ホームスクーリングと後千年王国説

 

私たちは、後千年王国説という終末論の立場を取れというつもりはありません。しかし、その内容は受け取る必要があると考えます。つまり、まだ知らない人にとって、用語が異なるものを受け入れるように要求しているかのような印象を与えることになっているのでしょう。実は、後千年王国説とは、聖書から当然のことと導き出せるのです。

「この世界はキリストのものであり、それゆえ、王なるキリストの支配は全地に及ぶのが神の計画である。そのキリストの支配の拡大を行う務めはクリスチャンにある。

クリスチャンは、子どもを神の御国の拡大の兵士として訓練する必要がある。」という、「万物回復の教義」というものを信じ、教えなければ、結局、「世界を中立の領域を残してよいのだ」と教えることになり、クリスチャン教育は、神が本来望んでおられる理念から外れることになります。それゆえ、今日のキリスト教がいつまでたっても1%どまりである(むしろ減少している)限界を打開できません。(たとえ1%を超えたとしても、それはヒューマニズムの亜流のキリスト教が増えることであって、神の国の拡大には役に立ちません。)

なぜならば、そのような「神中心ではなく、人間中心」の神学を神が祝福されるはずがないからです。神が望んでおられるのは、「結局人間が幸せになって、天国に行けるだけの」宗教を確立するためではありません。「キリストが十字架で死なれたのは、私たちが私たちのために死んでくださった方のために生きるため」なのです。つまり、改革主義においては当然とされる「人生の目的は神の栄光をあらわし、神をとこしえ

に喜ぶこと」という神中心主義を、ホームスクーリングにおいて、貫くことです。ボブ・ジョーンズ大学がとっているプレ・ミレ、ディスペンセーショナリズムのような、人間中心主義(人間が救われるのが第一)、聖俗二元論(教会は教会、この世はこの世)では、ホームスクーリングはいずれ頭打ちになります。

神は、クリスチャンに「世界を回復させ、全地を神のために統べ治め、諸国民をキリストの弟子とする」使命を与えておられるのは、キリスト教のイロハです。これを否定したら、もはや正統的信仰と言うことはできません。

ここは、極めて重要です。つまり、これからホームスクーラーのミニストリが祝福されるか、されないか、は、神に対してどのような対応をするかによって変わってくると思います。神を第一として、神の御国の拡大のためにホームスクーリングを行うか、それとも、ヒューマニズム教育のように、人間を第一として、人間の王国の拡大を援助するか。なぜならば、中立の領域は存在しないからです。中立、真空の領域をクリスチャンが残せば、そこにサタンが巣を作ります。サタンのねらいは、全世界支配にあるからです。クリスチャンが積極的にこの世界を獲得するというスタンスを取らなければ、それは、サタンの領土の拡大に手を貸すことになるのです。

ヒューマニズム教キリスト派でしかないものを子供たちに教えるならば、祝福は絶対に来ません。御霊で始まったものを、肉で完成することはできません。

 

2001/08/28

 

 

 




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