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tomi 2020/07/06(月)09:42

ディープステートの崩壊が近づいた

トランプ氏、コロナ「99%は無害」 過激左派との戦いも宣言 独立記念式典

<毎日新聞2020年7月5日 22時18分(最終更新 7月5日 22時18分)>

ホワイトハウスで開いた独立記念日の祝賀イベントで演説するトランプ大統領=4日、AP

 トランプ米大統領は4日、ホワイトハウスで開いた独立記念日の祝賀イベントで演説した。「過激左翼との戦い」を宣言し「米国の生活様式を守り維持する」と強調。11月の大統領選を前にリベラル派や主要メディアら抵抗勢力への敵意をむき出しにした。感染拡大の続く新型コロナウイルスについては「99%は無害だ」と述べた。

 演説は、トランプ政権が昨年、記念日の花火大会に合わせて始めた国威発揚イベントの一環。戦闘機や大統領専用機が上空を飛行した。大統領が独立記念日の式典で演説するのは異例。「祝日の政治利用」批判を意識し、昨年の演説は国民融和を訴える内容だったが、今年は党派色を鮮明にした。

 トランプ氏は、黒人差別への抗議デモで続く銅像や記念碑の破壊・撤去に対し「歴史の抹消は許さない」と強調。「過激左翼やマルクス主義者、無政府主義者らを倒す戦いだ」と述べた。またメディアに対しても「歴史を守ろうとする市民に差別主義者のレッテルを貼っている」と非難した。野党・民主党を含むリベラル勢力が、米国の価値観や統治機構の破壊を狙っていると印象付ける狙いがある。

 また、トランプ氏は前日の中西部サウスダコタ州での演説に続き、米国の歴史上の「英雄」の銅像を多数展示する国立庭園を建設する考えを示した。英雄には、トランプ氏の主要支持層のキリスト教福音派教徒に大きな影響力を持ち、2018年に死去したビリー・グラハム師も含まれる。

 国内の感染者数が280万人を超えたコロナウイルスについて、トランプ氏は「4000万人近くに検査を実施し(感染しても)99%は無害であることを示せた」と述べた。ホワイトハウス南庭で開催された式典では、招待者の座席が、ソーシャルディスタンスを取ることなく配置された。

 一方、市中心部のナショナル・モールで花火を観覧した一般市民は例年に比べ激減した。ワシントン市長らが感染予防のため外出自粛を呼びかけていた。【ワシントン高本耕太】
https://mainichi.jp/articles/20200705/k00/00m/030/194000c

ついにトランプが、ディープステート(左翼)との戦いを鮮明に打ち出した。

神の国と悪魔の国の戦いが可視化できる状況となった。

麦と毒麦が鮮明に分離されるようになったら、クリスチャンは「毒麦(悪魔の国)に対する裁き」が直前に迫っていると判断すべきである。

1.

トランプ氏は、黒人差別への抗議デモで続く銅像や記念碑の破壊・撤去に対し「歴史の抹消は許さない」と強調。「過激左翼やマルクス主義者、無政府主義者らを倒す戦いだ」と述べた。

トランプは、戦いの相手を鮮明に描いた。

敵は「過激左翼やマルクス主義者、無政府主義者ら」である。

彼らは、アメリカの歴史を否定するグローバリストである。

国民国家を否定し、民族の垣根を消し去ろうとする人々である。

これらグローバリストたちが、ルシファー崇拝と密接に結びついていることは、このHPで何度も指摘した。

悪魔は「一位一体」である。つまり、人格が一つしかない。

それゆえ、悪魔の世界統一とは「多様性を犠牲にする統一」である。

神は「三位一体」であり、複数の人格を持つ。それゆえ、神の世界統一とは「多様性と両立する統一」である。

馬淵氏は、ディープステートのユダヤ人がなぜ多様性を犠牲にした統一性を目指すか、というと、それはユダヤ人の二面性に原因があると述べている。

旧約聖書の預言者には世界統一を目指す人と、イスラエル民族主義者と2種類の人がいたと。

残念ながら違う。

ディープステートのユダヤ人が「多様性を犠牲にした統一性」を目指す理由は、その信じる神であるルシファー(つまり、サタン)が、一位一体だからである。

サタンは、多様性を排除し、均一化された世界を自分の手の中に収めたいのである。

いろんな民族、いろんな人種、いろんな国があっては困るのである。

いろんな才能があってもらっては困るのである。

すべてを一番低いところに合わせて均一化したいのである。

その手段が福祉国家である。

頑張った人も怠けた人も同じ報いを受ける国。

来日したばかりの中国人に健康保険で治療を施し、生活保護を支給する自治体。

頑張って稼いだお金がこれらの頑張らない人々に垂れ流される国。

サタンは、世界中の国をこのようにしたいのである。

サタンは、カラフルが嫌いである。

すべてを灰色にしたいのである。

トランプの戦いは、「頑張った人が頑張っただけの結果を受け取るアメリカ」を取り戻すための戦いである。

2.

またメディアに対しても「歴史を守ろうとする市民に差別主義者のレッテルを貼っている」と非難した。野党・民主党を含むリベラル勢力が、米国の価値観や統治機構の破壊を狙っていると印象付ける狙いがある。

事実、リベラル勢力は、米国の価値観や統治機構の破壊を狙っているのである。

神の創造は「分離」を通じて進んだ。

神は「光と闇」を分け、「天と地」を分け、「海と陸」を分け、「エデンとそれ以外」を分け、「園とそれ以外」を分けられた。

価値が成立するには、差別は不可避である。

価値あるものとゴミを分別しない人がいるだろうか。

パンを買ってきて、袋ごと食べる人がいるだろうか。

内閣参与だった平田オリザという芸術家が、「鳩山さんと、21世紀は近代国家を解体する世紀だ」と話し合っていると言った。

日本においても、アメリカにおいても、リベラル勢力は、国家解体を目論んでいる。

アメリカにおける銅像破壊は、愛知トリエンナーレでの昭和天皇の肖像の破壊と同じ起源を持つ。

その背後に、神の創造秩序を破壊し、被造物を混沌化することを狙うサタンがいる。

3.

また、トランプ氏は前日の中西部サウスダコタ州での演説に続き、米国の歴史上の「英雄」の銅像を多数展示する国立庭園を建設する考えを示した。英雄には、トランプ氏の主要支持層のキリスト教福音派教徒に大きな影響力を持ち、2018年に死去したビリー・グラハム師も含まれる。

残念ながら、ビリー・グラハムは、ディープステート側で、トランプ側の人間ではない。

ビリー・グラハムは、自分をクリスチャンとして売り込んで福音派の中に入り込んだ工作員である。

http://www.millnm.net/qanda4/22t8jasNwIRAg58302.htm


4.

 国内の感染者数が280万人を超えたコロナウイルスについて、トランプ氏は「4000万人近くに検査を実施し(感染しても)99%は無害であることを示せた」と述べた。ホワイトハウス南庭で開催された式典では、招待者の座席が、ソーシャルディスタンスを取ることなく配置された。

コロナウイルス騒動は、ディープステートが仕掛けた罠であり、国民を分断し、孤立化、弱体化させるための手段である。

ソーシャルディスタンスを取ったり、マスクをしている人は、自分が国家を破壊し、サタンの世界統一計画に手を貸していることに気づいていない。

tomi 2020/07/05(日)19:35

永遠をどこで過ごすのか?2

「死後の世界はない」と考える人が多いが、非常に不幸なことである。

なぜならば、誰も科学的に証明できないから。

死後の世界の存在については、データを集められない以上、科学の対象外である。

科学はデータを集められる範囲内でしか知識を得られない。

それゆえ、生存中に「死後の世界はない」と言う人に確信はない。

いや、むしろ、逆の確信はある。

つまり、彼らは「死後の世界はある」と確信している。

なぜか。

なぜならば、聖書がそのように言っているからだ。

それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1・19ー20)

「神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです」。

神が彼らに明らかにされた。

つまり、彼らは神を知っている。

神を知っているだけではなく、「神について知られること」、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性」は「被造物によって知られ、はっきりと認められる」。

誰でも、被造物を見れば、神の本性、永遠の力、神性ははっきりとわかる。

では、彼らはなぜ神を否定するのだろうか。

押し殺しているのである。

心に浮かんでくる神意識を必死に押さえ込んでいる。

誰でも、近くに神がおられることを体験している。

神のご臨在を体験したことのない人はいない。

私は人生の中で間近に神がおられることを何度か体験した。

圧倒的な存在感である。

誰もが「自分は地獄に行くべき罪人である」と知っている。

誰でも、地獄に行くような罪を犯したことがある。

ただ、考えないようにしているだけである。

監視カメラのない駐車場から出るときに、隣の車に接触し、傷つけてしまったとする。

黙って立ち去っても、被害者は自分を見つけられない。

そのまま、この事実を思い出さないようにすることができるが、自分が持ち主に損害を与えたという事実は消えない。

監視カメラはなくても、神はご存じである。

キリストを受け入れないままに鬼籍に入ることは、駐車場を出るときにさんざん他の車にぶつかって何台も損害を与えたのに、賠償せずに知らん顔をして立ち去ることに似ている。

「本当にそのままで済むのか?」

この疑問は一生自分の心に残る。

記憶にあるのに、思い出さないようにしているだけだ。

もし対物賠償の保険に入っていれば、保険会社に連絡すれば、自分の代わりに被害者と交渉してくれ、賠償金を払ってくれる。

これで自分の責任は果たした。

安心して眠れる。

職場の同僚の女性を殺した事実を隠して時効成立した後に、真相が明らかになったある男性は、事件直後、家の周りを有刺鉄線のついた高いフェンスで囲って人を寄せ付けない生活を続けていたそうである。

罪悪感を押さえ込み、真相が明らかになって逮捕されることを恐れる生活はさぞ大変だったことだろう。

逃亡犯は逮捕されると、逆にほっとするそうだ。

イエス・キリストを信じることの主要な利益は、「罪を合法的に処理できること」にある。

イエス・キリストが自分の身代わりに罪の刑罰を受けてくださったと信じることができれば、罪悪感を押さえ込む必要も、処罰を恐れる必要もない。

神は私たちにこのような解決法を提示してくださったのである。

神に罪を告白し、イエス・キリストのゆえに赦しを乞うならば、心の重荷はすべて取れ、まったく新しい心で生活を始めることができる。

私の地域は月曜日と木曜日が燃えるゴミを出せる日である。

もしゴミ収集車が来なければ、自分の家にはゴミ袋がたまって、悪臭が充満するだろう。

「ゴミ袋などないんだ」といくら思い込んでも、現実にはゴミ袋がある。

問題の正しい解決法は、月曜日と木曜日にゴミ袋を出して処分してもらうことである。

これできれいさっぱり、新しい生活を始めることができる。

イエス・キリストを信じない人は、ゴミ屋敷の住民のようにゴミに埋もれた生活をしている人に似ている。

神は喜んでわれわれの罪を赦してくださる。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3・16)

tomi 2020/07/04(土)15:37

永遠をどこで過ごすのか?

何年か前に還暦を過ぎたが、人生始まったばかりと思っている。

これから80兆年たっても終わらないのだから。

その永遠の時間をどこで過ごすか。

祝福の中でか、それとも、呪いの中でか。

だから、人生は真剣に生きなければならない。

tomi 2020/07/04(土)15:06

「わたしの国はこの世のものではありません」の意味2

1.

奇跡は、「この世界は、超越者である神によって支配されている」ことの証拠である。

イエスが奇跡を行われたときに、「この世の常識を越えた力がある」と人々に啓示されたのである。

もし奇跡が行われなければ「この世を越えた世界などない」と考える人がいても無理はない。

しかし、イエスが盲人の目を開けられたときに「この世界はこの世界だけで完結しているのではない」と立証された。

つまり、先の例えで言えば、カビのコロニーの中で生活していた人々が「コロニーは一部であって、それを越え、風呂場全体を支配している権威がある」と気づいた。

奇跡を否定する人は「コロニーを越えた世界などない。コロニーだけが世界だ」と信じる人々である。

2.

戦後の学校教育など、無神論を前提としているような教育を通じて人々は「コロニーだけが世界だ」と信じている。

そのため、世俗的な権威や力の獲得に余念がない。

大企業ですら、道徳を無視して中国と手を結ぶ。

「コロニーだけが世界だ」と考えないわれわれは、彼らを見て「無駄なことをやっているな」と思う。

「たとえコロニーだけで生き残れたとしても、風呂場を支配する家主の機嫌を損ねたら何もならない」と。

3.

クリスチャンになって聖霊が与えられると、目が開かれ、コロニーを越えた世界、風呂場全体を見渡せるようになる。

「コロニーの主や住民に依存しないでも大丈夫、家主に依存すればいい」と考える。

カナン人の土地を前にしてひるんだイスラエル人は、「コロニーしかない」という人々。

「勝てる!」と信じたヨシュアとカレブは、「風呂場全体を見れる」人々。

クリスチャンになるということは、コロニーの力学に依存しない人間になるということである。

それゆえ、奇跡を否定するクリスチャンはクリスチャンではない。

4.

私は「話術が巧みな伝道師」を「全面的には」信じない。

面白おかしく語り、人々に福音を伝える能力が与えられている人がいることは認める。

しかし、そのような伝道者の面白い話とか、感動的な話で信仰の決心をした人々を疑う。

なぜか。

回心は「超自然的」だから。

回心とは超自然の現象であって、「面白い」とか「感動した」とか「牧師に義理がある」のでとか、通常、そういう理由では回心は起こらない。

回心は、外的な条件にまったく依存せずに起きる。

それは、聖霊の働きであって、人間心理によるものではない。

だから、回心はあるとき突然起きることが多い。

回心が起きやすい雰囲気とか心理的条件はない。

それは、選ばれた人々にのみ起きる「恵み」であって、自然現象ではない。

5.

回心とは「生まれ変わり」であって、それまでの自分と違う自分になることである。

回心後も同じ血肉の体を持つので連続性はあるが、しかし、法的・契約的には、非連続である。

法的・契約的には、まったく新しい人間になった。

だから、考え方がまったく変わる。

カビのコロニーの中で通用する考え方を捨てる。

風呂場全体を支配する人間としてふさわしい考え方をするようになる。

6.

教会が、生まれ変わっていない人々に支配されたら、教会ではなくなる。

コロニーの考え方が通用する場になったら、通う意味がない。

コロニーを超越した考え方をし、そのような教えを教えるなら通う意味がある。

だから、教会成長学に汚染された教会には通う意味がない。

tomi 2020/07/03(金)23:04

「わたしの国はこの世のものではありません」の意味

イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18・36)

1.

この箇所を根拠に、「クリスチャンは天国の国民であって、この世の人々ではない。だから、この世の政治や経済にかかわってはならない。それはサタンの領域だからノンクリスチャンに任せておけばよい」と結論する人々がいる。

彼らは「地を従えよ」や「すべての国民を弟子とせよ」との命令と調和させることができない。

われわれは聖書のどこにおいても「この世は放置してよい」と教えられていない。

むしろクリスチャンは「王なる祭司」と呼ばれている。

イエスはご自身を「天地におけるいっさいの権威を受けた」と言われた。

そして、現在、神の右の座についておられる。

イエスご自身は王であり、イエスにつくクリスチャンも王である。

それゆえ、この箇所を「この世をノンクリスチャンに任せてよい」と考える根拠としてはならない。

この箇所の意味は、同じ文脈にある次の聖句から明らかである。

正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。(ヨハネ17・25)

「この世」とは「御父を知」らない世界。

つまり、サタンによって支配されている世界。

彼によって盲目にされた世界。

それゆえ、「わたしの国はこの世のものでは」ない。

イエスの御国は、「サタンによって支配され、盲目にされている世界」ではない。

もしイエスの御国が、サタンが支配する世界であるならば、「わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったこと」だろう。

つまり、「武力によって、戦い、防衛する世界」であったことだろう。

しかし、イエスの御国は、武力で防衛する必要がない。

なぜか。

信仰によって勝利する世界だから。

クリスチャンを武力で攻撃してもサタンが勝てないのは、信仰によって働く神の力のほうが強いからである。

2.

このように考えるとわかりやすい。

すなわち、イエスの御国は、風呂場のようなものである。

風呂場の中に、カビのコロニーがある。

このコロニーを支配しているのはサタンである。

つまり、これは、ノンクリスチャンの世界。

このコロニーの内部では、人々は互いに軍事力や政治力、経済力、学力、美など、人間的な力で、互いに争い、奪い合い、勢力を誇っている。

しかし、コロニーは、風呂場を支配する家主の管理下にある。

カビキラーを噴霧すれば、消滅する。

この家主は、コロニー内部の力学に支配されない。

イエスは、全世界を支配しておられる。

サタンの王国は、その一部である。

イエスは、神に対する完全な服従によって、全世界を支配する権威を与えられた。

本来人間が獲得すべき「永遠の支配者の地位」を代わりに得てくださった。

イエスとともに風呂場全体を支配する権威を持っている人(クリスチャン)は、カビのコロニーの生殺与奪の権威をも持っているので、その内部の方法である軍事力や政治力、経済力、・・・に頼る必要はない。

彼らに必要なのは、信仰だけである。

なぜならば、信仰があれば、イエスの権威を受けることができるから。

3.

教会に対して「人間的な力、すなわち、武力や政治力、経済力、学力、美、エンタメなどによって支配を拡大すべきだ」と奨励するのが、教会成長学である。

教会に「カビのコロニーの力学」を持ち込んだのである。

こういう方法を採用するのは、新興宗教である。

「うちの教祖は、政治家と仲がよい」とか「世界の大学から博士号をたくさんもらっている」とか「うちの信者は一流大学卒だ」とか、パンフに美女を載せるとか。

クリスチャンは、こういう世俗的な権威を利用する必要はまったくない。

信仰だけでよい。

信仰があればあるほど、イエスの権威がそれだけ働く。

4.

では、世俗の価値はすべて無視してよいのか、と尋ねる人がいるかもしれない。

私は、ノーと考える。

なぜならば、世俗の価値の中に、神が有用と考えるものが含まれているからである。

「ノンクリスチャンの築き上げたものをことごとく無視すべきだ」というのは、「神の似姿としての人間とその営為」を拒絶することである。

クリスチャンの態度は「世俗にあるものでも、神の法に準拠していればそれを受け入れ利用する」というものであるべきだと考える。

tomi 2020/07/01(水)09:51

偉大なるリバイバルは近い

後千年王国説の希望

次の千年紀は、創造後第7番目の千年紀である。この時期が来ると、神は御霊を[地上に]送られる、と私は信じたい。確信はないが、これこそ神のやり方であると思われる。

これはすぐに起こるだろう。そうでなければ、サタンは誇り高ぶって次のように言うだろう。「彼らはあなたの命令(創世記1・28)に従った。それなるがゆえに、私は永遠の世界において、もっと多くの魂と一緒に住むことになる」 と。「人類の増殖」マイナス「聖霊の救いの御業」イコール「歴史内での、神の福音とキリスト教会の圧倒的な敗北」である。これは預言ではない。単なる契約神学の適用である。これを理解するのに神学の学位は必要ない。電卓があれば十分である。

私は神に命令することはしないが、強く提案することがよくある。今日の私の一番の提案はこのようなものであった。「あまり長い間傍観しないでいただきたい。傍観が続けば、人々が支配契約の外的条件―つまり、増殖―に忠実であればあるほど、歴史内における悪魔のあなたに対する作戦は、それだけ奏功することになるから」。

私は、リバイバルが差し迫っていると思う。これは、長い間期待されていたが、制度的には予想されてこなかった。心理学的には、私はこう考えなければならない。すなわち、「リバイバルは『神の生物学的命令―すなわち、「生めよ増えよ」の命令―を満たすことができた世界の人々のまさにその成功が、神を歴史内で敗北せしめた』というようなことのないようにするための唯一の方法である」と。私は「サタンの歴史的勝利は、人々が神の律法の外的な人口統計学的要件に従った直接の結果である」と信じない。その代わりに、来たるべき歴史的断絶―すなわち、大衆のリバイバル―を信じる。
(Gary North, #is#MILLENNIALISM AND SOCIAL THEORY#ie#, ICE,1990,p.309.)

ゲイリー・ノースは、リバイバルが近いという。

2001年からの千年紀は、第7千年紀であり、「安息の千年紀」である。

もし現在の急激な人口増加に伴ってリバイバルが起こらないと、その増大した人口は地獄に行ってしまう。

そうすると「生めよ、増えよ、地を満たせ」という命令を守ることは、それだけ地獄に行く人々を増やすし、彼らを通じて地上はますますサタンの王国と化すことになる。

それゆえ、第7千年紀の始まりである今、神は、御霊を送り、御霊による真のリバイバルを起こしてくださるのではないだろうか、と。

私も同じ考えである。

世俗思想は完全にどん詰まりである。

共産主義は、失敗したことが明らかになった。

人類を導く原理は、もはや残されていない。

今後、中国と北朝鮮の滅亡によって、共産主義の失敗は確実化する。

共産主義の失敗とは、すなわち、近代合理主義(人間教)の失敗を意味する。

人間に、神として振る舞うことを奨励する思想が、勢いを失う。

画家や建築家、音楽家たちは、カント以降、その思想に影響され、「神ではなく、人間こそが、万物の構成者である」と考え、その思想を作品を通して訴えてきた。

カント以前、自然は神を通して見た姿の自然であったが、カント以降、自然は人間を通して見た姿の自然になった。

そのため、人間の顔が正面から見た形と横顔が同一平面に同時に描かれた。

彼らは「私には、人間の顔はこう見えるのだ!」と主張した。

人間こそが最終権威であり、最終判断者である。

しかし、このような思想は破綻する。

なぜならば、自然は自分が思ったようには動いてくれないからだ。

現代音楽のオーケストラの楽団員には胃腸病が多い。

不協和音にたえず触れるからだ。

神の法ではなく、人間の法を優先する司法によって、殺人犯に死刑が下らなくなった。

死刑廃止国のフランスでは、テロリストが路上で即死している。

日本人が殺人犯を処刑すると、フランス大使館から抗議のメッセージが届く。

裁判制度を経て処刑するのと、犯行現場で裁判を経ずに処刑するのとどちらが文明的か、どちらが野蛮か。

神の法は、裁判を通じて処刑することを命令している。

人間教の試みが失敗したことが明らかになった今、われわれは、神に立ち返るべきである。

偉大なるリバイバルは近い。

tomi 2020/06/28(日)20:43

戦後日本人の世界観は崩壊した

1.

チャンネル桜の水島社長によると、陸上イージス計画の停止は、電磁波防衛兵器への舵を切ったからだという。

すなわち、ミサイルに対する一対一対応の「非現実的な」防衛手段を捨てて、電磁波兵器が発する電磁波の大きな網の中で飛んできたミサイルを包括的に破壊するという現実路線に転換したからだと。

このことを社長は防衛関係者から聞いたと。

この電磁波兵器は、日本の電気自動車用急速充電の技術をもとにしており、中国はトヨタと組むことによって、この技術を盗む計画であると。

ttps://www.youtube.com/watch?v=Y5HmfTqyZmQ

2.

トヨタやパナソニックなど日本の大手メーカーを含む経団連、そして、経産省は、中国の工作によって骨抜きにされており、親中派によって乗っ取られている。

この状況を改善しないと、これまで同様、日本の技術がどんどん中国に流出するだろう。

3.

現在、日本人に対する外国人の犯罪の裁判で、日本人に不利な判決が続いている。

川崎の事件で外国人による日本人のリンチ殺害に対して、7〜13年の刑が下った。

スパイ防止法がないために、日本は奥深くまで外国によって浸食されている。

司法が乗っ取られたらオシマイである。

なぜならば、最終決定は司法が下すから。

4.

殺人者に対して、神が命じる刑罰は死刑「のみ」である。

故意に人の命を奪う人間は、死ななければならない。

ノアの洪水が起きた原因の一つは、裁判制度の乱れである。

為政者が、殺人に対して殺人で報いなかったために、公序良俗が乱れ、そのため、神が、ノアとその家族以外の、地上にいる人間全員に契約的な刑罰を下された。

洪水後にノアに対して神が「殺人者を処刑せよ」と明言したことからわかる。

わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。(創世記9・5)

5.

神は「二度と洪水によって滅ぼすことをしない」と誓われ、そのしるしに虹を現された。

それ以降、全世界を滅ぼすような刑罰は下らない。

これは、「ノアの箱舟は、全世界を救う唯一の救い主イエス・キリストを象徴する」という事実が示されたからである。

全世界が水没したときに、箱舟だけが救いの場所であった。

つまり、イエス・キリストだけが救いであり、それ以外の救いはすべて偽りであるということが明示された。

神は、「箱舟による救いは神との和解である」ということを虹によって示された。

6.

日本がGDPでドイツに抜かれて第4位になったという情報がある。

日本の衰退の原因は、モラルの低下である。

善悪の区別ができなくなっており、そのため、神ののろいを受けているからである。

「モラルなんて関係ない」という無神論教育を受けてきたのだから同情の余地はある。

しかし、われわれは大人なのだから、考えが間違っているなら改めることに躊躇してはならない。

進化論を捨てるべきである。

進化論を信じている限り、倫理に正しい地位を与えることは不可能である。

戦後日本人の世界観は崩壊したのである。

聖書に基づいて作り直すべき時期がきている。

tomi 2020/06/28(日)07:03

霊の戦いの現実を見よ

ビル・クリントンの大学での師匠キャロル・クイグリーによると、国際銀行家たちは、世界の国々の政治と世界経済を支配するためのシステムを作り上げる予定であったという。

金融資本主義[「国際金融カルテル」]勢力には、実用的な目標のほかに、もう一つの壮大な目標があった。すなわち「各国の政治システムと世界経済全体を支配することができる国際金融管理制度の創設」である。この制度は、世界の中央銀行が、頻繁に開催される私的な会合や会議で取り交わされる秘密協定に基づき、封建的な方法で共同管理することになっていた。その頂点には、スイスのバーゼルにある国際決済銀行 (BIS) が存在した。BISは、自らが民間企業である世界の中央銀行が所有・管理する民間銀行である。各中央銀行は、イングランド銀行のモンタギュー・ノルマンや、ニューヨーク連邦準備銀行のベンジャミン・ストロング、フランス銀行のチャールズ・リスト、ライヒスバンクのヒャルマル・シャハトのような人物の管理下にあり、財政融資の管理・外国為替の操作・国の経済活動のレベルに対する影響力の行使・事後の経済的報酬を通じて協力的な政治家に実業界で影響を行使する能力によってその国の政府を支配しようとした。
(Carroll Quigley, #is#Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time,#ie# (Angriff Press, 1975).)

実際に、このシステムはできあがっており、現在世界を支配している。

選挙をしても、なぜ自民党が国民の意向を無視した決定をし、悪法を作り続けるのか、これが、秘密である。

悪魔崇拝をする国際銀行家たちが、世界統一政府を作るために、世界のすべての国家をコントロールし、世界経済をコントロールしようとしてきた。

これこそが、世界の諸問題の根源にある理由である。

源流を抑えなければ、いくら支流で問題解決しても意味がない。

源流は、宗教的である。

宗教がこの世の根底にある。

つまり、この世は「霊の戦いの舞台」なのである。

だから、われわれの祈りの重要性が明らかになる。

戦える人はごく一握りである。

世界のほとんどのクリスチャンはディスペンセーション主義によって、牙を抜かれてしまった。

われわれだけが残った。

そのわれわれの中からも脱落者が出ている。

サタンは、心に疑いを入れて、正しい道から逸らせ、祈らせないようにしている。

どうか人々の目が開け、霊の戦いの現実を見ることができますように。

tomi 2020/06/27(土)10:25

新型コロナ詐欺

https://ameblo.jp/millnm/entry-12607163719.html#_=_

tomi 2020/06/25(木)01:19

コロナ禍に乗じた、政府による個人や企業の生産活動のコントロール

雨が続いてなかなか祈れなくなりつつある。

われわれの祈りがなくなれば、悪魔に手かせ足かせを嵌める者がいなくなる。

すると、このまま世界は、黙示録13章のように、政府による徹底的な管理体制が生まれ、クリスチャンは自由に売買も礼拝もできなくなるかもしれない。

「コロナで自粛要請に従わなかったために感染が拡大した。政府に強制力を与えるべきだ」との考えが台頭しており、法律が変わる可能性がある。

そうなると、政府の一存で飲食店や商店の営業が自在に管理できることになり、政府が民間事業の生殺与奪の権を握ることになる。

このようなことは、市民的自由の獲得という歴史の成果を無にすることであり、歴史の逆行である。

血を流してでも抵抗すべき案件である。

政府は、個人や企業の営利活動を保証するために存在するのであって、政府のために個人や企業の営利活動があるのではない。

あくまでも、神は支配権をアダム個人(新約時代において、クリスチャン個人)に与えられた。

その支配を進展させるために、国家には、個人の権利と自由を守り、それを犯罪者や侵略者から守る務めがある。

聖書において、国家は二次的な存在であり、国家に一次的な地位を与えるのは、ヘーゲル哲学である。

クリスチャンの生産的活動こそがこの世界で第一に重要なのである。

ディープステートの連中は、コロナを通じて、自分たちの世界支配を確立するために、各国政府に「個人や企業の生産活動のコントロール」を行わせようとしている。

祈って、このような企みを破壊しよう!

tomi 2020/06/22(月)23:30

倫理を無視するリーダーはダメである

聖書契約は、古代近東の宗主契約と似ている。

宗主契約は、主人と臣下との間に結ばれた代理支配契約である。

つまり、主人が臣下に対して「支配を委任する」ために結ばれた。

それゆえ、聖書契約も同じ目的を持っていたと考えられる。

申命記は全体が聖書契約の構造になっている。(いのちのことば社刊「聖書ガイドブック」参照)。

聖書契約の構造は次のとおり:

1.超越と内在

2.上下関係

3.律法

4.祝福とのろい

5.相続

地上に存在するあらゆる権威は、神が立てられたものである。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。(ローマ13・1-3)

「権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます」

権威は、「人々が善を行うために」統治者に与えられる。

神がある人に権威を与え、人々の上に立たせるのは、その人の管轄内において善が繁栄するためである。

もしその人の管轄内で善が繁栄せず、それをただす人が迫害されるならば、その人から権威は剥奪される。

為政者が任命されるのは「正義と善の促進」のためであり、それが実現しないのであれば、その為政者は神から首を切られる。

それゆえ、政治家や企業の経営者、団体のリーダー、家長、・・・には、知恵が必要である。

彼ら、権威を与えられた人々がまず第一にしなければならないのは「倫理」である。

経済的利益だけを追求して、倫理を無視するような経営者は排除される。

そのようなブラック企業の寿命は短い。

万人は、同意の有無にかかわらず、全員が神と契約を結んでいる。

なぜならば、神は万物に対して主権を行使されるからである。

神は万人と契約を結び、その人の行いに応じて報いを与え給う。

歴史を見れば、不道徳な為政者や、組織を守ることを最優先し、倫理を無視するリーダーが、その権威の座から追われる例を多数見ることができる。

今の財務省のように組織の論理が第一となって、国民の利益を顧みない組織は、早晩崩壊する。

邪悪な中国と手を結んで国の進路を誤らせるような今の政権は、早晩裁かれて滅びる。

この世界は、神が支配しておられる。

為政者やリーダーは、その神の御心を行う限りにおいて、支配できる。

それゆえ、彼らがまず第一に優先しなければならないのは、倫理である。

契約的に思考し、行動できないようなリーダーは、ダメなリーダーである。

tomi 2020/06/22(月)18:45

世界の諸民族をキリストの弟子とせよ

1.

歴史の過程は、すでに天地が創造される前に決まっている。

神がそれを決定された。

われわれが、今日、通りで誰とすれ違うかも永遠の昔に決定された。

神のご計画では、いずれディープステートは解体され、代わりに再建主義のクリスチャンが政権を取る。

このことはおそらくアメリカから始まって世界中に波及する。

2.

現状を見て「信じられない」という人は、聖霊の力を知らない。

聖霊は天地を創造された。(創世記1・2)

人がクリスチャンになるのは、聖霊の働きによる。

聖霊が働かれれば、それまで何を考えていたとしても、ガラッと変わる。

なぜならば、聖霊は人を再創造されるから。

信仰を持てば、新しく生まれ変わる。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5・17)

割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。(ガラテヤ6・15)

クリスチャンになるということは、新しい創造である。

クリスチャンは、アダムが土から造られたように、まったく新しく造られたのである。

もはやアダムとの契約は切れた。

契約的にアダム族ではなくなった。

それゆえアダムが負った運命である「永遠の死と刑罰」から解放された。

イエス・キリストは、マリアの胎の中で御霊によって創造された。

イエス・キリストは、アダムとの血縁関係はない。

それゆえ、イエス・キリストにつくわれわれも、アダムとの血縁関係はない。

3.

ただし、この離縁は「契約的に」である。

実際にわれわれの肉体はアダムから引き継いでいる。

われわれの肉体は「死ぬべきからだ」である。

ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(ローマ6・12、8・11)

われわれにとって、この肉体は「異物」である。

それは、われわれの契約的立場(「永遠の命を受けた者」)から見て「不調和」である。

肉体は、アダムから引き継いだものなので「死」に向かっている。

新しく創造されたにもかかわらず、われわれの肉体は堕落したままであり、それは「死ぬべきもの」である。

われわれの肉体が生きているのは、神が「御霊によって生かしてくださる」からである。

われわれのこの死ぬべき体は、御霊によって維持されている。

われわれがそれを脱ぎ捨てて、新しい「御霊のからだ」を与えられるまで、新創造は「契約的」であって「実際的」ではない。

4.

天地を造り、人を再創造される御霊が働かれるならば、人々の信仰は変わる。

これまで、フリーメイソン・イルミナティを通じて、タルムードユダヤ人が人々の思想を変えてきた。

教育やマスコミを牛耳っている彼らが、われわれの考え方をすっかり変えてしまった。

どのように変えたのか。

われわれを中立教徒にした。

聖書信仰への不信感を醸成し、キリスト教を拒否させ、キリストの御業を受け付けないように「宗教的中立」の領域を作った。

クリスマスを「宗教的だ」という理由で廃止し、アメリカの公立学校から祈りと十戒を取り除き、政教分離を唱えさせ、公的活動から宗教色を払拭させてきた。

これは、すべてルシファー教を公的宗教にするための準備である。

キリスト教の看板を下ろさせてきたのは、そこに新しくルシファー教のそれを掛けさせるためである。

この世界に「中立の領域」など存在しない。

あらゆる人間の活動は、善悪の決定を伴うので、宗教的である。

政治の脱宗教化など不可能である。

5.

われわれクリスチャンは、タルムードユダヤ人が広めてきた中立教の罠にはまらず、「世界の弟子化」を目標として活動すべきだ。

われわれは、聖書において、世界の諸民族がキリストの弟子となるように訓練せよ、と命令されている。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる民族を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28・19-20)

tomi 2020/06/20(土)22:20

社会の発展の鍵は、構成員の契約遵守にある

1.

聖書の思想、つまり、神の思想の中心は契約である。

神は契約的な存在であり、契約は神の本質である。

3人の神々が契約によって一人として存在される。

神々というと「多神論」ではないかと言われるかもしれないが、聖書自身、神を多数と啓示している。

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」(創世記1・26、3・22)

ここで「われわれのひとり」とある。

神は複数の「互いに異なる人格」からなると啓示されている。

つまり、「神々」なのである。

1・26の「神」を表す原語エロヒムは、エロアハ(神)の複数形である。

それゆえ正確に訳すると、「神々」である。

しかし、1・26の「神々」の述語の動詞は単数形である。

「神は仰せられた。」は

ワイヨメール エロヒム

https://biblehub.com/interlinear/genesis/1.htm

である。

「仰せられた」に当たる「ワイヨメール」は、三人称単数男性形の動詞である。

主語が複数形で、述語が単数形。

これは、複数の神が、契約を結んで単数として存在し、行動することを暗示している。

三位一体がここで啓示されている。

人間は神の似姿として男女に創造された。

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1・27)

つまり、男性と女性の異なる性別に創造されたのは、神を象徴するためである。

人が多様であるのは、神が多様だからである。

男性と女性は、一つになるように創造された。

結婚するように体の構造ができているのは、「契約的に合一しておられる」神の象徴だからである。

それゆえ、結婚は、神の存在のありかたを象徴するので、きわめて重要な制度である。

結婚契約に対する裏切りは、神の象徴を破壊する行為であるため、重罪として扱われる。

神は互いに異なる存在であるが、契約によって合一しておられ、そのことを男女の結婚を通じて啓示しておられる。

それゆえに、不倫や結婚契約を軽視するような行為は呪われるのである。

2.

神が「個別的」であると同時に「集団的」であるので、人間も、この2つの性質を同時に併せ持つべきである。

個人も集団もどちらも重要である。

個人の権利を強調しすぎるのも間違いだし、集団のそれを強調しすぎるのも間違いである。

個人の権利や利益のために集団の規律や契約を無視するような文化は、発展しない。

逆に、集団の利益のために個性を殺すことを評価するような文化も発展しない。

3.

個人と集団の二つを両立させるにはどうしたらよいだろうか。

「契約を守る」ことである。

集団の利益のために個人の権利を制限し、調整するような契約を作り、それをメンバーが厳守するならば、その社会は発展する。

なぜならば、それが神ご自身のあり方だからである。

神は、個々の位格が全体のために働き、契約を完璧に守られるので、個性を犠牲にすることなく全体が完全に調和して働いておられる。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。(ピリピ2・3-8)

キリストは「自己中心や虚栄」から行動するのではなく、むしろ、「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられ」、「人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ」た。

同じように人間は「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い」、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいな」ければならない。

神は人間の理想である。

神が集団のために個の利益を制限され、犠牲にされるように、人間もそうでなければならない。

個人が自分の利益を優先し、契約を破り、集団を無視して行動するときに、調和が乱れ、社会は異常になり、発展が阻害される。

社会の発展の鍵は、構成員の契約遵守にある。

tomi 2020/06/18(木)03:01

聖書の中心的なメッセージ

聖書の中心的なメッセージは次のとおりである。

1.アダムは創造されたときに「もし神の命令をすべて守るならば、永遠の命と、被造物を支配する永遠の王になれる」との約束を与えられた。しかし、堕落し、失敗したので、アダムから生まれるすべての人は「生まれながらの契約違反者」である。

2.イエス・キリストは、人間に代わってすべての律法を守り、信じるすべての人間の罪の刑罰を負って処刑され、人間が果たすべき神のすべての要求を満たされた。

3.そのため、神はアダムへの約束を果たし、キリストを復活させ、永遠の命を与え、昇天させ、永遠の王とされた。

4.人間は、イエス・キリストを信じることによって、アダムとの契約を断ち切り、アダム族であることをやめ、キリストとの契約を結び、キリスト族となる。

5.キリスト族となった人は、契約的にキリストの体の一部であり、それゆえに、キリストにあって、すべての律法を守り、罪を処罰されたとみなされる。さらに、キリストにあって復活し、永遠の命に与り、キリストにあって昇天し、永遠の王になる。

6.クリスチャンは、キリストとともに天の王座に座っており、地上をキリストとともに統治する責任を負っている。歴史は、神の国の発展の舞台であり、時間とともにキリストは地上において勝利され、いずれ全世界がキリストの御国となる。

7.クリスチャンは、大宣教命令を守り、ノンクリスチャンに福音を伝え、イエス・キリストが命じたすべてのことを守るように訓練しなければならない。

tomi 2020/06/17(水)18:34

過去にとらわれている人は、安息日の律法を破っている2

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11・28)

安息日は「イエスの予型」であり、イエスは「安息日の本体」である。

安息日や安息年の規定は、「イエス・キリストによる罪からの解放」を象徴している。

イスラエル人が7日に1度、7年に1度、罪と負債から解放されたように、クリスチャンもイエスにおいて、罪と罪責から解放されなければならない。

クリスチャンは、イエス・キリストのゆえに罪と罪責から解放される。

十字架に自分の罪と罪責をつけてしまうのである。

イエス・キリストにおいて、われわれの罪と罪責は「解消」される。

われわれがイエス・キリストのゆえに罪の赦しを乞い願うならば、神は「イエス・キリストにあって」われわれの罪を赦し、われわれの罪責をすべて無にしてくださる。

7は完全数であり、時間の一区切りを示す。

つまり、「罪に苦しむのは7日だけである。8日目には解放される」ということを示している。

もちろん、新約時代において「7日」は象徴である。

新約時代において、われわれは、イエス・キリストにおいて「いつでも」罪責を取り除かれる。

いつでもイエス・キリストのゆえに罪を悔い改めるならば、その罪責から完全に解放される。

「8日目の解放」は「一つの時間的区切りが終わった」ということを示している。

ソ連も70年で終わった。

70年は7x10であり「一つの時代」を象徴する。

70年で終わったということは、一つの時代が過ぎて新しい時代が到来したことを示す。

中国共産党政権も70年で終わった。

1949年から70年は、2019年。2020年から新しい時代である。

中華人民共和国は、すでに「死に体」なのである。

「安息日を聖なる日とせよ」との戒めは、今日においては「イエス・キリストを通じての赦しを得た者は、過去を振り返らず、新しく未来に向かって生産的な活動に従事せよ」との意味である。

tomi 2020/06/16(火)19:53

過去にとらわれている人は、安息日の律法を破っている

1.

”日本のコロナ死者数は900人台で抑えている”
ttps://www.youtube.com/watch?v=l0psID76oao

この死者数で優劣を決めるの止めませんか。感染症は多数の死者が出るもの。これまで人類は、そう割り切ってきた。そして、「隔離」ではなく「集団免疫獲得」に絞って対策を講じてきた。それが「産業や文明を破壊しないための知恵」だった。政治家や学者、知識人が死者数にこだわり「ウィルスの押さえ込み」に焦点を絞るような社会は、「自殺的であり、持続性がない」。

2.

支援者のみなさま、激烈な戦いの中におられると思います。

私は、現在が「天下分け目の関ヶ原」の状況と考え、毎日荒川土手を5キロ歩きながら必死に祈っております。

トランプが再選されれば中国共産党政権は確実に終わります。

中国と深い関係にあるバイデンが選ばれれば、中国がアメリカをコントロールする可能性もあり、非常に悲惨な未来が待っています。

トランプ再選阻止のために、ディープステートまたは中国は、黒人暴動を起こしたりいろいろな妨害活動を行っています。

霊界では、サタンがクリスチャンに対して「祈らせないために」妨害活動をしています。

クリスチャンが祈ると、世界政府樹立の計画が頓挫し、1000年にわたって積み上げてきた努力が水泡に帰します。

どうか、トランプが再選され、中国共産党が滅亡し、ディープステートが弱体化して、偽メシアによる世界統一の計画を神が破壊してくださるよう祈ってください。

3.

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。(出エジプト記20・8)

今日安息日に当たる特定の日はない。

それは、イエス・キリストにおいて成就した。

イエスにあってわれわれは、毎日が安息日である。

〇曜日の〇〇時から△曜日の△△時までは聖別されている、という考え方は旧約時代に限定されている。

もし新約時代にもこのような特定の時間が聖別されていると主張するなら、「ではそれはいつなのか?」と問われる。

旧約時代の暦制度は、今日とまったく異なっていた。

日付と曜日が固定されていた。

今日1月14日は月曜日から日曜日まで年ごとに変化する。

しかし、旧約時代においてそれは金曜日であった。

旧約律法を文字通り守らなければならないとすれば、暦制度そのものを旧約時代のそれに戻す必要がある。

元旦は祭司が新月を見て決定した。

そこまで徹底しないと守ったことにならない。

新約時代において「祭司が変化した」ので「律法も変化した」。

祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません(ヘブル7・12)

今日祭司は「キリストとクリスチャン」である。

ユダ族のイエス・キリストは大祭司である。

しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、(ヘブル9・11)

旧約時代、大祭司はレビ族に限定されていたが、新約時代そのような縛りは存在しない。

クリスチャンは祭司である。

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテロ2・9)

このように祭司制度が変化したので、律法も変化した。

古代ユダヤに特有の民族的・時代的性格は取り除かれ、普遍化された。

なぜならば、大宣教命令において「全民族の弟子化」が命令されているからである。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、(マタイ28・19)

ここで「あらゆる国の人々」と訳されている原語はパンタ・タ・エスネーであり「すべての民族」である。

それゆえ、安息日も「すべての民族」が守れるように普遍化されなければならない。

4.

安息日の意味は「負債からの解放」である。

旧約時代、民は、安息日に礼拝し、罪を悔い改め、再出発しなければならなかった。

同じように、われわれも、安息日を「罪の帳消しと、再出発の命令」と理解すべきである。

安息年に、民はすべての借金を帳消しにされた。

これによって、誰かの奴隷になることが防がれた。

イスラエル人は、神の民であり、王であるから、他人の奴隷になってはならなかった。

そのため、イスラエル人同士で金利を課すことが禁止されていた。

しかも、安息年になったら他人から借りたお金の返済義務を解かれた。

神の民は、負債によって縛られてはならなかった。

罪は神と人への負債である。

神の民は、罪の責任を解除されなければならない。

安息日と安息年は、神の民が「世界の王」であり続けるための制度である。

何年も罪責に苦しみ続けるクリスチャンがいたら、その人は、安息日と安息年の規定を無視している。

7日に1度、7年に1度、罪責を精算し「無罪放免」を勝ち取らなければならない。

いや、イエス・キリストは「重荷を負っている人は私のところに来なさい。私が休ませてあげます」と言われているので、特定の曜日や年は関係ない。

イエス・キリストにあって、われわれはいつでも罪責から解放されなければならない。

クリスチャンは、常に前向きであり続け、未来に向かって生産的でなければならない。

過去にとらわれている人は、安息日の律法を破っている。

tomi 2020/06/14(日)10:12

クリスチャンの第一の特権は「騙しからの解放」である

1.

まだ世界は「人と人とが接触せずに社会は形成できないので、感染症は「隔離」ではなく「免疫形成」で対処すべき病気である」ということが常識として確立されていない。いくら国内で隔離が成功しても、開国したとたんウィルスが入ってくるので、元の木阿弥。

2.

いや、為政者はこのことをよく知っていて、「ウィルスを理由に様々な自由を制限できる」と考えているふしがある。

3.

「健康のために」「環境のために」「ウィルス拡散防止のために」

これらは、世界政府論者が、市民権の制限のために用いている「大義名分」である。

ヘルメット着用義務化、ファミレス等公共施設での禁煙、レジ袋有料化、シャンパンコール自粛・・・

今国民は、こういった規制を受け入れているが、実のところ、全体主義に誘導されていると理解していない。

4.

聖書が定める法は「自由のための法」である。

世界政府が定める法は「支配のための法」である。

聖書で神が定められた法は、それを破ると秩序が乱れて逆に自由と利益が損なわれるような法である。

交通法規と似ている。

「赤信号では渡るな」との規定は、歩行者が事故に遭わず、交通渋滞を避けるためである。

交通法規は人を無意味に縛り付けるためではない。

しかし、世界政府の法は「ルシファーによる権力行使」を目的としているので、人を無意味に縛る。

副流煙、CO2環境汚染、武漢ウィルス・・・

これらは科学的根拠なく問題視されている事柄である。

武田先生のビデオを見れば、世界政府による規制がいかに馬鹿げているかわかる。

5.

悪魔は、人間を奴隷にしたいのである。自由を奪いたいのである。

その自由を奪うために、悪霊に憑依された人々は様々な大義名分を作り出す。

これらの大義名分を肯定し、規制や自粛に賛成する人々は「デュープス」である。

デュープスとは「明確な意思を持って共産党のために活動する人々ではなくて、ソ連やコミンテルンによって運営される政党やフロント組織が訴える普遍的な"正義"に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに共産党に利用されている人々を指し使用されている言葉」である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12200520092?__ysp=44OH44Ol44O844OX44K5

6.

なぜわれわれは勉強をするのか。騙されないためである。

この世界は、われわれを騙そうとする悪霊がたくさんいて、活動している。

万人には、騙されないために知識をつけ、正しい情報を選り分ける責任がある。

騙されて、悪魔に利用されている人は、悪魔と同罪の評価を受け、神の裁きを受ける。

7.

ノンクリスチャンは、まだ生まれ変わっていないので、悪魔の支配下にいるので、騙される状態がデフォルト。

サタンにとって、ノンクリスチャンを騙して自分のために働かせることは、赤子の手をひねるのと同じくらいたやすい。

問題は、クリスチャンである。

クリスチャンは、サタンの支配下にはいない。

どうやってクリスチャンを騙すか。

このために、日夜悪霊どもは努力している。

8.

ミレニアムは、クリスチャンに対して成功してきた策略を暴いてきた。

基本戦略は「聖書からの乖離」である。

聖書を基準にさせない。

「聖書はそう言っているかもしれないが、科学では〇〇ということになっている」とか。

進化論や非六日創造説を信じるクリスチャンが多いことを見ても、いかにサタンが騙しに成功してきたかわかる。

聖書を離れる人は、騙しの中で大損害を被る。

9.

クリスチャンはエデンの園に復帰した人々である。

エデンの園は、エデン山の中腹にあった。

エデン山の頂上は神の象徴であるから、中腹にアダムが置かれたことは、アダムが神の副官であることを示している。

人間は、もともと神の副官・権力代行者として、世界を支配する使命を帯びていた。

堕落し、サタンに魂を売ったため、人類全体がサタンの欺きの中に入った。

クリスチャンは、その支配から脱出した人々である。

それゆえ、クリスチャンが騙しの中に留まるはずがない。

ディスペンセーション主義、N・T・ライト、オーバン・アヴェニュー神学、フルプレテリズムなどの異端の中に留まり続ける人がいれば、彼らはわれわれの仲間ではなかったということである。

つまり、ノンクリスチャンだったということ。

洗礼は受けたかもしれないが、心が生まれ変わっていない。

再生された人間の第一の特権は「騙しからの解放」である。

tomi 2020/06/11(木)00:37

御国において貧乏にならないために

また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6・5-6)

本当に価値があるのは「神からの報い」である。

「人からの報い」はむなしい。

人に見せるために善行を行う人は「すでに自分の報いを受け取っている」。

つまり、人からの賞賛という報いである。

これには本当の祝福はない。

残念ながら、多くの人が「人からの報い」を受けるために努力し、人生を無駄にしている。

たとえば、ある人がノーベル賞を取るために30年研究に打ち込んだとする。

努力が認められてノーベル賞を受賞してもその人は、もし人からの報いを期待して努力したとすれば、「すでに自分の報いを受け取って」しまった。

「神からの報い」がない。

「人からの報い」は容易に毀損する。

人からの栄誉を受けても、妬む人があることないことを言いふらして自分を貶めるかもしれない。

立派な家を建てたある俳優は、誰かに放火され、全焼した。

1000億円の資産を築いても、死ねば終わり。

来世に持っていけない。

しかし、「神からの報い」は朽ちることも、毀損されることもない。

自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。(マタイ6・19-20)

「本当の信仰がある人」は、隠れて善行をする。

「地上にたくわえ」ないためである。

「天にたくわえ」られるためである。

「すでに自分の報いを受け取」らないためである。

神様がわれわれのために用意しておられる「天の金庫」に宝が積まれるためである。

永遠の住まいに招かれたときにそれを受け取ることができる。

「人からの報い」を受けるために人生を使った人は、永遠の住まいに招かれたときに無一文である。

いかなる宝も用意されていない。

だから、本当に賢い人は、人に見られることを嫌い、御父のみに見られることを好む。

御父は「隠れた所におられ」「隠れた所で見ておられる」。

御父にのみ見られることを望む人は、善行が人に知られ、栄誉を受けたときに「神からの報いが減るのではないか」と心配になる。

われわれには、人生を精算する時が来る。

天に蓄えられた宝のうち「偽善の行為」はすべて差し引かれる。

人に見せるために行った行為は、ことごとくゼロとしてカウントされる。

偽善者は、御国において貧乏になる。

tomi 2020/06/10(水)11:37

ケネス・ジェントリー『Before Jerusalem Fell』について2

R・ベントン・ルース氏による書評が参考になる。

この本は、ここ数世紀の間で最も重要な本の一冊かもしれない。
著者は「ヨハネが黙示録を執筆した年代は、広く一般に信じられている紀元90年ではなく、紀元65年頃である」ということを証明するために、多大な時間と知性を費やして、重要な証拠を調べ、集めてきた。

黙示録は、マタイ24章の「オリーブ山での説教」に追加された警告の書である。そこにおいて、ユダヤ人クリスチャンたちは、「兆候」が現れるのを見たらエルサレムの町から逃げるよう警告されていた。その事件のユダヤ人目撃者であるヨセフォスは、『ユダヤ戦争』(第六巻第五章)においてこのような兆候をいくつか記録している。イエスは人々に「時代の終わり」 (すなわち旧約時代の終わり)は「聖なる都」の陥落とともに到来するだろうと告げられた。イエスは彼らに「逃げなさい」と言われた。エウセビウスの記録によれば、イエスの指示に従った彼らのうち、死亡した者は一人もいなかった。 (イエスが彼らにこのように言われたのは、ローマ軍によるエルサレム破壊の約40年前のことである) 。

今日のキリスト教には、「黙示録はエルサレムの陥落後に書かれた書物である」との教えに基づく誤った神学があふれている。このような不正確な年代決定によって、黙示録は、精神・論理・理性を否定する歴史的な外挿(既知の事柄から推定すること)の本となる。

本書では、黙示録は黙示の形式で書かれた預言書である(ユダヤ人はこのことを長年にわたって理解していた)という明確で簡潔な『証拠』が提示されている。比喩的でラジカルな書き方は、イエスがマタイ24章以降の『オリーブ山の説教』で述べた「しるしと不思議」と非常に調和していた。

(1840年にある男性が始めた)ディスペンセーション主義の見解を信じるすべてのクリスチャンは、この素晴らしい本を通じて悟りを得るべきである。本書は、出版以来10年以上もの間、嘲笑にさらされたことは一度もない。

40年以上もの間黙示録を研究してきた聖書の学徒である私は「この本は、これまでに書かれた中で最も重要な本の一つである」と喜んで証言する。本書には、現代神学の大きな間違いを暴く現実的な力がある。・・・
https://www.amazon.co.jp/Before-Jerusalem-Fell-Dating-Revelation/dp/0982620608

tomi 2020/06/08(月)05:45

ケネス・ジェントリー『Before Jerusalem Fell』について

ローレイン・ベットナーの『Millennium』は、時代が古いこともあって、後千年王国説を扱う上でプレテリズムにあまり触れていない。

プレテリズムは黙示録の預言のほとんどが紀元70年頃にすでに成就してしまっていると考える立場で、「過去派」とも呼ばれる。

現代まで、神はこの問題について人類に光を与えてこられなかった。

しかし、再建主義者ケネス・ジェントリーが『Before Jerusalem Fell: Dating the Book of Revelation(エルサレムが崩壊する前に:黙示録の著述年代)』という著作を出してから、状況は一変した。

紹介文:

"Before Jerusalem Fell: Dating the Book of Revelation"は、ヨハネの黙示録が西暦70年のユダヤ神殿崩壊以前に書かれたこと、そして、それがその出来事を予言していたことを証明しようとする博士論文である。ヨハネの黙示録の内部証拠と、教会史及び教会の伝統という外部証拠の両方を提示することによって、黙示録の早期著述年代説を証明している。黙示録のテキストの解説が多数行われている。議論の大部分は「獣 (666)の正体は、教会を最初に迫害した皇帝ネロ・カエサルである」ということの論証に費やされている。
https://www.amazon.co.jp/Before-Jerusalem-Fell-Dating-Revelation/dp/0982620608

黙示録の執筆年代を60年代とするか、90年代とするかで終末論の理解は大きく変わる。

60年代とすれば、黙示録の預言が紀元70年の神殿崩壊、イスラエル滅亡に関するものであるとなり、90年代とすればそれはわれわれの未来に起きる出来事となる。

ケネス・ジェントリーの本書は、60年代説の強力な論証であり、この著書以来、プレテリズムは神学的にかなり有力な学説になった。

次の書評を読めばそのことは明らかである。

「これはわれわれの一部が何年も待っていた本である!・・・ジェントリー氏は『自らが様々な方法で言明しているように、黙示録は西暦70年のエルサレム崩壊前に実際に書かれた』という事実を、説得力をもって証明している。本書が広く読まれ、多くの人々の心の窓を振動させることを期待する。」
—ジェイ・E・アダムズ博士
(『The Time Is Hand』の著者、カリフォルニア州エスコンディードのウェストミンスター神学校ウエスト校教授)

「黙示録の早期執筆説を弁証するための、徹底的で傑出したステートメント。本書を通じて、読者は、黙示録の内的証拠や初期の教会の資料に基づく証拠について知る。また、本書では、この問題に関する今世紀とそれ以前の世紀の新約聖書学者の議論が取り上げられている。この問題を解決するためにあらゆる手段が講じられている。」
―ジョージ・W・ナイト3世神学修士。
(ミズーリ州セントルイス市カベナント神学校新約聖書教授)

「ケネス・ジェントリー師は、『黙示録は紀元70年以前に書かれた』ということを強力かつ説得力をもって弁証した。このことを、内的証言と外的証言の両方に基づいて立証した。願わくば、この論文が出版され、キリスト教界で広く読まれんことを。」
―W・ゲイリー・クランプトン、神学修士及び神学博士。
(フロリダ州レイクランドのホワイトフィールド神学校神学教授)

「この著作を、黙示録の執筆年代を決定するための退屈で技術的な論文だと考えるならば、それは、不運なミステークである。執筆年代決定の問題は、多くの箇所の解釈に影響を与える。そのため、ジェントリー氏の徹底した議論は貴重であるだけではなく、読者に、黙示録の重要な箇所について、啓蒙的な洞察を与えてくれるのである。」
―カール・W・ボーグ、神学博士。
(フロリダ州レイクランドのホワイトフィールド神学校
神学客員教授)

ラッシュドゥーニーの『Thy Kingdom Come』は、非プレテリズムの立場から記されているが、明確にプレテリズムに反対した内容ではない。

私の印象ではラッシュドゥーニーの世代は、この問題について開かれていなかった。

ケネス・ジェントリー、そして、デイビッド・チルトン、及び、彼らの著作を出版したゲイリー・ノースの世代になって、神は、はじめてプレテリズムに光を当てられたと感じる。

デイビッド・チルトンの『Days of Vengeance』と並んで、ジェントリーの本書は、教会の終末論理解を飛躍的に進歩させた著作である。

tomi 2020/06/05(金)22:21

終末論において後千年王国説以外に正しい教えは存在しない

したがって、それぞれの立場は、一貫して福音主義的であり、それぞれに多くの有能で誠実な支持者がいる。相違は、聖書に対して意識的または意図的に不忠実だから生じるのではなく、主に、聖書の解釈においてそれぞれの立場が独特な方法を採用していることに起因している。それらは主に、キリストの来臨の時期と目的、及び、キリストの来臨時に設立される御国の種類と関係している。

ローレイン・ベットナーは、前千年王国説も無千年王国説も後千年王国説も「相違は、聖書に対して意識的または意図的に不忠実だから生じるのではな」いという。

しかし、私にとって、前千年王国説と無千年王国説は「意図的な不忠実」に見える。

1.前千年王国説

前千年王国説は「再臨までの間、全世界が平和と正義に支配され、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」と考える。

これは「地を従えよ」「すべての国民をわたしの弟子とせよ」の命令と矛盾する。

神が「頑張れ!でも無理だけどね」というだろうか。

「わたしは、たしかに、地上支配や弟子化の命令を与えた。しかし、それは実現しない。なぜならば再臨がなければ始まらないからだ」というだろうか。

われわれが信じている神は、こんな不誠実な存在なのだろうか。

さらに、「再臨がない限り、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」との教えは、サタンに対して隙を作る。

われわれの敵であるサタンは、われわれの信仰の「隙」をいつも狙っている。

われわれが不信仰な思いを抱き、不信仰な言葉を発するならば、サタンはそれに「すぐに」飛びつく。

彼は、われわれの不信仰な言動を利用して、われわれから力を奪おうとしている。

もしわれわれが主に対する信仰を堅く保っていれば、驚くような力を発揮する。

小柄な羊飼いダビデは、信仰によって巨人ゴリアテに勝った。

弱い民族だったイスラエルは、信仰によって強い民族であるカナン人に勝った。

サタンは、われわれが、信仰を失えば、ただの人間に過ぎないことを知っている。

われわれは「イエス・キリストの御名によって」サタンよりも強い。

サタンは、イエス・キリストに対する信仰を失わせて、われわれを易々と打ち破ろうとしている。

だから、「常に」われわれを監視しているのだ。

ちょっとした破れ目からダムは決壊する。

ほんのわずかの不信仰も、われわれの全体を破壊する。

「再臨がなければ、どんなに努力しても無駄だ。反キリストによって世界政府を作られてしまう。これは聖書に記された運命なのだ」というような思想で、どうして勝利できるのだろうか。

前千年王国論者は、このような不信仰によって「すでに力を失っている」。

不信仰な彼らに対して、神の力を発揮することを期待できない。

2.無千年王国説

無千年王国論者は「聖書は、世界が終わる前に「千年王国」―すなわち、全地における平和と正義の時代―が来ることを予言していない」と考えており、前千年王国論者と同じく不信仰である。

したがって、彼らに勝利の信仰を期待できない。

さらに、「この世において、善と悪―神の王国と悪魔の王国―は同時並行して進展し、それはキリストの再臨まで続く」と信じている。

聖書には「信仰によって善は悪に勝つ」という記事が溢れている。

善も悪も同時並行で進むなどというような「虚無的な」教えは聖書には存在しない。

「善は悪に勝つとは限らない」という「信仰」がどうして「聖書に対して意識的または意図的に不忠実」ではないと言えるのだろうか。

明らかに意識的または意図的な不忠実である。

教会に行って一番がっかりするのは「今のキリスト教は、善の勝利を確信していない」という点である。

共産主義国の悪を見ても「他人事」である。

なぜならば「善と悪は同時並行で進む」と考えているからである。

積極的に悪と戦い、悪魔の勢力を滅ぼそうとしない。

「さあ、悪と戦おう。われわれは勝利するから!」というヨシュアとカレブの信仰を今日の教会に見ない。

明らかに「地の塩」の役割の放棄である。

前千年王国説も無千年王国説も、聖書の「勝利の信仰」と矛盾する教えなので、誤謬であると断言できる。

われわれは終末論において、後千年王国説以外に正しい教えは存在しないと考える。

tomi 2020/06/04(木)17:56

再興されたイスラエル国日本

旧約聖書の中心テーマの一つは「メシアの来臨と、イスラエルの再興」。復活したイエス・キリストに対して弟子たちは「今こそイスラエルを再興してくださるのですか」と尋ねた。

するとイエスは「時がいつであるかは知る必要はない。その時は、御父が定めておられる」と答えられた。

これは、弟子たちに対するイエスの「暗黙の保証」。

東大名誉教授江上波夫氏によると「紀元2世紀に来日したのは景教徒ではなく、原始キリスト教徒である」とのこと。

紀元2世紀のキリスト教徒とは「イエスの孫弟子かひ孫弟子」であり、紀元70年のイスラエル滅亡後にエルサレムを脱出した後歴史から消えた「エルサレム教団」である可能性が高い。

なぜ彼らは、わざわざ東の果て日本列島にまでやってきたのか。

そこに栄光のイスラエルを再建するためではなかったか。

tomi 2020/06/02(火)16:45

各千年王国説について by ローレイン・ベットナー 2

無千年王国説

「無千年王国説とは、『聖書は、世界が終わる前に「千年王国」―すなわち、地上の全地において、平和と正義の時代―が来ることを予言していない』と唱える終末論である。(無千年王国説では、この世において、善と悪―神の王国と悪魔の王国―は同時並行して進展し、それはキリストの再臨まで続くと教える。キリストの再臨において、復活が起き、審判が行われ、その後に永遠の秩序―絶対かつ完璧な神の王国―が到来する。この王国では、罪も苦しみも死もない。)」

前千年王国説

「前千年王国説とは、『キリストの再臨の後に、世界の終末前の「千年王国」または「神の御国」と呼ばれる、全世界が平和と正義に支配され、キリストが王として自ら地上を統治する期間が到来する』と唱える終末論である。(前千年王国論者は、キリストの再臨を巡る出来事の順序に関する見解によって様々なグループに分けられるが、『キリストの再臨の後、世界の終末以前に、地上に千年王国が到来する』と信じる点で一致している。)」

ディスペンセーション主義

「J・N・ダービーの著作とスコフィールド・レファレンス・バイブルに代表される聖書の誤った解釈体系である。人類の歴史を7つの異なる時代(「ディスペンセーション」) に分け、それぞれの時代において神は、何らかの単一の特定原理に基づいて人類を扱っていると断言する。(ディスペンセーション主義は、イスラエルと教会が霊的に同一であることを否定し、「恵み」 と 「法」 を相互に排他的な原則として互いに対立させる傾向がある)。」

tomi 2020/06/01(月)23:12

各千年王国説について by ローレイン・ベットナー

千年王国説に関する古典、ローレイン・ベットナーの"Millennium"(P&R)の翻訳:

第1章

はじめに

キリストの再臨と御国の将来の進路に関する聖書の教えを明らかにしていると主張する一般的な説は、3つある。すなわち、後千年王国説、無千年王国説、前千年王国説である。

この3つの立場の本質的な前提は互いに似通っている。すべてが「聖書は神の言葉であり、権威がある」と考え、「キリストの死は、神の正義を満たすための犠牲であり、魂の救済のための唯一の根拠である」と信じている。いずれも「将来、キリストは、目に見える形で、自ら来臨される」と考え、「万人は、体の復活を受け、キリストの裁きの座の前に立ち、義人は天において報いを受け、悪人は地獄で刑罰を受ける」と信じる。したがって、それぞれの立場は、一貫して福音主義的であり、それぞれに多くの有能で誠実な支持者がいる。相違は、聖書に対して意識的または意図的に不忠実だから生じるのではなく、主に、聖書の解釈においてそれぞれの立場が独特な方法を採用していることに起因している。それらは主に、キリストの来臨の時期と目的、及び、キリストの来臨時に設立される御国の種類と関係している。

それぞれの説をできるだけ明確に定義することは、この研究を始めるにあたって有益である。それぞれには、内部に多数のバリエーションがあるため、正確な定義は不可能である。しかし、本質的に正しい定義として以下を提示する。第一の説は、われわれの立場である。前千年王国説の急進的な形態であるディスペンセーション主義を含む残りの3つの定義は、最近の作家で、長年プリンストン神学校の教授であったゲルハルダス・ヴォス博士の息子J・G・ヴォス博士によるものである。これらの定義は、われわれが見いだしたものの中で最も正確かつ包括的なものである。

後千年王国説

後千年王国説とは、神の王国が宣教と聖霊の救いの働きによって現在世界に広がっており、最終的に世界はキリスト教化され、キリストの再臨は一般に「千年王国」と呼ばれる正義と平和の長い期間の終わりに起こると考える終末論である。

もちろん、この見解は、人類の進歩と発展を信じるモダニズムやリベラルの、楽観的ではあるが間違った見解とは区別されるべきである。モダニズムやリベラルは「地球上の神の王国は、人類の進歩と社会制度の改革、文化と効率の向上をもたらす自然の過程を通じて達成されるであろう」と教える。後者の見解では、偽りの、または、擬似的な後千年王国説が提示され、神の王国は進化の過程を通じて生じる自然法則の産物とみなされる。他方、正統的な後千年王国説は、神の王国を、宣教を通じて働く聖霊の超自然の御業の産物とみなす。(つづく)

tomi 2020/05/31(日)10:44

不安や恐怖から解放されている人は、サタンに騙されない

1.

ディープステート(イルミナティ)が世界政府建設のために利用してきた主要な手段は「不安」である。

彼らは、人々を動かすには不安が一番効果的だと考えている。

サタンがエバを騙した際にも不安が利用された。

「神は、この実を食べてあなたがたが賢くなることを嫌っているのです」と。

今回のコロナ騒動では「ウィルス」が人々の不安をかき立てるのに利用された。

実際には0.2%程度の致死率が、5%と宣伝された。

中国における医療崩壊、道ばたに倒れる人々、ロックダウンされた都市、・・・

こういった映像がマスコミを通じて流され「大変なウィルスが襲ってくるぞ」と刷り込みが行われた。

911では、飛行機のビル激突と崩壊というド派手な演出によって人々に恐怖が植え付けられた。

アルカイダなるものが米国を攻撃していると。

今、アルカイダはどこにいるのか。

米政府が「大量破壊兵器を持つイラクを攻撃しなければならない」とさかんに訴えたが、イラクにそんなものはなかった。

イラクをさんざん荒らして、手に負えないと引き上げた。

われわれも、アメリカ人の恐怖の対象になったことがある。

昭和の初めに田中上奏文なる偽書がアメリカで発表され、日本人は「世界制覇を企む悪の勢力」に仕立て上げられた。

三国同盟と真珠湾攻撃で「日本=悪の勢力」というイメージは定着し、東京大空襲、原爆投下、占領が正当化された。

その後も、左翼のデマ機関を通じて「性奴隷」「強制労働」「731部隊」なる空想話がメディアを通じてまき散らされ、このイメージの恒久化が図られてきた。

ただ普通に生活していただけの人々が、突如悪の勢力のレッテルを貼られて、米軍の攻撃対象に仕立て上げられ、殺され、侮辱されてきた。

2.

日本人も世界の人々も、もうそろそろ騙されるのをやめませんか。

世界政府なんて不自然なものを作るには、いろいろと無理をしなければならない。

人間には、国家が必要だし、家族が必要だ。

そういう垣根をすべて取っ払って単一の政府などできても、機能しないことは国連を見れば明らか。

このような無理な体制を作るには「作り話」が必要。

「世界は単一の政府を必要とする」みたいな荒唐無稽な話を信じさせるには、不安と恐怖を煽る必要がある。

新型コロナで自粛させ、経済を破壊する。

世界恐慌を起こして、人々から正常な判断力を奪う。

中国を相手に限定核戦争を開始し、さらに人々をパニックに落とす。

極度の恐怖に陥った人々の前に、救世主としての偽メシアを登場させる。

そして、彼を中心とした世界政府樹立の必要性を訴える。

新型コロナを通じて国の指導者のリーダーシップを疑っている人々は、国家の主権を世界政府にすすんで委ねる。

こういうストーリーではないかと思う。

3.

「恐怖や不安」こそ人の判断を誤らせる元凶。

沈没の恐怖におびえていた弟子たちの舟でイエスは寝ておられた。起きて、風をしかりつけると止まった。

夜、逆風の中で漕ぎあぐねていた弟子たちの舟の中に、湖の上を歩いてこられたイエスが入ると、凪になった。

イエスがともにいれば、心配は無用。

不安や恐怖から解放されている人は、サタンに騙されない。

tomi 2020/05/29(金)08:13

同性愛に対する報いは「永遠の火の刑罰」である

1.

この武田先生の動画は絶対に見る必要がある。

https://youtu.be/Evmf-mu6IXA

現在、われわれは、世界政府論者による数百年の計画の最終段階にいる。

彼らはコロナ騒動を通じて徹底的な管理社会を築こうとしている。

以下コメント欄から:

先生は、あえて今回の「スーパーシティ法案」成立のことを、暗ににおわせてお話されたようですね。これは、「監視社会」のさらに先を行く「管理社会」です。すべての個人情報を統括してビッグデータとして集積するというのです。
また、「究極的に、国民全員に背番号を打つ」とこれも婉曲におっしゃっていますが、それを言うなら、ID2020という明確な企画が世界的に始まっており、スウェーデンではすでに5千人以上ともいわれる人々が、マイクロチップを挿入しているそうです。これを、日本でも、日立がさらに微細化する研究をしています。コロナウイルスのワクチン投与の際に、一緒に注射器で体内に入れる研究がされているとも聞いています。
本当に国民の幸福に資する法案なら、マスコミを活用して、オープンな国民的議論を経て、決定すればよいではありませんか。それを火事場泥棒よろしく、コロナ以外にも検察庁法改正や種苗法改正(いずれも結構あっさりと見送る)のどさくさに紛れて、人目につかぬようコソコソと早急に成立させたのです。
他の人も書いておられる「ムーンショット計画」の2030年に向けての目標を達成させるには、手始めに「スーパーシティー」に取り組まねばならないのでしょう。いずれにせよ、内閣府が描く日本の未来像は、無味乾燥な、文化や芸術の香りが全く感じられない、利便性のみを追求するデジタル社会です。

人々は魔術にかかっているかのように「感染症を防ぐために自粛は仕方がない」と思わされている。

今回の自粛によって政府による管理に慣らされた人々は、さらなる管理に導かれ、体内に入ったチップのデジタルデータに基づいて商業活動が規制される黙示録13章の世界が現出するかもしれない。

何度も述べているように、黙示録は19章まで紀元70年頃に終わっている。

ナザレのイエスをメシアと信じるわれわれは、この考えに同意しなければならない。

ナザレのイエスをメシアと信じないユダヤ教徒、とくに、その頂点に君臨するシャバド・ルバビッチ派は、黙示録を利用して、偽メシアによる世界統一を目論んでいる。

今、われわれが祈らなければ、世界は邪悪な人々によって支配されてしまう。行く末には、大量虐殺が待っている。

福音派のクリスチャンたちは、ディスペンセーション主義によって騙され「黙示録に預言されたとおり反キリストが登場するが、その前にわれわれは携挙される」と信じている。

そのため、彼らは世界政府に反対して祈らない。世界政府が今できないと、携挙も遅れるからである。

自分たちが救われるためには、世界が悪者に支配されなければならない。

彼らは、このような邪悪な考えによって頭を占領されている。

われわれしか祈る人々はいないのである。

2.

祈り場が回復したその日から、健康に対する攻撃を仕掛けられている。

悪霊は、私が祈ることを妨害している。

ゲラサの狂人の話で、悪霊たちはイエスに「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように」とわめいた。

こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼に入っていたからである。
悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。(ルカ8・26-31)

これこそが悪霊たちがもっとも恐れることである。

であるから、私は「底知れぬ所に行け」と命じることにしている。

いつも英語で祈っている。

In the name of Jesus Christ, Go out into the deep!
(イエス・キリストの御名によって、底知れぬところに行け!)

この英語は、キング・ジェームズ訳である。

悪霊が一番嫌がることをやっているので、強烈な妨害があるのだろう。

3.

同性愛に対する報いは「永遠の火の刑罰」である。

また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。(ユダ1・7)

同性愛者は、「火の刑罰」を「永遠」に受け続ける。

LGBTに寛容になろう、などと言っている人は、人々を「永遠の火の刑罰」に誘っている。