悔いのない人生を

 

 戦わないクリスチャンは、サタンの攻撃を知らない。

 妥協するクリスチャンは、サタンにとっていてもいなくてもよい存在である。

 しかし、妥協しないクリスチャン、果敢に悪と戦おうとするクリスチャンに対して、サタンは猛攻撃を仕掛ける。

 「この世はサタンの世だから、それを変えることはあきらめよう。再臨のキリストに全部やってもらおう。」と述べるクリスチャンは、すでにサタンの弟子になっているので、可愛がってもらえる。

 しかし、真のキリスト教をのべ伝えようとするクリスチャンには、様々な攻撃が加えられる。

 健康、金銭、性、迫害、いじめ、事故、破産、神経衰弱、発狂、分裂・・・など、様々な攻撃の矢面に立たされる。

 牧師は、日曜日だけメッセージをすればよいのだから、気楽な稼業だ、と言う人がいる。霊の世界についてまったく無知なのだ。

 もちろん、サタンと和合して生きようとするならば、気楽な稼業である。しかし、まじめに職務を果たそうとしている牧師にどのような攻撃が加えられているかを知っている人は少ない。

 インドの伝道に生涯を捧げたウィリアム・ケアリーの伝記を読まれることをお勧めする。

 近代の宣教は彼から始まったと言えるほど偉大な伝道者である。

 インドの猛暑の中で彼の妻は発狂した。死ぬまでの十数年間、彼女はケアリーの書斎の隣の部屋で、鎖につながれ、四六時中わめいていた。

 精神的な疾患を帯びている人と共に暮らすことがどのようなものであるかを知っているならば、これがどのように過酷な試練であるかわかるであろう。

 実際、牧師や伝道者自身の精神が脅かされることもしばしばである。

 ある牧師は、自分の思いとはまったく別の思いが頭の中に突如として浮かぶことがあると告白した。

 弱気になっているときに、「青酸カリを飲んで自殺しろ」という言葉が突然浮かんだ伝道者もいる。

 サタンは、神の国が拡大することを恐れている。

 だから、その尖兵として働いているクリスチャンには、様々な攻撃が仕掛けられる。

 しかし、我々は、キリストがすでに十字架上でサタンに勝利されていることを知っている。

 「元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝った。」とイエスは言われた。

 我々の戦いはもうすでに結果がわかっている戦いである。だから、サタンの様々な妨害にもかかわらず、忍耐の後に我々は勝利する。

 一度しかない人生である。

 生ぬるい一生を送って後悔するか、全力を尽くして戦い、苦難の後に勝利するか。我々に道は二つしかない。

「よくやった。忠実なしもべよ。」と言われる者になりたいものだ。

 

 

 




ツイート