パラダイスにいる人々

 

<ご質問>

マタイ16:28に「はっきりといっておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

これはヨハネのことですか?

イエス様はヨハネの福音書で「それがあなたに何のかかわりがありますか」といわれたので、このことにこだわるのは意味がないとは思いますが、私個人の想いで「ヨハネはどんな気持ちで2000年間、そして今をすごしているんだろう。」と気になってしまったのでこのように質問させていただきました。

 

<お答え>

マタイ16・28は、終末に現われるキリストの再臨を指しているのではありません。

当時生存していた人々はすでに全員が死亡しており、現在まで生き残っていると考えることは当然できません。

この個所は、ジョン・ギルのように、次のように解釈すべきでしょう。「それは、キリストが死人のうちよりよみがえり、天に昇られ、聖霊の偉大な傾注が起こり、福音が全世界に伝えられ、しるしと不思議が伴ない、多くの魂が回心と救いを経験することを、当時生きていた人々が見るということを意味している。しかし、この個所の最も中心的な意味は、ユダヤ人を裁くためのキリストの来臨[訳注:紀元70年に起こったローマ軍によるエルサレム崩壊とユダヤ民族のパレスチナからの追放]である。キリストは、王としての力と権威を彼らに示し、自分を王として迎えなかったこの敵どもを御前において処刑された。これを個人として目撃したのは、使徒ヨハネだけであった。」

 

つまり、キリストが「わたしが来るまで生き残る人がいます」と言われたのは、ヨハネをさしていたのであり、ヨハネはこの予言どおりに、一人生き残って、紀元70年のユダヤ滅亡を目撃したのです。キリストは、王として御自分を迎えなかったユダヤ民族を処刑するために来臨されました。これは、目に見える形の来臨ではなく、ローマ軍という形での来臨でした(神が来られるという預言を常に文字通りの可見的来臨を意味すると考えることはできません。旧約聖書では、「主が来られる」という預言(イザヤ19・1など)が、外国の軍隊による襲撃や捕囚によって成就したことが記されています)。

 

ヨハネは現在、霊において、パラダイスにいます。パラダイスにいる人々(犠牲による贖いを受けたアダムやエバも含まれる(創世記3・21))は、イエスやクリスチャンとともに、世界を支配しており(黙示録20・4)、地上でのクリスチャンの活動や戦闘を支援しています(マタイ17・3、へブル12・1など)。彼らは祝福と幸いの中におり、神の御心を完全に理解しています(ルカ16・23、1コリント13・12)。

 

 

 

 



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