ガンジーは聖人か?

 

H牧師が、「もし死後の救いがあるならば、伝道の必要はなくなる」という意見に対して「そんな狭い了見でどうする」と言ったのには、理由があったのでしょうか。聖書からの理由がきちんと提示されていれば、納得できますが、なければ、単なる横車押しでしょう。

「了見の広さ」は、絶対善なのでしょうか?

聖書的ではない「了見の広さ」とは、逸脱であり、サタンにつけ込まれる隙を与えることになります。

私は、死後の救いがあるということも、また、まったくないということも、どちらも聖書ははっきりと語っていないと考えます。はっきりと語っていないことについては、私たちもはっきり語ることはできないとし、自分の発言を制限しなければならないと考えます。

しかし、I牧師の、(1)「ユダも救われる」 (2)「金持ちも救われる」、その他、J氏の (3)「ガンジーは聖人であり、滅びるはずがない」という意見には絶対に賛同できません。これは言いすぎであるだけではなく、反聖書的です。

(1)ユダは、「滅びの子」と呼ばれており、「滅びた」「生まれてこなかったほうがよかった」とハッキリと言われています。聖書はユダの運命については一貫して否定的であり、どこにも彼が救われたことを示す肯定的な表現はありません。

(2)金持ちについては、あのたとえの中において、彼が自分の兄弟について愛の配慮をしたことが神から評価されたとはどこにも書いてありません。どうして、黄泉において兄弟について配慮し、「ここに来ないように言ってください」と述べたことが、救いの根拠になるのでしょうか。そのような、黄泉における善行や悔い改めが第2の救いをもたらすと考えることが正しいというよりも、むしろ、聖書は、「互いの間には深い淵があって行き来できない」とし、黄泉の世界には2つの交じり合わない領域が存在することを示しています。つまり、死後の救いについては否定的であるということです。

(3)ガンジーは聖人ではありません。聖書において、クリスチャンは聖徒と呼ばれていますが、ノンクリスチャンは、むしろ、「御怒りを受けるべき子」であり「サタンの支配下にある」と言われています。新生を体験していない人間を、その社会的評価、行動などのゆえに「聖人」と呼ぶことは、キリストの清めの御業を否定することになります。人間の間においてどんなに「偉人」とか「聖人」と呼ばれる人々であっても、神の御前においては、ただの罪人でしかありません。ガンジーがその生涯においていっさい罪を犯さなかったならば別ですが、もし1回でも罪を犯したのであれば、彼は、間違いなく滅びます。彼は英国に留学していましたので、キリスト教については触れる機会が存分にありました。そのようなチャンスにもかかわらず彼がクリスチャンにならなかったのであれば、彼は確信的ノンクリスチャンである可能性が大です。その場合、彼もあの金持ちと同じ運命をたどります。なぜならば「もしモーセと預言者の言葉に耳を傾けないならば、死人がよみがえって人々の間に現われても信じない」からです。

 

 

02/05/20

 

 

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