自分の財産を国家の略奪から守るには

 

アメリカの最高裁は、かつて「課税する権利は、破壊する権利である」と述べた。課税は、もし聖書の制限がなければ、私有財産を没収し、国民の生活を破壊することになる。

エリツィンがかつて大統領だった頃、ロシアは、ゴルバチョフ前大統領が世界各地で講演旅行をして得たお金で建てた建物を国有化してしまった。国有化とは、つまり国家による略奪なのだ。

国有化の根底には妬みがある。累進課税も同じである。マルクス主義は、妬みの神学であって、累進課税制度は、妬みによる税制である。成功した者を、成功の度合いに比例して厳しく罰する制度なのだ。

平等社会とは、このように、国有化、累進課税という偽善の仮面をかぶった略奪によってもたらされる。

ロシア人の中には、日本は世界で唯一成功した社会主義国であり、天国であるという者が多くいるが、喜んではならない。

戦後日本における均質な社会は、「出る釘は打つ」というオカルト的税制によって実現したからである。飛びぬけて優秀な者、奇抜な発想をする者、経済的に飛びぬけた成功を収めた者を許さなかった。現在の相続税では、2代経つと、資産は10%に落ち込む。

湾岸戦争のときに、ある人が茶化してこう言った。

「サダム・フセインは、クウェートから石油を解放した!」

マルクス主義における「解放」とは、略奪と同義である。マルクス主義は、ソ連をはじめとする社会主義国の崩壊によって死に絶えたと考えられているが、そうではない。実は、我々の常識がすでに根深いところにおいてマルクス主義に汚染されている。

例えば、我々は、累進課税によって、高額所得者の収入が社会に還元されているのを肯定してはいないだろうか。所得にばらつきがない均質な社会、平等な社会を肯定してはいないだろうか。もし肯定しているならば、それは、妬みによる略奪を正当化しているのだ。あなたは、すでにマルクス主義によって洗脳されているのだ。

聖書は、結果の平等を認めていない。努力した者が勝ち、怠けた者が負けると述べている。マルクス主義は、努力した者を罰し、怠けた者に褒美を与えることにより平等な社会を目指す。だから、マルクス主義の国では、人々は努力しようと思わなくなる。ウォッカを浴びるように飲んで、空しさをごまかす以外にはない、ということになる。

それでは、ロシアは、政変後も依然として麻薬や飲酒のはびこる堕落した社会であるというのはどういうわけか、と問われるかもしれない。ロシアの社会は、今でも社会主義なのだ。企業には90%の税金が課せられる。こんな社会で会社を起こそうなどと考えるだろうか?ロシア人は、上から下に至るまで、旧い体制の教えから離れることができないのだ。

聖書の限定がなければ、課税権は、略奪権、破壊権になるのだ。

しかし、神を否定し、超自然的規範を捨てた現代社会は、国家を、個人や家庭や企業から際限無く奪い取る怪獣に変えてしまった。

このまま国家の暴走を許してよいだろうか。国家が自分の資産の相続者を主張し、あなたの家庭の70%の財産を略奪するのをみすみす見逃すだろうか。

ヒューマニズムには、解決はない。ヒューマニズムには、国家の食欲を抑える薬はないのだ。聖書的信仰だけが、あなたの権利を守る唯一の特効薬である。自分の財産を守る教えはここにしかないのだ。

 

 

02/03/25

 

 

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