ナルチシズムから脱却せよ

 

ハーザー誌は、奥山氏と久保氏を招いて終末論について討論を行うそうだが、なぜ今ごろ?という感じである。

終末論についてそんなに熱心にやりたいなら、昨年私が誌上討論において投げかけた疑問点に答えを出してからではないか?なぜ、無視したままなのか?

こちらは、あれだけ継続を願ったにもかかわらず、討論を一方的に打ちきり、しかも、論議の総括を奥山氏だけにさせた。
私は、「総括については、こちらにもさせて欲しい。ただでさえ、誌数において差をつけられており、その上、総括まで相手にさせるならば、こちらが圧倒的に不利になるから平等にやって欲しい。」と再三申し入れたが断られた。

切迫終末論を唱える人々のやり方はいつもこのようなものだ。

つまり、聖書から論証できないものだから、力でねじ伏せるのだ。

あとはひたすら無視である。

次回のハーザー誌の特集は『終末論』のようだが、ポスト・ミレを無視した「プレ・ミレ内部におけるコップの中の嵐」では、読者だって退屈だろう。

今のキリスト教には、ブレイクスルーが必要なのだ。今までのパラダイムを破壊する強烈なパンチが必要なのだ。

今回の死後の救いについても、私市氏の援護射撃は単なる『人間の意見』でしかなかった。「死後にチャンスはないというと、世界の大多数の人々、他宗教の人々はみな地獄に行ってしまう。キリスト教はこんなひどい宗教ではない。」というようなヒューマニズムの枠内にとどまってどうして霊的リバイバルが起こるだろうか。神の御言葉を無視するような者たちに、なぜ神が力を注がれるだろうか。

終末論についても、またもや奥山氏の「現実の世界を見てください。どうして、これがキリストの千年王国といえますか?」というような人間の主観を基準とする議論になるのは火を見るより明らかだ。

なぜ聖書から議論しないのか?なぜ聖書の説明だけではもの足りないのか?なぜ御言葉を尊重しないのか?なぜ自分の意見をそんなに愛するのか?なぜナルチシズムから抜け出ないのか?

御言葉に基づいて批判する者の批判を無視するということほど恐ろしいことはない。神を侮ることはできない。いつまでも御言葉を無視すると引き返せない地点にやってくるだろう。つまり、「神が」自分の心を頑なにし、盲目の暗闇の中に放り出されるだろう。そして、ついに、自らを破壊するようになるだろう。

「神の御手に陥ることは恐ろしいことです。」

 

 

02/08/13

 

 

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