諸先輩の努力に敬意を払うべきだ

 

これまで私は一度たりとも献金のアピールをしたことがなかった。それは、できるだけ多くの人々にメッセージを聞いてもらうためである。

だから、このHPにおいて述べていることについて代金を請求したことはない。しかし、どうかそれを当然のことと考えないでほしい。

これは、私だけではなく、全世界の教職者のためでもある。悪い習慣を作ると、他の教職者も迷惑するからだ。

一社がダンピングをやることによって、業界全体が大きなダメージを被ることがある。

なおかつ、インターネットの世界は、できるだけ無料で情報を提供し、互いに情報を共有しようという互恵的精神から始まっているから、HPに載っている情報はただで受けて当然と考える傾向があるが、それはあらゆる場合に適用できるわけではない。実際、自分の小説をインターネット上にのせて代金と引き換えにダウンロードさせている人々がいる。

誰も霞を食って生きているわけではないから、これは当然の処置と言うことができるだろう。ナップスターの問題もあったように、音楽をダウンロードするには料金が発生する。そうしないと、生き残っていけないからだ。

一曲を作曲し、歌詞をつけ、伴奏をつけレコーディングするには非常に多くの費用がかかっている。もし、MP3で無料で曲がやりとりされるようになれば、それらの費用を回収できないので、レコード会社もミュージシャンも生活できなくなってしまう。インターネットが無料で情報を受け取ることができるというのは、一つの理想であって、それは現実を必ずしも反映はしていない。

情報には金がかかるのだ。例えば、誰かが医者のところにいって、症状を訴えるとする。医者はその道のプロだから、すぐに答えを出してくれるだろう(場合によっては精密検査が必要になることもあるが)。その問診の時間はほんの数分であるかもしれない。それじゃあ、その数分だけの御金を払えばよいか、というとそうではない。その医者が症状を聞いて的確な判断を下せるようになるには、膨大な知識の量と、経験と、それに費やした巨額の費用が背景としてあるからだ。

これは、弁護士やカウンセラーでも同じだ。

臨床や対面でのやりとりにかかる時間が少ないからといって、その情報料が少額でよいということにはならない。専門家の情報は、高価であると考えるのを常識としなければならない。

さて、では、こと神学についてはどうだろうか。一般の人々は、「神学なんて、国が認めた学問ではないし、国家試験がないから、そんなものに価値はないだろう」と考えているかもしれないが、こんな考えはすぐに捨てて欲しい。西洋において、The professions と言えば、「神学者、医学者、法学者」を指す。中でも神学は、学問の王様として、西洋において、千年以上もの間、不動の地位を築いてきた。なぜならば、神学は、諸科学を包括し、それらの基礎を提供するからだ。

我々は、意識していないが、神学や哲学は、社会の根幹を為している。どの社会も何等かの神学や哲学が土台として存在する。ものごとの価値を決定する一つのパラダイムは、思想によって提供されるのだ。

法学は、言わば、神学が築いた土台の上に社会に対してその神学を具体的に適用する働きをするため、神学よりも一段低くみられていたのだ。大学はそのはじまりから神学を研究する機関であった。神学部は大学の中心学部であった。今日、我々の社会では、神学部と言えば、刺身のつま程度のものとしか考えられていないが、世界の歴史からいえば、これはけっして通常のことではない。青山学院大学では、神学部が廃止された。上智大学や同志社大学でも、神学部の偏差値は他の学部と比較すれば、非常に低い。我々が生きている社会は、神学を重んじていないからだ。

それでは、神学とはそれだけのものでしかないのだろうか。そうではない。このような神学軽視が起こったのは、今日の社会では、ヒューマニズムが支配宗教として社会の土台を形成しているからだ。

キリスト教神学は、ヒューマニズムによって脇に追いやられている。18世紀から、世俗が勝利し、聖書が排除された結果である。世界は進化によってできたのであって、創造によるのではない、物事に絶対的な価値はない、と考えるヒューマニズムが勝利し、実証主義により、帰納法によって得られた知識だけが本当の知識であり、演繹法による知識は、「擬似学問」と見なされるようになったためなのだ。

しかし、これは、ここ300年の間にキリスト教が支配宗教としての勢いを失ったからの話であって、ヒューマニズムの「実証至上主義」が真理を獲得するための唯一の方法であるという証拠はどこにもないのだから、「キリスト教神学の固有の価値」が下がったということではない。もし、大多数の構成員がクリスチャンであったような西洋古代から近代に至るような社会にでもなれば、今日の神学とヒューマニズムの立場は逆転するだろう。

今日の日本人が神学を重視しないからといって、クリスチャンまでもが神学を軽視してよいということにはならない。

キリスト教神学は2000年のキリスト教信仰の背景があるので、非常に奥が深い。そして、それを探求するには時間とエネルギーがいるのだ。

例えば、私がヒューマニズムの2つの理想について語ったものを読まれた方の中で、このような簡潔なまとめかたがどれだけの知的遺産によっているかを知っている人はまれだろう。「ああ、そうですか。」で終わってしまうようだが、実際それを自分で勉強して、簡潔にまとめるには膨大な読書が必要だということを理解して欲しい。

アムステルダム自由大学の故ヘルマン・ドーイウェールト教授は、クリスチャンの立場から西洋哲学について非常に洞察力のある解説をしているが、彼の本は、一冊2万円である。手に入れる人の数が少ないので、高価になる。そして、その内容は非常に難解である。だから、同じ個所を何度も何度も読まねばならない。私は、彼の著書を12-3ページ読んで理解するのに1年かけた。

そして、やっと得た結論は、このHPにおいて、たったの2-3行で紹介されている。このように簡潔に述べ、理解しやすいように提供することにどれだけのエネルギーがかかっているか、御理解いただきたい。

だから、情報をただだと思って欲しくない。

私は、大学時代にコーネリアス・ヴァン・ティルの著書で卒論を書いた。ヴァン・ティルの著作を読んでいたから、ヴァン・ティルを土台とし、それを越えるラッシュドゥーニーの思想に出会ったときに、驚嘆した。もしヴァン・ティルを読まず、キリスト教的世界観について関心がなければ、ラッシュドゥーニーに出会っても無視するだろう。

しかし、私はそれについて熟考していたから、彼の思想の偉大さに圧倒された。しかし、それを言葉で表現する際に、ラッシュドゥーニーの言葉で述べても訴える力はあまりないだろう。彼はアメリカ人的な思考形式で述べているからである。

それを日本人に紹介するには、まず彼の著書を熟読し、それを自分の言葉になるまで徹底して考えぬくということがなければならない。そのような労力が背景としてあれば、日本の読者にとって咀嚼しやすいものとして提供できるようになるだろう。私は、大和市で牧会していたときに、毎日数時間彼の主要著書を熟読した。

今、このHPにおいて、簡単に「世界の歴史の本質は神の国の発展にある」と述べているが、この一言が出てくるまでに費やした時間と御金は膨大なものなのだ。

読者の中には、私が何か思い付くままに殴り書きをしているように思っておられる方がいるかもしれないが、よくよく吟味して読んでいただきたい。新聞をちょっと読んで、思い付くままに雑感を日記風に書いているわけではないのだ(実際にキリスト教神学の背景的知識があれば、その奥にある意味が判然とするはずだ)。

20年間毎日考えに考えぬき、読書と無数の試行錯誤の末に得たものだから、私の見解を批判するなら、それに匹敵する背景が必要だろう。もし私の述べていることが独善的であるというならば、自分も神学の正統的背景を調べて、どこがどのように独善的か指摘すべきだ。少なくとも、私は、これまで2000年のキリスト教教理史をふまえてものを言うように努力している。私が独自にあみだしたものなどろくでもないと考えているからだ。どの学問でもそうだが、スタンダードというものがある。そして、そのスタンダードは、スタンダードと言われるだけの価値があるのが普通である。時の試練を経ているからだ。こういったスタンダードを無視して、独自に思想を編み出すなど天才しかできない。我々凡人はこういった無謀なことはしてはならない。

情報には背景となる知識の歴史がある。そして、情報を受け取る者は、その背景を尊重しなければならない。もし、このような情報の背景を無価値と見るならば、それでもよろしい。あなたは、別の教師を探せばよい。しかし、もしその価値を認めるならば、あなたは、それに対して代価を払うべきである。

とくに、この情報によって生き方が変わり、新しい方向性を得た人は、その情報を提供した人に大きな恩義があるはずだ。自分一人で大きくなったと考えるな、とよく言われるが、キリスト教の世界において、先輩は偉大なのだ。自分ひとりで、教会が2000年かけて積み上げてきたものをマスターするなど不可能だ。我々は、先輩から教えを受けて、そしてそれを土台として考えを発展させる以外に道はない。ならば、新しい視点を与えてくれた人や、教会や牧師や伝道者たちに尊敬を払わなくてもよいということにはなるまい。

どうだろう。それでもなお、諸先輩の努力に代価を払うことを惜しむだろうか。キリスト教教理史の発展に尽くした諸神学者を軽蔑するだろうか。自分を教えてくれた牧師や伝道者に対してなおも不義理を続けるつもりだろうか。

 

 

02/04/30

 

 

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