ディアスポラのユダヤ人は歴史の主役であった

 

歴史の中心は、キリストである。

キリストの贖いにより世界が原初の秩序に回復し、さらに、神のために発展することこそ歴史の最も主要なテーマである。

しかし、世俗の歴史学において、キリストは歴史の中心ではない。それゆえ、世俗の歴史学にとって福音とその伝達者たちは脇役に追いやられている。

キリスト中心の歴史観に立てば、福音と伝道者たちは歴史の主役である。

紀元前において、福音を担っていたのは、ディアスポラのユダヤ人たちであった。彼らは、バビロン捕囚後、世界に散って、そこにシナゴーグを中心とした宗教共同体を形成し、自分たちを贖うメシアの誕生を待ち、それを異邦人に伝えていた。東方の博士がキリストの生誕を祝うためにやってきたのは、ディアスポラのユダヤ人により世界各地で異邦人伝道が進んでいたことを物語っている。

復活を目撃した使徒たちがまずこの良きメッセージを伝えたのは、「囲いの中にある羊(ユダヤ人)」たちにである。これは、ユダヤに住むユダヤ人だけではない。選民は、世界中に散っていたからだ。ユダヤ人が福音を受け入れないことがわかると、彼らは、「囲いの外にいる羊たち(異邦人)」(* 私は後にこの言葉が離散ユダヤ人を指すと考えるようになった。)に向きを変えた。世界各地にあるシナゴーグを訪問して、そこに集まっているユダヤ人たちに、ナザレのイエスこそ来るべきメシアであると説明した。しかし、彼らがはっきりとイエスを拒否すると、今度は、その周辺にいる異邦人に福音を伝えた。

さて、使徒たちの伝道は、紀元70年まで続いた。その間に多くのユダヤ人が回心し、ユダヤやギリシャ、地中海諸国だけではなく、世界各地にあったシナゴーグにおいても、福音を受け入れたユダヤ人と拒否したユダヤ人の2つのグループができていた。使徒の教えを受け入れた人々は、「もはやエルサレムにおける神殿礼拝は終了し、キリストの身体とクリスチャンの身体こそが生ける神の宮であり、世界のいたるところにおいて霊と真によって礼拝が捧げられるべきである」と信じていた。それゆえ、彼らは、神殿における礼拝には固執しなかったのだ。しかし、このことを信じないで、神殿礼拝を頑固に主張した人々は、毎年遠くエルサレムまで巡礼の旅に出かけた。

紀元70年にローマ軍がエルサレムを包囲したときに、世界中から神殿における祭りを祝うためにユダヤ人がエルサレムに集まっていた。その数は数百万人にのぼったという。彼らが集まったときにローマは城壁を包囲し、中にいるユダヤ人たちを虐殺し、神殿を崩し、あらゆるものを破壊した。

エウセビオスによると、この時クリスチャンは神の啓示によって、ペラという街に逃れて虐殺に巻き込まれずに済んだという。殺されたのは、キリストの福音を受け入れずにいまだに神殿礼拝に固執していたユダヤ人だけであった。プレ・ミレは今日でも「神殿礼拝が将来復活する」と考えているが、この教えは、これらの虐殺されたユダヤ人と同じことを主張している。神殿礼拝は、今日において復活してはならない。なぜならば、神殿はキリストの型であり、本体が現れた以上、型でしかない動物犠牲も、聖所と至聖所を隔てる垂れ幕も不用になったからだ。神殿に固執することによって、もう一度神の裁きを受けたいなら別であるが、もしキリストのあがないを真剣に受け取るならば、プレ・ミレは、神殿再建の主張を控えるべきなのだ。

さて、紀元70年にユダヤから追い出されたユダヤ人とクリスチャンは世界に散っていった。彼らは、すでに散らされていた離散ユダヤ人社会に同化していっただろう。しかし、離散ユダヤ人社会は、使徒の伝道によって、すでにユダヤ教徒とクリスチャンに二分されており、もはや一致してシナゴーグで礼拝することはなかっただろう。クリスチャンは、独自に教会を作り、安息日に集会を開いていただろう。そして、そこに異邦人も参加し、ユダヤ人と異邦人の合同礼拝が実現していただろう。このような合同教会は、使徒行伝にはっきり記されている。このような合同教会は、エルサレムやユダヤの地域だけではなく、当然、全世界で出現していたと考えざるを得ない。なぜならば、事実、使徒たちは、インドや中国にまで伝道したことが明らかだからである。

このようなユダヤ教徒とユダヤ人クリスチャンとの対立、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの合同集会の事情は、日本においても現われていただろう。日本にディアスポラユダヤ人が来なかったという証拠はどこにもないし、もし、ディアスポラのユダヤ人が日本に来ていて、シナゴーグを中心に礼拝を行っていたならば、当然、そこに使徒たちも伝道に訪れていたと考えられるからである。

聖書の歴史をパレスチナや地中海地域に限定するのは間違いである。福音への備えはディアスポラのユダヤ人によって全世界において行われていたからだ。

聖書的な歴史観に立てば、ディアスポラのユダヤ人は、歴史の主役だった。このように考えると、聖書の古代歴史の中に日本を組み込むことがけっして荒唐無稽の物語ではないことは明らかである。古事記の世界創生伝説と天照大神の岩戸伝説が、創世記とキリストの復活の物語に由来するとの説を一蹴することはできない。

 

 

01/12/08

 

 

 

 




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