いのちのことば社とディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ

 

<ご質問>

富井先生

いつも貴重なお答え感謝しております。

クリスチャン新聞33日号に、後藤敏夫氏によるレフトビハインドについての批判的意見が載っておりました。私はまだ、この小説を読んだことはなく、アメリカでは大変売れている小説だという事だけは聞いていたに過ぎませんでしたが、後藤氏の記事を読んで、この小説がディスペンテーション主義にたった千年期前再臨・患難期前携挙説に基づいたものであることを知らされています。私は、富井先生のホームページを知るまでは、この神学的立場の危険性というものをあまり意識しておりませんでしたが、今となっては、この小説が、神学書ではなく小説という媒体で、広く抵抗なく読まれることの影響を、懸念せざるを得ません。

 

<お答え>

そのとおりです。

現在、ディスペンセーショナリズムは、神学的にはほとんど崩壊しています。ゲイリー・ノースは、プレ・ミレの崩壊について、『携挙熱』というタイトルの本を書いていますが、ディスペンセーショナリズムの実態を暴いています。このような本を翻訳する必要があると思うのですが。

後藤先生はポスト・ミレなのでしょうか。どのような批判か教えていただけませんか?

 

<ご質問>

私はいわゆる福音派と呼ばれる群れに属するものではありませんが、いのちのことば社の出版物には今まで大変お世話になってきたと思っています。しかし、反面、無批判に受け入れすぎていたのではないかと、少々反省する次第です。いのちのことば社の信仰と出版の伝統においては、レフトビハンドのような小説を邦訳出版することに問題意識はないのかもしれませんが、「いのちのことば社の出版だから」と信用してその信仰的立場を受け入れてしまう、私を含めた一般信徒がいることを思うと、その責任は大きいように思います。少なくても、終末論に対する異なった立場があることを配慮した宣伝、広告をしていただきたいと痛切に感じるとともに、これを機会に公の場で聖書を囲んでプレ・ミレとポスト・ミレが互いに議論する場を設定してこそ、聖書信仰に立つ出版社の務めではないかとも感じています。ただ、現状としてはいのちのことば社からの、ポスト・ミレの立場の出版物は少ないか皆無(私が知らないだけでしょうか?)ように感じていて、終末論の議論の必要性を感じさせるような状況でさえない気がします。これは、出版社の立場が強く反映されている結果なのか、それとも、実際、ポスト・ミレの良書の絶対数が少ないゆえなのか、いかがなのでしょうか。私個人としては、ぜひ、ポスト・ミレの立場の神学書なり、信仰書の良書を、いのちのことば社に出版して頂いて、日本語で読んでみたいと願っております。しかし、もしかしたら私が知らないだけで、すでに多数出版されているのかもしれません。そうでしたら、自分の無知をお詫びすると同時に、それらの書物を教えていただけたら幸いです。

 

<お答え>

いのちのことば社は、再建主義の人がポスト・ミレの著書の出版を依頼しましたが、立場が異なるということで断られました。

『地球最後の日』(ハル・リンゼイ)を出版したように、この会社は、日本にプレ・ミレを広めるのに主要な役割を果たしました。ここからは、ポスト・ミレの本は一冊も出ていません。現在、いのちのことば社は、キリスト教の出版社として信頼を置かれており、そのため、人々は、それ以外の考えをほとんど聞かされておりません。このようなインターネットが登場したことは、広く様々な意見を聞けるので貴重な情報手段ではないかと思います。ただ、気をつけないと、様々な悪い教えを受け入れてしまうことにもなりかねないので注意が必要です。

ことば社が、ディスペンセーショナリズムに立ったことにより、日本の教会はその影響を強く受けてきました。そのため、プロテスタントの歴史的なキリスト教会において主流であった立場の教えが異端視される結果となっていることはまことに残念です。現在、スポルジョンなど、ポスト・ミレ信仰の人々の説教集がCDで出ており、英国圏の人々は容易にポスト・ミレに近づけるのですが、日本人は大きなハンディを負っています。

願わくは、使命感を持ち、金銭的に能力のある方々が積極的に翻訳のために資金援助してくだされば幸いですが、まだそのように強烈な意識を持っている人は現われておりません。

ポスト・ミレの良書としては、ラルフ・スミス師の『福音の勝利 聖書的終末論への導入 』(訳者:福音総合研究所出版部 発行:福音総合研究所 〒180-0006 東京都武蔵野市中町 1-28-1 丸和ビル info@berith.com 定価:1100円)があります。

 

<ご質問>

これを機会に公の場で聖書を囲んでプレ・ミレとポスト・ミレが互いに議論する場を設定してこそ、聖書信仰に立つ出版社の務めではないかとも感じています。

<お答え>

昨年ペンテコステ系の『ハーザー』誌の4〜10月号において、私と奥山氏との間でポスト・ミレとプレ・ミレの議論がありましたが、こちらにスペースの面で極端にハンディを負わされたために、充分な主張ができませんでした。奥山氏はこの面についてあまり知識がなく、対論の相手としては不充分でしたので、もっと終末論について詳しい人を指定してくれれば実のある対話が成り立ったのではないかと考えています。

 

 

02/03/01

 

 

 ホーム

 




ツイート