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「選び」と「とりなし」

 

<ご質問>

富井さんの掲示に、「それゆえ、「あわれみの器」として創造された人々は、神の警告を聞いて、悔い改め立ちかえりますが、「み怒りの器」として創造された人々は、神の警告を聞いても、悔い改めて立ちかえることなく、ただ悪から悪へと進むように定められているのです。神は、警告を聞いて神に服従する者も、服従しない者も、どちらも創造されました。それは、服従する者を通して神の愛と憐れみを啓示するためであり、服従しない者を通して神の義と裁きを啓示するためでした。」とありました。

そうすると、神様に対してある人が悔い改めるようにと、とりなしの祈りを捧げることはもっぱら人間の訓練のためだけに必要なのであり、神様の側から見れば無意味なことなのでしょうか? すでに「怒りの器」として定められていると神様はご存知で、私たち人間は知らない。だとするとどんなに祈りを捧げても、無駄、ということになるのではないでしょうか?

 

<お答え>

とりなしの祈りの効果については肯定的と否定的という2つの側面があります。

(1) とりなしの祈りは効果的である

 神は、とりなしの祈りに答えて、人が救いを受け入れるように働かれます。

それゆえ、とりなしの祈りは効果的なのです。

神は、ある人を「あわれみの器」として(永遠の昔に)定めます(エペソ1・4)。

その人が救われるために、神は彼(または彼女)に「福音を伝える人」を起こされま

す。また、聖霊が彼(または彼女)の心を開いて救いを受け入れるように「とりなし

の祈り」を捧げる人を起こされます。

 神は、ご計画どおりに、福音を語る者を彼(または彼女)のもとに遣わし、とりな

しの祈りに答えてその心を開かせ救われます。

 

(2) とりなしの祈りは効果的ではない

 神は、とりなしの祈りに答えず、人が救いを受け入れるように働かれない場合があ

ります。

 私たちは、日本人の救いのために祈り、伝道集会を企画して、福音を伝えますが、

必ずしもすべての人がそれを聞いて救われるわけではありません。

 どんなに救いを望んでとりなしをしても、「神の側においてその前を素通りするこ

とを決定された人」は、福音を聞いても心をそちらに向けようとはしません。

 「死に至る罪(確信を持って棄教すること)」「赦されない罪(聖霊の冒涜)」(第1

ヨハネ5・16、へブル10・26−31;マルコ3・29)を犯している人につい

ては、とりなしが無効であるばかりか、とりなす行為そのものが罪となります。

 

 

 




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