ミトコンドリア共生説

 

 「ミトコンドリアが細胞に偶然入り込み、共生関係が生じた。細胞のミトコンドリアの起原は、ここに始まる。」というミトコンドリア共生説に対して、「それでは、それ以降、どのように細胞のDNAがミトコンドリアを生じさせるように変化したのか?細胞側でDNAが変化しない限り、ミトコンドリアを複製できないわけだから。」と尋ねたところ、「ミトコンドリアはミトコンドリア独自のDNAがあってそれで自己複製するから細胞のDNAにおいて変化する必要はない。」という進化論者側からの回答があった。「ミトコンドリアのDNAには、ミトコンドリアの身体を複製するためのDNAが揃っており、細胞のDNAには、ミトコンドリアの数を調節するDNAが揃っている」という。

 

 さて、このような説明がどうしてナンセンスであるかはそれほど頭ががよい人間でなくても理解できる。

 

 つまり、「工場にエネルギーを供給する中心的な装置を空白にしたまま、工場全体の設計(機能)図を描くことは、その装置を含めて設計図を描くことよりも易しいとはけっして言えない。」ということだ。

 

 偶然追加されたミトコンドリアが、それ以降細胞内で自己複製し、代々継続して追加されていったという説明が説得力を持つのは、「ミトコンドリアの複製についてはミトコンドリア自身のDNAが支配しているので、細胞のDNAが変化することがなくても、ミトコンドリアが細胞内で代々複製されていく可能性はあり得る」という点にある。しかし、ミトコンドリアの複製を支配するDNAが細胞側にはなく、ミトコンドリア自身にあったとしても、細胞のDNAはそのミトコンドリアの存在を前提として細胞全体を支配しているのであり、細胞全体がミトコンドリアをその一部として認識し、それと協働するという複雑な相互関係は存在する。しかも、ミトコンドリアは、細胞の呼吸やエネルギーを司る極めて重要な位置をしめている。このように中心的な機能を果たす器官についての部分が欠落し、なおかつ、全体がうまく機能するような設計図を意図的に仕上げることは極めて難しいことである(まして、偶然に仕上がったということはそれよりも遥かに難しい)。

 エンジンを除き、なおかつ、あたかもエンジンがあるかのように機能する自動車の設計図を描くことはきわめて難しい。しかも、そのような設計図が偶然に描きあがることを期待することは不可能である。

 ミトコンドリアを除き、なおかつ、あたかもミトコンドリアがあるかのように機能する細胞の設計図を描くことはこれと同じように難しいことなのだ。

 ミトコンドリア共生説を説くには、この「細胞DNAがいかにして『あたかもそこにミトコンドリアが存在するかのように』変化し成立したのか?」について納得のいく説明をしなければならない。

 

(1)細胞分裂とミトコンドリア分裂の同期の問題。

 細胞が分裂したとしても、ミトコンドリアが同じ時期に分裂しなければ、ミトコンドリアの数が増えすぎたり、逆に減りすぎたりする。細胞のDNAは、どのようにしてミトコンドリアの分裂を促すのか。それとも、ミトコンドリアが細胞の分裂を促しているのか。それとも、ミトコンドリアが細胞の分裂の時期を察知して、それに応じて自分の分裂の準備をするのか。そして、そのような相手と歩調を合わせて自分の分裂を調整するような機能が、『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?

 

(2)ミトコンドリアと細胞の間のエネルギーや物質のやりとりの問題。

 ミトコンドリアと細胞の間のエネルギーや物質のやりとりの仕組みが、『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?青酸カリでミトコンドリアを殺すと、動物は細胞の呼吸不全によって即死する。現在、ミトコンドリアは、細胞にとって不可欠な部分となっているのだが、もともとはそうではなかったはずである。ミトコンドリアがなくても生きていけた時代があるわけである。では、ミトコンドリアがなくても生きていけた時代の細胞のDNAは、ミトコンドリアが取り込まれて以降、どうしてミトコンドリアなしではいられなくなってしまったのか。それは生存能力の『退化』ではないのか。もし『進化』であるとするならば、ミトコンドリアなしでも生きられる細胞が、ミトコンドリアなしでは生きられない細胞に変化したことにどのような利点があるのか。また、ミトコンドリアを不可欠の要素として認識するように細胞のDNAが突然変異によって『偶然に』変化するなどということがそもそもあるのか。つまり、細胞の生死にかかわるような極めて重要な相互関係が突然変異によるDNAの『偶然の変化』だけによって生じるものなのだろうか。

 

(3)細胞内に存在するミトコンドリアの数を調整する遺伝子の問題。

 細胞内に存在するミトコンドリアの数を調整するためには、

a)細胞のDNAに、「ミトコンドリアを他の微細構造と区別して認識するための機能」が追加されねばならない。このような認識の仕組みがDNAの突然変異によって偶然にできるだろうか。

b)細胞のDNAに、「ミトコンドリアが一定数以上増える(または減る)ことのないよう調節するための機能」が追加されねばならない。細胞はどのようにして『数』を認識するのか。ミトコンドリアが細胞内に存在する位置はバラバラであろう。そのバラバラに存在するミトコンドリアを「同種のもの」として認識し、その情報を拾い上げることができ、なおかつ、その数を数えるということができなければ、「数調節」はできない。さて、そのような『計算機能』がDNAの突然変異によって偶然にできるものなのだろうか。コンピュータにおいて、一つの文章の中から、同じ文字を認識してそれらを拾い集めるのと、それらの数を数えるのとは、それぞれまったく違う機能――つまり、『認識』と『総合』と『カウント』――によって行われる。この三つの機能が、偶然に整うことが果たして可能なのであろうか。

 しかも、数えただけではなく、数え上げられたデータをもとにして、命令をミトコンドリアに対して与え、それ以上分裂することを抑制したり、または逆に、分裂を促進したりしなければならない。その命令伝達のために用いられる物質はどのようなものなのか。そして、その物質が細胞のDNAの偶然の変化によって作り出される可能性はあるのだろうか。もしそれがある種のたんぱく質であるならば、そのたんぱく質が偶然に成立する可能性はどの程度なのか。そのたんぱく質を構成するアミノ酸の数はどれくらいか。仮に100個であるとして、20種類のアミノ酸が偶然に適切に並んで、その必要とするたんぱく質ができあがる可能性は、20の100乗の分の1にならないであろうか。

 また、この抑制や促進による調節によって、ミトコンドリアの数が変化するわけだが、その変化後の情報をどのようにして細胞は集めるのだろうか。このようなフィードバックの機能が、細胞のDNAの偶然の変化によって成立することは果たしてありえるのだろうか。

 

 まあ、このように、厳密に考えていけば、「細胞のDNAの突然変異だけによって、ミトコンドリアとの共生関係を成立させることがいかにありえないことであるか」が分かる。

 

 偶然に、建設的な何事かを行わせようとする学問など、科学の風上にも置けない。

 

偶然は、ボルトとナット一対ですら作ることはできない。まして、細胞の中のミトコンドリアの数を調節するなどもってのほかである。

 

 

 

 



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