吉井春人牧師の批判に答える4

 

<吉井春人牧師>
天皇制論を論ずるのが、当HPの主なるコンテンツではありません。ただし、ホームスクーリングの実践は、実践者がどのような政治的スタンスをとるかとは関係なく、結果として学校文化を精神面で支配している「天皇制」から子どもを一旦引き離すことになると思います。

<富井>
先生は、再建主義についてもっと学ばれたほうがよろしいかと思います。私たちは、現在、キリスト教界において知られていないので、エスタブリッシュされた教派の牧師先生の発言は我々の活動の大きな障害になります。もし紹介するならば、きちんと勉強してからにしてください。同じ信仰に属する兄弟姉妹の立場について根も葉もない情報を提供することは、自らに裁きを招きます。イエスを十字架にかけたのは、イエスと同じ宗教に属する人々であったことを胆に銘じられたほうがよろしいでしょう。個人的な感情を抜きにして、愛によって行動すれば、捻じ曲がった眼鏡も矯正されるものです。先生は再建主義者を愛していますか?

<吉井春人牧師>
(修正:2) 私がこの道について、複数の米国人宣教師のご意見を伺いました。日本の教会をイメージしておられたわけではないと思いますが、「セオノミーの教会には愛がありません」でした。私はこの米国人宣教師の言葉を鵜呑みにしたくなかったので、直接セオノミストに話をうかがい、本を読んだのです。その宣教師の言葉の真意を(本心かなのか、悪意から出たものかを)自分で確かめるべく、長老教会の仲間からは再建主義とみられながらの数年を経た結論として、残念ながら、私はその宣教師の言葉の裏付けを実体験と文字によって知ることになりました。仮に当時、私が周囲から再建主義者であるとみられていなかったら、ホームスクーリングについての教会内の理解と好意はもっと急速に広まっていたことと思います。「再建主義への愛」…ですか。愛というなら敵をも愛すべきです。

<富井>
喧嘩をしているわけではないから、話題をそらしてはなりませんね。
私が、「再建主義者を愛していますか?」と問いかけたのは、「先生は、再建主義について知識が欠けており、歪んだ理解しかしておられないために、我々の立場を歪めて紹介していた。このような軽薄な批判が愛の行為でしょうか。」という意味であって、この場合、アメリカの再建主義者が愛があるかないか、については別の次元の問題ですね。これくらいのことは、先生の知力であれば理解できるはずです。なぜ話を意図的にそらすのですか?
ちなみに、再建主義者に愛を感じている人々はたくさんいます。ラッシュドゥーニーの団体は、東欧諸国の孤児を引き取って病気治療し、里親を斡旋し、または自ら育て、スミス師の教会の会員も同じようなことを行っています。愛とは具体的行動が伴なわねば愛ではないですね。
それから、前から再三申しあげていることですが、なぜ先生は、批判するときに、伝聞や他のクリスチャン、他の教団、神学校の意見を根拠とするのですか?「ウェストミンスター神学校ではこれこれの批判本が出ている」、「再建主義の教会には愛がないという評判が立っている」なんていう主観的意見を利用すると、先生の主な目的は相手の評判を落とすことにしかない、立場の違う兄弟と対話する姿勢がまるでない、と読者に思われてもしかたがないのです。なぜ、実際の言葉を扱わないのでしょうか。相手の実際の言葉を扱わなければ、読者に対して公正な態度を取ることはできませんね。ウェストミンスター神学校がどんな本を出したか、などというものは、先生の教派の仲間内での自己慰撫以外のいかなる効果も生みませんね。批判というのは、聖書を論拠として具体的に相手の言葉を扱わなければならないのです。繰り返しますが、正当な理由を示さずに兄弟を裁くことは罪であり、愛の欠けた行為です。

 

 

02/06/16

 

 

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