御言葉は宣言であって議論の対象ではない

 

 荒野においてサタンの誘惑を受けられたときに、イエスはただ「・・・と書いてある」と御言葉を引用しただけであった。

 例えば、サタンが断食の後のイエスに「あなたが神の子ならこの石をパンにかえてみなさい。」と述べたとき、イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。」と申命記の言葉を引用された。

 さて、御言葉だけをもってサタンに対抗したということは、聖書の御言葉が、この世界に存在するすべての者を黙らせる最終権威であることを示している。

 サタンを黙らせる力があるならば、人間を黙らせることができるのは当然である。

 神を信じない科学者が「世界は創造によるのではなく、進化によって成立した。」と述べたならば、クリスチャンは、彼らに対して「聖書には『はじめに神が天と地を創造された』と書いてあります。」といえばよい。

 クリスチャンは、ノンクリスチャンに神の存在や神による世界創造を証明する責任はない。神の存在や神による世界創造は、聖書に記されている確立された真理であって、宣言でしかない。

 イエスは、誘惑したサタンに対して、ただ御言葉を宣言されただけであった。サタンはそれ以上、二の句を告げられなかった。

 同じように、我々も、神の存在や創造について証明する無駄な努力をやめて、それらを前提としてそこから出発すればよい。

クリスチャンの科学者に対して攻撃する者があれば、「聖書に・・・と書いてある」と一喝し、彼らを再び創造を前提とした研究にあたらせればよい。

 

 

 




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