まず教育を変えるべきである

 

 そもそも、教育とは、神的再建(回復)の事業であった。

 紀元前からユダヤ人は学校を作って、子弟に律法教育を行っていた。中世の大学、近代の学校はキリスト教の教理教育が中心であった。大学の中心は神学部であり、法学部や医学部は神学部に従属するものとされていた。ハーバード大学、プリンストン大学などは牧師の養成機関であった。

 西洋において学問の中心は、キリスト教であり、キリスト教を中心として諸学問が成立していた。

 しかし、ヒューマニズムによる思想革命によって、西洋は徐々に世俗化が進み、キリスト教は脇役に甘んじるようになった。実証科学万能時代の現代では、神学や形而上学は学問の中から追い出されている。そしてこの西洋の世俗化された科学観が世界に輸出され、世界全体の科学が世俗オンリーになった。

 キリストは「いのちの君」すなわち「いのちの根源」である(使徒3・5)。

 それゆえ、現代世界が、キリストを学問や教育の世界から除外したことは、学問や教育からいのちが奪われたことを意味している。 

 学問や教育からいのちが奪われた結果、学問や教育は神のために無益となった。世界には、神に逆らう国家が乱立し、互いに戦争をして殺し合いをしている。技術は、神を否定するために用いられ、神が備えた地球の環境はどんどん破壊されている。神を除外した世界は、死にゆく世界である。生命の根源である神から離れることは、自殺を意味するからである。

 神のために役立たない科学や教育は、神のために役立つ科学や教育に置き換えられるだろう。科学や教育は神の秩序の再建のために存在するのであるから、神はヒューマニストの手から科学と教育を取り戻し、本来の科学と教育に回復される。

 カント以来、「世界は人間のためにのみ存在する」という露骨な人間中心主義が世界を支配してきた。キリスト教は、それに対して有効な批判をせず、彼らの世界観に呑みこまれ、自ら「二級市民」であることを甘受してきた。

 今こそ、クリスチャンは、世界をヒューマニストの手から取り戻さねばならない。このまま、ヒューマニストの支配に委ねれば、世界は死にたえてしまう。

まず、教育を回復することである。教育の中心にキリストを据えて、教育に生命を吹き込まねばならない。教育を回復し、キリストを主とする人々が社会に増えれば、社会は回復する。自殺しようとしている社会を救うのは政治家でも、企業でもない。いのちの根源、キリストを信じるクリスチャンだけである。

 

 

 




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