創造論者には後千年王国説が似合う

 

 現代の創造論者において残念なのは、その大多数が、創造論と矛盾する歴史観を持っていることである。

 例えば、創造科学研究所は、創造説の啓蒙において大きな役割を果たしているが、終末論はディスペンセーショナリスト前千年王国説なのだ。まもなくキリストの再臨があって、反キリストが登場する、と述べている。

 創造論と律法と楽観的終末論は、密接に連動しているので、一つを主張して他の二つを否定するということはできない。

 創造論を主張するならば、当然、「神は万物に対して主権を持っており、万物は神の規範にしたがわなければならない。人間の営みにおいて、一つとして自律の領域は存在しない。」と結論せざるをえない。

 また、もし創造論を主張するならば、「神を越えた力を持つ者はいないはずだ。自分の作品に食われるということはありえない。」と結論せざるをえない。

 そうすると、「神は万物に対して主権を持つだけではなく、それを統治する完全な力を持つ絶対者であり、それゆえ、歴史はこの神の意志を実現するための舞台である。」ということになる。楽観的終末論を唱えざるをえない。

 「いや、けっして神の意志が歴史において実現することを否定しているわけではない。ただ、その意志の実現は、人間が行うのではなく、神ご自身が行われる。」と言うだろうか。

 それでは、神が人間を創造されたときに、「地を従えよ。」と言われたのはなぜだろう。

 イスラエルに対して神は、「もしあなたがたが律法を守るならば、あなたがたの前に敵はいない。」と言われたのはなぜだろう。

 パウロが「神はあなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」と言われたのはなぜだろう。

 創造を信じるならば、人間の造られた目的――神の御心に適った地上支配――についてなぜ否定するのだろう。

ディスペンセーショナリズムは、創造論とはけっして調和しない教えである。この歴史において、クリスチャンは敗北する以外にはなく、再臨のキリストの直接統治による以外、地上には神の国は現われない、というのは、人間が創造された目的を否定する謬説なのだ。

 

 




ツイート