信仰を試すもの

 

現代において、信仰を試すものは御金である。
今日の日本において、肉体的な迫害もないし、信仰によって職場をクビになることもない。
だから、日本のクリスチャンを試すもっともよい試金石は御金である。

どんなに偉そうなことを言っても、どんなに教理的に正しいことを信じていても、実際にミニストリを支えるために自己犠牲をはれるかどうかでその人の信仰が見えてくる。

そして、私の感想は、現代の福音主義クリスチャンは死んでいるということである。

こういうことを言うと、誤解されるかもしれないが、私が信仰に導いたり、骨身を削って指導したりしたクリスチャンほど、こちらが困っているときに無視の構えをするのだ。むしろ、まだ一度も会ったこともなく、肉声で会話したこともない、インターネット上のつきあいの兄弟が積極的に自己を犠牲にして助けてくれた。

教理的には同じ立場にあるクリスチャンが、働きにまったく手を貸さないのに対して、教理的に異なるクリスチャンが親身になって手を貸してくれる。

このギャップは何か?

私はそんなに強くも、また、立派な人間でもないから、こういうサタンの攻撃を受けている最中に無視した人間に対しては、これから一生トラウマを感じずにはおれない。また、助けてくれた人には一生その恩義を忘れることはないだろう。

A friend in need is a friend indeed.という言葉がこれほど身にしみたことはなかった。よい経験をさせていただいた。

 

 

02/04/29

 

 

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