クローン技術について

 

<ご質問>

人間それぞれ主義主張が違いますが、ここは様ざまな分野を包括し、キリスト教の再建を図ろうとする素晴らしいHPだと思います。このサイトを拝見しますと、やっぱり聖書(キリストの教え)ってすごいよね、っという事になる気がします。

白熱の進化論の話題ですが、私は支持するつもりがありません。進化などというのは無くて、適応があっただけだと思います。それを進化だと言うなら話しは別ですが・・・。そもそも、創造論に立たねば宇宙の歴史すら始まりません。ある人はビッグ・バンがまず初めに起こったと言いますが、それではどうしてビッグ・バンが起こったのか、と説明できる人はいません。どのような形にしろ、『初めに言葉あり』神が万物の始まり、この世界が神の秩序と恵みの上に成り立っている、結局は言わざるをえないと思います。

さて、近年のクローン技術の進歩は目まぐるしい物があります。そこで、クローンに関する事を、聖書的、キリスト教的にご教示してくださいませんか?

<お答え>

HPを見ていただき感謝します。

さて、クローン技術については、創造の秩序を破壊する危険があります。神が創造されたものは、ただ単一の種で生存しているのではなく、微生物から人間に至るまで、互いに密接に連携しており、いわば、地球は大きな有機体です。

深海の微生物ですら、地上の植物に必須栄養素を提供する役割を持っていることが明らかになったとTVで言われていました。

この地球は神によって、「人間のために」創造され、生物はことごとく人間のために神が備えてくださったものです。

よくキリスト教は、「自然は人間のために創造されたというから、環境破壊が起こるのだ」という意見を耳にしますが、聖書は自然を破壊するような利用のしかたを禁止しているので、この批判は適切ではありません。

人間は、この地球を発展させ、楽園と変える責任があります。エデンの園は、神の模範でした。それは、神が人間に向って「このようなものに地球全体を変えなさい」と示された「文化的モデル」でした。

エデンの園において、神と人間は自由に話をし、交流を持つことができました。人間は、神の直接指導のもとにエデンにおいて文化的訓練を受けて、その後、塀(エデンは門があったので城壁のある町であったと推測できる)の外に出て行き、地球各地をエデンの園のようにするために、開墾を行い、開拓すべきでした。

自然界は、すべて人間を中心に回っており、人間の倫理性と連動しています。それゆえ、人間が神に従う時に自然界は繁栄し、土地は肥沃になり、逆らう時に衰退し、砂漠化が進みます。アダムが堕落したことにより、土地は呪われ、地は作物を生み出すという点において大きな障害を与えられました。人間は、収穫量が下がったので「額に汗して」作物を育てることになりました。女性は、生みの苦しみを増し、結果を得るのに大きな苦痛が伴なうようになりました。もしアダムが神に反逆しなければ、人間の労働と出産には今日ほどの苦労は必要なかったでしょう。作物の収穫量、記憶力、労働生産性は各段に高かったことでしょう。科学的発見のスピードも各段に速かったことでしょう。

さて、人間が活動すべきなのは、この創造の枠組みを認め、神が設定された秩序の枠内においてでした。創造物は、神のプログラムにしたがって繁殖します。しかし、クローン技術によって、その神が書き込まれたプログラムを変化させるのですから、自然界の秩序は変化します。

例えば、害虫に強い植物の遺伝子を作物の遺伝子の中に入り込ませて、害虫に強い品種にすることによってたしかに害虫によるダメージは減るかもしれません。しかし、神が有機的に設定された人間と作物と害虫の関係が崩れることは、総合的にどのような影響が出るかは明らかではありません。

現在ですら、化学肥料の登場により、従来の微生物による栄養土の生成に基づく農作物の生産システムは崩れ、土地に対する搾取は進んでいます。いずれ、土地がこの過酷な収奪に絶えられなくて破綻が来る恐れがあります。

神は、7年に1年土地を休ませなさいと命じておられます。

「七年目には、その土地をそのままにしておき、休ませなければならない。民の貧しい人々に、食べさせ、その残りを野の獣に食べさせなければならない。ぶどう畑も、オリーブ畑も、同様にしなければならない。」(出エジプト2311

「七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。」(レビ254

「たとい、この地の民たちが安息日に、品物、すなわち、いろいろな穀物を売りに持って来ても、私たちは安息日や聖日には彼らから買わない。また、私たちは七年目には土地を休ませ、すべての負債を取り立てない。」(ネヘミヤ1031

このような自然の摂理に逆行するような農業をすると、自然からのしっぺ返しがあります。

科学が神から離れて神が定められた秩序に逆らうことは自殺を意味します。そのため、科学はどうしてもキリスト教的でなければならず、現在の無神論的科学はきわめて危ない橋を渡っているということが言えます。

私たちが家電製品を買うと、その製造者の取り扱い説明書を読みます。世界は聖書の神によって創造されたので、神の取り扱い説明書である聖書に従う必要があるのです。それゆえ、これから科学が暴走しないためにも、私たちは聖書を絶対の権威として主張し、科学者に働きかける必要があります。

 

 

02/03/08

 

 

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