創造の証拠

 

 「創造の証拠を見せろ」と言われることが多いが、これはきわめて簡単である。

 進化論がありえないということを示せばよいからである。

 進化じゃなければ創造しか選択肢はないのだから。

 進化論がありえないということを示すのは簡単である。

 なぜならば、例えば、ある単細胞生物に新しい機能が偶然追加されたとしても、その機能を生成するための遺伝情報が遺伝子に追加されなければ、それは次の世代に伝わらないからである。

 仮に、ある単細胞生物に鞭毛が偶然に加わったとしよう。

 しかし、鞭毛を獲得したこの生物が、同じ形質を子孫に受け継がせるためには、遺伝子においてそれを生み出すための遺伝情報が追加されなければならない。

 これは、ある意味において不可能である。鞭毛が加わることと、遺伝子が変化することは、まったく相互に関係のない独立の事象だからである。

 これが同時に起こる確率は限りなく0に近い。

 これに対して、「いや、鞭毛が加わって、同時に遺伝子に変化が生じたというわけではなく、遺伝子が突然変異によって変化したために鞭毛が加わる。」と主張したとしても、遺伝子の変化は、完全に偶然の作用によるのであるから、うまく鞭毛を生み出すように遺伝子の変化を期待することは不可能に近い。

 鞭毛一本の構造はきわめて精緻かつ巧妙であり、とても偶然に付け加わるようなものではない。それは、鞭毛を研究している人間なら知っていることだ。

 ATGCという4種類の塩基の組み合わせが偶然に、鞭毛なり葉緑体なり何らかの器官を生み出すために並ぶ可能性は限りなく0に近い。

 鞭毛が追加されるために必要な塩基配列がAATAATTTCTAGCTTAATAATTTCTAGCTTCAATTAATTTCTAGA

ATTTCTAGCCTCTAGCTAGCCAATTAATTTCTAGAATTTCTAGCC

TCTAGCTAGCであるとしよう(こんなに少ないわけはないが)。この100個の塩基配列に至るには、4の100乗回=10の60乗回の試行錯誤が必要である(特定の組み合わせが起こりやすいことを除いて考える)。

 さて、宇宙の陽子の総数が10の80乗個であると言われているから、このような試行錯誤がありえないことは明らかである。

 100個の塩基からなる配列が偶然に成立することですら、ありえないのであれば、30億個の塩基からなる人間のDNAが偶然に成立することがまったくありえないことは火を見るより明らかである。

 『偶然に』何か有意な器官が生まれ、それが次々と追加されて現在の生物が生まれたなどと考えることがいかにバカげているかこれでお分かりだろうか。

さて、進化がありえないということが分かると、残る選択肢は、創造である。生物を創造した者が存在するということはこれではっきりする。

 

 

 




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