オカルト社会とキリスト教社会

 

 サタンの文化の特徴の一つは、秘密主義である。

 オカルトとは、「隠す」というラテン語に由来する。オカルトの社会に住む人々は、他人の妬みを恐れて、リーダーになりたがらない。また、他人の上に立ちたいと思う人々は、自分が持っている知識を隠して、党派を作り、自分のグループに属する人々にだけ知識を与えようとする。それは、他者を自分の意のままに支配しようとしているからである。

 それゆえ、オカルトの世界の特徴は静寂である。新しい事柄を発見したり行ったりする人間を引き摺り下ろそうとするので、文化は停滞する。表面的に見れば平和だが、それは、それぞれが他人の目を恐れているからに過ぎない。

 キリスト教の文化は公開契約の原則に基づいている。

 万人に規則を見せて、その規則以外の裏規則を極力排除しようとする。理に適った原則を作って、それに人々が同意して契約を結ぶ。そして、その契約において取り決められた規則以外のものを誰も他人に強制しようとしない。各人は各人の個性を生かして自由に生活する。

 立憲主義や資本主義や科学主義は、キリスト教の産物である。

 オカルト社会のように、他者を意のままに支配することを目的とする集団では、知識が公開されることがないので、科学は停滞し、人々は裏規則によってがんじがらめに縛られ、妬みを恐れるあまり全員が同じ顔をした無個性の社会になる。

 サタンの文化の特徴のもう一つは、拘束である。

 世界には様々な奇習因習があるが、それらに多くみられる特徴の一つは拘束である。中国には、纏足という奇習があった。足が小さい女性ほど美しいとされ、足が大きくならないように紐で足の周りをきつく縛った。イスラムでは、女性は夫以外の他人に肌を見せないために全身をすぽり覆う衣装を身に着けなければならない。首の長い女性が美人だとされ、何重もの輪によって異様なほどに首の長くされた未開の部族がある。日本の家において、嫁はつい最近まで家隷のごとく扱われていたのは周知の事実である。

 

 拘束の対象となるのは、いつも社会的弱者である。拘束の目的は、常に、他者への絶対的な支配である。他人を意のままに利用しようとする心がこのような文化を生む。

 キリスト教の文化は、自由の文化である。人間は、神から与えられた才能や能力を発揮して神のために地を治めなければならない。それぞれが神から個性を与えられ、その個性を生かして神の社会建設に貢献するように造られているので、その働きを阻害するような制度や組織は改善されたり廃止される。キリスト教文化において、内部改革が頻繁に起こったのは、この自由を拡大するためなのだ。西欧史と他の歴史の根本的な違いとは、西欧史が「神の国発展」という性質を持つのに対して、他の地域の歴史は単なる権力交替でしかないということである。西欧において、宗教改革、科学革命、市民革命、産業革命と、キリスト教の原理が次々と外化していった。自由と合理性と公開性というキリスト教の原則は西欧や北米の社会において実現していった。

 

キリスト教は、他者を利用しようとするのではなく、他者を生かそうとする宗教である。だから、キリスト教文明が入ると、女性は奴隷状態から解放される。日本でも文明開化以降、女性の解放は著しく進んだ。イスラムでは、現在でも、女性は男性から所有物扱いされている。

 

 

 

 



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