主に信頼する者は守られる

 

私が大学生に入学した時の4年生と、卒業したときの1年生では、学生の質には雲泥の差があった。
入学した頃は、まだ学園紛争の余韻が残っており、学内で学生集会が頻繁に開かれていた。
しかし、卒業する頃になると大学はほぼレジャーランドに変わってしまった。資本論を読む学生はほとんど消えてしまった。
私は、左翼の学生運動をそのまま評価する気持ちはないが、学生運動をしている人は、そうでない人と比べて、話が面白く、個性豊かな人が多かった。
卒業の頃に新入生として入ってきた人々は、みな画一的で、個性に乏しかった。妙に都会的で、物腰がスマートなのだが、面白みがない。
現在の日本社会の「無味乾燥」な世相は、この頃から始まったように感じられる。
今日、若い人々は、競って個性的なファッションをするようになったが、中身は金太郎飴のようにどこを切っても同じ顔が出てくるように思える。現代の日本人が個性を失い、バイタリティーを失った本質的な原因は、経済力の低下だけではなく、画一的な学校教育にある。
戦後日本に導入された主要な教育理論はデューイによる。デューイは、実質的なヘーゲル主義者であり、国家を中心とし、個人よりも集団を尊ぶ思想を唱えた。教育の目的は、個性の育成というよりも、集団への同化にあった。
今日の若者は、戦後の集団主義教育を受けた両親に教育されているので、この集団主義的メンタリティーはますます純化している。彼らは、あらゆる時代や地域に共通する普遍的価値や規則を教わらず、集団に溶け込むことを何よりも優先するように教育されてきたので、「友達の輪」を半ば神格化し、そこから外されることをほとんど死と同義ととらえている。
「人を恐れると、罠に陥る。」と聖書にあるように、人間への恐れは、サタンの餌食になることを意味する。今日、ひきこもりや対人恐怖など、心の病が未曾有の増加を示している原因は、主に、戦後の集団主義教育にある。
人間への依存心、集団崇拝から脱却しない限り、心の病の病巣を取り除くことはできない。
真の解決は、人間に頼るのではなく、神に頼ることである。神への信仰を確立することである。
「しかし、主に信頼する者は守られる。」

 

 

02/08/29

 

 

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