ヨエル書2・28-32は終末預言か?

 

<ご質問>
使徒2・15-21は、「ヨエル書2・28-32が文字通り使徒の時代に成就した」と言っているのではないと思います。月が血に変わったり、太陽がやみとなるというしるしはこの時代に起こらなかったのですから。これは、やはり、この世界の終末に成就すると思います。

<お答え>
まず、該当聖句をあげます。

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
」(ヨエル2・28-32)

「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』」(使徒2・15-21)

さて、ご意見は、「ヨエル書の預言は文字通り実現するはずだ」ということが前提となっているように伺えますが、預言の言葉はすべて字義どおりに解釈しなければならないという規則は存在しません。

もしそのような規則が存在するならば、他の同様な個所も文字通り成就しなければならないと言わねばならなくなります。

例えば、イザヤ34・2-6の「山々は、その血によって溶ける。天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。」という御言葉も文字通り成就しなければならないということになります。

「主がすべての国に向かって怒り、すべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、彼らが虐殺されるままにされたからだ。彼らの殺された者は投げやられ、その死体は悪臭を放ち、山々は、その血によって溶ける。天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ。これがエドムの上に下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊ややぎの血と、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主がボツラでいけにえをほふり、エドムの地で大虐殺をされるからだ。」(イザヤ34・2-6)

これは紀元前6世紀のエドムに対する預言であり、もちろん、この時代に山が溶けたり、天の万象が朽ち果てたり、天が巻き物のように巻かれたりしたことはありませんでした。

もし、ご指摘の論理「この預言のしるしはペンテコステにおいて見られなかったのだから、これは終末の様子について語っているのだろう」が正しいならば、「これは紀元6世紀のエドムに対して実現しなかったから、終末に実現するはずだ」ということになり、こういった黙示的預言をすべて終末の預言にしなければならなくなってしまうのです。

これは、明らかに無理です。

この個所は、明らかに紀元前6世紀のエドムに対するものであり、文脈を無視することはできません。

 

 

03/04/20

 

 

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