ノンクリスチャンに聖餐をあずからせないのは、国教化の産物?

 

<ご質問>
聖餐式においてノンクリスチャンを聖餐にあずからせず、ノンクリスチャンをクリスチャンと区別することは、西欧におけるキリスト教の国教化の負の産物である、と主張する教会があります。

<お答え>
パウロは「誰でもふさわしくないままで聖餐を受けるならば、その身に裁きを招く」と言いました。また、最後の晩餐において「取って食べよ」と命じたのは、弟子たちでした。弟子たちは、悔い改めのバプテスマを受け、イエスを神の子キリストと告白しているのです(マタイ 16・16)。
また、ノンクリスチャンは、サタンに従っている者たちであると述べています。

「かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていた。」(エペソ2・2)

また、クリスチャンとノンクリスチャンには、光と闇、キリストとサタンほどの違いがあると述べています。

「不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。」(2コリント 6:14-16)

そして、むしろ、クリスチャンは、ノンクリスチャンと分離しなければならない、と述べています。

「神がこう仰せになっている、『わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。』だから、『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ』と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる。」(17-18)

クリスチャンとノンクリスチャンの区別をすることは、聖書の基本中の基本の教えであり、このような教えに逆らうことを述べているというのは、明らかに相当サタンに目をくらまされているとしか考えられません。

先日ハーザー誌で対論したK師は、ガンジーも救われると主張しています。

死後の救いの教えとか、聖餐をノンクリスチャンにも授けるとか、教会はいよいよ裁きの直前にまで来たと言うことでしょう。

ますます我々の働きが重要になっていると言えると思います。

 

 

02/09/06

 

 

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