ヒューマニズムの定義

 

<ご質問>
富井先生、ヒューマニズムは人間中心主義であるから悪なのでしょうか?この言葉自体が多数の意味を持っていますので、先生のおっしゃっているヒューマニズムが分かりません。主権者は神である事は十分承知ですが、わたくしは全てのヒューマニズムが悪であるとは思いません。人が人を慈しむ心は神さまが与えてくださったものだからです。
 では、ヒューマニタリアニズムならキリスト教的な博愛の意味がヒューマニズムより強いため良いのかと考えていたら、これも神学的にはキリスト人間説という危険な意味があることを知りました。
 先生が聖書の解説のときにいつも言われるように、文脈に注目して事柄を判断できれば一番なのですが、専門家でないのでなかなか正確に意味をとらえることが難しいのです。
 本当に初歩的なあまりHPの趣旨と関係のない質問ですが、お答えくだされば幸いです。
H.Shinya
 特定のEメイルを持っていないので書き込ませて頂きます。

<お答え>
HPをごらんくださりありがとうございます。
このHPにおいて述べているヒューマニズムとは、「人間を至高者として崇拝する宗教」です。
人間だけで世界を成り立たせ、神を除こうとします。
これは、近代哲学の理想でした。
近代哲学の出発点は、「我思うゆえに我あり」との人間を出発点として世界を見る見方でした。ドグマとか迷信を排除し、真実だけを受け入れるには盲信ではなく、疑うことが必要だ、回りにあるすべてのことを疑っていくと、疑うことができない唯一の存在は「疑っている自分」だ、ということになります。「今、自分が疑っていることはまぎれもない事実なのだから、自分は存在する。」という自分の認識が出発点としてあります。
ここにおいて、人類は、「神の啓示を出発点とする」という聖書の信仰から離れました。すでに中世カトリックは、ギリシヤ哲学を受け入れて神の啓示のほかに人間理性を自律したものとして受け入れていたのですが、それでは不充分だ。不確かなものをすべて排除し、確実な認識だけを徹底して追求せねばならないと考えたのが、近代哲学なのです。

それ以来、人類は、聖書の啓示から知識を得ることが次第に少なくなり、ついに、カントに至って、「我々が考えたことだけが真理なのだ。」と述べるようになりました。神とは人間が必要とする時だけ重要になる「刺身のつま」程度のものになりました。

ここにおいて、人間は、完全に神から独立し、神の意見を完全に人間の下に置くようになりました。

人間が人間のためにのみ存在する、人間だけで完結する世界が生まれたのです。このような人間至上主義をこのHPでは、ヒューマニズムと呼んでいます。

 

 

02/04/04

 

 

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