吉井春人牧師の批判に答える14

 

<吉井先生>
主の宣教の大命令において、弟子達が確信すべきなのは、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という確信です。ここに宣教の励みを読みとるべきです。「終末的状況が担保のように示されいるのだから、それまで私は来ない」と、未来像が弟子達の安定感や励みとされるように語られたというより、初代キリスト教徒が、ユダヤ民族以外への宣教を躊躇していたような状況下で、宣教対象には民族的差別がないことを示されたと理解するのが自然です。

マタイの大宣教命令については、この箇所からだけでは、終末の状況が「どんな時であるか」ということまでを読みとることはできません。

<富井>
吉井牧師は、「すべての国民を弟子とせよ。バプテスマを授け、私が命じたすべてのことを守るように教えよ。」という大宣教命令は、「異邦人伝道に躊躇していた弟子たちに、福音伝道の対象において民族的区別はもはや存在しない」ということを示すための意味しかなく、終末時においてどのような状況が出現しているかについては何も触れていないと言われた。

これは非常に奇妙な解釈である。というのも、2000年の異邦人伝道の歴史を持つ今日の教会の中で、もはや異邦人伝道に躊躇する人々はいないからである。ということは、このような状況にある今日の教会にとってこの御言葉はいかなる意味もないということになる。




 

 

02/06/22

 

 

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