アダムの身長は3メートルだった?

 

 ここ100年の間に、アメリカテキサス州パラクシー川流域の白亜紀の同一地層から恐竜と人間の足跡が100個以上も発見されている。それも、同じ岩盤の上に仲良く並び、あるものは、恐竜の足跡と重なり合っているのである(http://www.millnm.net/qanda/gfootp.jpg)。1930年代に巷に恐竜と人間の偽足跡が出回ったことから、科学的実証性が疑問視されていたが、1982年に、非創造論の学者の立会いのもと、マスコミ8社の記者とカメラマンたちの目の前で発掘が行われ、引き剥がされた岩盤の下から次々と、規則正しく交互に並んだ恐竜と人間の交互の足跡が出てくるに及んで、非創造論者も人類と恐竜の共存の事実を認めざるを得なかった。ペンシルベニア州立大学の地質学部教授ヒルトン・ヒンダーライター博士は、自分の目の前で剥ぎ取られて行く石灰岩層の下から出現した足跡の列を、形態もプロポーションも歩き方も人間のもの以外ではあり得ないと率直に認め、次のように述べた。「今や地質年代は周章狼狽の極みにあり…進化論は瀕死の末期症状を呈していますが、その死をはっきり宣告できるのは、偏見のない新教育を受けて登場する、次の世代の科学者たちだけでしょう」。(*)

 

 さて、このとき人間の足跡の多くは、35センチから40センチもある大きなものだ。この大きさから判断すると、当時の人類の身長は2メートルから3メートルあったと考えられるという。実際、そのような巨人の化石が出土されているらしい(http://www.millnm.net/qanda/giant.htm)。

 

 洪水前の人類の身長は、我々よりもはるかに大きかったのであろう。アダムとエバのサイズは、我々が想像するような現代の人間のサイズではなかったのであろう。太古の植物や動物が巨大であったことからもそれは容易に推測できる。昔のトンボは体長1mもあったという。洪水前、何もかにもがすべて巨大であったのだろう。このことは、アウグスチヌスも述べている。

 

 彼は、その著『神の国』において、洪水前の人間の体が我々よりもはるかに大きかったと述べている。

 

「物事を慎重に判断する者は、カインが建てたのはただの町ではなく、大きな都であったことを疑い得ないであろう。そのころは人間の一生は今よりも長かった。もっとも、不可知論者がこれら族長たちが生きた年数についての聖書の権威を疑問に付し、それを信ずることを拒否すれば話は別である。そう言う者は恐らく族長たちの身体が、今日のわたしたちのよりも、はるかに大きかったことも否定するであろう。しかし有名な詩人のヴェルギリウスは、境界線にしるしとして置かれ、このころのある勇士が戦いに際してこれをかつぎ上げ、走って行って敵をめがけて投げつけた石についての話を記している。『しかし、今日のわれわれの身体の大きさでは、十二人の屈強の強者でさえも、この石を肩に持ち上げることはできまい』(アエネイス12・900)ヴェルギリウスが言わんとしたことは、昔の人の身体は今よりも大きかったということである。そうであるならば、かの大洪水の前、世界が始まったばかりのころには、もっと大きかったことであろう。このころの人体の大きさについて、昔の墓が年月が経ち、また洪水やその他の原因によって地表に現われ、そこに見出される死者の骨がほとんど信じられないほどに大きいことからも、多くの懐疑論者すらも疑い得ないことである。…すぐれた学者であった大プリニウスは、時代が経つにつれてわたしたちの身体は小さくなるだろうと述べている。彼の指摘するところによれば、ホメロスはその詩の中でこの種の退化を嘆いている。プリニウスはそれを詩人ホメロスの虚構として一笑に付することなく、自然の驚異談の記録者としてのホメロスの性格にかんがみて、歴史的信憑性があると主張している。…同じプリニウスは今日でも人々が二百歳まで生きる国があると言っている。わたしたち自身が体験しないほど長生きをする人々の国が、たとえわたしたちが知らない所にであっても存在することを信ずるとすれば、はるか昔にも存在したことをどうして信じられないだろうか。このところでは存在しない何事かが他の所では存在すると信じられるとすれば、今日では生起しないことでも、はるか昔には起こったことをどうして信じられないだろうか。」(アウグスチヌス著『神の国』出村彰訳、日本基督教団出版局、1977年、338〜340ページ)

 

 我々クリスチャンは、回復の業を委ねられている。太古のエデンの祝福の時代に万物を回復することは、このようにサイズにおいても回復することであるのかもしれない。つまり、この世界を神と和解させて行くことによって、人間や動物や植物のサイズも大きくなるのかもしれない。

 

 

(*)南山宏著『地球史を覆す「真・創世記」』(学研,1998年,16〜87ページ)




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