セオノミーとポスト・ミレを信条に加えよう

 

セオノミーとポスト・ミレを信条に加えよう

私は、セオノミーとポスト・ミレを正統派と異端を分ける信条の中に組み入れるべきだと考えています。

なぜならば、神の法が万物において究極の権威であるということを否定することは、キリストの主権を否定することだからです。

旧約律法は過去のものであり、新約の教えとは異なるとか、現在、地上のことは聖書の権威の下にない、聖書によって政治や経済やあらゆることを解釈しなくてもよい、と考え、地上のことはノンクリスチャンの学問を頼るということが許されるならば、その領域においてキリストは王ではない、ということと等しいのです。

このように、神のことと地上のことを分離する霊肉二元論の誤謬は、早期の教会においてグノーシス主義とかマルキオン主義と呼ばれ、異端とされていました。

ディスペンセーショナリズムの、「クリスチャンは地上世界を回復し支配する必要はない」という考えは、明らかにグノーシス主義の二元論であり、それゆえ、異端として明言する必要があると考えます。

ポスト・ミレについては、ポスト・ミレ以外は、「クリスチャンの働きは、この歴史において勝利するかどうかわからない」もしくは「クリスチャンの働きはこの歴史において敗北する」という思想であり、これは、「信仰による勝利」を一貫して訴える聖書の教えと真っ向から対立します。

それゆえ、ポスト・ミレを採用しない教えを異端と考えることが可能です。

今の段階で、異端と決め付けるのは時期尚早かもしれませんが、いずれこの必要が出てくると思います。

というのは、クリスチャンが地上において統治領域を拡大し、様々な領域においてキリストの御心が成就することを目指す時代になると、いったん獲得した領域をサタンに奪われないためには、どうしても、教理において、一定の基準で働き人を選別をする必要がでてくるからです。


たとえば、あるミッションスクール(もしくは、クリスチャンスクール)があるとします。

そのミッションスクールで教師になりたい人を選別する際に、「この地上をキリストの御国にする必要はない」とか「政治に関しては聖書は何も語っていない。政治は中立の領域である。」などという教えを唱える人物が教師になると、それに影響を受けた生徒は、社会に出ても、キリストの主権拡大などどうでもよいことだ、と考えるようになり、中立の領域が拡大します。世の中において中立の領域など存在しないのですから、そこにサタンがやってきて、ヒューマニズムを植え付けて、再び世界は人間を神とする体制に変わっていきます。

また、ミッションスクールの教師がア・ミレやプレ・ミレなどを信じており、キリストの王権拡大を疑問視するならば、それに影響を受けた子供たちは、積極的に社会を変えようとする意識を失っていき、その隙を狙っているサタンに領土を奪還されてしまいます。

これらのことは、受洗者の選別、教会の牧師や神学校の教師の採用においても基準とすべきと考えます。

御国の持続的成長という点を考えるならば、セオノミーとポスト・ミレはどうしても譲ることができない一線です。それゆえ、信条の中に明文化して、正統派と異端との境界線としたほうがよいと思います。

これらの2点は、ウェストミンスターなど、従来の歴史的信条の中では記されているのはいるのですが、明示されているとは言えないので、アップデートする必要があると思います。

 

 

03/03/24

 

 

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