旧約律法は今日においても効力がある

 

 反セオノミストは、旧約聖書の律法は、今日無効であり、いかなる拘束力もないと唱える人々である。彼らは、旧約聖書と新約聖書には大きな断絶があり、旧約律法は、地域的・民族的・時代的に限定された効力しかないと唱える。

 

 たしかに、旧約聖書と新約聖書には経綸(神の取り扱いの方法)の違いがある。それは、民族的と超民族的の違いである。

 

 神はイスラエル民族を選びの民として、彼らの間に御国を作っておられた。神と和解していたのは、神殿において犠牲を捧げて、贖いにあずかっていたイスラエルの人々と国土や物だけであった。その意味において、和解は民族的・地域的に限定されていた。

 

 しかし、キリストの十字架と復活によって、万物が神と和解してから(コロサイ1・20)、和解はあらゆる民族に及ぶことになった。イスラエルだけではなく、「すべての国民」が「弟子」とならなければならないのである(マタイ28・19−20)。

 

 旧約時代においては、「弟子」とはイスラエルだけであった。(少数の例外を除いて)イスラエルだけが、神の律法を守り、神の導きに従うよう訓練されていた。しかし、新約時代においては、全世界の国民が「弟子」とならなければならない。全世界の民族が神の律法を守り、神の導きに従うように訓練される。

 

 旧約律法は、地域的・民族的な規範であるが、神の法であるがゆえに、不変の法である。それは、特定の地域・民族を超えて、世界において施行されるべき普遍的な法である。

 

今日、牛や羊を捧げる必要はない。なぜならば、キリストが十字架において一度限り捧げられたからである。今日、エルサレムの神殿に礼拝する必要はない。なぜならば、キリストが真の神殿になったからである。旧約律法は、キリストにおいて完成されたのであって、廃棄されたのではない(マタイ5・17)。旧約律法は一点一画たりとも廃れない。それを破るように教える者は、天の御国において最も小さい者と呼ばれる。

 

 

 

 



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