民主主義は多数派の意見で少数派の意見を封じ込めるためのものではない

 

>小泉総理は、選挙期間中もはっきりと「靖国参拝する」と言ってました。

>これは公約です。その小泉内閣に国民は信任を与えたのだから、むしろそのことに反

>対するのは、民主主義のルールを踏みにじるものと考えます。

 

まず第一に、民主主義とは、多数派の意見で、少数派の意見を封じ込めるためのものではありません。多数派の人が選んだ人が述べた公約と、常に同じ意見を有権者は持たねばならないとするならば、これは、もはや民主主義ではなく、多数派の暴力にほかなりません。

信任を与えたということは、同じ意見を持ち、同じ行動を取るということと同義ではなく、場合によっては、彼の行動をチェックして、それよりもさらに大きな約束事である憲法に合致しているか、さらに、我々クリスチャンの立場であれば、神の法に照らして合法であるかどうかをチェックして、間違っていればそれを止めさせるということも含まれているのです。

もし、この修正作業が許されていないならば、金にあかせて票をかき集めたとんでもない人間がやることをすべて認めなければならないということになり、民主主義は滅んでしまいます。

 

>それはさておき、富井さんの言う”我々”が参拝しない理由は、偶像礼拝だからだそ

>うですが、これはとんでもない勘違いです。

>もともと神道では山上の磐座におられた神が、里宮に降りられるときの神の依り代と

>しての鏡が御神体として多く祀られており、それはまた宗像大社のように

>「玉」であったりします。御神鏡は偶像ではありません。

 

これも誤解されて申し訳ないのですが、偶像礼拝とは、聖書の定義する偶像礼拝という意味なのです。聖書では、「ヤーウェ」以外の神や霊や人間や動物やものなどを拝むことを偶像礼拝と言います。

神社では、ヤーウェを祭っているわけではありませんから、神社で参拝することは偶像礼拝です。

 

 

>むしろ、東京裁判は、裁くべき法律なくして裁いたリンチであり、戦争犯罪人など本

>来存在しなかったということを考えるべきでしょう。

 

そのとおりと思います。

 

>ところで、質問ですがキリスト教で十字架にかけられたキリスト像や、赤子のキリス

>トを抱いたマリヤ像は、偶像とは言わないのですか?

 

偶像です。だから、このような偶像を礼拝したカトリックに対してプロテスタントは反対したのです。プロテスタントの教会ではこのような像はありません。

 

01/08/04

 

 

 




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