘイト・スピーチ法の成立、ついには地方自治体が「罰則規定」まで設けるようになっている危機的現状が小さな違反の見逃しに原因があることに対する認識が欠如している。

tomi 2019/08/13(火)22:44

紀元70年に死は滅ぼされた2

・・・しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。・・・(1コリント15・17-28)

1.

復活には順番がある。

(1)まず初穂であるキリスト

(2)次にキリストの再臨のときキリストに属している者

(1)は、キリストの復活において成就した。

(2)は、紀元70年に成就した。

兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・50-53)

「私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」

紀元70年のキリストの来臨のときに、「死者は朽ちないものによみがえり」、当時生きていたクリスチャンは御霊のからだに「変えられた」。

私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、<主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。>このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・14-17)

紀元1世紀の来臨の際に、まず「死んでいる人々」がよみがえり、次に「生き残っている私たち」が「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会」った。

パウロは紀元1世紀に生きていたテサロニケの教会の人々に向けて「私たち」は「生き残っている」と断言しているので、携挙はこの時代に起きたのである。(*)(**)

携挙において、当時生きていたクリスチャンの体は御霊のからだに変えられた。

このときに携挙された人々は、そのまま天に移り、今でも御霊のからだでそこで生き続けている。(***)

2.

それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。

紀元1世紀の来臨の後に「終わり」が来た。

旧約世界は終了した。

世界を支配していた「あらゆる支配と、あらゆる権威、権力」は「滅ぼ」され、「すべての敵」は「その足の下に置」かれた。

キリストに逆らうすべての権力は、無力化された。

それゆえ、紀元1世紀以降、われわれが戦うときにサタンはわれわれから逃げ出す。

われわれの前で、悪の勢力は敗北するしかない。

そして「最後の敵である死も滅ぼされ」た。

紀元1世紀以降、「死」はわれわれを支配しなくなった。

キリストにつくすべての人々は死と無縁である。

われわれは、肉体を離れると同時に御霊のからだを与えられる。

紀元1世紀にテサロニケのクリスチャンに起きたことが、われわれにも起きる。

この肉体を持っている人生の間でも、われわれは死と無縁である。

それゆえわれわれに「ネガティブな思考」「悪霊の憑依」「病」「間違った教え」はふさわしくない。

それを追い払うならば、それに支配されることはない。

もしそれらに支配されそうになったら、「紀元1世紀以降、死は滅ぼされた」という事実を思い出すべきである。

3.

ディスペンセーション主義のように「来臨」を未来に設定すると、現在の世界を「まだサタンと死が支配する世界」と誤解する。

聖書は、はっきりと「来臨は紀元1世紀にあった」と教えているので、「現在の世界はすでにサタンと死が滅ぼされた世界だ」と考えることができる。

まさにコペルニクス的転換である。


(*)

もし起きなかったとしたらパウロはウソをついたか、預言は外れたということになる。

そして、そのウソや外れた預言が聖書に記され、2000年間クリスチャンはこの偽情報の記されたテサロニケの手紙を後生大事に聖書として信じてきたということになる。

これは、「契約を誠実に守られる神」という教理と矛盾する。神が2000年間間違った情報を与え続けたということはあり得ない。

それゆえ、われわれは「携挙は紀元1世紀に起きた」と信じなければならない。

(**)

ディスペンセーション主義者が言うように「再臨のキリストは地上に降りて千年地上で支配する」というのが再臨の姿ではなく、紀元70年の来臨は「空中再臨」であったと解釈すべきである。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒の働き1・11)

「この箇所は、地上に降り立ったと解釈すべきではないか」と主張する人がいるかもしれないが、このどこにも「地上に降りた」ことを示す記述はない。

後半の「天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」の原語は、

#gs#outwV eleusetai on tropon eqeasasqe auton poreuomenon eiV ton ouranon#ge#

https://biblehub.com/...

である。KJVでは次のように訳されている。

shall so come in like manner as ye have seen him go into heaven.

「昇天と同様にやってくる」というだけで「地上に降り立つ」とは記されていない。

(***)

「それでは、地上にはクリスチャンはいなくなったのか」という人がいるかもしれない。

聖書には「生き残っているクリスチャン<全員が>携挙された」とは記されていない。

地上において神の国を広め、異邦人に福音を伝え、大宣教命令を実行するために残された人もいた。

tomi 2019/08/13(火)18:22

クリスチャンはあらゆる分野において最終判断を下すべきである

以前、あるクリスチャンから「教育や政治について語るのを止めろ」と言われたことがある。理由は「専門家ではないから」と。

彼は、クリスチャンを誤解している。

クリスチャンは、王である。

キリストの権威を帯びてこの世界を支配するように命令されている者たちである。

どうして「専門家ではないから教育や政治について語ってはならない」のか。

では、教育や政治については「ノンクリスチャンの専門家」のほうを尊重するのか。

もちろん専門分野について知識があるノンクリスチャンの意見を聞くのはよい。

しかし、最終判断を下すのは、クリスチャンである。

首相が「有識者会議」に丸投げして、彼らの意見をそのまま通し、政策を実行するならば、無責任のそしりを免れないだろう。

クリスチャンは、有識者の意見を聞くことはできるが、最終決断を彼らに委ねることは許されない。

それは「地を従えよ」との神の命令に対する違反である。

クリスチャンは、その分野に関する知識を増やし、正しい判断を下せるように努力する責任がある。

専門外の分野について無知なまま決定してはならない。

細かな知識を土台として、聖書の大原則をそれらに適用して、その特定分野に関する神の御心を探らねばならない。

tomi 2019/08/13(火)10:55

皆様の祈りが世界の勢力図と歴史をすっかり変えることでしょう

「紀元70年に死は滅ぼされた」をはじめ、最近の一連の投稿は、キリスト教の歴史ばかりではなく、世界史的に意味がある掲示である。

なぜならば、これまで聖書の教えを紀元70年を軸に時系列的に明確かつ簡潔に説いた人はいなかったからである。

これは私がすごい、ということではなく、神がそういう時代を開かれたということなのである。

このHPの読者の皆様は、このきわめて重要な情報に接する機会を神に与えられた極めて恵まれた人々であり、人類史の中で最高に幸運な方々であると同時に、最高に重大責任を負っている方々であると言える。

神はこれまでルシファー教徒たちのバベルの塔建設を許してこられた。そのため、彼らは、莫大な富と権力を手に入れてきた。

発行益による富の独占を許されてきた。そして、その富を利用して、世界中のマスコミを牛耳り、それによって政治家を操り、真理を抑圧し、虚偽に基づいて歴史を改ざんし、日本を悪者にし、イルミナティの国家群に軍事力を与えてきた。

世界各国の外務省がなぜ彼らによって独占され、日本の外務省も日本の名誉を守らず、日米開戦を助け、未だに「慰安婦」や「強制労働」のウソを垂れ流す勢力を抑えることに躊躇しているのか。

なぜ米中を除く世界の財務省が自国の国力低下のために緊縮財政・消費税を推進しているのか。

なぜNHKをはじめ、各放送局は、日本を貶め、韓国や中国を賛美し、旧民主党の政治家を応援するのか。

世界政府実現のためである。

ルシファーの世界支配実現のためである。

サタンと悪霊たちは、この歴史的な目標のために自分たちが選んだ人々に富と権力と名誉を与え、それを妨害する人々からそれらを奪い、場合によっては命すら奪ってきた。

この悪魔の力を封印する権威を持っているクリスチャンには、ディスペンセーション主義やリベラリズムを吹き込んで「クリスチャンには力はない」「(本当はルシファーの世界政府の中心地とする計画の)イスラエル建国を後押ししなければならない」と信じさせてきた。

そのために、彼らは祈ることすら躊躇してきた。

ミレニアムの記事をお読みの方は、これらのウソに気づかれたことだろう。

聖書は、「紀元70年に再臨はあった。それを境に新しい時代が始まり、イエスには正式に世界の王権が与えられ、クリスチャンには世界支配の権威と責任が与えられている」とはっきりと教えている。

さあ、考え方を完全に変えていただきたい。

聖書のパラダイムに切り替えていただきたい。

ルシファー教徒たちによって教育やマスコミを通じて形成されてきた脳内パラダイムを壊して、聖書のそれを用いて世界を解釈し始めていただきたい。

神は、彼らのバベルの塔建設にストップをかけられた。

そして、それを破壊し始められた。

建設者たちの互いの意思疎通を妨害し、「新たなる言葉の乱れ」を起こし始められた。

どうか祈ってください。

ルシファー教徒たちが互いに意思疎通できなくなり、バベルの塔建設が頓挫し、彼らに与えられてきた富や権力が、聖書信仰のクリスチャンのほうに回るようにと。

目が開かれた人には大きな責任がある。

私は先ほど「今後ずっと、ルシファー教徒たちを麻痺させてください」と祈った。

皆様の祈りが世界の勢力図と歴史をすっかり変えることでしょう。

tomi 2019/08/12(月)14:06

ファミレスでの全面禁煙はやりすぎ

私はタバコの臭いやそれが染みついた料理屋の臭いが生まれつき好きなので嫌煙者の感覚がわかりません。昔から、仕事などの後の一服は緊張をほぐす絶大な効果があるとわかっているからこそ、タバコは嗜好品として愛用されてきた歴史があります。世界でこれだけ嫌煙が進んだ時代はないわけで、それなるがゆえに何か異常なものを感じる次第です。

人それぞれ嗜好は違うので、他人に迷惑にならない程度で楽しむべきだし、その他人の楽しみを奪ってもいけないと思います。しかし、今の世の中の流れは、喫煙者を社会から排除し、その楽しみを「理由なしに」奪ってもいいと考える傾向があります。副流煙の害は科学的に根拠がありません。

ファミレスで全面禁煙になりつつありますが、やりすぎです。私は今の嫌煙運動をポリコレの一種と考えており、「トイレの男女別は差別だ」の類いの極端な主張の一つにしか思えません。

tomi 2019/08/10(土)19:40

紀元70年に死は滅ぼされた

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(1コリント15・17-28)

1.

「しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。」

ここで「再臨」と訳されている原語は#gs#parousia#ge#であり、それは「臨在」「来臨」という意味である。

復活は、キリストが「来臨」されるときに起きる。そして「それから終わりが来」る。

では、この「来臨」と「終わり」はいつ起きるのか。

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・3)

弟子たちは、「あなたの来られる時や世の終わり」の「前兆」について尋ねている。

これらの「前兆」についてイエスが述べられたが、最後にこう言われた。

そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。(マタイ24・30-34)

「この時代」は「これらのことが全部起こってしま」った後に「過ぎ去」る。

つまり、時系列的に見ると、

前兆が全部起きる→この時代が終わる

「この時代」とは「30年から33年の間」を指す。(*)

すなわち、来臨と世の終わりの前兆は、「30年から33年の間」に起きるとイエスは言われたのである。

来臨と終末は、イエスがこの言葉を語ってから「30年から33年の間」に起きた。

文字通り、神殿崩壊は紀元70年に起きた。

「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ」旧約の世界は裁かれ、崩壊した。

新しい時代がやってきた。

もはや礼拝はエルサレムで行われるのではなく、「聖霊の宮」であるクリスチャンの体があるところ、どこでも行われる。

2.

イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」 (マルコ9・1)

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」(ルカ9・27)

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」 (マタイ16・28)

「人の子が御国とともに来る」つまり、キリストの来臨を見るまでは、決して死を味わわない人々がい」る。

これは、キリストの来臨と世の終わりが、紀元70年に起きたことを示している。

3.

紀元70年に復活は起きた。

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。

紀元70年にキリストが来臨されたときに、「キリストに属している者」が復活し、死が滅んだ。

紀元70年以降、「クリスチャンは死ななくなった」のである。

キリストに属している限り、われわれは、たとえ肉体が滅んでも、即座に「御霊のからだ」が与えられ、復活する。

現在、昇天したクリスチャンには、この「御霊のからだ」がある。

さらに、紀元70年に「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しにな」り、「すべての敵」が「その足の下に置」かれた。

法的に全世界はキリストの足下に置かれている。

いくらサタンが陰謀を企んでもすべて失敗し、キリストの御支配は世界に拡大するしかない。

世界情勢の背後には、この、神の「御国の拡大計画」がある。それを妨害できる人は誰もいない。

紀元70年以降は、クリスチャンが復活し、そのクリスチャンによって世界が復活する時代である。

キリストの法的な現実が、実際的な現実に変わる時代である。


(*)
「この時代」とは何か。

原語では#gs#h genea auth#ge#である。この#gs#genea#ge#は、ストロングによれば、

an age (i. e. the time ordinarily occupied by each successive generation), the space of from 30 to 33 years
時代(すなわち、普通、連続したそれぞれの世代が占める時間)、30年から33年の間

という意味である。ほかに「民族」「家族」「人種」の意味もあるが、このマタイの文脈では#gs#h genea auth#ge#は「この時代」とか「今の時代」と訳されている。

<この時代>は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。・・・(マタイ11・16)
ニネベの人々が、さばきのときに、<今の時代>の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。(マタイ12・41)
南の女王が、さばきのときに、<今の時代>の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。(マタイ12・42)
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪な<この時代>もまた、そういうことになるのです。」(マタイ12・45)
まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、<この時代>の上に来ます。(マタイ23・36)

同じ表現がこれだけ一つの文脈に何度も登場し、一定の訳語が与えられている以上、マタイ24・34も「この時代」と訳すべきである。

「この時代」「今の時代」とずっと訳されていて突然「この民族」と訳すべきではない。

tomi 2019/08/09(金)17:48

天地の王として永遠に生き続ける生活

「もう60代だ。人生は終わりに近づいた」「あとは、お墓に入るだけだ」

ノンクリスチャンの老人は今の生涯でオシマイと考えているが、クリスチャンの老人にとっては「人生の始まり」に過ぎない。

60代から本物の人生が始まる。

あと何年、何十年かで「朽ちぬ御霊のからだ」に切り替わる。

「朽ちぬ御霊のからだ」が与えられ、昇天したら、人生は60兆年たっても終わらない。

クリスチャンは昇天するのであって、墓の中に下るのではない。

クリスチャンにとって墓は不要。記念碑ならばいいが、墓を作る人は不信仰である。

今の血肉のからだは不要になり、御霊のからだに切り替わって、天に携挙される。

クリスチャンは、天に上る。天に上るとは、文字通り「世界の王座に着く」ことを意味する。

今、キリストが世界の王座に着いておられる。キリストと一つであるエクレシアの一員であるわれわれも、キリストとともに世界の王座に着く。

「天は、霊的世界であるから、実体のない場所だ」と考えてはならない。

キリストは、弟子たちから魚を受け取られ、それを食された。

わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
{イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。}
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。(ルカ24・39-43)

御霊のからだには、「肉や骨」があり、それは「焼いた魚」を「召し上が」ることが可能である。

イエス・キリストは、現在、肉や骨があって食物を食べる体で、天におられる。

だから、天とは具体的かつ物質的で、実体のある場所なのである。

この血肉のからだを脱ぎ捨てるときに、イエスと同じ御霊のからだを与えられて、われわれもそこに行く。

なぜならばイエス・キリストは「初穂」だからである。

もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(1コリント15・13,20)

キリストが復活されたのであれば、クリスチャンも復活するのである。

だから、すでに昇天したクリスチャンたちも、今、骨と肉を持っており、食べ物を食べていることがわかる。

彼らの人生はまだ始まったばかりである。

これから先、永遠にこの生活が続く。

老人のクリスチャンは、徐々に、天地の王として永遠に生き続ける生活に近づいている。

tomi 2019/08/08(木)21:28

精神的なトラブルから解放されるには

話題については注意が必要である。

なぜならば、「言葉には霊が乗る」からである。

心配する人は、信仰を失った状態にある。

神に委ねていない。隙ができている。

当然、悪魔が利用する。隙間から体内に入り込もうとする。

自殺者のサイトを少し読んだことがあるが、その変な霊のたまり場であるとわかった。

死が甘美なものであるかのような錯覚を覚えるように、霊が働いている。

うつ病の人が話しているのを聞くと、そこに彼または彼女を支配している霊の存在を確認できる。

彼らはその霊の存在を知らないが、われわれクリスチャンは、霊の見分けができるからわかる。

先日の「あいちトリエンナーレ」の展示物に関して、その監督の津田氏が企画に関して話すビデオを見て「気持ち悪い霊が働いている」とわかった。

変なことについて話すと、その場を支配しようと霊がやってくる。

話者の思考を支配すれば、どんどんと場を悪化させることができる。

たとえば、よからぬ犯罪を企む人が集まっていると、彼らの思考を支配して、普段なら思いつかない邪悪な計画を思いつかせる。

もっと過激なことをやれ、と火に油を注ぐようなことをする。

自分が変な趣味を持っていて、それについてものすごい執着がある場合、その人がその趣味について語り始めると顔つきが異常になることがある。

その趣味をやっているときに、いつも支配する霊がやってくるからである。

「あれ、いつもの○○さんじゃない!」と思う。

話題によっては、気持ち悪い、怖いと感じることもある。

自分が普段好んでいる事柄は、それを行っている際に「霊による開拓」が進んでおり、回数を重ねれば重ねるほど「霊の憑依」の速度が増す。

よく祈っている人は、祈り始めるとすぐに御霊の働きがある。

聖霊の支配の中にすっと入る。

逆に、罪を犯すことが習慣化している人は、その罪を犯した回数が多ければ多いほど、その「なじみの悪霊」の憑依の速度が速くなる。

霊に関する知識がなく、話題の選択について無頓着な人は、悪霊の餌食になる。

これまで何度も話したが、プレ・ミレの人々と会話し、彼らが「この世界は悪魔の支配下にあるんですよ。いくら頑張っても無駄です」というたびに、悪霊が集まってくるのを感じる。

場の空気が変わるのである。

いいですか。

解決は、信仰しかない。

精神的なトラブルの原因は、「霊の支配を受けやすい」ことにある。

そして、問題をかかえている人は、その事実について知らない。

自分が悪霊に支配されていることに気づいていない。

いくら精神科医に頼っても無駄。

聖書を疑わない、という決意をし、イエス・キリストを救い主として受け入れてください。

そして、いったん決意したら、どんなに状況が変化しても、絶対にこの信仰から離れない。

疑いが出そうになったら「それでも神を信じます!」と宣言してください。

一瞬の疑念も一寸の隙もあってはならない。

完全防水の袋の中に入ってプールに潜った気持ちになってください。

ちょっとでも穴があるとそこから水が入ってきてあなたは溺死する。

完璧な信仰になるように思考を訓練する以外に、精神的なトラブルから解放されることはありません。

tomi 2019/08/08(木)11:24

ルーズベルトもスターリンもシティの駒でしかなかった

世界を実質的に支配し続けてきたのはイギリスであり、ルーズベルトもスターリンも彼らの駒でしかなかった。APニュースはこのように伝えた。

エリオット・ルーズベルトが書いた『パレード』誌の記事によると「戦後のインタビューで、スターリンは私に『大統領は、英国首相の 「ギャング」 のメンバーによって毒殺されたと思っている』と言った」。

エリオット曰く、スターリンは1946年末「あなたの母親であるエリノア・ルーズベルトがソ連への出入国を禁止されたのは、1945年のFDRの死後、ソ連の外交官に遺体の確認を拒否したためだ」と述べた。

さらに「私がソ連大使にルーズベルトの死体を確認させたかったのは、彼らがあなたの父親を毒殺したからだ。もちろん彼らは、私を何度も毒殺しようとしたのでね」 とも。

[エリオット・]ルーズベルトが 「彼ら」 とは誰のことかと尋ねると、スターリンは 「チャーチルのギャングだ。彼らはあなたの父親を毒殺し、私をも毒殺しようとし続けている」と述べた。

(“Stalin Admitted Knowledge Of English, Roosevelt’s Son Says” by RICK HAMPSON, February 7, 1986, AP News)

チャーチルのギャングとはMI6だろう。

チャーチルはロスチャイルドの番頭。

tomi 2019/08/07(水)09:53

CIAと米軍がある限りアメリカの世界覇権が終わることはない

1.

発行権とは、金鉱のようなもの。日本国は、通発行という名の金鉱を持っている。しかし、この国の通である円の効力は国内に限定されている。貿易や金融の決済手段として円を利用する国が少ないから。
しかし、アメリカの通である米ドルは世界中で通用する。つまり、金鉱としての価値は、円発行権よりもドル発行権のほうが圧倒的に大きい。

2.

パヨクが「アメリカは財政赤字と貿易赤字でダメだ」とよく言うけど、基軸通のドルを貴金属の裏打ちなしに発行できる権限を持っているので破綻しようがない。貿易や金融のドル決済をやめる国があれば、いろんな方法で潰しにかかれるCIA。世界が束になっても勝てないほどの軍事力。こういった担保がある限り、アメリカの世界覇権が終わることはない。

tomi 2019/08/06(火)16:52

われわれには霊界の存在をコントロールする権威が与えられている2

イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。(マタイ10・1)

ギリシャ語(Textus Receptus)

#gs#kai proskalesamenoV touV dwdeka maqhtaV autou edwken autoiV exousian pneumatwn akaqartwn wste ekballein auta kai qerapeuein pasan noson kai pasan malakian#ge#

KJV

And when he had called unto [him] his twelve disciples, he gave them power [against] unclean spirits, to cast them out, and to heal all manner of sickness and all manner of disease.

1.

ここで、「汚れた霊どもを制する権威」は、原語では「汚れた霊どもに対して、自分が望むままに行える自由」という意味である。

なぜならば「汚れた霊どもを制する権威」に当たる#gs#exousian pneumatwn akaqartwn#ge#の「権威」の語義は、ストロングによると”liberty of doing as one pleases(自分が望むままに行う自由)”だからである。

弟子たちには「自分が望むままに悪霊を処分する自由」が与えられた。

だから、弟子たちが悪霊に対して「底知れぬところに行け」と言えば、そこに行った。

この権威は、すでにあげた1コリント6・3によれば、一般のクリスチャンにも与えられている。

われわれは、再臨を待つまでもなく、現在、悪霊を自由に処分する権威を有する。

そして、繰り返しになるが、イエスが昇天され、神の右の座に着いて、世界に対する全権を受けておられる現在、この権威は増しているのである。

われわれは、公生涯におけるイエスご自身よりも大きな業を行うことができるようになっている。

であるから、イエスの御名によってわれわれが命令すれば、悪霊は言うことを聞く。

2.

「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」

この箇所は「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」に続いている。

この2つをつなぐ接続詞は#gs#wste#ge#である。

これは英語では"so as to(するために)"もしくは"so that(その結果)"である。

つまり、

「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」。それは、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすため」であった

とも訳せるし、

「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」結果、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやした」

とも訳せる。

文脈から判断すると前者に訳するべきである。

ここで注意すべきは、「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」の原因は「汚れた霊ども」にある、ということである。

そして「霊どもを追い出」すことによって「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」は「いやされる」のである。

3.

デカルトの機械論的世界観以降、病気の原因は物理的・生理学的・化学的なものに限定された。

デカルト以前は、聖書の世界観とともに、アリストテレスのアニミズムが西洋の考えを支配していた。

物体には、それがそのようになるべく働く形相(アニマ)が存在すると。

つまり、日本人の「モノにはすべて魂が宿る」的なアニミズムはアリストテレス由来の西洋哲学にも存在し、その中核を形成してきた。

それに対してデカルトが「物体の運動は純粋に物理的な法則にしたがっており、形相因には支配されない」と唱えた。

ここで西洋はアニミズムから脱出できたのであるが、しかし、聖書の霊に関する教えまでも捨ててしまった。

今日医者が霊的な原因を無視して、物理・化学・生理学的な原因に限定しつつ治療を行うのは間違いである。

4.

聖書的に言えば、病気の主な原因は「契約違反」である。

神との契約を破ると、ネガティブなフィードバック(つまり、呪い)が来る。

その呪いの一つとして、悪霊による憑依がある。

罪を犯し続けることによって、悪霊が体の中に入り、特定の部位に取り憑き、その臓器や部位の機能不全を起こす。

それゆえ、いくら薬で治療しても、神との関係を正常に戻さない限り、病気は治らない。

罪を重ねると、呪いは重くなる。

その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5・14)

逆に、契約に従って歩むならば、普通の人が陥るトラブルに巻き込まれない。

信じる人々には次のようなしるしが伴います。・・・蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず・・・」(マルコ16・17-18)

パウロは、まむしに噛まれたが害を受けなかった。

パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。・・・しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。(使徒の働き28・2-5)

5.

ヨブ記によれば、神の試練として与えられる病気もあるので、一概にすべての病気は契約違反にあると言い切れない。

しかし、その大多数は、契約違反によって起きる悪霊の憑依によると考えられる。

この病気の大きな原因である悪霊の憑依に対して、われわれだけが、根本的な解決法を有している。

イエスの権威を帯びているクリスチャンだけが、病気を根本的に治すことができる。

それゆえ、この世界にとって、クリスチャンの存在がいかに重要であるかご理解いただきたい。

とくに癒やしの賜物を持つクリスチャンはそれを積極的に活用することによって、世界の病気に苦しむ人々を救うことができる。

tomi 2019/08/03(土)23:01

われわれには霊界の存在をコントロールする権威が与えられている

私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。(1コリント6・3)

クリスチャンは、御使いよりも権威がある。

霊界の存在をも動かす権威がある。

「さばく」と訳されている#gs#krinoumen#ge#という言葉は、未来時制も現在時制と同形なので現在とも取れる。

文脈からすると現在と取るべきと考える。

つまり「あなたがたは現在、御使いをも裁いているので、この世のことはもちろん裁くべきだ」と。

未来と解釈すると、意味があいまいになる。

「あなたがたは将来、御使いをも裁くことになるので、この世のことももちろん裁くべきだ」。

意味がわからない。

ここでパウロは「今、霊界の存在をも裁けるのであるから、地上界の存在を裁くことができるのは当然だ」ということを言いたいのである。

「現在、霊界の存在を裁ける」という教えは、他の箇所からも裏付けることが可能である。

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアト(らい病)に冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10・8)

イエスは、弟子たちに「悪霊を追い出せ」と命令された。

われわれは、同じ一つの教会(エクレシア)に属し、弟子たちと同じ御霊と権威を与えられているので、われわれも悪霊を追い出すことができる。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネ14・12)

イエスがすでに父のみもとに行かれた現在、われわれ「イエスを信じる者」は「イエスの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行う」ことができる。

イエスは悪霊を追い出されたので、われわれも悪霊を追い出すことができ、イエスご自身よりも大きな悪霊追い出しができる。

ディスペンセーション主義者は、「イエスが再臨されたら、ものすごいことを行ってくださる。今、われわれは無力だが、そのときは驚くべきことを行える」と説くが、聖書はそのようには言っていない。

「イエスが昇天されたら、イエスよりも大きなことを行える」と教えている。

イエスが地上におられるよりも、イエスが天上におられるほうが、クリスチャンの力は増すのである。

なぜならば、イエスは天の王座に着かれたからであり、イエスの代わりに御霊がわれわれとともにいてくださるからである。

イエスが地上におられる間、まだイエスは正式には王座に座っておられない。

しかし、昇天後、正式に王座に座られたので、権威が違うのである。

われわれには、天地の王となられたイエスの権威がある。

さらに、ペンテコステ以降、御霊が下られたので、クリスチャンには神が内住されている。

ものすごいことではないか。

われわれの体の内には神がおられるのである。

この2つの驚異的な状況のゆえに、クリスチャンは、イエスの時代よりも大きなことが行えるようになった。

われわれは、イエスのみ体である教会の一部であり、それゆえ、地上におけるイエスの権力代行者である。

法的にはすでに天の王座に座っている。

(神は)キリスト・イエスにおいて、(あなたがたを)ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・6)

このように、聖書によれば、われわれは、世界の王であり、霊界の存在をもコントロールできる存在である。

われわれが自分に備わっているパワーを利用するためには、信仰がなければならない。

クリスチャン同士で裁判をやることは、この世の権威のほうが上位にあると告白することであるから、不信仰である。

不信仰な者がこのパワーを利用できるはずがない。

素直に信じる人は、驚くべきパワーを発揮する。

世界情勢は、われわれの祈りのとおりに進んでいる。

フリーメイソン・イルミナティの滅亡を祈ると、彼らは力を失ってきた。

中国の滅亡を祈ってきたが、文字通り破滅の危機に瀕している。

韓国が基地外沙汰を行うように祈ったら、今日の状況である。

祈れば世界は変わる。

不信仰を追い出して、聖書の御言葉をまるごと信じてほしい。

私は、何事についても心配しない。

神は祈ると与えてくださると信じているからである。

続けて、中国の滅亡、フリーメイソン・イルミナティ(ディープステート)の滅亡、財務省への呪い、左翼勢力の撲滅、全世界の悪魔崇拝者の滅亡、日本における悪魔の支配の終焉を祈ってください!

tomi 2019/07/31(水)15:42

神にとって有益な人間になることだけが重要である

ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ13・1-9)

1.

「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」

不慮の事故により死ぬ方々は、気の毒である。

私は同じ人間として残念に思うし、悲しく思う。

しかし、神の目から見るならば「悔い改めない人はみな同じように滅びる」。

人が不慮の事故にあうときに、同じ人間の目から見れば、気の毒に思えたとしても、神の目から見れば「しかるべき運命」である。

もちろん「悔い改めた人」の場合はそうではない。悔い改めて神の御前に身を低くして歩んでいる人の場合「しかるべき運命」ではない。

「悔い改めない人」の場合である。

神から警告を受け、罪を犯すのを止めて、正しい道に戻ることをかたくなに拒否する人は「いつでも滅びる可能性がある。」

何かの犯罪に巻き込まれたり、交通事故や飛行機事故、自然災害、人為的災害、病死、その他の悲惨な運命が降りかかったとしても、不思議ではない。

2.

「ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜた」

ピラトはローマ人である。外国人である。外国人に支配される屈辱。

しかも、自分たちがもっとも大切にしている神へのいけにえに、同胞の血を混ぜられる。

もっとも聖なる儀式を汚される屈辱。

もし悔い改めないなら、このような屈辱と蛮行を味わったとしても不思議ではない。

イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。

罪を犯して、悔い改めないなら、当然の運命である。

3.

聖書を知らないと、罪を犯すということの恐ろしさを理解できない。

自分が普通の人間として働き、人に迷惑をかけず、いやむしろ人のために尊い活動をし、仕事に励み、家族を養っていた人が理不尽な犯罪の被害に遭ったとする。

われわれは、それをみて気の毒に思い、犯人に対して憤慨する。

しかし、神の目から見れば「罪を犯して、しかも、悔い改めないならば、滅びてしかるべきであり、屈辱を受けてしかるべき」なのである。

世間的な評価がどうであるか、自分で正しいと思うことをしているかどうかは関係がない。

神が設定された義の基準に照らして、過ちを犯し、それに対して反省せず、行動を改めないならば、突然の悲劇に見舞われても不思議ではない。

4.

「そんなのひどい。私は聖書を信じていない。なのに、なぜそんな不幸に見舞われなければならないのですか?」と尋ねるかもしれない。

聖書はこう答える。

「あなたは、神の被造物だから」と。

「あなたがどのような考えを持っているかにかかわらず、事実として、あなたは神に創造された者であり、神の法のもとにあり、その基準に照らして評価される」と。

われわれがいくら反抗しても、無駄である。

天地に存在するすべての者は、神に評価され、ある者はその行いのゆえに祝福され、ある者はその行いのゆえに呪われる。

神は全能であり、われわれはその裁きに服する以外にはない。

5.

賢い人は、神の基準に合わせようと努力し、祝福を得ようとする。

愚かな人は、それに逆らい、呪いを被る。

人間の世界における支配者にどんなに気に入れられても、神に嫌われたら「いつでも突然の滅びが訪れる可能性がある」。

だから、人間の基準を神の基準の上に置く人は愚か者なのである。

6.

「実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください」

われわれは、実を結ぶために存在する。

どんな実か。

神のために役立つ実である。

なぜならば、われわれという木を植えたのが神であるから。

神は、われわれをこの地上に生み出し、人生において様々な生産手段を与え、神に役立つ実を結ぶのを待っておられる。

いくら人間的に成果を上げていても、神の役に立たない実しか結ばなければ「切り倒される」。

聖書を無視して、自分勝手な教えを作り出し、それを広め、多くの信者を獲得しても、神にとって役に立たないので「切り倒される」。

問題は、神のために生きて、神にとって有益な人間になっているかどうか、だけである。

自分勝手な生きがいや、やりがいを追求しても、罪を犯して悔い改めず、間違った教えや道徳観で行動するならば、誰でも、突然の滅亡や屈辱に襲われる可能性がある。

tomi 2019/07/29(月)06:40

日本には南北イスラエルの全部族がやってきた

1.

日本には南北イスラエルの全部族がやってきた。なぜか。
イエスにおいて「イスラエルの栄光は回復した」のだから。
イエスは、イスラエルにとってメシアであった。
メシアとは、栄光のイスラエルを回復する救い主である。

「主は、ヤコブの栄えを、イスラエルの栄えのように回復される。――かすめる者が彼らをかすめ、彼らのぶどうのつるをそこなったからだ。」(ナホム2・2)

「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『わたしが彼らの繁栄を元どおりにするとき、彼らは再び次のことばを、ユダの国とその町々で語ろう。『義の住みか、聖なる山よ。主があなたを祝福されるように。』」(エレミヤ31・23)

もしイエスが来臨しても、イスラエルを一つにまとめず、国を再興しなかったとすれば「イエスは律法と預言者を成就するために来た」(マタイ5・17)という御言葉は成就しなかったことになり、それゆえイエスの来臨は失敗したと結論する以外にはなくなる。
しかし、イエスは十字架上で「完了した」と言われ、息を引き取られた。

「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した』と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ19・30)

「完了した」という言葉テテレスタイは「成就した」という意味を持つ。
つまり、イエスにおいて「律法と預言者」つまり「旧約聖書」はすべて成就したのである。
それゆえ、旧約聖書において預言された栄光のイスラエルの回復は成就した。

2.

では、栄光のイスラエルとは今日何か。
エクレシア(教会=神の民の群れ)である。

「どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。」(ガラテヤ6・16)

新約時代において、イスラエルとは「この基準に従って進む人々」なのである。「この基準」とは「信仰義認」である。
つまり「行いによるのではなく、信仰のみによって義と認められる」と信じる人々は、みな「神のイスラエル」なのである。

信仰義認の教理を信じる人は、ユダヤ人であろうが、ギリシャ人であろうが、アメリカ人であろうが、日本人であろうが、すべて「神のイスラエル」である。

3.

無千年王国説や後千年王国説のクリスチャンは、このエクレシアの成立をもって「栄光のイスラエルの回復」と考える。
しかし、回復とは、それだけなのだろうか。
旧約時代、メシアを待ち、国民としてのイスラエルの栄光が回復されることを待ち続けた「民族的イスラエル人(つまり、ユダヤ人クリスチャン)」のことを忘れていないだろうか。
紀元70年の神殿崩壊以降、民族的イスラエル人は、土地を失ったままである。
これに対して、シオニストは「イエスは土地を回復しなかったのでメシアではない」という。
そして「将来、イエスではない別のメシアが現れて、イスラエルに土地を与え、世界を支配させてくださる」と唱える。
現在、彼らが推進している世界政府運動とは、実は「偽メシアを王とするイスラエル人による世界支配運動」なのである。
このシオニズム運動における神とは「ルシファー(つまりサタン)」であって、それゆえ、これを聖書の運動と呼ぶことはできない。
「イエス以外にメシアはいない」というのが新約聖書の主張であり、サタンはイエス以外のメシアを立てようとしている。
父なる神はイエスについて「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と言われた。

「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」(マタイ3・17)

5.

残念なことに、民族的イスラエルの回復を期待するクリスチャンたちは、シオニストに騙されて、彼らとその偽メシアの国である現在のイスラエル国を支援し、意図せずしてルシファー崇拝者になっている。
真に聖書的な「民族的イスラエルの回復」思想が必要である。

6.

もしイエスが旧約聖書を成就したのであれば、民族的イスラエルも回復していなければならず、彼らに土地が「当時」与えられていなければならない。
私は、それは日本であると考える。
江上波夫東大教授によれば、「紀元2世紀に原始キリスト教徒が来日した」。
紀元前3世紀に、ペルシャ帝国によって解放された離散ユダヤ人徐福が来日して物部氏の祖となり、「動物犠牲を行う神道」を開始した。
紀元後に来日した秦氏が「動物犠牲を行わない神道」を開始し、禰宜を派遣して物部氏の動物犠牲を止めさせた。
物部氏は秦氏が同族であると確認し、王権を委譲し、大和朝廷が始まった。
物部氏は旧約の信仰を持ち、秦氏は新約の信仰を持っていた。
つまり、動物犠牲はイエスの十字架を象徴するものであるため、イエスが犠牲となってからは、動物犠牲は不要となったので、秦氏は止めさせたのである。

7.

徐福が来日する前に、日本列島には、ユダヤ人と同じ遺伝子(YAP遺伝子)を持つ縄文人がいた。おそらくアララテ山に降り立ったノアの箱舟から出た(ユダヤ人の先祖である)ヘブル人の一部が山の麓の地ハランを発って東進し、日本列島にたどり着いたのであろう。
アブラハムの言葉によれば、ハランにはカナン人がいなかったので、日本列島にやってきた人々にもカナン人は含まれていなかった。
それゆえ、ユダヤ人にとって日本列島は理想郷として記憶されていたのではないだろうか。
そして、徐福以前にも、捕囚から解放された人々が集団で日本列島に入っていたのではないか。

8.

日本列島が「民族的イスラエルの回復の地」であるならば、南北イスラエルの全部族がそろっていたはずである。
その証拠に、天皇家の紋章には南北イスラエルと同じように獅子と一角獣と、12匹の獅子が描かれている。

tomi 2019/07/28(日)04:37

対日戦争挑発計画「マッカラム八箇条覚書」はいかに実行に移されたのか

対日戦争挑発を目的として作成された「マッカラム八箇条覚書」がいかにルーズベルトによって実行に移されたか。

”スティネットによると、最終的に日本に真珠湾攻撃を実行させるに至った計画は、「米海軍情報局極東担当局長マッカラム中佐による・・・1940年10月7日付の八箇条覚書」に基づき、1940年10月初めに始動した。当然のことながら、マッカラムがこの覚書を自発的に作成したものとは考えにくい。スティネットの記録は以下の文章から始まる。「この八箇条作戦では、ハワイにある米陸空海軍部隊、および太平洋地域にある英国とオランダの植民地の前哨基地に対する日本側の攻撃を事実上扇動することが求められている」[6~8ページ。覚書は261〜267ページに再録されている]:

A.太平洋、特にシンガポールの英軍基地の使用に関して英国と協定を結ぶ。
B.オランダ領東インド[現在のインドネシア]の基地施設の使用および物資の調達に関してオランダと協定を結ぶ。
C.蒋介石の中国政府にできる限りの援助をする。
D.長距離重巡洋艦一個師団を東洋、フィリピン、またはシンガポールに派遣する。
E.潜水艦2個師団を東洋に派遣する。
F.現在太平洋に展開している米主力艦隊をハワイ諸島周辺に継続的に配置する。
G.日本が求めている不当な経済的譲歩、特に石油に関する譲歩を、オランダが拒否するよう強く求める。
H.大英帝国による同様の禁輸と協調しつつ、対日貿易を全面的に禁止する。

計画が実行に移されると、その進捗状況は、日本の外交及び海軍の解読された無線通信を通じて注意深く監視された。「マッカラムは、1940年初めから1941年12月7日まで、ルーズベルトへの通信諜報報告の経路を監督し、日本の軍事外交戦略に関する諜報報告書を大統領に提供した。ホワイトハウス向けの、傍受解読済みの日本軍軍事外交報告書は、すべてマッカラムが統括するONIの極東地域課を経由していた。

この課は、あらゆる種類の諜報報告書を扱う情報センターとして機能していた。マッカラムが大統領のために用意した報告書はすべて、無線傍受の情報に基づいていた。この情報は、米軍の暗号技術者と無線傍受士の世界的ネットワークによって収集され、解読された。米国政府や軍関係者の中で、マッカラムほど日本の活動や意図に関して知識を持つ者はいなかった。[8] この計画は極秘扱いされ、ルーズベルト政権のメンバー13人と軍の最高責任者、および海軍諜報局とその関連作戦に関わる要員21人だけに開示された [付録E307〜308に記載]。マッカラムがメモを書いた時点で、Cはすでにアメリカの政策として実行されていた。Fは10月8日に、AとB、Gは1940年10月16日に、DおよびEは1940年11月12日までに開始された [Chap. 1 n. 8 p. 311-312; 120 ff. etc.]。”

https://www.lewrockwell.com/...

tomi 2019/07/26(金)06:52

ルシファーは中立を武器として使用する

”人間教に基づく現代社会は、労働や富や倹約に罰を与えている。神を排除した社会は、神の呪いの下にあるだけでなく、自分自身や他者に害を与える呪いにもなる。”(R・J・ラッシュドゥーニー、Systematic Theology, p.1023)

1.

人間教(ヒューマニズム)は、インマヌエル・カントにおいて体系化された。

カント以降、世界の主人は人間になった。

曰く、「人間が善悪を決定できる」と。

神の啓示である聖書よりも、人間の意見のほうが高い権威を持つと考えられるようになった。

この世界観をベースとする様々な思想が現れた。

ヘーゲルが現れ、そして、マルクスが現れた。

マルクス主義のもとで1億人以上の人々が粛正され、殺され、収容所に送られた。

人間が、聖書を権威とせず、自分の理性だけで世界にあるすべてのものを定義することによって、実は、人間は自滅の道を歩んでいる。

今日LGBTに対して、公的にノーと言う人は少ない。

ノーと言うと、杉田水脈氏のように、袋だたきにあう。

自民党は「多様な価値観を受け入れる社会を目指す」そうで、LGBTに対して寛容である。

このような時代は、イスラエルにおいても現れた。

そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。(士師記17・6)

各自、自分の理性や良識、道徳観が、自分の行動を規定していた。

その結果、どうなったのか。

侵略を開始した。(士師記18章)

国が道徳的に乱れに乱れた。(士師記19章)

ある暴行致死事件をきっかけにイスラエルが内戦状態になった。(同上)

多くの人々が死に、ベニヤミン族が滅びかけた。

2.

そもそも多元主義社会、多文化共生社会など、幻想なのである。

様々な人種、民族の人々が集まって、ハーモニーを奏でる社会など、不可能である。

ソ連がその実験をやって失敗した。

ソ連の各共和国には、ロシア人が入植し、多数派工作が行われた。

ウズベキスタンに多数のロシア人がいた。

昔満州と呼ばれていた中国東北地方には漢人が入植し、満州人や朝鮮人の比率が低下している。

結局、「多文化共生」は、その地域においてある民族に覇権を与えるためのスローガンでしかない。

政府が多文化共生をうたい、他民族の入植を推進するならば、その背後に、別の民族による侵略が侵攻していると考えるべきである。

3.

現在の秩序を破壊するために敵は「中立」をうたう。

宗教的中立を謳う人がいれば、その人は「別の宗教を導入しようとする」エージェントであると判断すべきだ。

権力は、常に真空を埋めようとする。

日本に真空状態が発生したら、どこかの国がそこを埋めようとする。

たとえば、なぜ安倍晋三が尖閣に灯台を建てる、施設を設置する計画を断念したかと言えば、中国のエージェントである議員からの反発があるからである。

そこに権力を打ち立てることに妨害があり、真空状態にしようとする勢力があるとすれば、その勢力は、それを乗っ取ろうとしていると判断すべきである。

政教分離は「キリスト教の影響を排除し、中立の領域を拡大するための方便」であり、最終目的は「ルシファーによる支配」である。

政教分離と宗教的中立を唱え、地上における神の法の支配を嫌い、神の国の拡大を妨害する教会は、ルシファーの支配を推進する似非キリスト教である。

なぜ今の教会が再建主義を危険視するか、と言えば、イルミナティに洗脳されているからである。

ローマ・カトリックの聖書を使い、ローマ・カトリックの神学を吹き込まれ、徐々にイルミナティ化されてきたからである。

4.

人間教(ヒューマニズム)の本質とは、ルシファー崇拝である。

人間教を一部でも取り入れたら、ルシファー崇拝を取り入れたのである。

ルシファーは、中立を武器として使用する。

「別にルシファーを崇拝せよ、と言っているわけではありませんよ。ただ、政治や経済や科学は、聖書法よりも、人間理性を重んじるべきだと訴えているだけです」というような牧師や教職者に注意せよ。

tomi 2019/07/25(木)11:10

全体と個を調和させるには

”小学校から、授業が終わったら、教室をキチンと清掃することから始めないと駄目ですね。公徳心と協調性を養うのが肝心です。欧米の個人主義は最後に行き詰まります。『「和」を以て尊しとす。』ですよ。一神教と個人主義は表裏一体のもの。世界中で行き詰まっています。万物に神の姿を見る神道的国民性が日本を形作っているのです。オージーにはカンガルー供養碑なんて考えも及ばないでしょう。日本は鯨供養碑を建てますよ。”

「一神教と個人主義は表裏一体のもの」ではありません。

一神教は一元論だから全体主義に向かいます。

逆に「多神教と個人主義は表裏一体のもの」。多元主義は統一に根拠を与えませんから、個人が究極。

三位一神教では、統一も究極、個人も究極。

全体と個を調和させるには、キリスト教の三位一体の神を信じる以外に方法はありません。

「万物に神の姿を見る」のはキリスト教も同じ。