創造論と進化論の真の問題点

 

 進化論の背後には、神抜きの世界、神からの自由、無律法主義があります。

 しかし、人間は、不可避的に神を知っているのであり、どんなに「わたしは神を信じない。」と断言している人でも、その言葉を話している先から、神は彼に対して自分を啓示されます。

 

 人生の様々な出来事の中において、彼は、神の存在を感じ、また、神に対して自分がある態度を取らねばならないことを知ります。

 

 それゆえ、誰でも神を知っており、言い訳はできません。

 

 ノンクリスチャンとは、神を知りながら、神に関する知識を抑圧する人々です。神についての知識、経験、気持ちを抑え込んで、それを見ないようにするのです。

 

「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。 」(ローマ1・19-21)

 

 彼らは神を知りながら、神を認めないので、結局様々な屁理屈をこねまわして、神を世界から追い出そうとします。進化論などその最も典型的な例です。正常な精神は、進化論を信じることを許しません。それは明らかに馬鹿げているからです。偶然によって生物が新しい形質を獲得したなんてことを信じられるのは、知性の問題とは異なる何らかの原因があるからにほかなりません。

 

 パウロは、ノンクリスチャンのことを「不義をもって真理をはばんでいる人々」(18節)と呼んでいます。ここで、真理を受け入れさせなくしている原因は、「不義」です。つまり、人が神を受け入れないのは、その行いに問題があるからであり、その不道徳を正当化するために、真理のところに来ようとしないのです。

 

「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。」(ヨハネ3・19)

 

 それゆえ、進化論を捨てさせて、創造論に立ちかえらせるには、その人々の知的な問題よりもむしろ、倫理的な問題を解決しなければならないのです。倫理的な問題を解決してから、キリストを信じるべきだといっているのではありません。持っている倫理的な問題を素直に認めて、神に対して悔い改めをすることなのです。神は悔い改める人を豊かに許してくださいます。悔い改める人を拒まれるかたではありません。7を70倍するまで許せと命じられたお方は、完全に人をゆるすことができるお方なのです。人間は、神の御前にありのままの姿で出るべきなのです。倫理的な問題は、信仰に入って聖霊によって矯正していただくことができるので、まず信仰の中に入ることが大切です。

 

神を見たくない、神の支配を受け入れたくない、神の裁きを受けたくない、とにかく神から逃れたいという心は、人間にウソを信じさせるようになります。無神論の本当の解決は、素直になって神が与えてくださっている許しのチャンスを受け入れることです。

 

 

 

 




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