偶然だけで生物ができた?

 

 進化論者が、地球の年齢や生物の進化にかかった年数を億年単位とするのは、長い時間を与えれば、人に信じてもらえそうだからという単純な理由からでしかない。100年の間にアメーバが人間にまで進化したと言っても信じてもらえないが、20億年だといえば「そうだな〜、20億年もあれば偶然にそのような変化があるかもしれない」と考えてもらえるだろうと思っている。

 

 しかし、素になって考えれば、不可能なものは何十億年あっても不可能なことくらい誰でも分かることである。

 

 ある進化論者は、わたしにはっきりと「40億年あれば、土や砂が寄せ集まっているうちにコンピュータができることもある」と断言した。また、「豚が空を飛ぶこともある。そのような可能性を否定する人を哀れだと思う」という人もいた。

 

 進化論は、頭脳明晰な人間を痴呆にする。

 

 偶然の作用だけに期待して何億年待っても、一対のボルトとナットすらできないのは日を見るより明らかである。

 

 偶然だけによって、この秩序ある複雑な世界や生物が成立したと考えることがいかに愚かであるか、進化論が誕生してからそろそろ一世紀半にもなるのだから分かってもよさそうな時期である。

 

 外界とのエネルギーのやりとりのない孤立系の世界において、秩序はそのままか、もしくは、不可逆的に無秩序化する。タバコの煙は、拡散していく一方であり、集まることはない。水面にたらしたインクは、拡散していく一方で集まることはない。なぜならば、煙やインクの分子の運動は、ランダムであり、特定の方向に向わないからだ。

 

 たとえ、開放系であっても、相応の負のエントロピーを注入しない限り、秩序は無秩序化していく。第2次大戦のころに撃墜されジャングルの中に落ちた飛行機や、海中の藻屑と消えた軍艦は、現在ボロボロである。最新鋭の飛行機や軍艦に様変わりしていたということは絶対にあり得ない。人間という人格を持つものの知恵があってはじめて秩序は保たれ、さらに進歩することもある。

 

 

 

 

 




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