カルケドン・レポート翻訳




再建主義の世界観


R.J.ラッシュドゥーニー


 キリスト教再建運動の世界観は、ヴァン・ティル主義に基づいています。コーネリアス・ヴァン・ティル博士は、あらゆる思想は、三位一体の神と、神の御言葉に基づかなければならない、と主張しました。生活と思想において、神と御言葉が支配しない領域は一つとして存在できません。万物を創造された神が、万物を支配し、生活と思想のあらゆる領域の前提となるのです。

 自然・進化・偶然、その他いかなるものも、神の代役を務めることはできません。例えば、「生物は、聖書の神による創造ではなく、進化によってできた」と主張することは、宇宙において無数の奇跡が起こったことを前提とすることなのです。まず、無から有が生じ、無生物から生物が生じた・・・。聖書の神を否定すると、このようなとんでもない奇跡の連続を信じなければならなくなるのです。

 神は天地万物の創造者なので、神の法だけが万物を支配すべきです。神は創造者にして絶対なる主なので、神だけがあらゆる法の源であり、あらゆる判断のよりどころなのです。神の御言葉を無視するならば、現実に逆らうことになります。

 神以外のいかなるものも人間を導き、支配することはできません。法を人間や国家に求めるならば、神を否定することになります。というのは、法とは主権者の意思の宣言だからです。

 「三位一体の神だけが主である」との信仰は、「わたしの前に他の神を置いてはならない。」(出エジプト20・3)という神の宣言や「支配は彼の肩の上にある。」との御言葉に基づいています。神は、律法の中で、教会と国家の課税権を制限しています。教会・国家・家庭・学校・職業など、いかなる領域においても、神の裁可を受けない権威が並び立つことを神はけっして許しません。生活のあらゆる領域は、神の御言葉と法によって導かれなければならないのです。これは、自由かつ秩序ある社会を建設するための基礎となります。

 神の御言葉はあらゆる領域に行き渡ります。例えば、教育はキリスト教に基づかねばならず、この分野において神の法を逸脱することはできません。

 また、キリスト教再建運動は、革命に希望を置きません。人間の希望は、革命(revolution)にはなく、再生(regeneration)にあります。クリスチャンの中にも、救済を得るために、強制に基づく社会変革に参加する者がたくさんいるのです。秩序を生み出すのは、強制ではなく、再生の力なのです。この力は、私たちの救い主イエス・キリストの内にあり、彼を通して私たちに働くのです。

 人類は罪に堕ちたため、贖いを必要としています。しかし、人間は正しい贖いではなく、偽りの贖いを求め続けてきました。それは、サド・マゾヒズムです。自分の罪の責任を他人に背負わせる(サディズム)か、自分の身に引き受ける(マゾヒズム)か。人は、偽りの贖いを求めてこれらの行為に走り、さらに罪を深めているのです。

 荒野の誘惑において、誘惑者は、偽りの救済計画を主に提供しました。第1の計画は、石をパンに変えることによって、世界の経済及び食料問題を解決する、というものでした。「神の子であるならば、なぜ自分の力を利用しないのか。」主はこうお答えになりました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」(マタイ4・3−4)

 第2の誘惑は、自分の身を神殿の頂から投げ落としてみよ、というものでした。きっと、御使いが地面に落ちる前に救い出してくれるにちがいない、と。この誘惑は、信仰を不要にする試みでした。つまり、誘惑者の意図は、信仰ではなく、目に見えるものに信頼させることにありました。イエスが神であることを目に見える形で表すことによって人々の信頼を集めさせることが、サタンの目的でした。(マタイ4・5−7)

 第3の誘惑は、誘惑者の前に跪いて、礼拝させることでした。自分を拝めば、全世界を与えよう、と。サタンは、自分の正当性をイエスに認めさせたかったのです。「神は注文が多すぎます。わたしの救いはもっと簡単で分かりやすい。わたしなら、あらゆる経済問題を奇跡的な方法によって解決できます。信仰は不要です。はっきりとした証拠をお見せすることができるのですから。」これに対して、主はまたしても律法からお答えになっています。「あなたの神、主だけを礼拝し、主にだけ仕えよ。」(マタイ4・8−10)

 私たちは、救い主イエス・キリスト以外のいかなるものにも希望を置きません。悪魔に対して、主はいつも律法からお答えになりました。聖書の御言葉は、すべて父なる神、子なる神、聖霊なる神によるものです。キリスト・イエスがその御言葉に信頼したならば、どうして私たちはそれを無視してよいのでしょうか。もしイエスにとって、御言葉が悪魔に対する回答であったならば、どうして、私たちが悪い時代と直面した時に、御言葉がその問題に対する回答とならないのでしょうか。

 再建主義者は、「主がとられた方法−−つまり、神のすべての御言葉に信頼すること−−よりもすぐれた方法がある」とは考えません。神の御言葉よりもすぐれた啓示や知恵は存在しません。(The Reconstructionist World View, CHALCEDON Report, No.367, February 1996, p. 2.)


This article was translated by the permission of Chalcedon.





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