故意に罪を犯す人と、無知や弱さで罪を犯す人

 

>この”除名された人「契約的死人」”は、いわゆる”未信者”とは区

>別される者であり、Tコリント7:15は適

>用されないということで良いのですね?

 

そうです。

聖書では、「故意に罪を犯す人」と「無知または未熟なために罪を犯す人」との間に明確な区別をしています。

故意に罪を犯す人は、神の法秩序に反逆する人であり、「イエスを主と認めない人」なので、「恵みの契約」の中に留まることはできません。つまり、除名にする必要があります。なぜならば、救われる人とは、「イエスは主である」と告白して、生活のすべての領域においてイエスを主権者と認める人だからです。

無知または未熟なために罪を犯す人は、「主よ。私はあなたに従えない罪人です。どうかあわれんでください。」と悔い改めの心を持ちつつ謙遜に生活する人ですから、イエスを主権者として認めています。

前者は、国家で言えば革命家であり、人体で言えば癌です。主権者をおしのけて、自分が主権者になろうとしているのですから、国家はそのような秩序破壊者を許すことができません。テロリストや革命家とはこのような人々です。テロリストや革命家を許すならば、国家は存続できないので、どのような国家においても、このように正当な手続きを経ないで政権を奪取しようとする者を排除します。人体において、癌は、人体そのものを破壊しようとするものですから、排除する以外にはありません。

後者は、国家で言えば遵法的市民であり、人体で言えば正常に機能している細胞です。一時的に法を破ったり、病気にかかることがあっても、国家や人体そのものを破壊しようとしているのではないので、存在が許されます。

教会において、前者は、(1)正統的な教えを拒否し、キリストの神的権威を認めず、異なる教えを説く異端者です。このような人々を放置するならば、教会は土台から破壊されてしまいます。また、(2)正しい教えや正当で合法的な教会の権威に服従しない人々も、このようなグループに入ります。彼らは、神によって立てられた正当な権威に服従しないのですから、神に服従していないことになります。このような反逆者を許すならば、教会はガタガタになります。教会は、聖書に照らして正しい判断をもって、そのような人々を除名しなければなりません。

さて、コリントにおける「女信者の夫で、信仰に反対しない未信者の者」は、「信仰に入る可能性のある人」であり、霊的、契約的死人には違いはありませんが、神の祝福の中にあります。彼らが自らすすんで信仰を拒否しない限り、離婚することはできません。

遊女ラハブの家族のように、ラハブの信仰のゆえに、祝福の中にあり、救いに近く、自分から進んで信仰を積極的に拒否して家の外に出ない限り、キリストの贖いの血によって許されます。だから、この救いにあずかる人々は、当然のことながら、いずれ信仰を告白するようになります。

つまり、結婚している女(または夫)が信仰に入るならば、その夫(そして子供)も神の祝福の中に入ります。ラハブの信仰のゆえに、ラハブの家族のものたちが救いの家の中にかくまわれたように。しかし、自分からすすんで家の外に出るならば、つまり、自分から進んで信仰を拒否するならば、彼らは救われません。格別救いに近い祝福の状態を自ら捨てたことになるからです。

ノンクリスチャンの家庭は、自然の状態において滅びに至りますが、クリスチャンの家庭は、自然の状態において救いに至ります。しかし、すべてがすべて自然の状態でことが推移するわけではないので、例外があります。

ノンクリスチャンの家庭から救われる人が起きたり、クリスチャンの家庭から救われない人が起きることがあります。しかし、これは不自然な状態です。後者の場合、クリスチャンが神に対して不忠実であったり、呪いを被るような生活をしたり、子供に信仰を教えない場合に、このような異常なことが起こります。しかし、神に忠実にしており、呪いを被るような生活をしていなければ、夫や子供が信仰に入ることは自然なのです。

自然な経過をたどるならば、未信者の配偶者や子供は救いに至るわけですから、こういった人々と縁を切ることはふさわしくありません。

しかし、以前クリスチャンであったのに、信仰を捨てた人は、(1)無知ゆえに(2)未熟ゆえにそうなった場合以外、「聖霊を汚す罪」を犯したので、絶対に赦されません。万事承知の上で神を拒み、キリストの血を汚れたものとみなす人々には救いはもはやありません。

「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。私たちは、『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。』、また、『主がその民をさばかれる。』と言われる方を知っています。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」(へブル1026-31

 

 

 

01/09/19

 

 

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