十分の一について2

 

<ご質問>

さて、私たちが納める税金についてですが、考えてみると所得税、住民税、消費税などなど国税、地方税合わせたら確かに40%程度、高額所得者になると更に多くの税金を支払っています。

この場合、10%を超える分は国家が奪い盗っていることになるとは考えたことはありませんでした。

マラキ書によると、十分の一を納めない者は盗人と呼ばれていますが、十分の一以上の課税も、盗みに等しいというのは、

 「神の法では10%だから、それ以上を課すのは神の法に照らした場合、取りすぎだ」

という意味において、国家が国民から「盗んでいる」というわけですね。

この点について、なかなか合点がいかず、先生のご回答と併せて1週間あれこれと考えました。

ここで言う「盗み」はあくまでも神の法に照らしての「盗み」であって、我が国の法律でいう「盗み」とは違うため、国家が国民に対して泥棒を働いていると言われてもなかなかピンと来ないのかもしれません。

しかし、十分の一は神様にお返しする分であり、神の法が基準なのですから、神の法に則って考えなければなりません。したがって、tomi先生が仰るように、国家は取りすぎているということになるのだと結論できますね。

 

<お答え>

1サムエル記8章において、「あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。」とあるので、国民を「奴隷とする基準」は、十分の一以上の徴税にあることは明らかです。

つまり、その国家が、十分の一以上を徴税した場合に、その国民は奴隷であり、それ未満の場合、自由人です。では、なぜ「十分の一」なのか、と質問されるかもしれませんが、「なぜならば、神がそのように決定されたから」としか言えません。

これは、聖書において「受刑者を辱めるかどうかの基準」が鞭打ちについて40回であると述べているのと同じです。

「四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである。」(申命記253

40回鞭打つことは、受刑者を卑しめることにはなりませんが、40回以上打つと卑しめることになります。

「では、なぜ40回か?」

「なぜならば、神がそのように決められたから」。

神が創造者である以上、我々は神が決定された基準以上の基準を見付けることができません。

「神がそのように言われたのだ」と言えば、それは究極的基準となります。

聖書は、十分の一の徴集を「主権者」と「非主権者」を分ける基準としているのです。十分の一未満徴集する者は、「主権者ではなく」、十分の一以上は主権者になります。

神は、モーセ律法において、「わたしはあなたがたを奴隷の家、エジプトから連れ出した救い主である。だから、私に十分の一を捧げよ。」と述べておられます。モーセ5書における細則は、すべて、この「主」の名のもとに与えられているのです。十分の一を徴集する権利の根拠は、「わたしはあなたがたにとって主である」という点『のみ』にあります。

このように、国家が合法的に徴税できるパーセントについては、はっきりとした神の基準があります。それ以上を取るならば、国家は自らを国民に対する主権者であると宣言し、神に並ぶものとなったのです。

十分の一を取れるものは、契約の主だけであり、それゆえ、もし神以外のものが十分の一を取るならば、それは「泥棒」であり、「抑圧者」、「奴隷主」になります。

自由人であると自覚しているならば、我々は、国家とそのような関係を結ぶべきではありません(サムエルの前に出たイスラエル人のように、奴隷でもいい、というなら話は別です)。

国家は我々の主ではありません。国家は、あくまでも、我々と同じように、神のしもべなのです。

近代の国家は、このようにして人々に対して主権者としてふるまい、空気以外のあらゆるものに課税する権利があるかのように振舞っています。ほうっておけば、国家は、あらゆるものに課税するようになります。十数年前には自動車の「重量税」などというものはありませんでした(重力にまで税金をかけて!)。あれよあれよという間に、いろんな税金が加えられています。レジ袋税などというものすら現われています。税金についての聖書の基準が適用されなければ、為政者は、自分の財政上の失敗を、税金によって補おうとするために、際限無く税金が追加されるようになります。

我々は、現在の体制を聖書にしたがって改革するように召されています。しかし、現在の体制が決めたことには従うべきであり、それゆえ、税金を納めなければなりません。我々は革命を起こすために召されたのでははく、権威を重んじてその権威が定めた規則を重んじる責任がありますが、しかし、現状に甘んじるべきでもありません。合法的な手続きで、現在の体制を変え、法律を変える必要があります。

 

<ご質問>

さて、十分の一の算定についてですが、この算定基礎額は税金を控除した残金になるのか?つまり私たちの収穫(給料)と見なす分は、税金を控除した残りなのか?ということについて、誤解の無いようにに今一度確認したいのです。仮に収入を100、税金を40として具体的に計算式で書いてみます。

 ●収入〜100

  税金〜 40

  残 〜 100−40=60 :十分の一算定基礎額

 ●十分の一献金  = 60×(1/10)

             = 6

ということで合ってますか?

つまり、私たちが神様にお返しする分は、収入から税金を引いた残りの十分の一ということでいいのでしょうか?

もしそうだとすると、税金は直接税、間接税併せて幾ら支払っているのか?正確にはわかりませんので、実際に十分の一お返しする分も不正確になります。まあ、多く献金しておけば心配は無いわけですが。

 

<お答え>

この計算でよいと思います。

ただし、私は、日本の国は、「税」という名前がつかない「隠れ税」を取っており、二重取りもありますので、実際には名目的な税金以上のものを取られていると思います。利権企業との癒着によって、競争が排除され、必要以上の料金を取られていることがいたるところにあります。こういったものは、悪政のゆえに起こっていることですから、本来我々が払う必要がないものです。

神が「正当な為政者が取れる分は十分の一未満である」と言われているのであれば、税という名がつくかつかないかは関係ありません。我々の側では、十分の一未満以上を払う必要は本来なく、正当な支払い以上の分は、泥棒の被害にあったと見ることができます。神は、我々を自由人としているのであり、我々自身も自分の主はキリストだけであり、国家を主権者として崇めていないのであれば、神は我々に「搾取にあった分」までも十分の一の計算に含めるべきとはおっしゃいません。

 

 

02/03/25

 

 

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