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tomi 2019/12/15(日)17:25

クリスチャンは罪人であることを告白すべきである

クリスチャンは罪人であることを告白すべきである。

なぜならば、われわれのうちに存在するものは、呪われるべきものだから。

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。(エレミヤ17・9)

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ8・6-7)

われわれが生まれながらに持っているもの(肉)は、「死の思い」であり「神の律法に服従し」ない。

われわれの心は「何よりも陰険で、それは直らない」。

われわれは、地獄に値することを数々考え、行ってきた。

われわれは、生ゴミのように腐臭を放っている。

クリスチャンとは、キリストという衣服を着た死体である。

パウロは自分が「死のからだ」を持つと告白した。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ7・24)

同時に、クリスチャンは、キリストを着ていると言った。

バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。(ガラテヤ3・27)

主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。 (ローマ13・14)

つまり、われわれは、キリストを着た死体である。

もし、われわれが、自分自身の生まれながらの性質に信頼するならば、キリストは不要ということになる。

だから、自分を「キリストを着た死体」と認識しない人は、キリストを不要としているのであり、クリスチャンではない。

自分が何者であるかのように考えているならば、誤解である。

tomi 2019/12/15(日)16:39

ノアの律法

「クリスチャンは神の民である」

これは、驚くべき事実である。

神の民ということは、神の無限の力を利用できると同義である。

聖書には、その秘訣が書かれている。

それは、契約である。

私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。(申命記28・13)

クリスチャンになるということは、神と契約を結ぶということである。

契約に規定されている「主の命令に聞き従い、守り行なう」ならば、契約に規定されている祝福に与ることができる。

どのような祝福だろうか。

「主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない」

つまり、世界のリーダーになれるということである。

トップ・オブ・ザ・ワールドになれる。

実際、ユダヤ人は世界の頂点に君臨してきた。

彼らは、二千年の訓練の間に「何をすれば成功するか」を学んだ。

ルシフェリアンになった後でも、彼らは、成功した異邦人のようなむちゃくちゃな生活をしない。

衛生律法を守ったので、ユダヤ人はペストにかからなかった。

タルムードユダヤ人にとって「旧約律法は民族の宝」なのである。

だから、彼らは、異邦人が旧約律法を研究したり、守ることを嫌う。

異邦人には「ノアの律法」を守るだけでいい、と教える。

ノアの7つの戒め・・・とは、タルムードの記載によれば神がノアを通じて全人類に与えたものといわれる七つの戒めのことである。英語では、Noahide Lawとも表記する。 ノアの7つの戒めを教える団体は、アメリカ合衆国及びヨーロッパ、イスラエル、その他の国に存在する。ちなみにノアの七つの戒めに関する書籍は英語版をはじめ良書が見受けられるが、日本語版は皆無である。

概要

7つの本則及び細則がある。

偶像崇拝の禁止。
殺人の禁止。
盗難の禁止。
性的不品行の禁止。
冒涜の禁止。
まだ生きている動物の中から取られる肉を食べることの禁止。
法的手段を提供するために裁判所を維持するための要件。

(Wikipedia―ノアの法)

"The Sinister Purpose of the So-called Noahide Laws" by Jeremy Jamesによると、ノアの律法の本当の目的は、ユダヤ人主体の司法制度の創設と、そのもとでの異邦人の支配であるという。

もっと深い理由もあった。ノアの律法によって、タルムード主義者はすべての異邦人をノアの律法遵守者(Noahide)と異教徒という2つの 「合法的な」 分類のいずれかに入れることができた。これにより、両方のグループとの関係を、独自の条件で完全に制御し、これらの条件に違反した者を合法的に罰することができた。

ノアの律法は、サタンの十戒の偽造である。アメリカのフリーメイソンたちはなぜ、過去60年以上にわたり、公共の場から十戒からすっかり取り除くために、熱心に活動してきたのだろうか。今、その理由が明らかになった。彼らは神の正義の法を憎み、それを模造品で置き換えたいのである。

ノアの律法を通じて、パリサイ人たちは、異邦人たちに対して譲ることのできない霊的権威を主張することができるようになった。異邦人は、永遠に二級市民としての烙印を押され、ユダヤ人に従属し、彼らの司法的承認を受けることになるだろう。異邦人がいかに熱心に七つの律法を守ろうとしたとしても、支配者なるユダヤ人は、そのハードルを上げ続けることができるだろう。エスタブリッシュメントにとって脅威と見なされる者は誰でも、一人の証人が一人の裁判官―この裁判官の判決が最終となる―の前で提出した証拠によって、わずかな違反のゆえに、即座に有罪とできるようになった。
http://www.zephaniah.eu/...

タルムードユダヤ人にとって、人類は二種類いる。

ユダヤ人・・・旧約律法を守る・・・支配者になる

異邦人・・・ノアの律法を守る・・・被支配者になる

われわれは、旧約律法を研究し、神の御心を学び、どうやったら成功するか考えるべきである。

そうしないと、彼らが作った道徳の枠組みを適用されて、弱体化してしまう。

tomi 2019/12/14(土)13:17

東大ブランド崩壊へ

1時間前、東大で論文を書いていた所、突然教員達が押しかけてきて、強制的に部屋から追い出された。曰く、

 「大澤を本郷キャンパスに入れぬよう教授会で命令された。」

研究資料は後で自宅に郵送するらしい。
同時にツイートの発信停止も勧められた。

これは間違いなく言論弾圧だ。断固反対する。

https://twitter.com/...

「中国人を雇用しない」と発言した東大准教授大澤昇平氏が東大から強制排除された。

これで東大のブランドも終わり。

理不尽な理由で日本人より外国人を優先するような大学が、名声を維持することは不可能。

中国人が技術盗用するのは、周知の事実。

なにも民族差別したわけではない。

東大が左翼に牛耳られており、今後も中国寄りの方針をとり続けるなら、世間の心は離れ、優秀な学生も集まらないだろう。

tomi 2019/12/14(土)11:25

日本においてなぜ外国の宣教師が成功しないのか

日本は元祖キリスト教国です。

日本には、エルサレムの神殿崩壊後、初代教会のユダヤ系クリスチャン(原始キリスト教徒)が紀元2世紀にやってきて、日本の国体を作りました。

彼ら秦氏は、紀元前にやってきたディアスポラのユダヤ人物部氏とともに、日本の裏権力として君臨してきました。

彼らの中核にいる神道の総元締めである八咫烏は、秦氏であり、そのトップである裏天皇(三羽烏または金鵄)は、五龍会(トヨタや東芝など秦氏系企業1800社(三井グループ))によって選ばれています。

日本において、外国の宣教師が成功しないのは、日本が本家本元だから。

tomi 2019/12/14(土)10:59

クリスチャンになっても罪人である自分の本質が変わるわけではない2

誰でもイエスを主と告白する人(クリスチャン)は、イエスにあって神の子であり、イエスにあって罪人ではありません。

私も同じです。

しかし、私はクリスチャンとなった後でも罪を犯します。

ですから「実質」罪人です。自分の本質には変化はありません。

ただ、「法的な立場」が変わったに過ぎないのです。

私は、「キリストにあってのみ」 神の子であり、義人です。

もしキリストへの信仰がなければ、私は、ノンクリスチャンと同じです。

警察官が警察を辞めたら普通の人に戻るのと同じです。

警察官に権力があるのは、「法的な立場が付与された」からです。

クリスチャンになったら、「キリストなしでも、実質的に神の子・義人になった」という立場は、キリスト教ではありません。

元警察官が警察官と同じように国家権力を振るえないのと同じです。

tomi 2019/12/13(金)08:58

裁判所が本格的に基地外なった

“心は女性” 女性トイレの使用認めない国に賠償命令 東京地裁

2019年12月12日 16時47分

性同一性障害で心は女性の経済産業省の職員が、職場で女性用トイレの使用が認められないのは不当な差別だと訴えた裁判の判決で、東京地方裁判所はトイレの使用を認めないとした国の措置は違法だとして取り消し、国に130万円余りの賠償を命じました。

心は女性で体は男性の性同一性障害と診断された経済産業省の50代の職員は、職場で女性用トイレの使用を認められないのは不当な差別だとして、国に対して処遇の改善や、1650万円余りの賠償を求めました。

職員は自分の部署のフロアでは女性用トイレの使用が認められず、2階以上離れたフロアでトイレを使うよう言われていて、国側は「ほかの女性職員との間でトラブルが生じるおそれがあり、合理的な判断だ」と主張して争っていました。

12日の判決で東京地方裁判所の江原健志裁判長は「個人が自分で認識する性別にあった社会生活を送ることは重要な法的利益として保護されるべきだ。性同一性障害を含むトランスジェンダーの人が働きやすい職場環境を整えることの重要性はますます強く意識されるようになってきている」と指摘しました。

そのうえで「職員は女性として認識される度合いが高く、男性用トイレを使うことも現実的に困難だ。女性用トイレの使用を認めないのは社会観念上、妥当ではなく、違法だ」として、女性用トイレの使用を認めないとした国の措置を取り消したうえで、国に130万円余りの賠償を命じました。

https://www3.nhk.or.jp/...

聖書の基準がないと、異常が社会で幅を利かせ、まともな声が封殺される。

同性愛は、文明の堕落の極地であり、その社会に裁きが下る前兆である。

ソドムとゴモラには、火が降った。

神は同性愛者を焼き殺された。

これが、神の評価である。

同性愛者は火によって滅ぼされるべき、というのが創造主の御心である。

「ひどい!そんな神なら信じない!」という人へ。

この世界は神が創造された。

だから、神の意見に逆らうなら、あなたも同類とみなされて滅びます。

なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。
ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。(詩篇2・1-5)

裁判所がソドム・ゴモラ化しているので、ソドム・ゴモラの民に有利な判決が下る。

「国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやく」が、「天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる」。

燃える怒りに震え上がりたくなければ、基地外の判決を下すな。

tomi 2019/12/12(木)06:43

ダニエル7章はティトゥスによって成就した3

1.

ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」

彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。(ダニエル12・4, 9)

また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。(黙示録22・10)

ダニエルの場合、「終わりの時」まで時間があったので「封印」が命じられた。

しかし、ヨハネの場合、「時が近づいているから」「封印」は禁止された。

時が切迫していると、封印は解かれ、秘密は明らかになる。

近年、プレテリストによって預言書の解き明かしが活発に行われてきた。

聖書における「終末」が紀元70年を意味すると次第に明らかになってきた。

これは、裁きの時が近づいているからである。

十字軍に始まるタルムードユダヤ人による「諸国の民の惑わし」は、インターネットの登場により、今や無効化しつつある。

インターネットにより、騙しや惑わし、欺きが不可能な時代が始まった。

世界の陰謀の体制が暴露されつつある。

これは、その陰謀の主体の滅亡が近づいていることのしるしである。

2.

しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』(ダニエル7・26-27)

ティトゥスは在位2年にして死亡し、その主権は奪われた。

それに続いて何が起きるのだろうか。

国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。

「いと高き方の聖徒である民」に「国と、主権と、天下の国々の権威」が「与えられる」。

「いと高き方の聖徒である民」とは、イスラエル人である。

これは、民族的イスラエル人を意味しない。

なぜならば彼らはティトゥスによって滅ぼされたからである。

これは、クリスチャンを意味する。

イスラエルの王イエスを信じて贖われた人々は、「いと高き方の聖徒である民」である。

この民は、ユダヤ人と異邦人の区別がない。

どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。(ガラテヤ6・16)

ここで「神のイスラエル」が定義されている。

すなわち、それは、「この基準に従って進む人々」である。

「この基準」とは何か。

割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。(ガラテヤ6・15)

それは、「割礼を受けているか受けていないか」ということではなく「新しい創造」に与っているかどうかである。

つまり、イエス・キリストを信じて聖霊によって生まれ変わったかどうか、が神のイスラエルであるかどうかを決定する。

それゆえ、新約時代において、クリスチャンは、民族を問わず、「いと高き方の聖徒である民」であり、彼らに「国と、主権と、天下の国々の権威」が「与えられる」のである。

われわれクリスチャンには、「国と、主権と、天下の国々の権威」が与えられている。

われわれは、世界の王である。

3.

第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。
その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。(ダニエル2・40-44)

「この王たち」とは、ローマ皇帝である。

「第四の国」がローマ帝国を指すからである。

この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。

ローマ帝国の時代に、神は「一つの国を起こされ」る。

この国とは、イエス・キリストの御国である。

イエスは紀元70年に再臨し、御国を確立された。

イエス・キリストを王とする御国は、「永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしま」う。

われわれが住む世界とは、キリストの王国であり、この王国は滅亡することがなく、ネブカデネザルが見た4つの帝国全部を粉砕し、絶滅する。

それは「永遠に立ち続け」る。つまり、イエス・キリストを王座から引きずり下ろそうとしても、必ず失敗する。

4.

紀元70年以降、世界の王はイエス・キリストであり、クリスチャンである。

この権力は絶対であり、イエス・キリストとクリスチャンに戦いを挑む国々や人々は、絶滅する。

イエス・キリストにあって、われわれが権力を行使すれば誰も逆らえない。

十字軍以降、タルムードユダヤ人たちは、キリストの御国を破壊し、クリスチャンをも騙して、彼らの王国、すなわち、ルシファーの国を建設するために活動してきた。

しかし、インターネットの登場により彼らの騙しに気づいた人々が現れつつある。

これから、巻き返しが始まる。

5.

タルムードユダヤ人たちは、ディスペンセーション主義をクリスチャンの間に吹き込んで「終末はまだ来ていない」と教え込むことに成功した。

第4帝国は、「紀元1世紀のローマ帝国」を意味するだけではなく、終末時代に現れる「復活したローマ帝国」をも意味すると教え込むことに成功した。

「復活したローマ帝国」とは、欧州連合のことだと吹き込んできた。

「だから、欧州連合の時代において再臨があり、そのときにキリストの王国は始まる」と信じ込ませてきた。

違う!!

ダニエルの預言のどこにも「第4帝国は復活する」と書いていない。

キリストの王国はすでに、ローマ帝国の時代に始まっている。

黙示録が記されたときに、すでに「時は近づいてい」たのである。

6.

ダニエル7章が、将来現れる反キリストによってではなく、ティトゥスによって成就したと信じるかどうかですべてが違ってくる。

これを信じられないクリスチャンは、自分に世界を支配する権威が与えられていると信じられない。

これを信じられるクリスチャンは、自分に世界を支配する権威が与えられていると信じられる。

7.

信仰のない人は、不信仰の果実を味わい、信仰のある人は、信仰の果実を味わう。

「世界の支配者としての自覚」がない人は、その不信仰のゆえに、神の力を発揮できず、「世界の支配者としての自覚」がある人は、その信仰のゆえに、神の力を発揮できる。

今後、両者の間には、社会的な力、財力、影響力、様々な面で、違いが出てくるだろう。

信じる人々には、驚くべき機会とお金と権力が与えられるだろう。

tomi 2019/12/11(水)15:38

ダニエル7章はティトゥスによって成就した2

ダニエル7章の預言がまだ成就していないとすると、イエス・キリストはご自身が来臨の目的とされた「律法と預言者の成就」に失敗したということになり、十字架上の「テテレスタイ(成就した)」はむなしい言葉だったということになる。

したがって、この章の預言を紀元1世紀に成就したことを証明することはクリスチャンにとって義務である。

軽く考えるべきではない!!!

”それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』”(ダニエル7・19-27)

1.

「この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」

ダニエル書7章で「10人の王のうち3人が11番目の王によって倒される」とあるが、11番目の王は、ティトゥスである。

ユリウスからネロまでがカエサル朝。

ガルバからウィテッリウスまでの3人は、カエサル家ではないが、ヴェスパシアヌスとティトゥスによって滅ぼされた。

ヴェスパシアヌスは他の総督と共謀して政権を乗っ取った。

3人の死の背後には実は、ヴェスパシアヌスとティトゥスが黒幕として糸を引いていた。

2.

「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。」

エルサレム神殿を破壊し、至聖所に侵入して、そこに軍旗を立てた。軍旗の頂にはティトゥスの金属像が付いていた。つまり、ティトゥスは自らを神と宣言した。

荒らす憎むべき者とは、ティトゥスだった。

3.

ローマ帝国はフラヴィア朝に引き継がれたが、ティトゥスは在位2年で死亡。

「しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。」

tomii 2019/12/10(火)23:51

ダニエル7章はティトゥスによって成就した(再掲)

http://www.millnm.net/...

tomi 2019/12/10(火)23:13

クリスチャンになっても罪人である自分の本質が変わるわけではない

クリスチャンになったら、自分の本質そのものが変化し、もはや罪人ではなくなり、神の子になるのだろうか。

そうではない。

契約的合一と存在論的合一を区別しなければならない。そうしないと汎神論になる。

クリスチャンになることは、キリストの体である教会の一員になることを意味する。

キリストと教会は、「契約的に」合一しているのであって「存在論的に」合一しているのではない。

教会は、キリストではない。

「夫と妻は一人である」という教えは「夫と妻の二人は存在論的に一人になった」ということを意味しない。

人格はそれぞれ別である。

夫婦は「契約的に一人」なのである。

われわれがクリスチャンになり、キリストの体の一員になったからと言って、われわれがキリストそのものになるわけではない。

われわれが本質的に持っている自分の罪人としての性質が変わるわけではない。

それゆえ、われわれは、自分のことを罪人として自覚すべきである。

「クリスチャンになったらキリストの御体の一員になったのだから、本質が変化したので、もはや罪人ではない」という教えは、異端である。

「私と妻は一人である。だから私は女でもある」と言えないのと同じである。

契約的合一は、構成員の本質に変化を生じさせない。

イエスは、取税人が自らを罪人として告白することをよしとされた。

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』(ルカ18:13)

「クリスチャンになったので、私は罪人ではなくなった」と考えることはできない。

あくまでもわれわれの本質は罪人である。

クリスチャンになっても、罪人である本質が変わったわけではない。

tomi 2019/12/08(日)15:32

カントが作った人間教とは

以下のグレッグ・バーンセンの文章は、哲学を理解する上で極めて重要である。

サタンがカントを通じて、どのようにして人間を神に祭り上げたのかがわかる。

どの学校でも、この文章を読解できるように訓練すべきである。

イマヌエル・カント(1724年-1804年)は、プロイセンの町ケーニヒスベルクを一度も離れることがなく、そこで生まれ、後にそこで大学教授となったが、カントの思想は哲学に革命をもたらした。

カントは、精神は認識において受動的ではなく、その対象物の形や構成の決定(forming or constituting its objects)において能動的であると考え、その導入を「コペルニクス的革命」とみなした。

カントは、自らの「批判」哲学(別名「超越的観念論」)は、(合理主義と経験主義の要素を統合することによって)「科学を救い」、(人間の自由と倫理を考慮することによって)「信仰に余地を与える」ことが可能であると考えていた。

カントは、「(生来の知識を伴わない)感覚経験を取り入れることなしにいかなる知識も得られない」という経験主義者の意見に同意したが、「精神は、タブララサ(白紙)ではなく、時間と空間の知覚可能な形式、および量、質、関係(因果関係を含む)、様式の思惟形式を知覚に課す」という合理主義者の意見にも同意した。

カントは「知覚なき思惟は空虚である」(Concepts without percepts are empty)と言い、「思惟なき知覚は盲目である」(Percepts without concepts are blind)と述べた。

これらの心的な押しつけ(mental impositions)は「超越的に」必要である。つまり、心的な押しつけは、経験を理解する上で常に前提となる。

したがって、「悟性(understanding)はそれ自体が自然の立法者なのである」。

すなわち、人間の積極的な精神は、合理的かつ科学的な知識にとって必要な秩序と規則性を提供する。

もちろん、このような合理的かつ科学的な知識とは、われわれに「現れる」事象(フェノメナ)に関する知識に限定されるのであり、現実「それ自体」(ヌーメナ)に関する知識ではない。

カントは(すべての合理的な知識を現象に関する知識とすることによって)「科学を救った」。

まさにそれと同じ方法で、カントは精神の活動を超越する領域―すなわち、人間の自由と道徳的義務の非知覚的かつ非合理的な経験―に十分な余地を残した。

カントは、人格(自由)と科学(決定論)の間に解消不能な区別(dichotomy)を置くことによって、それらを同時に「救済した」と言われている。

しかし、それらは互いに矛盾しており、一方を他方の原理によって解釈することは不可能であるため、カントの解決策の代償は、一貫性のない世界観と認識論的失敗であった(すなわち、カントにおいて、認識論は、単なる「科学」の心理学的分析になった)。
(Greg Bahnsen, Van Til, P&R, p.344-)

1.

簡単に言えばこういうことである。

人間は、コンピュータと違って、与えられた情報をそのままの形で受け取り、記憶することはできない。

まれに、フォトグラフィック・メモリを持つ天才がいる。

東京03というお笑いのトリオの飯塚氏がその持ち主である。

台本を一度見ただけで、写真として記憶し、それを頭の中で読むことができるという。

ルターもその才能があったと言う。

しかし、凡人の場合、情報をそのまま記憶することはできない。

必ず「解釈」が入る。

自分なりの解釈を入れつつ記憶する。

そのため、同じ情報を見たり聞いたりしても、記憶の内容が個人個人違うことがよくある。

人間には、空間や時間などの枠組みを情報に押しつける機能が先天的(超越的に)に備わっており、この枠組みを押しつけることによって、はじめて理解(悟性)が可能になり、その理解に基づいて記憶が行われる。

カントは、この機能のゆえに、「世界の構成者は神ではなく、人間だ」と結論した。

神がどのように世界を創造したかはわからないと。

どのような目的を持ち、どのような意味を持たせて世界を創造したかは、科学の対象外であると。

結局、世界は、人間にとって意味があるかどうかが重要であると。

神にとって重要かどうかを聖書に基づいて判断することはできない。

なぜならば、それは、科学的に証明できないからである。

クリスチャンが「殺人は悪である」と聖書から結論したとしても、聖書を信じないノンクリスチャンには通用しない。

個人個人の主観によって評価が変わるような基準(聖書)を、万人にとっての普遍的な思想の土台にはできない。

客観的に世界を評価し、理解することができないのであれば、「人間が構成者になるしかないではないか」と。

2.

カント以降、芸術は「神が創造された世界を描く」のではなく、「構成者である自分がどう感じたかを描く」ものに変わった。

芸術家は神になった。

「溶けて曲がった時計」を描いたダリにとって「時計とはそのようなもの」なのである。

ソ連は、カントの申し子である。

「神が定義した人間や社会には意味がない。われわれ人間がどうそれらを評価するかが問題だ」という思想のもとに政治が行われた。

この政治によって、ソ連の人々は自由を獲得するどころか、国家の奴隷になった。

聖書が基準であった時代に、神の法は国家と国民の両方の自由を制限することによって調和をもたらしたが、共産主義国家においては、「むきだしの力」を持つ強者が、弱い者を強制するようになった。

3.

カントにおいて、超自然的基準は切り捨てられた。

カントにおいて、基準は自然の中に存在する。

人間は基準を作ることができる。

人間は、神になった。

善悪の知識の木の実を食べ、「善悪を知る(つまり、決定する)者」となった。

道徳は、社会の通念によって決定され、法律もそれに基づいて作られる。

神の出る幕はない。

こうして、サタンは、世界から神を追い出すことに成功した。

しかし、神は主権者としての地位を奪おうとする者に敵対し、呪われる。

カントは人間教という新しい宗教を生み出した。

人間は、知らずにその宗教の信者になっている。

4.

人間教は、キリスト教にも深く浸透している。

神は、自分の幸福のために利用する道具となった。

しかし、聖書は「神は人間を利用される」と教えている。

今日の「クリスチャン」が予定論を嫌うのは、人間教の信者になっているからである。

tomi 2019/12/07(土)16:29

「キリストがいなければ自分はゴミです」と告白できない人

1.

私は、自分はゴミのような人間であると考えている。

それに対して「信仰がない」という批判を受けたので説明する。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ7・24)

パウロは、自分に絶望していた。

「私は、ほんとうにみじめな人間です」と告白した。

自分は「死のからだ」を持っていると。

彼は自分の受けた教育、当時のエリートだったパリサイ人であること、などを糞土のように思っていると述べた。

もしクリスチャンと自称する人で、自分の生まれながらの才能、品性、育ち、教育、持ち物、財産などを誇っている人がいるとすれば、そのような人に私は言いたい。

「絶望が足りない」と。

2.

クリスチャンは2つの部分に分かれる。

肉の部分と霊の部分。

肉の部分とは、生まれながらのもの、神と無関係に得たものである。

自分の力、才能、・・・

こういうものに自信を持ち、信頼を置いているとすれば、それは、呪いのもとである。

主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。(エレミヤ17・5)

ソ連という国は、神を否定し、人間の力だけでやってみた国である。

見事に70年で失敗した。

聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。
あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」
ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。(ヤコブ4・13-16)

「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」

「主のみこころなら」と言わない商売は、傲慢であり、悪である。

「神なんて関係ない。神を信じる人は弱い。俺は、神に頼らずに会社をここまで大きくした」という人は、神には一晩で会社を破滅させる権威があることを知らない。

こういう傲慢を許されてきたということそのものが呪いである。

神の抑制の恵みを受けてこなかったのである。

自我が肥大化し、それが天にまで届くようになっている。

バベルの塔の小型版である。

肉の部分だけで成功することができた人々に私は憐憫の情を抱く。

なぜならば、破滅は避けられないから。

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。(箴言16・18)

神なしでうまくやってきたのは、抑制の恵みを受けてこなかったからである。

傲慢を放置されたからである。

クリスチャンになったら、逐一、神の干渉が入る。

人を見下したら、見下される。

権威に逆らうと、下のものから反抗を受ける。

人に害を与えたら、誰かから害を受ける。

こういうフィードバックによって、徐々に心が整えられ、キリストの姿に近づいていく。

これは、訓練である。

もし、あなたがこのような訓練を受けていなければ、自分が救われているかどうか疑ったほうがいい。

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。(ヘブル12・7)

パウロは、自分の生来のものや、神によらないで得たものについて、頼りにならないということをいやというほど体験によって学んだ。

これが、神の訓練の成果である。

神は肉に絶望するように導かれる。

3.

われわれは、霊の部分において誇るべきである。

霊の部分とは、聖霊に由来するもの、神によって与えられたもの。

私は、高校時代に、テストで必ず90点以上取る技術を身につけた。

コツは、

(1)予習をきちんとする。虎の巻を利用して教科書の内容チェック問題をすべて解く。
(2)授業を一言も聞き逃さないように集中して受ける。
(3)復習時に、カードを作り、問題形式で授業の要点をまとめる。
(4)そのカードの書かれた問題を何度も自分で解いて、知識が完全になるまで繰り返す。
(5)市販の問題集で知識の補強をする。

これをやれば学年トップになれる。

就職したときに、自分には自信があった。

このときの要領で成績優秀者になれると思った。

残念ながら、オンザジョブトレーナーに変人がついた。

指導者として不向きな人で、やたら怒る。

細かい知識を与えるだけで、実際に仕事をやらせない。

いつまでたっても仕事を覚えないので、ダメ社員扱いされた。

一応本部長付で、将来の幹部候補に選ばれていたので、研修で一年ソ連に派遣されたが、かえってそのせいで、一年分同期に遅れを取った。

帰国後も、自分の能力とは別のところ(つまり人間関係)で妨害が入り、前に進まない。

この体験から、私は、自分の力に徹底的に絶望した。

環境が悪いと、自分の力だけでは何も解決できないと悟った。

しかし、神は別の方法で成功を与えてくださった。

あるとき、社内試験があり、そこで歴代一位の成績を収めた。まったく勉強せず、自信のない状態で受けたのに。

これによって、周囲の目が変わった。

自信がある状態で失敗し、自信がない状態で成功した。

この体験から、私は、すべては神がどう動かれかによって決まると悟った。

4.

神は、肉の部分で絶望を与え、霊の部分で自信をお与えになる。

肉に頼っている間は、半端者である。

本当に訓練された人は、肉において絶望しているはず。

たとえば、自分が義人だと考えている人がいるとしよう。

もし神に愛されている人ならば、神は彼または彼女が、どうしようもない罪の中に落ちることを許し、自分の義に絶望するように導かれるだろう。

自分に能力があると過信している人がいるとしよう。

神は、その人の周りに自分より優秀な人を送り込まれるだろう。

人間に頼っている人がいるとしよう。

神は、その頼っている相手が自分を裏切ることをあえて許されるだろう。

このようにして、神はわれわれの生まれながらのもの、神と無関係に獲得したものへの信頼を破壊される。

自信を徹底して破壊されない限り、人は、神に頼らない。

手練手管で人を救いに導けると考えているようなキリスト教は、絶望が足りないのである。

余裕がある人が、ヴァン・ティル主義者になることはない。

非聖書的な方法を採用して成功してきた人が、再建主義者になることはない。

「キリストがいなければ自分はゴミです」と告白できないようなクリスチャンはクリスチャンではない。

tomi 2019/12/06(金)09:31

クリスチャンは憲法9条に反対すべきである

アフガニスタンで殺害された中村医師の言葉:

日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。
具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。
https://ameblo.jp/...

「ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか」

中村氏は「人間は堕落していない」という宗教(ヒューマニズム)の信者である。

彼は創世記3章を無視している。

もしアダムとエバが堕落せず、人間が「生まれながらに御怒りを受けるべき子」でないとすると、「ようやく流れ始めた用水路を破壊」する人はいないだろう。「緑色に復活した農地に、爆弾を撃ち込」もうとする人はいないだろう。

しかし、アダムとエバは堕落し、その子孫は生まれながらに堕落している。

これこそが世界の現実であり、それなるがゆえに、キリストは受肉され、十字架で贖罪の御業を成し遂げられた。

中村氏の宗教では、キリストは不要である。

人間は、贖われる必要はない。

ヌーディスト思想と同じである。

「人間は裸の状態で善である」と。

しかし、聖書は「人間が裸の状態で善であったのは、誘惑に負ける前である」と教えている。

誘惑に負けて罪を犯してからは「裸の状態が悪となった」。

それゆえ人間は、犠牲の動物の毛皮を着なければならなくなった。

神は彼らに毛皮を着せられた。

憲法9条は、「人間の堕落の事実を無視する法律」である。

クリスチャンは、憲法9条に反対すべきである。

「人間は、裕福な生活をしている人を妬み、財を奪い取ろうとする」と認識すべきである。

創世記3章を認めるならば、侵略に備えなければならない。

tomi 2019/12/06(金)04:11

預言者を迫害する人は裁きを受ける

新約時代に預言は存在しない、という間違った考えが広まっている。

パウロははっきりと「預言をないがしろにするな」と警告している。

預言をないがしろにしてはいけません。(1テサロニケ5・20)

これは聖書が完結していない時期の戒めであって、聖書啓示が完成した現代には適用できないというのが彼らの主張である。

しかし、「聖書啓示が完結したら預言が終了する」という箇所は聖書に存在しない。

もしそうなら、「聖書啓示が完結したら、大空や月星などの自然啓示も完結した」と結論せざるをえなくなる。

われわれは、自然界を見て、神の偉大さと、御性質、戒めを学ぶべきである。

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1・20)

「被造物」は「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性」を啓示している。

啓示を聖書に限定する試みは、聖書自身が断罪している。

このような間違った教育を受けた人が、預言を聞くと、次のように考える。

1.うさんくさい。

2.なぜ私の秘密を知っているのか。

3.私を戒めるとは不愉快だ。

旧約時代から、預言者は、このように考える人々から迫害されてきた。

預言を拒絶する罪は、神を拒絶する罪である。

預言者を迫害する人は、神を攻撃しているのである。

こういう人が呪われないはずがないではないか。

預言には吟味が必要である。

預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。(1コリント14・29)

吟味とは「それが聖書的かどうか」とチェックすることである。

聖書的ではない預言は、はねつけるべきである。

しかし、聖書的であるならば、厳粛に受け取らなければならない。

預言者は、迫害される。

しかし、預言者を迫害する人は、裁きを受ける。

tomi 2019/12/06(金)03:05

心を守る唯一の方法は疑いを払拭することである

1.

「神の声を聞いた」という人が宗教を始めることがある。

聖書に通じていない人が多い日本では、悪霊の働きについて理解が乏しい。

悪霊は、心に働きかけ、幻聴を聞かせることがある。

「声が聞こえた」から神の声だと判断すべきではない。

そのほとんどは悪霊の声である。

2.

精神的な病を負っている人の顔を見ると「完全に悪霊にやられている」とわかる。

目に見えない何かに拘束されている印象を受ける。

なぜ人間は、肉体だけではなく、精神も攻撃されるのだろうか。

「神の国を築かせないため」である。

悪霊は、人間を支配し、人間を通じて、この世界を悪魔の国に変えようとしている。

そのため、間違った教えや考えを吹き込んだり、幻聴や幻覚を見せて気を散らし、正常な生活ができなくなるように働く。

解決は、イエス・キリストを信じて聖霊を迎えること。

そして、聖霊によって完全に支配していただくこと。

そのためには、正しい教えを信じて、それを固守すること。

イエス・キリスト以外には、解決はまったくない。

イエス・キリストを告白しない教師や教祖、霊媒師、除霊師は、解決にならない。

彼らは別の目的を持っている。たとえば、金儲けとか。

悪霊は互いにプロレスをしあって、除霊が成功したように見せかける。

霊媒師から除霊を受けても治らないのは、その霊媒師の中にいる霊と、依頼者の中にいる霊がグルだからである。

「追い出すふりをするから、お前は一時的に出ていけ。」

「はい。わかりました。」

除霊が終わってもしばらくすると、その悪霊は戻ってくる。

3.

悪霊に入られたら、なかなか出て行かないから覚悟すべきである。

友人のクリスチャン・カウンセラーに聞いた話である。

ある女性には婚約者がいた。

婚約者が自分の誕生日に自殺した。

そのときから、悪霊に入られて、自分を制御できなくなった。

押さえつけても、ものすごい力で抵抗し、天井に届くほど飛び跳ねる。

どうやっても出て行かない。

山谷で活動するM牧師に相談した。

断食をして祈ったところ、除霊に成功した。

正常な生活に戻った。

きちんと教会生活するようにと勧めたが、教会に来なくなった。

その後のことは知らないが、悪霊が戻ってくる可能性は高い。

戻ってきた場合、以前よりも症状は悪化する。

汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」(マタイ12・43-45)

一度除霊してから再度堕落すると、体の中に入る霊の数が増えるので分裂の度合いが増す。

4.

神学校に入ったときに、献身者が体験する霊的な世界が、レイマンのそれと違うことに驚いた。

攻撃が尋常じゃないのである。

悪霊は、自分が持っている弱点をことごとく突いてくる。

教会の長老になった人も同様の攻撃を受けているはずである。

しかし、御言葉を取り次ぐ牧師や伝道師ほどではないだろう。

牧師や伝道師は、責任が重い分、刑罰も厳しい。

私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。(ヤコブ3・1)

5.

昔は鬱状態に入ると、何も手に着かず、寝ていることしかできなかったが、40代に入ってからは信仰によって情緒が安定し、そのようなことはなくなった。

そもそも、われわれには、言いたいことを言う自由はないのである。

荒野で民は、「もうだめだ」と言った。

「エジプトにいて奴隷だったころのほうがよかった。荒野ではマナしか食べるものがない」と愚痴った。

このような言葉が出てくる前に、頭の中で「くそ!」と思っているはず。

そのような不平不満が頭に浮かんだ段階で、道を踏み外し、神との調和は破壊されている。

ラッシュドゥーニーも、神に対して文句を言いがちだと告白していた。

電話で会話したときに「ワイフが盲目になってしまった」と落ち込んだ声で話されていたことを思い出す。

実際に目が見えなくなられたそうである。

気持ちが弱くなったら、すでに述べたように「それでも主を信じます」「神は全能だから大丈夫」と言おう。

悪魔はこの言葉を聞くと、それ以上攻撃できなくなる。

問題は、自分のうちにある不信仰である。

不信仰は、自分を底なし沼に引きずり込む。

心を守る唯一の方法は「それでも主を信じます」というパワフルな言葉である。

6.

裁判所は、6人殺したペルー人に対して無期懲役を言い渡した。

ヒューマニズムがいかに人間や社会を破壊するか、これでおわかりだろうか。

聖書という基準を失い「人間だけでやっていける」と考えると無茶苦茶になるのである。

悪霊にとって、ノンクリスチャンは「どうにでもできる奴隷」である。

なぜならば、生まれながらの人間はアダムにおいて「悪魔に魂を売った」からである。

イエス・キリストを信じて生まれ変わることは「神に魂を売った」ことを意味する。

自分のために命を捨ててくださったイエス・キリストの支配下に入ることと、自分を地獄に落とそうとしているサタンの支配下に入ることとどちらがよいか。

イエス・キリストを信じない限り、あなたは悪霊の餌食であり、彼らのおもちゃである。

サッカーボールのように、蹴り回される。

7.

クリスチャンでも、気落ちし、不信仰を続けると、同じ状態になる。

われわれには、祈りによって山を動かすことができる力がある。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11・23)

イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。(マタイ21・21)

疑いを払拭すること。

それだけが解決である。

tomi 2019/12/04(水)14:22

サタンによる「最後の悪あがき」の時代

「ドラマの結末は有名であり、ジャック・デ・モレイとその仲間たちが炎の中でどのようにして死んだかはよく知られている。しかし、処刑の前に、この消滅する運命にあった結社の首長は、後にオカルトメイソンとか秘密のメイソン、スコティッシュ・メイソンと呼ばれるようになった組織を設立した。牢獄の暗闇の中で、このグランド・マスターは、東はナポリ、西はエディンブルク、北はストックホルム、南はパリに四つのメトロポリタン・ロッジを作った。最初の三階級と同じ順序に見られるJ.B.M.という彼の名前のイニシャルは、それが近代フリーメーソンの起源であったことを示す多くの内部的で説得力のある証拠の一つでしかない。」(アルバート・パイク、『モラルとドグマ』、p.820.)

イルミナティとフリーメイソンのトップであり、KKKの首領であったアルバート・パイクによると、

テンプル騎士団のジャック・デ・モレイは「近代フリーメーソンの起源」であった。

そして、ウォルト・ディズニーは、「デ・モレイ」という組織のメンバーであった。

ディズニーランドには「クラブ33」がある。

ディズニーは、テンプル騎士団に紀元を持つ近代フリーメイソンの宣伝機関である。

テンプル騎士団は、十字軍から発生した。

十字軍活動以降、いくつかの騎士修道会(構成員たちが武器を持って戦闘にも従事するタイプの修道会)が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名なものである。創設は1096年の第1回十字軍の終了後の1119年であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。
(Wikipedia―テンプル騎士団)

十字軍を財政面で支えたのが、「黒い貴族(ベネチア・オリガルキー)」たち。

シオニズム運動を近代に限定するのは間違いである。

シオニズム運動の起源は、十字軍にあり、それを主導したのはタルムードユダヤ人である。

私は次のように考え始めている。

黙示録20章の千年王国は、文字通り千年続いた。

紀元70年に始まり、紀元11世紀の十字軍で終わった。

十字軍からルシファーの世界政府運動が復活した。

それが、黙示録20・3の実現である。

底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。(黙示録20・3)


紀元18〜21世紀の歴史を見るとどうしても「それが諸国の民を惑わすことのないようにした」とは言えない。

十字軍から始まったタルムードユダヤ人のシオニズム運動は、共産主義運動となって世界を席巻してきた。

今、共産化した中国と北朝鮮、韓国を通して日本の国体の危機を生んでいる。

われわれの時代は「そのあとでしばらくの間、解き放され」たサタンによる「最後の悪あがき」の時代なのではないか。

tomi 2019/12/03(火)20:46

ミレニアムの活動を支援してくださる皆様には感謝しております

1.

iPS細胞の山中教授への研究費が廃止されるらしい。

iPS研究予算「いきなりゼロは理不尽」 山中伸弥所長
支援継続を政府に求める

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長は11日、日本記者クラブ(東京・千代田)で記者会見し、再生医療用のiPS細胞作製を支援する政府の大型研究予算が2022年度で終わる予定であることについて「いきなり(政府の支援を)ゼロにするのは相当理不尽だ」と述べ、支援の継続を求めた。

【関連記事】 iPS備蓄事業、予算減額案 山中氏「非常に厳しい」
山中氏がノーベル生理学・医学賞を受賞した12年以降、政府はiPS細胞研究などに10年間で1100億円を拠出することを決め、その中で再生医療用のiPS細胞作製に取り組んできた。

山中氏はこれまでの研究を「オールジャパン・ワン・チーム体制で進めてきた」と評価し、作製したiPS細胞を使った移植手術の実施などを成果に挙げた。

23年度以降の支援のあり方については政府内で議論が続いている。山中氏は「一部の官僚の考え」と断った上で、政府の支援がゼロになる案を耳にしたと指摘。「(政府の専門家会議など)透明性の高い議論での決定なら納得だが、違うところで話が決まってしまうと理由もよくわからない」と不満を述べ、意思決定の過程に透明性を求めた。

山中氏らは9月、iPS細胞を備蓄し、研究機関などに提供する京大の「ストック事業」を担う一般財団法人を設立した。記者会見では、このほど内閣府に対し、税制優遇を受けられる公益財団法人になるための申請をしたことを明らかにした。
https://www.nikkei.com/...

この「一部の官僚」が癌。

あの法政大の山口教授に6億をつける政府。

文系研究に年間6億。

何に使うのか。

選挙で選ばれてもいない官僚にこれだけの巨大な権限がある限り、日本の衰退は避けられない。

官僚が左翼化したら終わり。

そして、実際に左翼化している。

2.

今、日本は相当やばいところにいる。

会員の皆様にも攻撃は激しいと存じます。

このような邪悪な時代に、人々は気が狂います。

「なんで山中教授のような価値のある研究が打ち切りになって、山口のような反日教授に科研費がつくのか」と思うだろう。

気が狂っているからである。

悪魔の騙しがキツいから。

私が最近発表した日本に関する一連のエッセイは日本だけではなく、世界を変える重大な事実が記されているが、人々はまったく理解できない。

目が何かで覆われているのだ。

このような状況においてわれわれがまず発しなければならない言葉は「それでも主を信じます」である。

「ダメかもしれない」と言ったら、そちらに流される。

サタンは発した言葉を拾うからだ。

「もうだめだ」と言った人々は、荒野で滅んだ。

言葉は現実になる。

「大丈夫。神は全能だから。必ずわれわれは勝利する」と無理矢理でも言わなければならない。

発した肯定的な言葉は、肯定的な結果となってフィードバックされる。

否定的な言葉は、偶像礼拝である。

われわれは、状況がどのようであっても「大丈夫!こちらが勝つ!」と言おう。

3.

私に対する攻撃は、祈らせないことである。

毎日散歩し、2,3時間祈ってきたが、荒川土手と道路を結ぶ橋が工事になり、散歩できない。

その他の入り口には駐車場がないから。

完成は、3,4年後。

それまでどうしようかと思う。

24時間営業のフィットネスクラブの会員になってマシンで歩こうかと思う。

会費毎月6千円が与えられるように祈ってください。

さらに、今30年住んでいるアパートの水漏れがひどくて、2階の人がトイレを使うと、ポタポタと水滴が落ちる音がします。

聞いたら、タンクのパイプから水が漏れているとのこと。対処すると言われましたが、その間に、漏電で火事にならないか心配です。

このアパートはもう老朽化しているので、建て替える時期が来ているのではないかと思うので、引っ越しも視野に入れて祈っています。

4.

目がますます老眼で見えなくなっており、画面の細かい字が見えにくくて困っています。

それから、支援者の皆様もご高齢になりつつあり、支援者が減っています。

新しい若い人が支援者に加わるようにお祈りください。

私は、金儲けでやっているわけではないので、普通に生活できればいい程度のお金でけっこうです。

できれば、エドワード・ヘンドリーの著作の翻訳もしたいのですが、人々の目が盲目なままでは100万単位のお金は集まりません。

これは時期ではないと考えています。

5.

中国は、莫大なお金で工作員を使い、ユーチューブに反日動画を上げて日本を悪者にしています。

韓国も、旭日旗はナチスの鍵十字旗と同じだとニューヨークでデモを行ったり、日本を貶めるために大金を投じております。

それに対して、日本側はのんきに構えて、何も対策を講じていません。

この無為無策を補完するために、私が孤軍奮闘で、ユーチューブに動画を上げたり、コメント欄でバトルをやっています。

敵は、BAN祭りと称して、われわれ保守派の日本人のチャンネルを廃止に追い込み、私の200本の護国のための英文動画があったチャンネルを廃止に追い込みました。

コメント欄でバトルした中国人が「お前のコンピュータに攻撃を掛ける」と言った後、私のコンピュータのデータがまるごと消去されたり、何度もシステムを破壊されました。

コメント欄で行ったバトルの内容の一部は、

http://www.millnm.net/...

に記載してあります。

南京大虐殺や慰安婦、日本のアジア侵略などがウソであること、コミンテルンによる対日挑発工作、その他イルミナティの計画など、重要な事実について、世界の人々に知らせる活動は、敵の総攻撃によってことごとく破壊されてきました。

膨大な時間を使って作った200本の動画はすべて消去されました。

英語で発信できる人は、日本人の中では限られています。

私は、中国の工作員の間では有名です。

悪魔のほうが圧倒的に金銭的に有利であり、われわれ神の国の側は圧倒的に弱者です。

このような理不尽に毎日直面しながら、なおも神の力を信じつつ戦っているミレニアムの活動を支援してくださる皆様には感謝しております。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

tomi 2019/12/03(火)10:01

聖書において必ずしも蛇は悪魔の象徴ではない2

あの青銅の蛇は
 青銅=裁き
 蛇=サタン
 燃える蛇=サタンは火の池へ
 旗竿=十字架
で、全体として、イエス様の十字架でサタン/罪が裁かれた、だからイエス様を信じて十字架を仰ぎ見れば救われる、と解釈していましたが、蛇=イエス・キリストなのでしょうか?

「燃える蛇」と訳されている箇所は、nachash seraphと2つの「蛇」を表す言葉の連語になっており、前者nachashは創世記3章にも出てくる「蛇」を表す言葉で、後者seraphは「毒蛇」という意味です。
https://biblehub.com/...

seraphの複数形seraphimは、6枚の羽を持つ炎の様に飛ぶ天使セラフィム(イザヤ6・2)を表すので、燃える蛇は「毒蛇の姿で派遣された御使い」と解釈できます。

つまり、この蛇は、人々を罰するために神に派遣された一種の御使いなので、必ずしもサタンを象徴するとは限らないと思います。

青銅nechoshethは、奇妙なことに、蛇nachashと子音字のN-CH-SHの部分が同じです。韻を踏んでいるのかもしれません。

青銅は、Strong's Exhaustive Concordanceによると、裁きの意味はありません。

あったとしても「無慈悲な空」を象徴する場合だけです。

金は太陽を、銀は月を、銅は大地を象徴することから、「土から作られた人間」として救いのために来られたセラフィムであるイエスを示すのではないかと思います。

旗竿が「十字架」を象徴することはヨハネ3・14から明らかです。

(まとめ)

1.総合して言えば、民数記のこの箇所において現れた「蛇」はサタンを表すのではなく、「裁きの御使い」を表す。

2.青銅の蛇は、神に使わされた「十字架上の受肉したキリスト」を象徴する。

(ちなみに)

飛鳥氏によると、伊勢神宮の外宮の地下にある天御量柱(あめのみはかりのはしら)は「旗竿に巻き付いた蛇」であるといいます。

tomi 2019/12/02(月)19:10

聖書において必ずしも蛇は悪魔の象徴ではない

崇神天皇の頃から、皇室が最も大切にしてきた大神神社に伝わる謡曲 三輪に、
「思えば伊勢と三輪の神、思えば伊勢と三輪の神、
 一身分体の御事、今更何と磐座や」とある。

伊勢神宮と大神神社に祀られている神は同じという意味。
ところが、

日本書紀 崇神天皇条 の箸墓伝説によると、
三輪の大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫が、
夜しか訪れない夫の姿を、朝日の下で見たいとねだったところ、
その正体は、うるわしい白蛇だったのだ。

蛇はユダヤ教では、イブを誘惑した悪しき知恵の化身で、
あまりにも相性が悪すぎる、ありえない話。

日本とユダヤが同祖なら、これはいくらなんでもナンセンス。
日本の神は蛇に変身するという基本コンセプトを、どう解決するのかな。
賀茂神社でもあるんだよな。
http://mimizun.com/...

旧約聖書において「蛇」はキリストを象徴する。

モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21・9)

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。(ヨハネ3・14)

tomi 2019/12/01(日)15:09

人を恐れるとわなにかかる

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29・25)

下記の動画において、松本ハウスのハウス加賀谷氏がかかっている統合失調症について、彼自身が説明している。

中二のときに、突然、幻聴が聞こえるようになった。

後ろの席の女子が暑さのために下敷きで扇いでいるのを見て「自分が臭いからだ」という考えが突然頭に入ってきたという。

同じ授業中に後ろのほうから特定できる人の声で「わー加賀谷臭い」という声が聞こえてきた。

振り返って、その声の主を見ると、普段と変わらずに普通にノートを取っていた。

私は、この話を聞いて、悪霊の縛りだと思った。

悪霊は、人の人生をめちゃくちゃにするために、「つまらないこと」によって縛ろうとする。

様々な幻想や幻聴を見せたり聞かせたりして、気を散らすのである。

私の考えでは、こういう攻撃を受けやすい人は「いい人」である。

良心的で、反省すべきことがあれば素直に反省できる人である。

悪いことをしても、頑固に反省しない人はこういう悪霊の誘いに乗らない。

きっと、加賀谷氏はいい人なのだと思う。

悪霊は、彼のような素直な人を探して、餌食にしようとする。

新興宗教にひっかる人も、その多くは、基本、純粋でいい人である。

思想的な免疫がないので、くだらない教えでも素直に信じてしまう。

非聖書的思想は、悪霊の現象であり、信じた人をがんじがらめに縛る。

有名なオリンピック選手で、迷信に縛られている人がいる。

部屋を全部風水に従って改造し、お守りやパワーストーンなどを身につけている。

迷信に縛られると、普通のことができなくなる。

信じていない人なら自由に選択できる数字も、回避する。

仏滅などによって、日取りを制限される。

迷信は、偶像礼拝である。

偶像礼拝は、人を被造物の奴隷にする。

人間の視線や、世間の声、評価に左右され、自分の人生を歩くことができなくなる。

偶像は救ってくれない。

人の評価で自分が救われるわけではない。

加賀谷氏の幻聴も、原因は「人への恐れ」であろう。

日本人が陥りやすいこの弱さをサタンに利用されたのである。

解決は、イエスに頼ること。

人に頼ると、その相手に負担を掛ける。

しかし、神に頼るなら、無限の包容力を持つ神は、何時間愚痴を言っても聞いて受け止めてくださる。

https://www.youtube.com/...

tomi 2019/12/01(日)06:02

「神々」と訳すべきである2

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記1・26)

キリスト教は、「神は複数いらっしゃる」ということを前提として成立する。

なぜならば、創世記1・26の「神は仰せられた」における、神という意味のヘブル語「エロヒム」が、神という意味の「エロアハ」の「複数形」だから。

創世記1・26は「神は複数名詞で表現されるお方である」と宣言している。

しかし、同時に創世記では「神はお一人である」とも証言している。

「仰せられた」という述語は単数形の動詞だから。

ここから「複数の神々が、単一の法人として行動される」ということがわかる。

神は「存在論的に多、法的に一」のお方なのである。

キリスト教の神は、多神教であると同時に一神教なのである。

この多神教の要素を何か悪いものであるかのように扱うことはできない。

「さあ人を造ろう」の「造ろう」は、一人称複数形である。

複数の神々が、相談して行動している。

互いに独立した神が話し合い、決定し、行動される。

世界が創造される前に、神しかおられなかった。

創造以前に、神は互いの間で社会を形成しておられた。

つまり、「社会」は究極的なのである。

創造された後に社会ができたのではなく、創造以前に社会は存在していたのである。

社会とか秩序とかグループとか合意とか・・・

複数の人格が存在しないと成立しない概念が、もともと神の存在のあり方に起源を持っており、それゆえに、究極的だと聖書は啓示している。

だから、多神は悪ではない。

多神を悪とすると、神を否定することになる。

「存在論的に神は多である」という考えを持つことに躊躇すべきではない。

「存在論的にも神は一である」と無理に考える必要はない。

「存在論的に神は一であると同時に多である」という考えは自己矛盾している。

聖書において神は、わざわざ、単数形と複数形という文法的規則を持つヘブライ語を用いて啓示されているのである。

それゆえ、神が、われわれに数的に自己矛盾するような教えを信じるように期待していると考えることはできない。

われわれは、「神は、存在論的に多である」と信じるべきだ。

では、単数形の述語が用いられているのをどう解釈すべきか。

その「多数の神々は、法的に単一体として行動される」と考えるべきだ。

会社と同じである。

会社には複数の社員がいるが、単一体の法人として行動する。

神は、法人なのである。

複数の人格が互いに契約を結んで「法的に一人」となり、活動する。

これ以外に、合理的な理解は不可能である。

tomi 2019/11/30(土)21:45

「神々」と訳すべきである

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記1・26)

ここで「神」に当たるヘブライ語elohimは、eloah(神)の複数形である。

https://biblehub.com/...

つまり、直訳すると「神々」なのである。

しかし、「仰せられた」に当たるwayyomerは、動詞amarの三人称単数。

主語が複数なのに、述語が単数。

明らかに「三位一体」を啓示している。

さらに、

「さあ人を造ろう」の「造ろう」に当たるnaasehは、動詞asahの一人称複数。

神々の間での相談と合意があったことを示している。

この一節だけで、神は存在論的に複数、契約的に単数であることがわかる。

私はこの箇所を次のようにきちんと「神々」と訳すべきだと考える。

神々は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記1・26)

tomi 2019/11/30(土)13:35

ユダヤ人の普遍思想の根源はタルムードにある

今のユダヤ人の普遍思想の根源は、旧約聖書(三位一神教)にあるのではなく、タルムード(一位一神教)にある。タルムードは、バビロン由来の思想であり、ヤハウェではなく、ルシファーを崇拝する。

バビロン捕囚から帰還した人々が、バビロンのバアル信仰を持ち込み、それがユダヤ思想の中に入った。

パリサイ人に対して「あなたがたは聖書よりも言い伝えを重んじ、聖書を無効にしている」とイエスが批判した「言い伝え」とは、ミシュナーを指す。このミシュナーはバビロンのバアル信仰に由来し、後に成文化されてタルムードになった。

タルムードは、単一の人格しかないルシファーを崇拝する一位一神教なので、多様性を統一性よりも低く評価する。これが、今日のユダヤ人の「世界統一」思想の根源にある原理。タルムードユダヤ教は、他の民族をみな「ゴイム(異邦人)」として一つにまとめあげ、奴隷として扱うべきとする。

グローバリズムの問題は、このタルムードユダヤ教の「統一思想」「全体主義」にある。

それに対して、旧約聖書は創世記においてはっきりと「神は複数の人格を持つ」ことを示している。アダムが罪を犯したときに神は「アダムはわれわれの一人のようになった」と言った。

イエスが父を神としつつ、さらに、自分をも神としたため、ユダヤ人はイエスを冒涜者として処刑した。しかし、旧新約聖書において、神は「契約を結んだ3人の神が一人の法人として存在する」。それゆえ、神において統一性も究極であり、多様性も究極である。

創世記のアブラハム契約において、神は「世界の諸民族はあなたの子孫によって祝福される」と言い、異邦人に祝福を届けることこそが、ユダヤ民族の存在意義とした。

聖書において、個々の民族や人種はそれぞれの個性を保持し、生かしながら、神の前に一つとなるべきと教えられている。

タルムードにおいて、民族や人種はごちゃまぜに統一され、ユダヤ民族の奴隷となるべきと教えられている。

tomi 2019/11/29(金)18:52

世界の人々はシオニストによる深い洗脳の中にいる

1.

サタン側の攻撃の中心的作戦は、シオニズムである。

シオニズムとは、地球をサタン化することを目的とする「悪魔の国運動」である。

具体的には、イエスを拒否したタルムードユダヤ人たちがパレスチナに戻って旧約の体制、つまり、パリサイ人が支配する邪悪なイスラエルの体制を復活させ、ルシファー教を立て直すこと。

そして、そこから世界を支配し、世界をルシファー教によって統一すること。

この秘密の計画に基づいて世界の人々に対する洗脳が行われてきた。

この洗脳は非常に深いので、脱出することが難しい。

2.

共産主義、左翼、リベラルは、実質シオニストである。

いかに彼らがパレスチナを支援したとしても、実質イスラエルを支援している。

福音派は、実質シオニストである。

いかに彼らがサタンを敵として見ていても、クリスチャン・シオニズムを通じて、実質サタンの支配を拡大している。

タルムードユダヤ人による洗脳を通じて、クリスチャンは、イスラエルを支援するように仕向けられている。

3.

紀元70年において旧約の体制が「未来永劫崩壊した」ことが信じられず、再び終末に復活すると考えている。

紀元70年を境に、「ものそのもの」には聖俗の区別がなくなったのに、いまだに酒・タバコなどをタブーとしている。

紀元70年以降の世界において、

「用いる人の心」が邪悪であり、自分の栄光のために使えば、ものは俗になる。

「用いる人の心」が善良であり、神の栄光のために使えば、ものは聖になる。

これが、新約時代の経綸である。

4.

人々は、黙示録が終末時代のために書かれていると吹き込まれている。

マタイ24章を「終末預言」と信じるように誘導されている。

こうして、クリスチャンはシオニストの罠にはまって、悪魔の支配拡大を妨害しないように飼い慣らされてきた。

5.

解決は、心を入れ替えること。

聖霊による完全な支配を祈ること。

そして、深く深くかかった自分の洗脳を解いていただくよう願うこと。

tomi 2019/11/28(木)20:02

京都や伊勢神宮そのものを聖とすべきではない

1.

京都はかつて「平安京」と呼ばれていた。

平安=平和

京=王宮や政府のあるみやこ

エルサレムも同じ「平和の町」という意味である。

「サレム」は、「シャローム(平安、平和)」と語根が同じであり、「エル」は町。

京都を作ったのは、秦河勝。

秦氏は、初代教会のユダヤ系クリスチャンを祖先に持つ。

おそらく、エルサレムが神の国の都としての地位を失ったので、新世界である日本において「新エルサレム」を作ろうとしてのだろう。

京都は、奴(T字型)の形をしている。

埋蔵文化財を発掘調査する「京都市埋蔵文化財研究所」の杉山信三所長は、長年の発掘調査の結論として、平安京は長方形ではなく、奴型の「人型構造」だったと公表している。
http://www.sengyomura.jp/...

船岡山を頭とすると、十字架になる。

何年か前に京都に行ったとき、船岡山に登った。といっても、小高い場所にある公園である。そこから、京都の町を見渡せる。

2.

米軍の原爆投下の当初の計画では、京都に落とす予定だった。

開戦時まで駐日大使を務めたJ・グルーが、文化都市として反対したという。

エルサレムにルシファーの神殿を建設する予定であったタルムードユダヤ人にとって、京都はライバルであり、邪魔物である。

今でも京都を消す計画があるかもしれない。

ちなみに、一説によると、彼らは、日本の水源に福島の放射性物質の入った土嚢を入れて、日本人を根絶する計画を建てているという。(拡散されて効果はないと思うが。)

自民が男女平等原則を掲げ、女系天皇を推進したり、地方自治体でヘイト・スピーチ法に罰則を付ける動きがあるが、日本に対する彼らの総攻撃が始まったと感じる。

近年の台風の巨大化や、地震、津波、原発事故など、大本には、ルシファー神を信じるタルムードユダヤ人が世界政府を作るために、日本と日本人を抹消する計画があるのだろう。

彼らは、日本が、ダビデ・ソロモンに始まるイスラエル王国を継承していると知っているのだ。

3.

京都の東に伊勢神宮がある。

ダビデの王宮は、エルサレムの西にあった。

聖書において、東は、キリストを象徴する太陽が昇る神聖な方角である。

王の住まいである京都は、神殿である伊勢神宮の西に作らなければならなかったのだろう。

伊勢神宮には、第三神殿の意味があるのかもしれない。

ただし、注意しなければならないのは、聖書では、第三神殿とはキリストの御体であり、クリスチャンの体であると理解しなければならないということである。

新約時代においてもなお、固定された神殿を設営しようとすることは、キリストとクリスチャンの復活を無視する暴挙である。

キリストは「神殿を壊しなさい。私が三日でそれを建てよう」と言われた。

パウロは「あなたがたの体は聖霊の宮である」とクリスチャンに言った。

それゆえ、われわれは、石や木で作った神殿を新約時代における正式な神殿と考えてはならない。

たとえ伊勢神宮が第三神殿を意図して作られたにしても、それをそのまま受け取ってはならない。

4.

新天新地を目指して日本にやってきた初代教会のユダヤ系クリスチャンたちは、日本を再建されたイスラエル王国と考え、国作りをしたのだろう。

彼らは、神の世界支配の方法が紀元70年を境に決定的に変わったことを理解していただろう。

それゆえ、「ものそのもの」に聖俗の区別はないと知っていたはずだ。

イエス・キリストの十字架による贖罪によって、天地のあらゆるものが神と和解している(コロサイ1・20)からである。

新約時代において、あらゆる食物は聖い。食べる人の動機によって聖にもなれば、俗にもなる。

あらゆる場所は聖地である。ただ利用する人の心によって聖地にでもなれば、俗地にもなる。

あらゆる建物は聖である。ただ利用する人の心によって聖にでもなれば、俗にもなる。

あらゆる民族は聖である。ただ彼らの心によって選民にでもなれば、非選民にもなる。

それゆえ、京都がたとえ「イスラエルの都」として作られ、伊勢神宮が「第三神殿」として作られたにしても、旧約の経綸のもとにあるかのように、それ自体を聖とすることはしなかったはずである。

tomi 2019/11/28(木)16:21

プロテスタントはもともとタルムードユダヤ側ではなかった

プロテスタントをタルムードユダヤ側に入れる間違った理解がはびこりつつある。

1.

イエスは、バビロン由来のミシュナー(後に成文化されタルムードになった)を聖書よりも高い位置に置くパリサイ人と対立。十字架で処刑される。

そのイエスに従う弟子たちも、パリサイ人によって迫害された。この迫害は紀元70年まで続く。

それゆえ、キリスト教は、タルムードユダヤ人との対立から始まった。

2.

宗教改革は「タルムードユダヤ化したローマ・カトリック」に対する拒絶から生まれた。

「聖書のみ」を主張し、教典を聖書66巻に限定することによって、タルムード思想の侵入を阻止した。

ルターはユダヤ人の謀略に警告を発した。

3.

プロテスタントは、アルミニウスからタルムードユダヤ化が始まり、リベラル主義とデイスペンセーション主義で決定的になった。

今日、カトリックと同様にほぼ全体がユダヤ化されている。

宗教改革の精神は、一部を除き、消えた。