何故6日創造説でなければならないのか

 

世界は、進化によって長い時間かけて神によって造られたと主張する「創造的進化論」は、暗に「神は試行錯誤を必要とした」つまり「神は全能者ではない」ということを述べている。

 

もし神が全能者であるならば、神にとって試行錯誤は必要ない。最初から完全なものを瞬時に創造できるはずである。事実、聖書は「創造されたものは完全であった」と述べているのである(創世記1・31)。

 

創造された生物から亜種が生まれたり、多様化するのは、遺伝子の中にそのような情報が最初から含まれているからであって、神の創造に欠けがあったからではない。

 

また、神が6日かけて創造したと創世記にあるのは、神が6日を必要としたからではなく、人間の模範となるためであった。

 

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。…それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである(出エジプト20・9−11)。

 

人間は、神にならって被造物を管理し、発展させる仕事を委ねられたものであり、それゆえ、神の創造のサイクル(6日働いて1日休む)に従って世界を支配しなければならない。

 

神は全能者であるから、やろうと思えば瞬間的に万物を創造できた。イエスが水をぶどう酒に変える奇跡を行ったのは、このことを明示している(ヨハネ2章)。

 

創造に何億年もの時間がかかったと主張することは、神の全能性を否定することである。

聖書は、明らかに創造を「命令による」としている。つまり、命令の「ことば」を発するだけで意思は「現実化」する。「神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた」(創世記1・3)。これこそ、全能者、絶対主権者の証拠である。

 

創造に長い時間がかかった、とか、創造は進化によって成ったとする考えは聖書と無縁である。

 

 

 

 

 

 




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