進化がいかにありえないことであるか

 

 ある100個のアミノ酸からできている最も小さなたんぱく質が、ある化学反応(例えば、光合成反応)において機能する酵素を構成するために必要となったとする。

 このたんぱく質が偶然によってできる確率は、すでに何度も述べたように、20の100乗分の1である(もしそうではないというなら、どのような確率になるか計算して欲しい)。

 さて、生物の中では、このような酵素やたんぱく質が無数に存在する。血液の凝固にしても、非常に複雑な化学変化を必要とするが、そのような複雑な反応の一つ一つを構成するたんぱく質が、それぞれ20のx乗分の1(xはアミノ酸の数)であるならば、血液凝固一つとっても、偶然に生物の機能ができたなどとはとても言えなくなる。

 

 何せ、20の100乗分の1=10の130乗分の1であり、宇宙に存在する陽子の総数が10の80乗個であるといわれているのだから、こんな小さなたんぱく質のたった一つを得るのですら、天文学的な時間を遥かに越えた時間を必要とすることになる。

 同じようにして、その他の機能に必要なたんぱく質をすべて偶然に期待しなければ進化論が成り立たないのであれば、早くそんなもの捨ててしまうほうがよい。偶然クンに、生物を作らせようとするならば、宇宙が何億回誕生を繰り返してもけっして間に合わないだろう。

 

 それから、忘れてはならないのは、適時適所にたんぱく質ができたとしても、そのたんぱく質を作り出す機能は、DNAが支配している。○○というたんぱく質を作り出すためにDNAの変化を期待しなければならないとすれば、さらに確率は小さくなるのはあたり前である。

 

 なぜならば、DNAの変化はまったくランダムに起こるからである。

 必要なたんぱく質が、必要な場所において、必要なときに適切に働かねば反応が進まないのであれば、単に「○○のたんぱく質ができました!」ではダメなのだ。「○○のたんぱく質が偶然に酵素の構成要素となり、その酵素がちょうど反応のこの時点に作用するように、たまたまこの場所にできました!」じゃなければ。

 

 このような、たんぱく質の、ピンポイント的な出現と働きをDNAの偶然の変化だけに期待することがいかに愚かであるか、馬鹿でなければ分かるはずである。

 

 「DNAが偶然変化して、この反応の途中でちょうどこの酵素が働くようになりました。それは、○○というたんぱく質が偶然にできるようにDNAが偶然変化してくれたおかげです。」

 

 こんなことあるか?

 

 こんな奇跡を無数回繰り返して成り立っているのが生物の身体なのだ。こんなのが偶然にできるか?

 

 DNAの変化一つとっても、一つの枠の中に4つの塩基が入る可能性があるわけだ。もちろん、特定の並び方の傾向はあるだろう。しかし、その並び方の傾向が、ちょうど必要なたんぱく質を生み出すための機能を作り出すのにプラスに働くか、マイナスに働くかはイーブンなのだから、それほど劇的に確率を上げるとは思えない。

 

 仮に、そのような反応内において適当な時間と場所に作用するような酵素を構成するたんぱく質を作るために働く機能を生み出すDNAが100個であるとしよう。その100個の塩基からなる遺伝子が偶然に並んだとしても、4の100乗分の1(約10の60乗分の1)であろう。

 

 こんなたんぱく質が無数に必要なのが、生物の体なのだ。

 

生物がDNAの突然変異と淘汰によってできたと考えることは、豚が空を飛ぶことを期待するよりも遥かにありえないことであるのがこれで御分かりだろうか。

 

 

 

 




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