エリートを養成せよ

 

>私個人としても、先生のお働きは、非常に重要な事だと思っております。
>tomi先生のように、聖書から裏付けのある説明をしっかりとなさる方はそうそう見
>かけません。例えば、最近の質問にあった献金についてですが、私たちの教会に来
>たある伝道者が「礼拝時には感謝献金(十分の一とは別に)するようにしなさい」
>と勧めていきました。なるほど、感謝献金か。実行するようにしましょう。という
>ことになったのですが、よくよく考えてみると、聖書からいうところの根拠は何処
>にあるのか?という説明はありませんでした。感覚的には感謝の意を献金として表
>すものなのだろうなということで皆納得しているのでしょうけど、やはり、しっか
>りとその意味を聖書から学ぶ必要があると思うのです。そういうわけですから、先
>生が「交わりの基本原則」と題して書いて下さった内容を通してそれが明らかにさ
>れましたから、これを兄弟姉妹たちと分かち合うことが出来るようになり、感謝し
>ております。
>このようなことは誰でもできることではなく、やはりこれに召された方じゃなけれ
>ば出来ないことだと思うのです。
>先生の文章はとても読みやすく解りやすい。鋭い考察に加え、要点がキチンとまと
>められていますので、tomi先生がやらなければ...と思うのです。
>ですから、先生の働きに必要な資金(必要経費、運転資金、生活費)が満たされる
>ように祈っております。

実によく御理解くださりありがとうございます。
このような理解を得られていることは、貴兄が選びの民であるからです。
真に回心していない人は、私の働きの重要性が分かりません。
すでに述べましたが、再建主義の考えは必ず、将来、何十年後になるかわかりませんが、日本だけではなく、世界の標準教理になるはずです。これは、聖書が預言しているからです。
もし聖書が述べていないことをこちらが言っているならば、絶対にそのような発言は傲慢以外の何物でもありませんが、こちらは聖書からの厳密な裏付けがあるからこのような大胆なことを述べることができるのです。
今回の献金についてだけではなく、もっともっと語らねばならないことが山ほどあります。
例えば、象徴学についてです。
聖書において山と礼拝の関係、木と信仰者の関係、エルサレムの町の構造とエデンの園のそれとの関係、聖書における数字など、聖書には無数の象徴表現があり、それらが信仰理解に不可欠なのです。
経済の領域についても、ゲイリー・ノースが教えていることを日本の読者に分かりやすく伝えねばなりません。インフレの原因、聖書的通貨制度、など無数にあります。

しかし、考えて見ていただきたいのです。
人々は、私が実際の牧会ではなく、インターネットというバーチャルな世界で活動しているため、何か空虚なことを行っているように考えているのです。だから、そのような人に御金を払う必要はないと。
実は、このような資料を提供することは、実際の牧会の数百倍の効果があります。
なぜならば、牧師を動かすのは資料だからです。
牧師は神学者に影響を受けます。
しかし、現代の神学校は99.99999999%が、異端化しており、行っても、ギリシャ語とへブル語の学習以外に得られるものはほとんどありません。教理が間違っているために、実際に学生を訓練できないのです。

神学校を出てきた牧師の卵は、聖書的教理に関してはほとんど素人のままです。

それゆえ、私がこのHPにおいて述べていることを聞くと、「あっ!そうだったのか!」と改めて目を開かれるのです。
教理を実際生活と連動させて語ることができる神学者がどれだけいるでしょうか。
神学の本を読んでも、一般の信徒は、ちんぷんかんぷんでしょう。
そのような神学者と一般信徒との橋渡しができる人はそうざらにいるわけではありません。
フランシス・シェーファーですら、文化全般について語っても、具体的に聖書から論証的に分かりやすく、あらゆる生活の分野について解説していません。たしかに学究的な学生には受けるでしょうが、社会において一線で活躍している社会人にとってはまだまだ遠い世界のこと、雲の上のことでしかありません。社会で活躍しているクリスチャンにとって重要なのは、聖書の原理から具体的生活の諸領域について分かりやすく「教理の適用」を行ってくれる教師です。

普通の牧師たちは、いわゆるキリスト教界において常識とされている「慣習」だけを、ただ「理由もなしに」講壇から述べるだけです。深く思考していないために、ヒューマニズムの半分混じった教えをそのまま信徒に伝えているため、いつまでたっても日本のクリスチャンのレベルは幼稚園どまりなのです。

日本人は、知的に世界のトップレベルの国民なので、今までのレベルの低い教育ではだめなのです。

第三世界のクリスチャンに適用して成功している「ダンス」や「卒倒」や「異言」などで、リバイバルを模索していますが、日本人はそのようなレベルではまったく満足できません。もっともっと高いレベルの教えが必要なのです(第三世界の国民を馬鹿にしているわけではないのです。事実を述べているのです。ご理解ください)。

現代のリバイバルの教会は、このようにターゲットを間違っているのです。日本に本当にリバイバルに導きたいならば、進化論と対決し、哲学的に徹底して聖書的な世界観を提供しなければなりません。もしそのような世界観を受け入れて、原理的にものを思考できるクリスチャンが一人二人と増えていけば、それらのクリスチャンは、教会に対して強力な影響を与えることができるので、巨大な戦力になります。

私は、このような選ばれたいわゆる(語弊がありますが)エリートを養成するために神に召されたと考えております。

 

 

02/04/27

 

 

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