不幸を一身に背負うと損です

 

教会の人間関係につまづいて出席しづらいという方がいらっしゃるというご質問について:

「人を恐れると罠に陥る」という御言葉があります。

対人恐怖は、人を恐れた結果、罠に陥った人がはまった泥沼です。つまり、はじめに人を恐れなければ罠に陥らなかったのです。これは、受動的な感覚の問題ではなく、「意志」の問題です。

人を恐れると、サタンはもっと大きな恐れをもってきます。

本当は怖くないものを怖いもののように見せるのです。人を恐れた人は、その恐怖の悪循環の中に入っていき、外出すらできなくなってしまいます。心理的な問題として片付けるのは、大きな間違いです。これは、霊的な問題なのです。

サタンは、人を恐れる人にさらなる恐怖を与えようと狙っています。恐れとりつかれた人々には、サタンの罠はますますきつく締まるようになっているのです。

対人恐怖の唯一の解決は、「主に信頼すること」です。

「人を恐れると罠に陥る。しかし、主に信頼する者は守られる。」

この「守る」という言葉は、ある危険からものを高く上げて、それが触れることのないようにするという意味の言葉で、神は、人を恐れない人を高みに引き上げて、相手が触れないように守ってくださるのです。

どのような恐怖であれ、それは悪循環を引き起こす種になる可能性があります。過去のトラウマによってますます人を恐れるようになるということがあります。しかし、実際は相手が悪いというよりも、こちらが必要以上に恐れたから起こったことであることが多いのです。サタンは、その人物を利用して、あなたを面白がって攻撃します。ますます、あなたはいじめの対象になり、そこから抜け出すことができなくなります。

私も一度だけこのような悪循環にはまったことがありました。自分を失った時のことです。自分の信仰をはっきりと主張できなかったのです。相手を恐れてしまいました。すると、相手はどんどんと私の弱みにつけこむようになりました。とことんまで追い詰められて、気がおかしくなるかと思いましたが、主は救ってくださいました。

このように自分を主張しないで相手の顔色を伺う人生は、損な人生です。私の知り合いに、自分のストレスを全部回りの人におしつけてわがまま放題して長生きした人がいます。これも問題ですが、しかし、自分だけ我慢して不幸をすべて背負い込むような生き方は損です。

正当な主張はすべきでしょう。ワガママをして理不尽なことを押し付けるのは間違いでしょうが、不当な扱いを受けたら堂々と抗議すべきでしょう。抗議して、相手と和解できればよいし、できなければ、そもそも付き合うべき人ではないのだと割りきればよいのです。


 

 

02/04/17

 

 

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