なぜ逃げるのか、なぜコソコソするのか?

 

8月号には私の応答が掲載されるが、9月号はダメだといわれた。

8月号の文章もたかだか4ページである。

今月号までの段階で、奥山氏の文章が合計で18ページ割り当てられたのに対して、私に割り当てられたページの総数はなんと、8ページである。ハーザー誌は、対論者に半分以下のスペースしか与えず、10ページの差がついたままで連載を終了しようとしていた。しかし、私が電話を入れて、8月号に4ページを割いてもらい、反論を書かせてくれるよう要請したので、やっと合計12ページの割り当てになった。しかし、それでも、結局30%のハンディがついたままである。

対論者に2倍強のハンディを負わせて終了しようとする誌上対論がこれまであっただろうか。

前代未聞である。

こんな不公平な手段を使ってまでして守らなければならない脆弱な立場は切って捨てたほうがよいのだ。

無理がありすぎるから。それとも、KGBやゲシュタポのようなものを使って、口封じを行うのだろうか?

いずれにしても、偽りは長くはもたないのだ。

神は正しいものを生き延びさせ、偽りに裁きを下して弱くする。

だから、弱くなるのが明らかな立場にいつまでも固執していてはならない。

いさぎよくプレ・ミレを捨てることだ。

彼らはプレ・ミレの実情が暴露されるのを恐れている。

少し歴史を遡れば、プレ・ミレはほとんどの時代において(1800年間)異端とか異説として扱われていたからである。

そもそも、考えてみて欲しい。

「この地上においてクリスチャンはサタンに勝てない」と公言する教えがどうして異端と呼ばれなくてよいだろうか。

現在、世界の教会は、これまで異端とされてきた教理を真顔で信じている。

サタンはほくそえんでいる。

クリスチャンに戦いの舞台に登場させず、ただサタンの力を恐れさせておけば、自分は地上においてやりたい放題のことができるからである。

プレ・ミレのクリスチャンたちは、サタンのこのような脅しやすかしによって騙されて、彼の味方になっている。

さあ、そろそろ目を覚ます時ではないだろうか。

隠れたり、相手を恐れる必要はない。

クリスチャンは、勝利者なのだ。

「神が我々の味方ならば、誰が私たちに敵対できるだろうか。」とパウロが述べたとおりである。

強情になって、真理に目をそむけ、偽りを喜ぶのをやめようではないか。

私たちは、世界を支配する運命にあるのだ。なぜならば、キリストが天地における王となったからだ。

 

 

 

01/06/16

 

 

 

 




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