我々は再建主義を強制するつもりはない

 

アメリカの再建主義者の数は少ないですが、その思想はキリスト教全体に影響を与えています。とくに、ホームスクーリングと政治活動を通じてです。

大多数の再建主義者は、「完全に再建主義にならなければ協力しない」と考えません。電話でいいましたように、クリスチャンは互いに交わりを持つべきで、もし細部の問題についてまで一致しなければならないとすれば、交わりは不可能です。そういう意味において、他の教会との交わりを持とうとしないのは、独善的になり問題なのです。

わたしが、あのHPでいいたいのは、「現在のホームスクーリング運動は、その原点において、再建主義があった」ということを理解していただきたいからです。

それまでのキリスト教が、「教会は教会、この世はこの世」というような聖俗二元論にあったのを、ヴァン・ティルの前提主義に基づいて、あらゆる領域にキリストの支配を拡大しようという再建主義の理念があったことが出発となった。そして、社会情勢が、それを後押ししました。「教育は教育。」とは言ってられなくなったのです。子どもの堕落、そして、信仰からの脱落という問題に直面した親たちが、ラッシュドゥーニーの主張に耳を傾けていきました。

ホームスクーリング運動が日本において起こる上で、こういった再建主義の努力や理念から、ホームスクーリングが一人歩きして、「再建主義は関係ない」と言うならば、そのもともとの理念から外れる危険性があるのです。いかなる領域においても、歴史は重要です。科学において、科学者は科学史を学ぶ必要があります。なぜならば、全体が見えずに個別の領域に閉じこもることは危険だからです。原爆や対人地雷を開発する人々は、科学が本来目指していたキリスト教の文化命令の理念を忘れています。

ホームスクーリング運動も、その原点を忘れて、その開始した人々(ラッシュドゥーニーが開始したわけではないが、その運動に理論的な支柱を与え、爆発的なムーブメントに育てた)や、理念を忘れるならば、もとの木阿弥になってしまうと考えるのです。恐らく、神は、再建主義が主張するセオノミーによる文化命令の達成という理念を成就させるために、ホームスクーリングを生み出したと考えます。ボブ・ジョーンズ大学のようなプレ・ミレ、ディスペンセーショナリズムを育てるためではないでしょう。

つまり、(1)現在のホームスクーラーたちに再建主義を受け入れることを求めることはできない。(2)しかし、再建主義(でなくても、その理念)を受け入れることを目標とするのでなければ、長期的な成功は望めない。

と考えるのです。少し表現がきつくなり、誤解を与えてしまったかもしれませんが、あのHPの趣旨はそこにあったのです。けっして、ボブ・ジョーンズ大学を否定・揶揄するためではなく、ホームスクーラーにもう一度、原点について考えて欲しかったのです。

 

 

2001/08/27

 

 

 

 




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