世界的な20世紀のメシアニック・ジューのリバイバル





デイビッド・セダカ


   メシアニック・ジュダイズムは、もはや検証すべき実験でも、成りゆきを見守るべき一時的流行でもない。メシアニック・ジュダイズムは2000年前に始まった一つの過程の必然的結果なのである。今日、メシアニック・コングリゲーションは北米・南米・欧州・オーストラリア・南アフリカ・イスラエルの様々な地域において盛んな活動を展開している。しかし、このような発展が偶然の産物によるものであると言うことはできないのである。「メシアニック・ジュダイズム」とは、「イェシュア(イエス)を約束のメシアと認めながら、同時にユダヤの習慣や伝統と完全に一致する生活様式や礼拝」を示す言葉である。メシアニック・ジュダイズムは、自らがメシアの普遍的体の一部であるということを大いに強調するが、その一方で、日常生活と礼拝様式においてユダヤ的遺産にしたがって自己表現する権利を有するとも主張する。

 メシアニック・ジュダイズムがいかにして誕生したのか、またこの運動が今どこまで進んでいるのか。これらについて、まだ十分な理解が得られているとは言えない。メシアニック・ジューのコングリゲーションに属する多くの人々は「メシアニック・ジュダイズムは、ほんの20年前に偶然に始まった現象でしかなく、ヘブライ的キリスト教とはいかなるつながりもない。」と考えている。今日、このような理解不足は、かつてなく頻繁に耳にする。そのため、筆者はこの2つの問題について自らの意見を少々述べてみたいと思う。これらの問題について正しい理解が得られれば、我々は自らの歴史的位置を正しい文脈の中に置くことができるようになるだろう。

 第一、メシアニック・ジュダイズム誕生の経緯について。今日のメシアニック・ジュダイズムは真空の中で発達したのではない。それは、百年以上前に始まったある運動の最新の結果なのである。ユダヤ人の記録や教会の歴史家の記録によれば、メシアニック・ジューが教会の指導者ではなくなった時期−−つまり第1世紀−−を過ぎた後でも、個人的にイエスを信じるユダヤ人が現れた。(この問題に関する包括的な研究としてヒュー・J・ショーンフィールドの『ユダヤ的キリスト教の歴史』を推薦する。1936年イギリス、オックスフォードにて初版が出されたが、長い間絶版になっていた。)メシアニック・ジュダイズムとして今日知られるものの中で、それ以前に登場した活動は、1866年に第1回イギリスのヘブライ人クリスチャン同盟の設立にまでさかのぼることができる。当時、幾千ものユダヤ人がキリスト教に回心したが、これらの回心者のほとんどは、結局自分がユダヤ人であるとの自覚を失ってしまった。19世紀の中葉までに、イエスを信じる多くのすぐれたユダヤ人クリスチャンは、「イエスを受け入れると自らのユダヤ性も失ってしまう」という当時の支配的な傾向に疑いを持ち始めていた。これらのユダヤ人信者たちはイギリスで交わりを保ちながら、1813年に、自らのユダヤ的ルーツもイスラエルのメシアであるイエスへの信仰もどちらも認めるクリスチャンからなる最初の体を形成したのである。この団体の名前は『ベニ・アブラハム(つまりアブラハムの子どもたち)』であった。ユダヤ人信者を祈りの支援と霊的絆で結び合わせるために、イギリスにおいて創設されたもう一つの団体は、ヘブライ・クリスチャン祈祷同盟であった。その理念は非常に好意的に受け入れられたので、創設から7年も経たない内に、会員数は147人から600人にふえ、ドイツ・ノルウェー・ルーマニア・ロシア・イスラエル(当時はパレスチナ)、国連に支部が置かれるようになった。

 しかし、ユダヤ人信者が、遺産や証言や救済の絆のもとに初めて一体感を感じることができるようになったのは、統括組織「ヘブライ人クリスチャン同盟」が形成された時だった。この考えはまず、当時トリニティー・チャペルの牧師であったC・シュワルツ博士によって唱道され、最終的にすべてのユダヤ人信者をヘブライ人クリスチャン同盟とイギリス祈祷連盟の傘下に統一するという決議が可決された(1867年5月14日)。この最初の民族同盟の組織化を契機に、世界の様々な地域に同様な同盟が誕生することとなった。最初のヘブライ人クリスチャン同盟の誕生とともに、教会に出席するユダヤ人信者の多くは、自分の先祖はユダヤ人であることを公に宣言するようになった。この現象は燎原の火のごとく広がり、20世紀に入る前に、多くのヨーロッパ諸国においてユダヤ人信者の民族同盟が設立された。これらの民族同盟は、相互に緊密な関係を保っていたが、自らの目的のために国際組織を作り、その下で統一されるというようなことはなかった。しかし、1925年にすべてのヘブライ人クリスチャンの同盟組織が合同して、国際ヘブライ人クリスチャン同盟(I.H.C.A.)を結成した時に、この必要が満たされたのだ。何年か前に、I.H.C.A.の実行委員会がシュトラスブルクの近くで会合を開いた時に、我々は、ハルコート・サムエル名誉会長(当時会計係)にI.H.C.A.の初期の事情について尋ねる機会に恵まれた。実際にその場に居合わせた人からこれらの初期の開拓者たちの思想や夢を聞くことができたことは大変魅力的な体験であった。これらの出来事について価値ある情報を提供してくれるもう一つの源は、フレデリック・レヴィンソンが彼の父親でありI.H.C.A.の初代会長であるサー・レオン・レヴィンソンについて書いた伝記(『クリスチャンとユダヤ人、レオン・レヴィンソン(1881-1936年)』、The Pentland Press, Edinburgh, 1989)である。第2次世界大戦の勃発前に、国際ヘブライ人クリスチャン同盟に加盟していた同盟の数は20であった。ヒュー・ショーンフィールドの言葉によれば、「1925年以来、ユダヤ的キリスト教の歴史は、事実I.H.C.A.の歴史なのである。」

 ひとたびユダヤ人信者が自らの力を試した時に、彼らは、このことが極めて重要な運動に至るほんの出発点にしか過ぎないということに気づいたのである。I.H.C.A.の初代会長であるサー・レオン・レヴィンソンは、1927年にI.H.C.A.の公式機関誌である『ヘブライ人クリスチャン季刊』の中で、「大雑把に見積もっても、ユダヤ人信者の数は97,000人であり、彼らは次のように分類される。ウィーンにおいて17,000人がイエスを受け入れた。ポーランドにおいて35,000人、ロシアでは60,000人、アメリカとカナダには30,000人を越え、イギリスでは5,000人であった。」と述べている。

 当然の結末であり、また将来へのステップともなったのは、ユダヤ人信者によって構成され、ユダヤ性を強調する教会を設立したことであった。この点については、すでに少なくとも2つの成功例が存在していた。1つは、ジョセフ・ラビノウィッツによって率いられたキシニョフのヘブライ人クリスチャン運動であった。ラビノウィッツは法律家であり、1882年に最初のヘブライ人クリスチャン共同体を設立した人物である。彼はヘブライ人クリスチャンの共同体を、既成の教会の枠から取り出し、シナゴーグの領域に入れた。同様の成功例は、ハンガリーのタピオ−スゼーレのラビ・イザーク・リヒテンシュタインによるものであった。しかし、これらがすべてではなく、他にも二三の成功例があり、パレスチナで成功した教会もあったのである。これらのヘブライ人クリスチャンコングリゲーションでは、とりわけ自らのユダヤ性が強調された。これらの例や同様な例を観察した結果、「ついに、独立したユダヤ人コングリゲーションを設立し、『倒れたダビデの幕屋を再建すべき』時が来たのだろうか」との疑問がわき起こった。そして、その実現のために分析が進められたのである。この問題のために、委員会が設置され、続いて、ヘブライ人クリスチャン教会の設立憲章が批准された。この画期的な出来事は、ホロコースト前の最後の国際ヘブライ人クリスチャン同盟会議となったブダペスト会議において起こった。それまでにも、ヨーロッパや南北アメリカには、若干のヘブライ人クリスチャンの教会が存在していたのだが、ホロコーストの悲劇によって、ユダヤ人信者たちは、活動目標を「その土地土地にコングリゲーションを設立すること」から、「ヒトラーの陣営より逃れ、避難民を援助すること」に変更せざるをえなくなったのである。

 しかし、ユダヤ教が再び自立を獲得するようになった後で、ユダヤ人クリスチャンも自らの霊的探索を拡大し続けた。こうして、ヘブライ人クリスチャン運動は徐々に、今日知られるようなメシアニック・ジュダイズムに変化していったのである。ある場合には、それは異邦人教会からの截然とした離脱であり、またある場合には、その過程はもっとスムーズに進んだのである。ホロコーストの灰の中から立ち直り、現代イスラエル国家を建国したことによって、ユダヤ人は、新しいアイデンティティーを育みつつあった。そして、ヘブライ人クリスチャン運動もこれらの変化の影響を免れることはなかったのである。ヘブライ人クリスチャンという名称はもはや、ユダヤ人信者を正しく定義することができなかった。そのため、我々のユダヤ人としてのアイデンティティーと信仰を表明するもっと適切な表現が、メシアニック・ジューという名称に見いだされたのである。それぞれの民族同盟は次々にその名称を変えていった。そして、ついに、国際同盟も自らの名をメシアニック・ジュー(ヘブライ人クリスチャン)同盟に変更することとなったのである。旧名を括弧の中に残したのは、我々が過去とのつながりを失わないためである。また、自らをどのような言葉で定義しようとも、あらゆるユダヤ人信者がこれに加わることを願っているためなのである。

 第二、我々の現状について。我々は、次の事実を認めなければならない。(1)現在の状態は、けっして我々が祈り求めている「終わりの時のリバイバル」ではない、ということ。(2)また、影響力を持ちたいという我々の期待は、いまだに満たされていないということ。多くの者が自らの利益のために語っている。アメリカユダヤ人会議や同様の組織は、「アメリカだけで、30万から50万人のユダヤ人が様々な形でイエスを信じている。」と断言している。彼らはどこにいるのだろうか。もし我々が、メシアニック・コングリゲーションの会員であるユダヤ人信者の数を約5,000人と見積もるならば、イエスを信じるユダヤ人信者の90パーセント以上はキリスト教会の教会員であるということになる。これは、我々を謙虚にさせる数字である。我々はこれによって「メシアニック・ジューの前にはまだまだ長い道が続いている」ということに気づかせられ、身を引き締める。またさらに、「イェシュアを信じている兄弟姉妹の多くは、自主的に協会に加わり、その欠くべからざるメンバーとなったのである」という事実に対して敏感にもなる。筆者は、メシアニック・ジュダイズムは彼らの必要に答えるべきであると信じている。今日のメシアニック・ジュダイズムはヘブライ人クリスチャン運動の後継者であり、輝かしい歴史とその会員の多様性に彩られた運動である。背後の歴史を重視する時に、我々は、自らの運動の価値を正当に理解できるようになる。しかし、メシアニック・コングリゲーションのメンバーであれ、福音派の教会の会員であれ、あらゆるユダヤ人信者をありのままの姿で受け入れる時に、我々はメシアニック・ジュダイズムの価値をさらに高めることになる。



デイビッド・セダカ
国際メシアニック・ジュー(ヘブライ人クリスチャン)同盟アメリカ議長









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