世間体という名の呪縛4

 

教育の本当の目的とは、自己完結した人間を作ることにある。
自己完結とは、「神にのみ信頼し、他のいかなる被造物にも頼らない」人間である。

神は、エレミヤを通して「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。」(エレミヤ17・5)といわれた。

人間に信頼し、肉に信頼することは、「心が主から離れる」ことであり、「偶像礼拝」である。

しかし、日本の教育の目的は、「人間に依存させること」にある。

日本の教育は、戦後、アメリカが持ち込んだデューイ教育思想の実験場であり、集団に同化することを主眼としている。だから、戦後、自主独立の気風を持つ人々、個性的な人々が、「異端児」扱いされるようになってしまった。

アメリカもデューイの「集団主義教育」によって、ピューリタンの「神依存教育」から、人間を信頼する教育に変わってしまった。

しかし、アメリカの文化には個人の自立を尊ぶ文化的伝統が強く残っているので、日本ほどひどくはない。日本は戦前においても、儒教の「家中心制度」により、個人を殺して集団に依存することを尊ぶ文化があったので、根は深い。

ルース・ベネディクトは有名な「菊と刀」において、日本人は、姑のいじめによって家出をした愛する妻を追いかけずに、家に残った夫を賞賛する、という内容のことを述べている。そして、そのような場合に、アメリカ人ならば、家を飛び出して妻を追いかける夫を賞賛する、と言っている。

神の被造物支配命令(創世記1・28)は、「父母を離れ、一体となった夫婦」(創世記2・24)を中心として実行される。文化とは、「独立した夫婦」を中心に建設されるべきものなのだ。

伝統的な日本の文化は、このような夫婦の独立を許さない。夫婦の秩序よりも、家の秩序が重んじられる。だから、日本の文化の基本には、奴隷制度がある。

このような奴隷制度は、形を変えて企業文化の中に残っている。日本の企業は、家庭の独立よりもむしろ、企業への忠誠と依存を優先する。家庭が破壊されるほどの過重労働を強いたり、単身赴任を強制して平気な顔をしている。

企業は、「会社は親で、従業員の皆様は子どもです。親は子どもの面倒を見、子どもは親に孝行するのが当然」と公言する。日本文化は、あらゆる人間関係に、家族のモデルを適用する。そして、そのモデルは、しばしば、社員を会社に縛り付け、奴隷とするために利用される。家のローンのために会社に借金することを勧めて、一生その会社から離れられないようにし、子どもの寝顔しか見れないほどの滅私奉公を強制する。

仕事の本質が「被造物支配命令」にあり、それを担う中心的制度は、「夫婦」である以上、家庭を破壊するほどの過重な労働は、本末転倒であり、自滅的である。

戦後の驚異的な経済発展は、このような奴隷制度によって達成されたのであり、このような奴隷制度に文句を言わない「従順な羊」を養成する教育制度に依存してきた。

しかし、今、「安くていい物を大量に生産する」というだけでは日本経済が立ち行かない時代になっている。単純生産は、どうあがいても安価な労働力を得られる中国にかなわない。付加価値のついた商品を生産するには、独創性が不可欠である。この意味において、日本はアメリカに差をつけられてしまった。独立や独創性を許さなかった文化的風土は、自己変革を余儀なくされている。

真の独創性を得るには、聖書に学び、自立して物を考える訓練をつむ以外にはない。どの分野においても、世界の画期的な発明や発見がユダヤ人によって成し遂げられてきたのは、ユダヤ人が幼い頃から聖書に親しみ、自立して物事を考える訓練をつんできたからである。

神にのみ依存し、人間のしきたりや制度に頼らない心を育成する以外に、独創的な文化を生み出すことは不可能である。

 

 

03/01/02

 

 

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